388話:やってみたら良い


「ダセェ」

「止めなさい、イーリス。

 …………いや、私も正直少し思ってしまったけど……」

「不敬だぞお前たち」


 ド直球に感想を述べるイーリスと、つい本音が漏れてしまったテレサ。

 即座にアストレアが咎めたが、微妙に形だけな感じだ。

 うん、まぁ、そうだな。ウン。

 金ピカに光る翼の生えた船を見上げる。

 なかなか絶妙なセンスを感じるのは確かだな。

 コホン、と。

 そんな俺達に聞こえるよう、シャレムはわざとらしく咳払いを一つ。


「船の操作はできるわね、アストレア」

「あぁ」

「なら、気を付けて。

 ミネルヴァは手傷は負わせてる。

 戦力は間違いなく削れているでしょうけど」

「手負いの獣は逆に危険だからなぁ」


 頷く。

 負傷の度合いは分からないが、軽傷って事はないだろう。

 大真竜が相手だ、少しの傷だって勝機に繋がり得る。

 逆に、重い傷は相手の油断や慢心を削り落としているかもしれない。

 それに関しては警戒するべきだな。


「フン、ともあれなかなか悪くないのではないか?

 どの程度の速度が出るのかが気になるところだ。

 竜の翼と比べてどちらが速いか、試すのも悪くないかもしれん」


 と、早速甲板に飛び乗ってるのが一人。

 微妙な反応が多かった中で、ボレアスだけは例外だったようだ。

 翼をパタリと揺らしながら何処か楽しげに船を眺めている。


「貴女、こういうのが好きなワケ?」

「なんだ、長子殿。

 そちらこそ、昔はこういうな代物を好んでいなかったか?」

「そんな事は――いや、無くはない、わね」


 何か心当たりがあったらしい。

 否定しようとしたアウローラだが、語尾がだんだん小さくなっていく。

 まぁ、俺はイーリスほどド直球に言う気はないけど。

 そんな話をしている内に、《巨人殺し》も船の舷梯タラップを上がっていく。

 その途中で。


「クロは?」


 未だ戻らぬ相棒について、シャレムに問いかけた。

 《星神》はほんの一瞬だけ沈黙した。

 表情に変化があったワケじゃない。

 ただ、口を閉ざしていたほんの刹那。

 そこに複雑な感情が過ぎったような気がした。

 俺の見間違いかもしれないが。


「……彼は、今陛下に拝謁をしているわ。

 申し訳ないけれど」

「良いわ、別に」


 それ以上、詳しく語ることはできないと。

 言外に伝えるシャレムに対し、《巨人殺し》の少女はゆるりと首を横に振る。

 その上で。


「遅すぎるから、後でお仕置きだって伝えておいて」

「……ええ。必ず伝えておくわ」

「あと、今後はもう少し……いえ、何でもない。

 こっちは自分で直接言うから」

「私もそれが良いと思うわ」


 柔らかく微笑んで、シャレムは小さく頷いた。

 それには何も返さず、《巨人殺し》も甲板へと上がる。

 さて、こっちも行くか。

 片腕にアウローラを抱えて、俺も船に近づく。

 《天星宮》の上、つまり完全に宙に浮かんだ状態だ。

 目には見えない足場が存在するので、移動には何の問題もない。

 そのまま舷梯も何事もなく上っていく。

 テレサとイーリスも俺の後に続く――と。


「イーリス」


 途中、シャレムがイーリスを呼び止めた。

 彼女が丁度最後尾だ。

 舷梯に足を乗っけた状態で、イーリスは振り向く。


「? なんだよ」

「これを」


 シャレムが差し出したのは、細い鎖のようなもの。

 どうやら首飾りか何かのようだ。

 イーリスはそれを素直に受け取って、手の上で観察する。

 銀色の鎖に、淡い輝きを灯した小さな宝石が一つだけ飾られている。

 どうも角度によって光の色が変わるらしい。

 色合いを変化させる石を眺めながら、イーリスは首を傾げた。


「これは?」

「お守りみたいなものよ。

 ……正確には、私の力を編み込んだ護符アミュレット

 貴女は星の巫女の資質を持ち、実際に力も発現させているから。

 きっと役に立つと思う」

「…………」


 多分、イーリスの中に多くの葛藤があったのだろう。

