幕間2:紙一重の結末


 ぶつかり合う二つの力。

 《戦神》ミネルヴァが誇る権能、《大神殺しガングニール》。

 《雷帝》イシュタルが振るう魂砕きの黒雷。

 物理の限界を超越し、世界の構造そのものを軋ませる。

 拮抗したのは一瞬か、それとも永遠か。

 或いは強大過ぎる力に時間の流れさえも捻れたか。

 どちらにせよ、真に永遠となる事はあり得ない。

 戦いは終わる。

 決着の瞬間は、呆気なく訪れた。


「おおおぉぉぉおおぉ――――――ッ!!」


 ミネルヴァの咆哮。

 その性質上、《大神殺し》に宿る力は彼女自身のモノを上回る。

 最古たる《星神》を含めた五神。

 《人界》に君臨する神々の内、その半数から委託された力の塊だ。

 その解放を維持し、無作為に弾けてしまわぬよう抑え込む。

 槍の柄を握る手がぶすぶすと音を立てた。

 あまりの熱量に肉が焼け、骨まで焦がされている。

 常人なら気が狂う激痛の中、ミネルヴァは前へと踏み込んだ。

 《大竜盟約》の序列四位。

 《雷帝》たる大真竜イシュタル。

 彼女の手にある黒雷の大槍を砕くために。


「こんなもので……ッ!!」


 イシュタルの方は、自らの力で焼かれるなどという無様は晒さない。

 しかし、その表情には焦りの色が滲んでいた。

 僅かな差だった。

 本当に僅かに、ミネルヴァの槍はイシュタルの力を上回っている。

 少しずつ、だが確実に。

 黒雷の大槍は、《大神殺し》の切っ先に削られつつあった。

 ジリジリと押し込まれていく感覚。

 いずれ《戦神》の槍が稲妻の槍を砕く事は明白だった。

 しかし。


「ッ………!」


 ミネルヴァの口から、咆哮ではなく苦悶の吐息が漏れた。

 自身より遥かに強大な《大神殺し》の権能。

 その力を全力で解放してぶつかるのは、やはり強大なる大真竜。

 今のミネルヴァは、二つの巨大なエネルギーの質量に挟まれている形だ。

 擦り潰されそうなところを、《戦神》は気合いで耐え続けている。

 逆に言えば、限界はとっくに超えつつあった。

 神威を宿す鎧は半ば砕け散り、黒い外套だけが激しくたなびいていた。

 ――あと少し。

 現状、イシュタルの方が僅かながらに力負けをしている。

 しかしあとほんの少し押し切れば、相手の方が耐え切れなくなる。

 そこに確かな勝機を見て、《雷帝》は笑う。

 自らが勝つ事を疑わぬ会心の笑みだった。

 《戦神》はそれを見ていた。

 見ていたからこそ、その口元が釣り上がる。

 こちらもまた、己の勝利を確信した微笑みの形に。


「……!?」


 吹き荒れる破壊の渦動。

 世界そのものを砕きかねない二つの膨大なエネルギー。

 その狭間にあって、相手の声など聞こえるはずもなかった。

 にも関わらず、その言葉はイシュタルの耳に届く。

 微笑むミネルヴァの身体に、が走ったのはその直後だった。

 一瞬、黒雷が届いたのかとイシュタルは誤解する。

 ――いや、違う!

