387話:天の船


「……私としては、不本意極まりないが」


 腹の底から唸る声だった。

 眉間に皺を寄せ、額には青筋も浮かべながら。

 アストレアは殆ど独り言も同然に呟く。


「《星神》シャレムから命が下った。

 王権の代行に基づく至上命令だ。

 お前たちと協力し、《戦神》を落とした罪人を討ち取れと」

「やっぱそういう話になるよなぁ」


 概ね予想通りの展開だ。

 イシュタルの狙いは俺たちだろう。

 だが迎え撃った神様を返り討ちにした以上、《人界》も黙ってはいられない。

 自然と共闘の流れになるのは、こっちにとっては好都合だ。

 まぁ、アストレアはなかなか不満そうな顔だが。


「勘違いするなよ」

「うん?」

「別に今は、お前たちの事を不快に思ってるワケではない。

 …………いや、まったく無いワケではないが」

「どっちだよ」


 無駄に言い直したアストレアに、イーリスのツッコミが飛ぶ。

 誤魔化すみたいに咳払いを一つしてから。

 アストレアは強く、それこそ血が滲みそうなぐらい強く拳を握った。


「……ミネルヴァは、先代の《裁神》――元は母に仕えていた従者だ。

 私とも付き合いは長い。

 母が《人界》を去った後、私と共にほぼ同時期に神の位も得た」

「友人、というわけか」

「……そうだ。

 気に入らないところもあるが、私の友だ」


 友人と。

 テレサに言われ、ほんの少し間を置いてからアストレアは頷く。

 なるほど、不機嫌というよりもブチギレてたワケか。

 友達である《戦神》を倒された怒り。

 自分一人で叩きのめしたいところを、こっちと共闘しろという《星神》の命令。

 沸点の低いアストレアにはなかなか耐え難い話だろう。


「此度の敵も、海の彼方から渡ってきたと聞いた。

 お前たちと同じように」

「ええ。まだ推測だけど、相手の名はイシュタル。

 私たちの大陸を支配する《大竜盟約》の最高幹部の一角ね」

「貴女たちを追っかけてきた、っていうこと?」

「多分、だけどね」


 まぁ、十中八九その通りだろう。

 アウローラは敢えて言葉を濁すが、《巨人殺し》は気にしていないようだ。

 相手が何者で、どういう目的で現れたのか。

 その確認を聞きながら、アストレアは改めて俺の方を見た。


「不本意だが――まったく不本意極まりない話だが」

「おう」

「《星神》が、その権利である王権の代行まで持ち出しての命令だ。

 協力しろ、私はミネルヴァを討った者を許さない」

「あぁ。こっちこそ協力してくれるんなら大助かりだ。

 どの道、どっかで戦う事になる相手のはずだからな」

「神を都合よく利用しようなどと、不敬が過ぎるぞ」

「そこはお互い様ってことで一つ」


 ギロリと、ちょっと強めに睨まれてしまった。

 けどそれだけで、特別キレられるという事はなかった。

 ふむ、とボレアスは緩く首を傾げて。


「話は分かった。

 それでイシュタルが何処にいるのか。

 それは把握できているのか?」

「あぁ、シャレムが既に捕捉している。

 何かの痕跡を辿っているのかまでは不明だが。

 針路としては、奴は真っ直ぐにこの《人界》を目指している」

「王様の言ってた通りかぁ」


 やっぱ完全にこっちを追っかけてるな。

 ただ、《人界》に到達するには《巡礼の道》を通る必要がある。

 向こうはそこまで把握しているのか?

