381話:《天星宮》


 事前の準備とやらは、それこそ嵐が過ぎるみたいに進められた。

 こっちの方は特にやる事はない。

 神殿に入る時にも見た白装束の者たち。

 どうやら彼らは《神官長》の部下、つまり神官であるらしい。

 身体を清めるだとか、身支度を整えるだとか。

 彼らは手慣れた様子で一連の作業を淡々と進めていく。

 その間、俺なんて殆どぼーっとしてるだけで終わってしまった。

 アウローラ特製の甲冑だけは、脱ぐのにちょっと手間取ったぐらいだ。

 そして。


「――準備は済んだみたいね」


 あれよあれよという間に、その時は訪れた。

 支度の終わった俺たちが集まったのは、恐らくこの神殿の中心。

 綺麗に草木が整えられた中庭だった。

 天井はなく、見上げれば青い空と中天に輝く太陽が見える。

 陽光に照らされた芝生の上に、《星神》シャレムの姿があった。

 見た目は少女にしか見えない。

 性格の方も、先のやり取りで大分愉快なのは知っていた。

 そんな表面的な部分とは無関係に、その存在感は凄まじいの一言だ。

 これまで遭遇してきた大真竜や《人界》の神。

 誰も彼もまともに戦ったら勝ち目がないような強大無比な怪物だった。

 それらと戦った経験を比較しても、尚。

 目の前に立つ少女が秘めた強大さは明らかに隔絶していた。

 ――最も古き三神。

 言葉通り、根本的に格の違う存在なのかもしれない。


「で、今からその王様と会うんだよな?」

「もう少し段階を踏む必要があるけど、概ね間違ってはいないわ」


 首を傾げるイーリス。

 それを受けて、《星神》は穏やかな声で応える。


「先ず、私が貴方たちを《天星宮てんせいぐう》へと導くわ」

「《天星宮》?」

「この《人界》にあっても更に特別な場所。

 神々と、神に選ばれたごく一部の者のみが住まう事を許された天上の宮殿。

 王のおわす玉座はその中心にある」

「天上の宮殿……?」


 見上げる。

 俺とテレサ、釣られてイーリスも。

 空は青く穏やかで。

 他に見えるのは流れる白い雲と、後は輝く太陽ぐらいだ。

 宮殿なんてものは何処にも……。


「……ここは、外の世界とは隔絶された位相の異なる世界」


 ぽつりと。

 呟いたのはアウローラだった。

 彼女は空を見ずに、けれど言葉に戦慄を込めて《星神》に視線を向けた。


「この空も何も、本来私たちのいた現実の世界とは全て違うはず。

 だから、この《星神》が言ってる《天星宮》っていうのは――」

「……まさか、アレか?」


 ボレアスが指差したモノ。

 それは俺たちも見ていた、空で一番輝いている「星」。

 即ち、太陽――いや、太陽だと「勘違い」していたモノだ。

 正しい答えに辿り着いたと、《星神》は頷いてみせる。


「その通り。

 この《人界》の空に輝き、全てに恵みの光をもたらすもの。

  》。

 あそこに上ることができるのは、《星神》たる私に認められた者のみ」

「すげーなぁ……」


 本当に、聞かされた今でも太陽にしか見えない。

 しかしアレが神様と、その頂点である王様が住んでる宮殿であるらしい。

 ここに至るまで、俺なりに色々と見てきたつもりだったが。

 どうやら世の中はまだまだ驚きに満ちているようだ。


「さ、説明は十分でしょう?

 すぐに道を開くから、少し下がって」

「分かった」


 指示に従って、俺たちは《星神》から距離を取る。

 十分に離れたのを確認してから、銀色の少女はすっと背筋を伸ばした。

 空気が変わる。

 穏やかなのは変わらないが、同時に厳かな気配が辺りに満ちていく。

 ……やっぱり、今まで会った神様とは違うな。

 《裁神》に《鬼神》、《秘神》、《律神》。

 誰も彼も凄かったが、《星神》の存在はそれらとは一線を画している。

 こんな相手を従えている《人界》の王。

 凄い事は今の段階でも十分以上に分かっている。

 分かっているが、実物はこっちの想像なんてぶっちぎってくるだろうな。


「……レックス?」

「うん?」

「なんだか楽しそうね?」

「あー、うん。そうだな。そうかも」


 兜に隠れているはずの表情。

 それを覗き込みながら、アウローラがそう囁いた。

 どうやら我知らずにちょっと笑っていたらしい。

 楽しそう、か。

 確かに、少し楽しみになってるのは間違いない。

 太陽の如き《天星宮》と、その玉座にいるという《人界》の王。

 果たしてどんな奴だろうか。


「……凄いわね」

「そうか?」

「正直、私は少し腰が引けてるぐらいよ?