 ミネルヴァの五体は圧潰寸前ではある。

 だが、イシュタルが握り締める黒雷の大槍は未だに届いていない。

 ならば《戦神》の肉体に走る稲妻は何なのか。


穿つらぬけェ――――!!」


 再度の咆哮を轟かせるミネルヴァ。

 イシュタルは知る由もない。

 《戦神》たる彼女が持つ固有の権能は、《大神殺し》の槍だけではない。

 ただの飾りのようにも見える黒い外套。

 見た目こそ布のようだが、その実態はまるで異なる。

 一言で表せば「実体化した亜空間」。

 小型の異次元そのものが物質化した物――それがミネルヴァが纏う外套の正体だ。

 用途は主に移動と防御。

 外套に通じる異次元を経由する事で、他の神よりも遠くまでの転移が可能となる。

 そして戦闘となれば、敵の攻撃を外套の中に「呑み込む」事もできた。

 先の攻防でイシュタルがばら撒いた黒雷の一部。

 亜空間に溜め込んだその力を、ミネルヴァは自らの意思で解放したのだ。

 それは火を噴く彗星のように。

 余波で肉を焼きながら、その凄まじい力を推進力に変えて噴射する。

 ギリギリのところで保たれていた拮抗。

 一気にそれが決壊した。


「――――――ッ!?」


 全く想定していなかった奇襲。

 経験が不足しているイシュタルは対応できない。

 手にしていた黒い大槍が砕け散った。

 対する《戦神》の槍――《大神殺し》もまた限界近い。

 自壊寸前の四肢を強引に動かして。

 ミネルヴァは最後の一歩を踏み抜いた。


「はあああぁぁぁぁああァァァ――――ッ!!!」


 前へと。

 若き大真竜の魂を貫くために。

 《大神殺し》の切っ先が、とうとうその身体に触れた。

 雷の大槍が砕かれて、何も握っていない右手。

 イシュタルは咄嗟にそれをかざしていた。

 表面の皮膚――いや、鱗に魔力が駆け巡る。

 単純な防御力の強化。

 それだけで、イシュタルの身はこの世で最も強固な護りに覆われる。

 が、しかし。


「な、ぁ――!?」


 砕かれる。

 大真竜の鱗でさえ、《大神殺し》は容易く突破した。

 槍はイシュタルの右手に突き刺さる。

 五柱の神より委託された力の発露。

 神殺しの槍は、崩壊寸前の状態でもその役割を果たさんとしていた。

 あと少し。

 あと少しで、勝利に届く。

 一秒後にこの五体が粉微塵になったとしても。

 この強大極まりない《人界》の敵を討ち滅ぼすことができたなら。

 それは《戦神》にとって紛れもない勝利だ。

 故にミネルヴァは限界を踏破する。

 無理やり力を引き出した影響で、四肢の崩壊が更に早まるが。

 構わないと、言葉を口にする代わりに歯を食いしばった。

 そして。


「…………は」


 《大神殺し》。

 《戦神》ミネルヴァの最強の権能たる槍の一撃。

 ただ一度だけ許された全能力の解放。

 槍は間違いなく、与えられた役目を果たした。

 大真竜たるイシュタルであれ、まともに受ければ消し飛ぶしかない。

 事実、ミネルヴァはその通りの事が起こったのを見ていた。

 槍を受けた《雷帝》の血肉が砕ける。

 但し、それは。


「…………謝るわ。ええ、本心から」


 持てる力、そのほぼ全てを出し切ったミネルヴァ。

 彼女に対し、イシュタルはいっそ穏やかに語りかける。

 力を失った《大神殺し》がひび割れた。

 その切っ先が砕いたのは――イシュタルの右腕のみ。

 槍に貫かれ、神殺しの威力が他の四肢にも伝播するその直前。

 イシュタルは、自らの右腕を切断したのだ。

 それは文字通り紙一重の差だった。

 迫る槍に対し、反射的に右手を防御に差し出した事。

 直感的にその右腕を切り落とす判断をした事。

 そして、《大神殺し》の力が右手を貫いた時点で発動していた事。

 幾つかの偶然が重なった結果、ここに勝敗が確定する。


「今回は、私がたまたま運が良かっただけ。

 実力で上回ったなんて、恥ずかしくてとても言えそうにないわ。

 ――何か、最後に言っておく事はある?」

「……そう、ね」


 最後の最後。

 ギリギリになって、何処か少女らしい素直さを見せたイシュタル。

 そんな彼女を目に焼き付けるように。

 《戦神》ミネルヴァは決して視線を逸らさなかった。


「貴女、脇が甘いから気を付けなさいね。

 私みたいに優しい相手ばかりじゃないんだから。

