第三章:侵攻する《雷帝》

386話:落ち込むアウローラ


「……多分、特徴からするとイシュタルって奴よね」

「確か、ゲマ子と戦ってた時に最後の最後で乱入してきた相手か?」


 確認すると、アウローラは一つ頷いた。

 イシュタル。

 《大竜盟約》の礎である大真竜、その序列四位だったか。

 そんな感じで名乗っていた記憶がある。

 四位……コッペリアことヘカーティアが五位のはずだ。

 それより一つ格上の大真竜。


「大陸と外界の間は、我らが愚かな父の断絶によって切り離されているはず。

 一体どんな手段でそれを越えてきたのだ?」

「そんな事は分からないわよ。

 ……もしアレが《五大》クラス以上。

 かつて《最強最古》と呼ばれた私と同等か、それを上回る力があるなら。

 遮断壁を無理やり突破してきた可能性は、十分考えられるわね」

「……できれば考えたくもない可能性だな」


 皮肉や冗談の一切混じっていない声で、ボレアスは独り言のように呟く。

 そんな竜の姉妹の会話を聞きながら。

 俺は改めて、自分たちのいるその場所に目を向けた。

 作りとしては、地表にあった神殿で見た客室と大きく変わらない。

 ただ空気というか、「清潔感」みたいなものは段違いだ。

 神殿内部の清浄さも、これまで生きてきた中では感じた事がないものだった。

 しかしこの部屋は、それを更に二つか三つぐらい超えている。

 あとは明かりらしき物は見当たらないのに、部屋全体が光に満たされていた。

 ――王様との拝謁の後。

 俺たちはシャレムに案内され、この客室に通されていた。

 大陸から現れた《盟約》の大真竜イシュタル。

 《人界》側の神がこれと交戦し、そして敗北した。

 王様が口にしたその情報は、シャレムにとっては俄に信じがたい事だったようだ。


「ミネルヴァが――《戦神》たる彼女が、敗れたと?」

「あぁ。相手は海を渡って現れた金髪の女だ。

 恐らくは《盟約》の大真竜とやらの一柱であろうな。

 良い勝負であったが、残念ながらミネルヴァは運に恵まれなかったな」

「……《大神殺しガングニール》の執行許可は出していたはず。

 あの権能を用いて、それでも負けるなんて……」


 それこそ「面白いモノが見れた」と言わんばかりの王様の態度。

 《星神》シャレムはまさにその真逆だった。

 よっぽど信頼していた相手なんだろうな、そのミネルヴァってのは。

 神である以上、アストレアや《鬼神》バサラとは同格のはず。

 その敗北の報に《星神》は動揺を見せた。

 しかしそれも直ぐに収めると、王様に向けて一礼をして。


「陛下、私は少し下がらせて頂きます。

 それと――」

「来訪者たちも連れて行きたい、だろう?