 正直何とも言えないところだ。


「……《人界》に向かってるのは、大した問題じゃないわ」

「どういう意味?」


 ぽつりと。

 呟く《巨人殺し》に、ボレアスと似た感じでアウローラも首を傾げた。

 沈黙はほんの一瞬。


「シャレムの話だと、相手は真っ直ぐに《人界》を目指してる。

 《巡礼の道》の入り口に当たる『国』にも、遠からず行き当たるはず」

「あー」


 なるほど、そっちは問題かもしれない。

 鬼の太母カドゥルが統治する、この外界における最大規模の共同体。

 人間と鬼が共存する、ある意味では《人界》以上の理想の地。

 イシュタルの進路上に『国』があるってのは、確かにマズいかもしれない。


「……なぁ、それもしかしなくてもヤバいよな?」

「イシュタルの側から、攻撃するとは限らない。

 しかし『国』の方から見れば、相手は正体不明の存在だ。

 神を迎え撃ったばかりで戦闘状態を解いていない可能性もある。

 もし、カドゥル殿がそれを見たら……」

「万一を考えて、迎撃の準備をする可能性は十分考えられるわね」


 姉妹の抱いた不安を、アウローラが具体的に言葉にした。

 イシュタルがどういう相手であるのか。

 俺たちも接触はまだ一度切りだし、正直何とも言えない。

 ただ余り気の長い方ではなさそうだった。

 たった一柱で外界を渡って追ってきた辺りも、気性の荒さが感じ取れる。

 ……うん、コレはヤバいかもしれんな。


「カドゥルは別にどうでも良い」


 ハッキリとした声で、アストレアはそう言い切った。


「アレは腐っても鬼の太母。

 遥かな時を生きてきた最強にして最古の鬼の王だ。

 《戦神》を下した相手だろうが、《光輪》を持たぬ相手に簡単には遅れは取らん」

「まぁ、そうだろうな」


 それについては同感だ。

 実際、カドゥルの強さは凄まじい。

 ただブン殴っただけで「地砕き」の動きを止める程だ。

 例え相手が大真竜であろうと、そうそう引けは取らないだろう。

 アストレアも、その事実を口にした上で。


「だが、『国』が戦場となれば犠牲が出る。

 鬼は死のうと構わんが、あの地には無辜の民も多くいる。

 無駄に犠牲が出るのは許容し難い」

「……素直に『心配だから助けに行こう』って言えないの?」

「オレも同じこと言おうと思ってたわ」

「黙れ貴様ら」

「まあまあ」


 やや呆れ気味の《巨人殺し》に、イーリスはうんうんと頷く。

 《神罰の剣》を出しかけたアストレアを、ギリギリこっちが止めに入れた。

 まぁ、本音としては《巨人殺し》の言う通りだろう。

 もうちょい素直になれば良いと思うがなぁ。

 などと考えてたら、至近距離でメチャクチャ睨まれてしまった。


「何か余計なことを考えているだろう、お前」

「いやいや、そんな事ないって」

「貴様の口は意外と適当なことをほざくからな」

「良くご存知で」

「どうでも良いけど、いい加減にレックスから離れて貰えるかしら??」


 胸ぐらを掴んで来そうな勢いの《裁神》さま。

 そこにアウローラが身体を突っ込み、両方を手でグイグイと押して引き離す。

 それに対して特に逆らわず、アストレアは距離を置いた。


「……ふん、まぁ良い。

 協力する気があるのなら、直ぐに支度しろ」

「それは良いが、移動するための足はあるのか?