 この《人界》という異界の完成度は、ちょっと常軌を逸してる。

 似たような事ができるから分かるのよ。

 神々の王なんていうのも、あながちハッタリじゃないって」

「なるほどなぁ」


 確かに、そういう視点は俺じゃ分からない部分だ。

 アウローラは本音を口にしながら、俺の手をぎゅっと握る。


「ホント、貴方と一緒にいると時々悩むのが馬鹿らしくなるわね」

「まぁ俺は馬鹿だからなぁ」

「ええ。馬鹿でスケベで、すぐ無茶して。

 こう考えるとなかなかどうしようもない人よね」

「嫌か?」

「いいえ、大好きよ?」


 クスクスと。

 悪戯をしかけた子供のように笑ってみせる。

 そんなアウローラの姿は、見た目通りの少女のように愛らしかった。

 と、別の方向から軽く小突かれた。


「おう、唐突に人前でイチャつき始めんなよ」

「コラ、イーリス。止しなさい」

「いや、言いたくなる気持ちは分かるぞ?」


 特に隠してもなかったので、まぁ当然聞こえていたようだ。

 呆れ顔のイーリスに、それを慌てて止めるテレサ。

 ボレアスは割と愉快そうに笑っていた。

 わざと見せつけるように、アウローラは俺の腕に抱き着いた。


「あら、もしかして羨ましいの?

 ダメよ。レックスは私のものなんだから」

「いや別に取る気はねーから。

 姉さんの方は知らんけど」

「イーリス、いきなり何を言い出すんだ……!?」

「ハハハハ、長子殿には悪いが我と竜殺しは運命共同体であるからなぁ」

「貴女も、レックスの蘇生が完全になったら用済みなんだから。

 そこはちゃんと覚悟しておくことね……!」


 うーん、実に賑やかだ。

 一応これから神様の本丸に突入するんだけど。

 いや、らしいと言えばらしいか。

 ちょっと手助けを頼みに行くだけの話だ。

 別に深刻な顔する事もないだろう。


「……ホントに、楽しそうですね」


 と。

 《天星宮》への道を用意している《星神》様がそんな事を言ってきた。

 呆れている、というわけでもなさそうだ。

 むしろ微妙に羨ましそうに見られてるのは気のせいか。


「おかげで、色々大変な旅だが退屈はした事ないな」

「そう。正直に言えば羨ましいわね。

 私にはそういう自由はないから」

「《人界》の外へ行ったりはしないのか?」

「必要があれば行くけど、基本的には此処から離れる事はないわね」


 世間話のノリで応えつつ、《星神》は何かを地面に描いていた。

 アストレアや、あとは《鬼神》とか《秘神》もか。

 あの辺りは割と自由に外で活動してたように見えたが。


「まぁ、こちらはこちらの事情があるというだけの話ね。

 愚痴っぽく聞こえたなら謝るわ」

「いや、別に気にしないでくれ」


 《星神》シャレムは、俺がそう言うとほんの少しだけ笑ってみせた。

 どういう意味の表情なのかは分からない。

 神様って奴も、俺が想像する以上に大変なのかもしれない。

 そうこうしている間に、準備は済んだようだ。

 シャレムの足元に描かれた陣。

 複雑な模様に光が宿り、強い力が脈動しているのが感じられる。


「さぁ、全員こちらに」

「分かった」


 促されたので、先ず最初に陣の内側に入る。

 とりあえずこの時点ではまだ何の変化もない。

 続いてアウローラが入って、次にテレサとイーリスが踏み込んだ。

 最後はボレアスが。

 全員が陣の中にいるのを確認すると、シャレムは一つ頷く。


「じゃあ、《天星宮》に繋げるわ。

 決して陣の内側からは出ないように」


 繋げるというと、《転移》でもするのか?

 と、そう思った直後。


「おぉ?」


 身体が中に浮かんだ。

 いや、正確には足元の陣が持ち上がったのだ。

 光る紋様がそのまま宙に浮かぶ足場となり、高く高く上っていく。

 流石にこれは予想外だな。


「ちょ、これ大丈夫なのか……!?」

「まさか、このまま……?」

「だから出ないようにと言ったでしょう?

 危ないから大人しくしていなさい」


 やや困惑する姉妹に、《星神》は淡々と応える。

 そう、《転移》じゃない。

 物理的に上昇して向かう先。

 そこにあるのは太陽の如く輝く中天の星。

 これ、マジでこのまま突入するのか?