 構わんぞ、采配はお前に任せる。

 どうあれ退屈せずに済みそうだからな」

「ありがとう御座います」

「? 何だ、今度はどういう話だ?」


 イーリスが口にした疑問に、王様もシャレムも答えなかった。

 とりあえず拝謁が終わりである事だけは間違いない。

 そこからの動きはあっという間だった。

 こっちが他に何かを言う暇なく、玉座の空間から抜け出した。

 足元にはシャレムが操作する光の陣が変わらず輝いている。


「なぁ、どこ行くんだ?」

「直ぐに着くから」


 聞いても、返ってきたのはその一言だけ。

 《天星宮》の内部を浮遊している、幾つもの立方体。

 俺たちを乗せた陣は、その一つに近付いた。

 壁に激突――かと思いきや、当たり前のようにすり抜けた。

 いや、マジでどういう仕掛けなんだろうなコレ。

 立方体の内部に広がっていたのは、何処か見覚えのある客室だった。


「で、『ここで暫く休んでいて欲しい』とだけ言って放置か。

 慌ただしい事この上ないな、あの《星神》とやらは」

「色々忙しそうなポジションみたいだしな」


 ぼやくボレアス。

 彼女は胸の前で腕を組み、適当な壁に背を預けていた。

 俺の方はソファーの一つに座っている。

 膝に乗ったアウローラの髪を軽く撫でながら。


「とりあえず、お言葉に甘えてゆっくりしようぜ。

 流石に俺も疲れたしな、ウン」

「お疲れ。オレも正直疲れたわ」

「まぁイーリスさんはそうだよなぁ」


 シャレムの勧誘もかなり激しかったし。

 そんで姉は、主人であるアウローラみたく妹にベッタリだ。

 イーリスも嫌な感じではないが、ちょっと困った顔をしていた。


「なぁ、姉さん。もう大丈夫だから」

「……分かっている、分かっているんだが……」

「あの《人界》の王相手に動けなんだのは、別に恥じる事でもない。

 アレは真正の超越者だ。

 正直なところ、竜殺しが毛筋ほどでも傷付けたのが信じがたい」

「加減してくれたからなぁ」


 思い出すのは、少し前の王様との戦い。

 いや、王様風に言えば「戯れ」だな。

 実際のところ、遊ばれてたってのは間違いない。

 あっちがその気だったら、抵抗する間もなく潰されて終わりだったはず。

 曲がりなりにも「流儀を合わせてくれた」からギリギリ何とかなった。

 うーん、やっぱり素直には喜べないな。

 《黒銀の王》に勝つには、現状じゃまだとても足りない。


「……レックス?」

「うん?」

「ううん、呼んでみただけよ」


 そう言って、アウローラはぎゅっと身を寄せる。

 拝謁から今まで、大体こんな調子だ。

 宥めるつもりで撫でると、手指に頬を擦りつける。

 甘える猫の仕草そのものだ。

 可愛らしいが、やっぱ落ち込んでる様子だな。


「……長子殿も、いい加減にしゃんとしたらどうだ?」

「……分かってるわよ、そんな事。

 お前に言われるまでも」

「ハンっ! どうだかな。

 仮にも《最強最古》であろうに。

 あの空の上、イシュタルとかいう小娘相手に見せた強気な態度。

 傲岸不遜なあの様こそ、まさに長子殿と感心したのだがなぁ」

「…………」


 殆ど反射的に、何かを言い返そうと。

 しようとしたが、アウローラはぐっと言葉を呑んでしまった。

 ボレアスからふざけた空気は感じられない。

 からかうような言葉だが、割と本気で叱咤しているようだ。

 俺としても、その反応は少し意外だった。

 いや、今回は割とマジでアウローラも凹んでたしな。

 その点が余計に心の琴線に触れたのかも。


「……なんだ、竜殺しよ。言いたい事があるなら言ったらどうだ?」

「お前って意外と姉妹思いだよな」

「喧嘩を売ってるのなら買うぞ貴様」

「やめろって、こんな場所で暴れようとすんなお前ら」


 珍しくボレアスにキレられてしまった。

 微妙に照れてるというか、気恥ずかしそうというか。

 「図星突いたか?」って聞きたい衝動が凄い。

 ただ、それ言ったら本気で殴りかかって来そうだしな。

 イーリスさんからも睨まれてしまったので、そこは自重しておく。

 で、アウローラの方だが。


「…………」


 驚いてるというか、意外そうというか。

 何とも言えない微妙な表情でボレアスを見ていた。