 ――知ってる友達を見てるみたいで、ちょっとばかり心配ね」

「…………」


 神は不滅。

 だからこれは遺言というワケではない。

 負け惜しみか、或いは恨み言の類でも出てくるかと。

 そう考えていたイシュタルは、ほんの一瞬だけ呆気に取られてしまった。

 そんなところが脇が甘いんだと、ミネルヴァは笑った。

 イシュタルはふてくされた表情を浮かべる。


「余計なお世話よ。

 ……けど、忠告としては聞いておくわ」

「良かった、それなら少しだけ安心ね」

「言ってなさいよ。

 ――それじゃあ、さようなら。

 《戦神》ミネルヴァ」


 最後に、強敵の名を口にして。

 イシュタルは残った左手を振り下ろした。

 既に砕け散る寸前の《戦神》。

 その身体に容赦なく黒き稲妻が突き刺さった。

 弱っていようが、己の全力で屠ることをはなむけとしたのだ。

 激しい雷鳴が轟く。

 天地を貫く一条の黒雷。

 それが消え去った後には――何も残らなかった。

 肉体を粉々に粉砕され、《戦神》ミネルヴァは完全に消滅した。

 魂まで霧散したが、滅びたかまでは判断できない。

 塵も残らぬ最後を見届けて、イシュタルは吐息を漏らす。


「…………油断、慢心。

 なんて愚か。

 何が序列四位の大真竜よ、しっかりしなさい」


 肘の上辺りから切り落とした右腕。

 出血はないが、その傷口を左手で軽く押さえながら。

 イシュタルは自らにのみ聞かせる言葉を呟いた。

 想定外の負傷だ。

 最初に遭遇した時点では、これほどの苦戦を強いられるとは考えていなかった。

 が、蓋を開けてみればこのザマだ。

 己の迂闊さを、今更ながらイシュタルは省みる。

 一瞬。

 本当に一瞬だけ、《盟約》に帰還する事も考えるほどに。

 しかし。


「……ダメ、それは認められない。

 それを認めてしまったら、私は何のためにここまで来たの?」


 認められるはずもない。

 芽生えかけた弱気の芽を、イシュタルは即座に摘み取った。

 いきなり《人界》の神と戦った上に、思わぬダメージも受けてしまった。

 失った右手を再生するのは当分は難しい。

 形程度は取り繕えるが、そうしたところで意味は薄いだろう。

 故にイシュタルはそれをしなかった。

 失った右腕から、左の手を離す。

 全力の戦いだったが、大真竜たるイシュタルはこの程度で疲労を感じない。

 片腕以外の損失は実質的に皆無だった。


「……《最強最古》」


 討ち滅ぼすべき標的。

 《盟約》そのものを揺るがす大罪人。

 その忌み名を口にして、イシュタルは己の中の炎を燃え上がらせた。


「奴だけじゃない、それに従う者たちも全員。

 《盟約》の礎として、絶対に見逃すことなんてできない」


 必ず見つけ出す。

 そして必ず、この手で報いを受けさせる。

 個人としての憤怒と、大真竜としての義務感。

 その二つを胸に宿して、イシュタルは顔を上げた。

 連中が何処にいるのか。

 それはまだハッキリとは掴めない。

 けれどイシュタルの感覚は、僅かな残滓は既に捉えていた。


「まさか、ここまで追ってくるとは考えなかったのでしょうね」


 微かに残された気配。

 それを辿っていけば、いずれは見つけ出せる。

 行くべき方向を定めて、イシュタルは死んだ荒野へと踏み出す。

 《転移》を使えば一足飛びにできるが、万一でも見逃す可能性があった。

 面倒だが真っ直ぐに、そして虱潰しに探す他ない。

 邪魔なものがあるならば薙ぎ払ってしまえば良いのだから。


「――この《雷帝》を恐れなさい、古き悪め。

 《盟約》の礎を揺るがす者に裁きを。

 …………そして、コッペリアを滅ぼしたお前に、必ず報いを」


 人には決して聞かせる事のない本音を口にして。

 イシュタルは雷と共に大地を渡る。

 彼女は知らない。

 目指す先には《人界》と、その前に「国」と呼ばれる共同体がある事を。

 彼女は気付かない。

 気配を消し、存在感を希釈して。

 決して感知されぬように潜む何者かの存在を。

 知らず、気付かず、《雷帝》たるイシュタルは己が目的のために邁進する。

 少女の如き無垢なる魂は強大で――けれど、同じぐらいに脆いものだと。

 今は姿を見せぬ道化だけが、その本質を見透かしていた。


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