 よもや行きと同じで歩きとは言うまい」

「まぁ、一応私の方が飛竜を出すこともできるけど」

「移動手段に関しては問題ない」


 竜姉妹の言葉に、アストレアは首を横に振った。


「私一人ならば空を渡れば終わりだがな。

 お前たちはそうも行くまい。

 ゆえ、《星神》シャレムの許しで移動手段は用意してある」

「ここから出る分には問題無いでしょうけど。

 自力で戻ろうとしたら、また《巡礼の道》を通らなくちゃならない。

 それは流石に面倒」

「あー、そりゃそうだな」


 《巨人殺し》に指摘されるまで、俺も気付かなかった。

 確かに向かうだけなら良いが、どうあれ《人界》には戻る必要がある。

 まだ王様に褒美を貰ってないしな。

 もう一度あの《巨人》だらけの正規ルートを使うのは出来れば遠慮したい。

 それを避けるために、《人界》側で移動手段を用意したと。


「ありがとうな、アストレア。うっかりしてたわ」

「…………チッ」

「そこ舌打ちするところか??」

「うるさい、聞き流せ」


 容赦ないイーリスさんのツッコミ。

 アストレアは不機嫌そうに唸り声を漏らした。

 もしかしたら照れ隠しかもしれない。

 指摘したらますますブチギレそうだし、アウローラを撫でて我慢だ。


「急に撫でてどうしたの?」

「いや何となく」

「貴方ってそういうとこは分かりやすいわよね?」

「そうか?」


 クスクスと楽しげに笑いながら。

 アウローラの手が兜の表面をなぞる。

 肌には直接触られてはいない。

 そのはずなんだが、何故か妙にくすぐったく感じられた。


「そっちはそっちで隙あらばイチャつきやがんな」

「良いじゃない、これでもまだ落ち込んでいるのよ?」

「長子殿の面の皮がまた分厚くなってきたようで何よりだな」


 イーリスとボレアスのツッコミもどこ吹く風だ。

 抱き着いてくるアウローラの背中を、軽くぽんぽんと撫でてやる。

 元気が出てきたようなら一安心だな。

 これから戦いに行く相手は、王様よりはちょっとはマシだろう。

 それでも序列四位の大真竜。

 こちらよりも遥か格上だと考えるべきだ。


「……無駄話は終わりか?」

「あっはい」

「敵の進行速度はまだそれほど速くはないらしい。

 だがこの先どうなるかは分からん」

「……多分、『探している』分だけ足が鈍いんでしょうね」

「外界も大分広いしな」


 具体的にどんぐらいかは分からないが。

 後は《巨人》とかで足止め食らってくれたら最高だな。

 いや、流石にそこまで期待するのは贅沢か。

 ともあれ。


「みんな大丈夫そうか?」

「荷物の類は、最初からアウローラに預けてるしな。問題ねぇよ」

「私を堂々と鞄扱いするのは貴女ぐらいね、イーリス」

「主よ、妹がご無礼を……!」


 慌てて平謝りするテレサを、アウローラは「別に良いわよ」と受け流す。

 まぁそのぐらいはいつもの事だしな。

 最初から準備するモノのないボレアス。

 彼女は胸の前で軽く腕を組み。


「我も問題ない。で、その移動手段とやらは何処にあるんだ?」

「どこも何も、今既に向かっている」

「うん? どういう意味だ?」

「分からないか」


 首を傾げる俺を見て、アストレアは微かに笑った。

 分からないか、とはどういう意味か。

 考えてから、すぐに気が付く。

 足元から伝わってくるか微かな振動。

 「今既に向かっている」――それが言葉通りなら。


「まさか、部屋自体が動いてるのか?」

「《天星宮》の内部は、これである程度自由に移動できるらしいわ。

 なかなか便利よね」

「神々の住まう宮殿を『便利』の一言で纏めるな、不敬だそ」


 でもまぁ、実際便利だしな。

 《巨人殺し》に同意したら、またアストレアにギロっと睨まれた。

 うーん、変わらない沸点の低さよ。

 しかし彼女は怒鳴ったりはせず、代わりにため息を一つ。


「? どうした?」

「そろそろ貴様は怒りを向けるだけ無駄だと学んだだけだ」

「まぁ概ね正しいぞ」

「イーリス、止しなさい」


 はい。

 いや別にそんな事はないぞ、多分。

 テレサもフォロー……フォロー? してくれた気がするし。

 そんなやり取りを、《巨人殺し》はやはり涼しげな目で眺めていた。


「いつも楽しそうね。少し羨ましい」

「そっちにも愉快な相棒がいるだろ?」

「アイツは肝心なことは何も話さないからダメよ」


 実に辛辣な言葉だった。

 その事について、彼女なりに本気で腹立たしいのかもしれない。

 今はこの場にいない黒い蛇。

 彷徨うような少女の視線は、見えないその姿を追っていた。


「今回もそう。

 いつの間にか、もうこの《天星宮》の中にいた。

 けど、あの蛇はどこにも見当たらない。

 待ちぼうけしてたら、アストレアが迎えに来て今の状況。

 確かに、《人界》で特に目的があるワケじゃないけど。

 それでも部屋でボーッとしに来たワケでもないわ」

「ブチギレてる?」

「少しだけね。あの蛇が戻って来たらちょうちょ結びにしてやる」


 まったく、と。

 《巨人殺し》は実に分かりやすく憤慨して見せた。

 ……怒ってる理由は、ただ放って置かれたってだけじゃないな、コレは。

 肝心なことは何も話さない。

 なんだかんだと、その一点に《巨人殺し》はお怒りのようだ。

 多分、それを当人に言ったりはしないだろうが。


「それで、いつまで移動するの?」

「もう少し待て」


 アウローラが聞くと、アストレアは一言だけ返した。

 正直、この《人界》は時間の感覚が曖昧だ。

 まだ動いて間もないようにも、随分移動してるようにも思える。

 もう少しって、具体的にはどのくらいなのか。

 更にアウローラが続けようと口を開きかけたーー直後。

 足に感じる振動が消えた。

 間を置かず、壁の一部が扉の形に変形した。

 アウローラの「隠れ家」も便利だが、この宮殿はそれ以上だな。


「――手間をかけさせたわね、アストレア」

「王権の代行したお前の命令は絶対だ、問題はない」


 扉の向こうから響くのは《星神》シャレムの声。

 アストレアが応えるのと同時に、両開きの扉が大きく開け放たれた。

 光が眩しい。

 軽くだが目が眩みそうになる。

 ボレアスは煩わげに顔をしかめた。


「おい、なんだこの光は?」

「すぐに目が慣れるだろうから、少し我慢して」

「ふーむ……?」


 確かに。

 シャレムの言う通り、程なく眩しさは薄らいでいく。

 光量が変わったワケではないので、何とも不思議な感じだ。

 まぁそれは良い。

 そんな事より、目が慣れて来た事で見えてきた「何か」。

 光の中――いや、違うな。

 むしろ、その「何か」こそがこの眩い光の発生源。

 それは。


「船……か?」

「船……の、ようだけど……」


 困惑気味のアウローラ。

 他も大体似たような反応だった。

 船、そう間違いなく船だ。

 少し小型の帆船。

 全体のデザインとしてはそうおかしな事はない。

 ただ、船体の両側から光輝く一対の翼が生えてること以外は。

 《天星宮》――太陽の如き宮殿の直上。

 そこに浮かぶ船の前に、《星神》シャレムの姿がある。

 彼女は俺たちを一瞥して。


「これなるは神の船。

 王自らが名付けた銘はリングホルン。

 大命を果たすこの一時に限り、貸与が許可されました。

 陛下の慈悲に感謝して乗ると良いでしょう。

 …………ええ。できれば文句を言わず、感謝だけして下さい」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る