終章:最初のやり直し
29話:光を見送る
『やめろ! やめてくれ!!』
己の死を予感したか、真竜は必死に叫ぶ。
戯言に付き合う義理はないので、俺はやるべき事をやるだけだ。
『こんな事、あってはならない! あっていいはずがない!!
私は真竜で、この都市の支配者なのだぞ!?』
何か言っているが、大した事でもない。
逃げようと藻掻く蛇の巨体を追って、残った鱗を一つ一つ砕いていく。
力を失っているせいか、動きは明らかに鈍くなりつつある。
『私を殺すつもりか!? 不遜だぞ人間!!
真なる竜を人間が殺すなど、許されるはずがない! いや決して許されん!
《大竜盟約》に名を連ねる、全ての真竜を敵に回す事になるのだぞ!?』
吼えるばかりで反撃も少なくなってきたので、仕事が捗る。
今や鱗の多くを失って、マーレ何とかの竜体は傷だらけのボロボロだ。
切り刻んだ痕からは、ヘドロのようにドス黒い血が流れ出す。
『待て! 待ってくれ! 本当に良いのか!?
真竜全てを敵に回すという事は、大陸全てを敵に回すという事なのだぞ!?
勝ち目などない! あるわけがない!
考え直せ、今ならまだ……!』
「おう、真竜全て?
別に問題ないっつーか、最初からそのつもりだからな」
少しは余裕も出て来たので、一つ応える事にした。
丁度、多少は聞く意味もある言葉だ。
絶句する蛇の頭を踏みつけて、その眼の前に切っ先を突き付けた。
「真竜とかいうのは、全部殺すぞ。その為に出て来たわけだしな」
俺の宣言を、マーレ何とかがどれだけ真面目に受け取ったかは分からないが。
金剛石の瞳に、恐怖と絶望の色が過った事だけは間違いなかった。
「――レックスの言う通りね」
ゆっくりと。
俺の直ぐ隣にアウローラが降り立った。
彼女の傍には、変わらず魔法で保護されたイーリスとテレサの姿もある。
「まだ危なくないか?」
「大丈夫よ。コイツ、もう折れてるでしょ」
まぁ確かに。
完全に決着がついたわけでは無いが、戦いの空気は去りつつあった。
鱗の殆どを剥がされた真竜は、最早身動きすらままならない。
罅割れた金剛石の瞳が俺達を見上げている。
『ま、待て……!』
「あら。貴方、そう言われて待った覚えがあるの?」
『私が死ねば、この都市は崩壊するぞ!!』
これまでにない必死さを滲ませて、マーレ何とかは声を張り上げる。
『この都市が有する機能の多くは、支配者である私の魔力によって支えられている!
それが無くなれば都市全体の機能が麻痺する!
そうなってしまえば、人間はまともに生きる事さえ出来なくなるだろう!
良いのか、それで!? そちらのお前は人間だろう!』
「ふむ」
とりあえず、傍らに立つアウローラの方を見る。
彼女はいっそ優しげに微笑みながら、小さく首を傾げた。
「ねぇ、マーレボルジェ――だったかしら?」
『おぉ、最も古き御方! 我らの母よ! どうか、か弱き者達に慈悲を……!』
「私を《最古の邪悪》と呼んだのは、貴方だったと思うけど」
慈悲なんてまったくない笑顔だった。
凍り付くマーレ……そうだ、マーレボルジェだったな。
その様子を見ながら、俺も一つ頷く。
「こっちも別に“正義の味方”ってわけでもないしなぁ。
一応、地元民の意見ぐらいは聞いておきたいが」
言われて、地元民――イーリスとテレサは、ほんの少しの沈黙を挟む。
応えたのは、妹のイーリスの方だった。
「聞く必要ねぇよ。それを理由に見逃したって、コイツが懲りるわけじゃねぇ」
『待て……待てっ! 本当にそれで』
「そうやってテメェに命乞いした奴が、これまで何人いるよ。
だったら分かるだろ?」
支配者である真竜を殺せば、機能を喪失した都市は崩壊する。
その言葉は恐らく事実なんだろう。
だが、イーリスの答えは最初から決まっていたようだ。
「死ねよ。それが報いって奴だ」
「――決まりだな」
テレサは妹と同じ意見のようで、黙って頷くのみ。
もう言葉を交わす意味もない。
俺は軽く剣の切っ先を持ち上げた。
『待て、やめろっ! 頼む! 助けてくれ! 死にたくない!