 星の巫女に関しては既に断った後。

 しかし、シャレム自身はまだ諦めていない。

 護符をくれた意図に、それがまったく関わってない事はないはずだ。

 向こうの要求を断ったのに、差し出した物だけ受け取るべきか。

 ほんの少しだけ、迷う仕草を見せた上で。


「……分かった。

 ありがたく受け取っておくわ」

「ええ、そうして。

 使い方は、言葉で説明するのは難しい。

 貴女が必要だと感じた時、自然と星は応えるでしょう」

「その説明は逆に混乱するわ。いや、ありがとうな」


 軽く笑って、イーリスは首飾りを身につける。

 それから改めて、舷梯を足早に上ってきた。

 必要な事はしたと、シャレムは微かに吐息をこぼした。

 船から数歩離れる《星神》に、テレサが無言で頭を下げている。

 そして。


「全員いるな」

「あぁ、大丈夫だ」

「では出航する。

 シャレム、《人界》は任せた」

「ええ。貴女も気を付けて、アストレア。

 星の加護がありますように」


 別れの言葉は手短に、アストレアは操舵輪に手を触れる。

 船から伸びる翼。

 その輝きが一際増したような。

 いや、実際に光は強くなっていた。

 羽が大きく膨らんで、両翼はそれぞれ左右へと伸びる。

 大空へと羽ばたこうとする、鳥の姿そのままに。


「行くぞ。

 甲板上は保護されているはずだが、振り落とされぬよう注意しておけ」


 その忠告が、同時に出発の合図でもあった。

 飛ぶ。

 船が翼を広げて空を飛ぶ。

 これまで色々なモノを見てきたつもりだったが。

 それらと比べても、これはなかなか奇妙な光景だった。


「っ……!」


 しかも速い。

 少なくとも飛竜並みか、それより速いかもしれない。

 風を切り裂く。

 見送るシャレムも、輝く《天星宮》の姿も。

 どちらもあっという間に見えなくなってしまった。


「そろそろ《人界》を抜ける。

 座標のズレで少しばかり衝撃があるぞ」


 言ってる傍から船が派手に揺れた。

 とりあえず、少しとかそういうレベルじゃなかった。

 思いっきり下から突き上げるような激しい揺れ。

 イーリスなんて転ぶ寸前だった。

 

「そういうのはもうちょい早く言って欲しいんだけど……!

 つか、運転荒くないっすかね!?」

「問題ない」

「そうだな、空を飛ぶならこのぐらいの速度はないとな」

「まぁボレアスさんはそうでしょうとも」


 いつの間にやら船首の方に移動している全裸痴女。

 胸の辺りで腕を組んだ姿はなんとも雄々しい。

 まぁ、それはそれとしてだ。


「絶景ね。――勿論、あの船首にいるお馬鹿の事じゃないわよ?」

「はい」


 耳元で囁くアウローラ。

 その甘い吐息に頷きながら、俺はそれを見ていた。

 空が近い。

 翼を羽ばたかせて、船は雲より高い位置を飛ぶ。

 さっきまでは下に見えていた太陽。

 それが今は青空を照らすために頭上で輝いている。

 《天星宮》ではなく、本物の太陽だ。

 眼下に広がるのは果てなき荒野。

 理想郷はもう何処にも見当たらない。

 過酷な環境と、そこで生命を繋ぐ者たちが足掻く場所。

 俺たちは元の世界に戻ってきていた。


「こんだけ高く飛ぶの、ゲマトリアの時以来か?」

「そんな気がするわね」


 アウローラはくすりと笑う。

 《人界》の、汚れ一つない清浄な空気とは違う。

 既に屍に成り果てた大地と、それでもまだ残る生命の抵抗。

 まだ滅びてはいないのだと、そう感じさせる。

 良い眺めだと、そう素直に思えた。


「……おい」

「うん?」


 操舵を続けるアストレア。

 彼女はこちらを見ず、けれで意識は明らかに俺に向けていた。

 声に振り向いても、視線は正面を見たまま。


「陛下との拝謁は、どう……いや、違うな。

 陛下は、お前に何を言った?」

「まぁ、頑張ったおかげで一応気に入って貰えたっぽいな」

「気に入られた? お前が、陛下にか?」

「そうだな」


 信じ難い――むしろ、信じたくない、か?