 その視線に、不機嫌そうな舌打ちが一つ。


「長子殿も、言われっぱなしとは随分珍しいではないか」

「…………」

「全竜属の頂点、並ぶ者なき古き邪悪。

 真の名を口にする事さえ憚られ、誰もが多くあった異名のみを口にする。

 万物の敵対者とも呼ぶべき我らの長子。

 その《最強最古》が、いつまでも手弱女のような顔を晒している。

 我はそれが気に食わんだけだ。

 仮にも、この《北の王》であった我の上に立っていた者だろうに。

 それが――」


 ぽつりと。

 それは囁くような声だった。

 どこか言い訳めいたボレアスの言葉が途切れる。

 アウローラは、向けていた視線をふっと斜めにずらした。


「悪かったわ。……何だか、思った以上にショックで」

「…………ふん。

 《黒銀》と遭遇した時も、我らは手も足も出なかった。

 情けなくはあるが、竜殺しの鈍感ぶりを見習うところであろうよ」

「褒められてる?」

「喜べ、大絶賛だぞ。

 我と相討った時から変わらず大馬鹿者だ、お前は」


 やったぜ。

 いやまぁ、大馬鹿なのは自覚あるとも。


「……礼は言っておくわ」

「そんなものは不要だぞ。

 だがもし、我の言葉に思うところあるのならば。

 精々、かつての名に恥じぬだけの格を見せて欲しいところだ」

「ほざくじゃないの。

 そんなこと、改めてお前に言われるまでも無いわよ」


 ふんっと、可愛らしく鼻を鳴らす。

 どうやらボレアスの叱咤激励が効いたようだ。

 明らかにさっきよりは調子が戻ってきてる感じだ。

 頬を撫でれば、機嫌良さげに喉が鳴る。


「……ところで、レックス殿はこれからどうなると考えますか?

 大陸に戻る方法については有耶無耶になってしまって……」

「まぁ、それに関してはそこまで焦る事はないしな。

 少なくとも王様はその願いについてはキチンと聞いてくれるだろうし」


 不安げなテレサの問い。

 俺は軽い言葉で応えておいた。

 王様は自分から口にした約束は守るはず。

 だからその点については大した問題じゃない。

 これからどうなるか、についてだが。


「俺たちは一先ず待ってればいいと思う。

 ……多分、というか十中八九。

 その《戦神》を倒したらしいイシュタルの対処を頼まれるだろうしな」

「まぁ、そうなるわよね。

 間違いなく、私たちに原因の一端があるトラブルでしょうし」


 俺の言葉にアウローラが頷いた。

 今、彼女が言った通り。

 大真竜が《断絶流域》を突破して、わざわざ外界にまでやって来る理由。

 それは俺たちにあると考えて間違いないだろう。

 こっちは既に大真竜の内の三柱に対して勝利してる。

 ブチギレた奴が叩き潰しに追ってきても、別に不思議な話じゃない。

 その怒り心頭の大真竜が一柱だけかどうか、それが一番の問題だろうな。

 と、イーリスは顔をしかめてため息を吐いた。


「ったく、《戦神》って奴がそのまま勝ってくれたら楽だったのにな」

「無傷って事はないだろ、きっと。

 それに、わざわざ他人の庭まで追いかけてきてくれたのは好都合だ」

「? どういう事だよ、ソレ」


 言ってる意味が分からないと首を傾げるイーリス。

 そう難しい事でもない。

 あと、今の話の流れだったら多分――。


「……お話し中だったかしら」


 耳に入ってきたのは聞き覚えのある少女の声。

 俺たちの時と同じく、部屋の壁をすり抜ける形で入ってくる人物。

 何だか久しぶりに見る気がするが。


「《巨人殺し》か。相棒は?」

「迷子」

「迷子……?」

「放っておけば戻ってくるでしょうから、平気よ」


 それで良いのか、って顔のテレサ。

 首元に何も巻きつけてない状態の少女――《巨人殺し》。

 彼女は軽く肩を竦めて応える。

 部屋に入ってくるのは彼女だけで終わりではなかった。


「あ、お邪魔してます」

「…………」


 不機嫌度マックス。

 あまり舐めた口を聞くようなら神罰を下すぞ、と。

 口にはせず、けれど全身から漂う気配でそう意思表示しながら。

 《裁神》アストレアは、無言のまま客室に足を踏み入れた。


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