死にたく――――ッ!!』
大した抵抗もなく、刃は巨大な蛇の頭蓋を貫く。
何かを砕いた感触を、剣を持つ手に感じる。
その瞬間に、命乞いの声は途切れた。
それが都市を支配する真竜、マーレボルジェの最期だった。
パキリ、パキリと。
何かが罅割れて、砕けるような音が響く。
最初は微かに聞こえる程度だったが、やがて音は幾つも重なって行き――。
「……おぉ」
割れた。元はマーレボルジェだった屍が。
鱗の殆どを失った竜体は黒ずみ、汚れた石炭の如くに砕けた。
すると、その断面から無数の光が立ち上る。
一つとして同じ色を持たない、それは鮮やかな光の奔流。
ほんの少しだけ宙を漂うと、そのまま何処かへと消えていく。
「マーレボルジェに喰われていた、人間の魂ね」
目の前の光景に戸惑う人間とは異なり。
古竜であるアウローラは、それが何かを理解していた。
成る程、この光の全てが人間の魂か。
竜体にくっついていた宝石だけでなく、腹の中にまで溜め込んでいたとは。
「貴方の剣で、マーレボルジェの魂と同化していた「竜の精髄」――。
不死たる古竜の魂が奪われた事で、拘束力を失ったんでしょうね。
このまま放っておけば、勝手に《摂理》に戻って生命の循環に加わるわ」
「成る程なぁ」
「ちなみに、マーレボルジェ自身の魂は砕けたわ。
剣が奪うのは竜の魂だけで、それにくっついてるオマケは対象外よ」
ザマァ無いわね、とアウローラは愉快げに笑う。
つまりあの真竜は完全に滅びたわけだ。
「……要するに、この都市もいよいよ終わりってわけか」
俺達の話を聞いていたイーリスが、そう呟いた。
その顔に見える感情は、一言では言い表せそうにない。
ただ、とりあえず「区切りが付いた」という安堵があるのは間違いなかった。
彼女は少し気の抜けた様子で笑う。
「直ぐに都市全体が崩壊する事はないでしょうけど。
「……何にせよ、長くはないでしょう。
上層もこの有様で、《牙》を含めて都市の治安維持機能も殆ど壊滅しました。
それをやったのは、私とレックス殿ですが」
イーリスを傍らで支えつつ、テレサが丁寧な言葉を口にする。
まぁアレは、真竜のところへ行く俺らを邪魔しようとした方が悪いので。
どうあれ、俺達が諸々この都市にトドメを刺したのは事実だが。
「――それは兎も角。
貴方達も、ご苦労だったわね。特にイーリスは。
おかげで、この都市での私達の目的は無事に完遂出来たわ」
姉妹の方を向いて、アウローラは柔らかく微笑んだ。
多分、本心からの感謝の言葉だろう。
俺は何となく分かるんだが、イーリスは怪しげな物言いに微妙にビビったようだ。
誤解を与えやすいのばかりは、なかなかフォローが難しい。
「これでもうこの場所に用は無いし、直ぐに立ち去っても良いけれど。
協力してくれたイーリスには、何か御礼をしたいと思ってるの。
何か希望はある? 大体の事なら聞いてあげるけど」
問われて、イーリスは少し困惑したようだった。
まぁ「何でも願いを叶えてあげる」とマジで言われるとな。
「あー……例えば、どんな?」
「そうねぇ」
逆に問い返されたアウローラは、その視線を宙に彷徨わせる。
見ているのは、今もまだ真竜の屍から流れ出る魂の群れだ。
彼女は、その光の流れの一転を指差して。
「今ならまだ、死んだ貴女の両親を蘇生させてあげられるわ。
貴女達に似た色の魂が、まだ其処に留まっているから」
「――――」
実にあっさりと、アウローラにそう言われて。
イーリスの表情が一瞬固まった。
アウローラが出来ると言うのなら、それは実際に可能な事のはずだ。
死んだ両親の死体とかはないわけだが、其処も別に何とかなるのだろう。
「どうする? 余り時間が経ちすぎると、私でも難しくなるわ」
「……姉さん」
答えを促されたイーリスは、それに応じる前に姉の方に視線を向けた。
テレサは小さく頷くと、妹の頭を撫でて。
「貴女が決めていいよ、イーリス。
それがどんな選択でも、私はその意思を尊重するから」
「……ん。ありがとう、姉さん」
姉の言葉に後押しされて、決心も付いたようだ。
イーリスはアウローラを真っ直ぐ見て、その答えを口にした。
「親父……いや、父さんと母さんの蘇生は、望まない」
「それでいいの?」
「いい。何処かで後悔するかもしれねェけど、いいんだ」
恐らく、アウローラも考えた上で「両親の蘇生」を候補として提示したはずだ。
それがイーリスが一番叶えて欲しい願いだろう、と。
けれど彼女は、それを望まなかった。