 ようやく俺を見たアストレアの目。

 そこには複雑極まる感情が渦巻いていた。

 ……正直、どうするかほんの少しだけ迷ったが。

 俺はそのまま、拝謁であった事をざっくりとアストレアに話した。

 王様の戯れに付き合った事が主だ。


「――と、大体そんな感じだな」

「…………」


 そう長い話でもなく、すぐに語り終えた。

 黙って耳を傾けていたアストレア。

 話が終わっても、彼女はすぐには口を開かなかった。


「……そうか」


 吐息。

 何処か疲れたような、そんなため息だった。

 以前に少しだけ垣間見た、穏やか……というよりは、沈んだ表情。

 神様らしさを取り繕う激情は、今一時は剥がれ落ちる。


「……悔しい、だとか。そういう気分も湧いてこないな。

 私は一度だって、そんな言葉をかけられた事はないのに」

「王様は父親なんだろ?」

「そうだ。陛下の御身が人である事も知ったなら分かるはずだ。

 私は半神半人。

 真正の神でもなく、陛下の偉大な御力はあの方が結んだ契約に基づくもの。

 流れる血には関係がない」


 だから自分はどうしようもなく半端だと。

 アストレアは自嘲気味に呟く。

 それに対して、俺はとりあえず黙って耳を傾ける事にした。

 独白に近い言葉は続く。


「去ってしまった母の後継として、《裁神》の地位を授かった。

 その役目を果たすため、陛下から《神罰の剣》の権能も与えられた。

 ……期待されていると思っていた。

 真正の神たる母が消えた後を、私がそれ以上に務めるのだと。

 そうあるべく望まれていると、そう信じていた。

 だが……」

「まぁ、あの王様はそういう期待はしちゃいないよな」

「…………そうだ。

 なんのことはない。

 私が《裁神》の役を受け継いだのは、私自身がそう望んだから。

 陛下は、ただ小娘の願い事を聞き届けて下さっただけ。

 期待など、何一つしていなかったんだ」

「…………」


 気付けば、アウローラもアストレアの話を聞いていた。

 操舵を握ったまま、少し項垂れる彼女を見る。


「どれほど励んでも、使命を全うすべく努力を重ねても。

 あの方は、私に何の言葉も下さらない。

 私に何かを期待する素振りも見せて下さらない。

 …………そんな私と違って、お前は賞賛の言葉を賜わった。

 期待され、期待した以上を示した。

 私は、それがどうしようもなく――」

「羨ましいなら、お前もやってみたら良いんだよ」

「…………なに?」


 弱気を吐き終える前に。

 俺は、俺の頭で考えられる唯一の解決策を口にした。

 意味が分からないと、アストレアは呆けた顔をしているが。


「だから、こう。例えば、王様に殴りかかるとかな」

「なっ――貴様、そんな戯言を……!」

「いやマジマジ。

 あの王様、基本退屈してるみたいだしな。

 多分喜んで相手してくれるんじゃないか?

 少なくともキレたりはしないって」

「そんな、こと……一体、どんな理由で……」


 理由、理由か。

 そんなもんはアストレアが自分の中を掘れば幾らでも出てきそうだが。

 敢えて俺が言うとしたら。


「こっち見ろ。

 もしくは、糞親父をとりあえずブン殴りたいから……とか?」

「…………」


 絶句してしまった。

 今回は我ながら良い事を言ったつもりだが、なかなか難しい。

 と、抱えていたアウローラがケラケラと笑って。


「良いじゃない、私はレックスの意見に賛成よ?

 あの王様に一発くれてやりなさいよ」

「っ……馬鹿な、そのような……」

「私、貴女のことは好きじゃないけど。

 親に恵まれなかった事だけは、ほんの少しは共感してるのよ?」

「…………」


 アウローラの親なんて《造物主》だしなぁ。

 そう考えるとなかなか重い言葉だ。

 言った本人は、それこそ渾身の冗談のつもりかもしれないが。


「期待されてないだとか、与えられた役割がどうとか。

 一度そういうのは放り捨てて、やってみたらどうかしら。

 レックスの言う通り。

 あの王様なら、怒るどころか諸手を上げて歓迎でしょうし」

「……流石に、不敬が過ぎる」

「あら、そう?」


 遮られても、アウローラは気を悪くした様子はなかった。

 アストレアも声に怒りは含まれていない。

 ただ、呆れたようにため息一つ。


「……一先ず、考えておく」

「なかなか衝撃的な台詞だな、それ」

「うるさい。それよりも、今はそのイシュタルとかいう輩が先だ。

 ミネルヴァが討たれた報復は、必ず果たす」


 その言葉には、燃える炎の如き戦意が込められていた。

 俺たちから視線を外し、アストレアは進む先に広がる空を見る。

 彼方にいる敵の姿を、既に捉えているのかもしれない。


「ミネルヴァは、私の友だ。

 イシュタルとかいう罪人は許さない」

「あぁ」

「それを討ち、ミネルヴァの魂を回収する。

 ……陛下との事を考えるのは、それからだ」


 そう、最後に付け加えたような呟き。

 船の風ですぐにさらわれたその声は、これまでで一番穏やかだった。


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