「距離は近付いてるけど、熱は感じないわ。

 だから大丈夫よ」

「うむ。まぁ我も正直驚きはしたが」

「……こうして見るとデカいなぁ」


 うん、デカい。

 本当の太陽の大きさはどうだか分からないが。

 今や視界の殆ど全てを輝く星が埋め尽くしている。

 眩しいが、不思議と目が焼かれる事はない。

 光の壁がどんどんと迫ってきて――。


「……お?」


 抜けた。

 何の抵抗もなく、陣に乗った俺たちは光の中へと突入した。

 太陽ほどではないが、余すこと無く眩い輝きで満たされた空間。

 そこは奇妙な構造をした建物の内部に見えた。

 さっきまでいた神殿とは雰囲気は似ている。

 但しこっちは、地表にあった建物よりも遥かに広大だ。

 上下左右にデタラメに伸びる階段や通路。

 大小様々な四角い鉱物の塊が、不明な力であちこちに浮かんでいる。

 それらは一定の速度で移動して、時に接触したりしていた。

 ぱっと見、何が起こってるかは良く分からない。


「ここが?」

「ええ。《天星宮》へようこそ。

 案内してあげたいところだけど、今は拝謁が優先ね」


 陣もまた速度を変えず、広い光の空間を上へ上へと進み続ける。

 イーリスは珍しそうにキョロキョロと見回していた。


「なんか、ワケの分かんねェ場所だな」

「見てると割とクラクラするな」

「落っこちるなよ? いや、オレも気をつけるけど」


 笑うイーリスに軽く頷いておく。

 いやホント、落下したらどうなるか分からんしな。

 そうして、どれぐらい《天星宮》の中を上り続けたか。

 不可思議な景色は続くが、最初からあまり代わり映えはしない。

 ボレアス辺りが微妙に飽きた気配を出してきた――ところで。


「……なに、これは」


 不意に景色が切り替わった。

 此処までに数度あった現象だが、今回は微妙に異なる。

 ……正直、言葉でこの感覚を言い表すのは何とも難しい。

 強いて近いものを上げるなら、「途切れた」と言うべきだろうか。

 いきなり、これまで続いていた世界が途切れた。

 それを証明するみたいに、その場所は全てが何もない空白だった。

 白い。

 何処までも続くような真っ白な世界。

 生命が死に果てていた、外の世界の荒野とはまた違う。

 何もないのだ。

 何一つ存在しない真っ白い虚空。

 輝きに満たされていたはずの《天星宮》。

 穏やかだったはずの空気も、この場所には欠片もなかった。

 あるのは、ただ――。


「ご苦労だった、シャレム」


 声。

 年若い男の声に聞こえた。

 ただ、其処に秘められた重みは尋常じゃない。

 それ自体は単なる労いの一言だ。

 そもそも向けられたのは俺たちではなく、傍らにいる《星神》だった。

 少女はその場に跪き、恭しく頭を垂れる。


「お命じになられた通り。

 異邦の旅人たちをお連れ致しました、陛下」

「あぁ、《巡礼の道》を越えた者は随分と久しぶりだな。

 なかなかに楽しませて貰ったぞ」


 テレサとイーリスは、完全に動けなくなっていた。

 恐らく、その男の声の重圧に意識が潰されかけているんだろう。

 ボレアスと――アウローラもまた、動ける状態ではなかった。

 こっちは姉妹よりはマシな状態だ。

 それでも、声から伝わる強烈な存在感に呑まれかけている。

 かくいう俺も、大分しんどいが……。


「――ハハハ。何、暫くすれば慣れるだろうよ。

 構わんぞ、我が前に立つ事を許したのはこちらだ。

 元よりお前たちは我が庇護すべき《人界》の民でも無し。

 多少の無礼は目を瞑ろう。

 王たる者は寛大でなければな」


 男は笑っていた。

 右も左も、上も下も見失いそうな空白の世界。

 俺だけは辛うじて、その声の出どころを視線で辿った。

 その姿は、比較的にすぐ見つけられた。

 何もない虚空を、ただ一つで圧倒する黄金の輝き。

 白に浮かぶ金色の玉座には、一人の男が座っていた。

 若い男だった。

 同時に、数千年以上の時を生きる「何か」だった。

 確かに視覚で捉えているはずなのに、印象が曖昧だった。

 金髪のようにも、黒髪のようにも見えるし。

 身に付けている衣服も、豪奢にも質素にも思えた。

 顔立ちは整っているはずだが、正確にその顔を記憶できない。

 何もかもが曖昧なはずなのに、魂を貫くような強大無比な存在感。

 これが、《人界》の王。

 アウローラですら立ち竦む程の、神すら従える絶対者。

 ……ただ。

 何故か、俺はその姿を見た瞬間。


「……人間、か?」


 そんな言葉を、俺は思わず口に出していた。


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