「この世界はクソッタレで、人間なんて生きるのも難儀するような地獄だ。
……けど死んで、魂が《摂理》とかいうのに還るんだったら。
少なくとも、それ以上苦しむなんて事は無いんだよな?」
「……そうね。生命は循環して、また何処かで新しい生命になる。
それまでにどれだけの時間が掛かるかまでは、私にも分からないけど」
イーリスの確認に対し、アウローラは小さく頷く。
その答えを聞いて、イーリスは何処か安心した様子で笑った。
「なら今度は、もう少しマシな時に生まれて欲しいもんだな。
オレはまぁまだ当分死ぬつもりはねーけどさ」
そう言って、イーリスは肩を竦めてみせた。
アウローラの方こそ、彼女の答えに少し困惑しているぐらいだった。
失われる事を許容する答えが、多分理解出来なかったんだろう。
だから俺は、そんなアウローラの頭を軽く撫でた。
「……なに?」
「いんや、何となく」
アウローラは照れた様子で頬を染めた。
嫌がられてないようなので、遠慮なく髪を撫でながら。
俺は未だ途切れない光の群れを見ていた。
イーリスやテレサも同じだ。
暫く、静かに時間だけが流れて――。
「……なぁ」
光の流れを見送りながら、イーリスが口を開いた。
その言葉は、アウローラに向けて。
「大体の願いは叶えてくれるって、そう言ったよな」
「? ええ。何か決まった?」
「あぁ」
頷いて、イーリスはその願いを告げる。
「まだ生きてる都市の連中全員に、この事を伝えてくれよ。
真竜は死んで、遠からず都市は――マーレボルジェは完全に崩壊しちまう、って」
「…………」
それは、かなり意外な「願い事」だった。
アウローラも、最初はかなり驚いた表情を見せて。
「……それに、何か意味があると思っているの?」
「あるかもしれねェし、無いかもしれねェ。
ぶっちゃけ、オレは運が良かった。だから今死なずに済んでる」
もし仮に、俺やアウローラと出会わなければ。
彼女は下層で、《鱗》連中に殺されていたかもしれない
だがそうはならなかった。。
それは間違いなく幸運な事だったと、イーリスは語る。
「だったら他の連中も、
全員助けようなんてこれっぽっちも思わないし、死んでも別に胸は痛まない。
ただ、『オレだけ運が良かった』ってのは、ちょっと据わりが悪い」
「……貴女の言いたい事は、私には良く分からないけど」
言いながら、アウローラは小さくため息を吐いた。
それから軽く息を吸い込んで――。
「――――」
歌声が、辺り一面に広がった。
それは人というよりも、美しい鳥の鳴き声に似ていた。
深く深く、染み透るような響き。
アウローラは眼を閉じて、途切れる事無く歌声を奏でる。
その声を聞いている俺達にも影響があった。
頭の中へと、歌声と一緒に様々な情報が流れ込む。
俺がマーレボルジェと戦い、それを殺すまでの断片的な映像。
そして真竜が口にした「都市が崩壊する」という言葉。
頭蓋の内側に響く幻であるにも関わらず、強烈な現実感を刻み込む。
恐らくこの声は、都市の隅々にまで響いているはずだ。
都市に生きる全ての人間が、これと同じモノを見ている。
根拠もなく、俺はそう確信していた。
「――こんなところかしらね」
歌声が止めば、幻視も消える。
ほんの少しだけだが、疲れた様子でアウローラは息を吐いた。
「《
その辺の魔法を複数同時に混ぜて、都市全体に拡散しておいたから。
後はどうなろうが、私の知った事じゃないからね?」
「いいさ、それで。ありがとうな」
「貴女の働きに対する褒美だって、最初に言ったでしょう?」
改めて言われた礼の言葉に、アウローラは素っ気ない態度を見せる。
まぁ多分、気恥ずかしいとかちょっとそういう感じなんだろう。
思考を読まれたのか、軽く向う脛を蹴られてしまった。
「さ、これでもう此処に用は無いわね。
それじゃあさっさと――」
「どうかお待ちを、アウローラ様」
遮ったのは、此処まで黙っていたテレサの方だった。
彼女は素早く跪くと、アウローラの方へと頭を垂れる。
その行動に対し、アウローラは特に驚いた様子はなかった。
むしろ予想していたように、ゆっくりと振り向く。
「あら、何かしら?」
「一つ、望みを聞き届けて頂きたく」
「私が褒美を与えると言ったのは、妹の方だけど?」
「ちょっと、姉さん……!?」
「ええ、それは当然承知の上。故にこそ、どうかお願い申し上げます。
イーリスを、貴方がたの道行きに加えて頂きたく」
おっと?
その申し出はこっちが驚いてしまった。
いやまぁ、この場でお別れってのもどうかとは少し思っていたが。
イーリスもビックリした様子で、姉とこちらを見比べている。
アウローラはあくまで微笑んだままだ。
「そうねぇ……本人の希望次第だけど、それ自体は別に構わないわ」
「ありがとう御座います」
「けど、頼み事をするなら対価は必要よね?
私はもう、イーリスの願いは一つ聞き届けたんだもの」
さぁ、貴女は何を支払える――?と、アウローラは問いかけて。
それにテレサは躊躇なく応えた。
「私を、貴女の《爪》としてお使い下さい。
如何なる命にも従い、貴女の為に身命を使う事を誓います」
またちょっと凄い事を言い出したぞ?
イーリスなんてビックリし過ぎて声出なくなってるぞ。
アウローラはやはり、機嫌良さげに微笑むだけ。
「――良いでしょう。丁度従者は欲しいと思っていたところだし。
イーリス共々、レックスと私の役に立って頂戴?」
「寛大な御心に感謝致します、新たな主よ」
そう言って、テレサはその場で深々と頭を下げた。
凍り付いていたイーリスだったが、我に返ると即座に姉の元へと駆け寄る。
「オイ姉さん! 一体何を言って……!?」
「お前は、このまま此処に残るつもりだっただろう? それはダメだ」
キッパリと姉に言い切られて、イーリスは言葉に詰まる。
「……私は、償い切れない程の罪を犯した。操られた結果とはいえ、だ。
だからイーリス、私はお前だけは守らなければならない」
「姉さん……」
「勝手に話を進めたのは謝る。だが、こうでもしないとお前は頷かないだろう?」
「それは、そうかもしれないけど……」
と、姉の説得に妹が陥落するのは時間の問題だろう。
しかし。
「……最初からこう、予定通りって感じだな?」
「あら、分かった?」
小声で聞いてみたら、アウローラも声を潜めて笑ってみせた。
イーリスは気付かなかったようだが、何かお芝居見てるような印象だったしな。
もしかして、と思ったが勘は当たったようだ。
「マーレボルジェみたいに、悪質な洗脳とかじゃないわよ?
ただそれを解除する時、ついでに私に強く恩義を感じるよう少し操作しただけで」
「器用だなぁ」
あの時点でまさかそんな仕込みをしていたとは。
アウローラは悪戯が成功した少女の様子そのままに、クスクスと笑って。
「これで貴方は気分よく旅立てるし、私は便利な従者が手に入る。
あの子達も当面は死なずに済むし、良い事尽くめでしょう?」
「確かに」
俺が頷くと、彼女はまた嬉しそうにこっちの腕に抱き着いて来た。
さて、そうなれば本当にこの都市にもう用はないわけだ。
此方の考えを察してか、身を寄せながらアウローラも頷いて。
「さ、今度こそ行きましょうか。あっちも話は纏まったようだし」
「……あぁ」
最後に一度だけ、竜の――いや、竜だったモノを見た。
魂の光は失せて、後には黒い灰に似た残骸だけが散らばっている。
此処にはもう何もない。
それを確かめてから、俺は頷いた。
「行くか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます