30話:星は巡り、次の旅へ


「すげー……」

 

 夜空を見上げながら、イーリスは何処か子供のように呟いた。

 俺もつられて視線を空へと向ける。

 広がっているのは、都市上層で見た「偽りの空」ではない。

 本物の、星々と月に彩られた夜空だ。

 マーレボルジェを討ち取ってから、数日ほど。

 俺達は都市の外、荒れた岩場の一角で野営の準備を進めていた。

 アウローラは「部屋を使えば良くない?」と言ったが。

 

「これも旅の風情だろ、ウン」

 

 今まで「都市の外」を知らなかった、テレサとイーリスの姉妹。

 この二人に、こういうものを見せたい思いもあった。

 

「――まったく、お優しいわね。貴方は」

 

 拗ねた……というより、拗ねたフリをしながらアウローラは呟く。

 パチリと、煌々と燃える焚き火が小さく爆ぜた。

 

「誰に対しても同じなんじゃないかって、ちょっと心配になるわ。私」

「そうか?」

 

 別にそんなつもりはまったく無いのだが。

 アウローラにちょいちょいとわき腹辺りを小突かれていると。

 スッと、黒い影が俺の傍らに滑り込んで来た。

 テレサだ。てっきり、妹のイーリスと星を眺めていたかと思ったが。

 

「確かに、アウローラ様の懸念は理解できます。

 イーリスの頼みがあったとはいえ、彼は敵であるはずの私を生かした。

 殺すつもりであれば、もっと簡単に勝つ事が出来たでしょうに」

「いやぁ、ンな事はないと思うが」

 

 まぁ生け捕りよりは、殺して勝つ方が簡単なのは間違いない。

 それと《爪》として戦ったテレサが強敵であった事は、また別問題だ。

 

「あら。テレサもしかして、レックスに惚れたとか?」

 

 悪戯っぽく笑ってますが、目があんまり笑って無くないですか?

 アウローラが放った致命の一撃クリティカルめいた問いかけ。

 しかしテレサはあくまで冷静な様子で。

 

「ご安心下さい、アウローラ様。

 私は決して、そのような事は考えておりません」

「うん、そうだよな」

 

 確かに頑張って助けはしたが、それがイコールそういう感情にはならんだろう。

 まったく当たり前の話だ。

 

「ですがレックス殿には大恩あります故、彼が望むなら二番目でも構いません」

「うん??」

「勿論、アウローラ様から御赦し頂けるならですが」

「うん???」

「謙虚で物分かりの良い子ねぇ。気に入ったわ」

 

 アウローラさんめっちゃニコニコですね。

 テレサさんも真顔で何を仰っているんですかねぇ。

 

「お嫌でしたか?」

「嫌じゃあないけどね?」

 

 真に受けて喜ぶと、それはそれで後が怖そうなだけで。

 それと近くに妹さんもおりますし。

 

「オイ、何の話してんだ?」

 

 噂をすればという奴か。

 どうやら星を見飽きたのか、イーリスも焚き火の傍に寄って来た。

 何も言われずとも、姉であるテレサの近くに腰を下ろす。

 イーリスの言葉に対しては、アウローラが小さく肩を竦めてみせて。

 

「単なる世間話よ。お子様は気にしなくて良いわ」

「竜に子供扱いされんの釈然としねぇんだけど」

 

 まぁ真面目に年齢差考えたら、大人と子供なんて話じゃないしな。

 

「今後の事について、お二人を交えて相談しようとしていたところだよ」

 

 テレサはテレサで、デタラメを真実のようにサラっと言ってのけた。

 そっちの話もしようとは思っていたので、あながち嘘でもないんだが。

 

「ホントかぁ? ……いや、まぁそりゃ別に良いけど。

 で、今後の事ってのは?」

「真竜の一匹を倒した事で、レックスの状態も以前よりずっと良くなったけど。

 予想通り、「完全な蘇生術式」の為にはまだまだ力が足りないわ」

「ま、アレで終わりなら楽だったけどな」

 

 アウローラの言葉に頷きつつ、俺は腰に下げた剣の柄を撫でた。

 鞘に収まった状態の刃から、炎が脈打ってるような感覚が伝わってくる。

 まるで剣そのものが、二つ目の心臓のようだ。

 あくまで比喩ではあるんだが、状態としてはそう間違ってないかもしれない。

 

「今安定してると言っても、それが永遠に続くという保証もないわ。

 だからまた、他の真竜を仕留めるのが当面の目標ね」

「……何か都市に残るのも、こっちについてくのも。

 死にそうって意味じゃ似たようなモンな気がしてきたな」

「お気づきになられましたか」

 

 ぼやくイーリスの言葉は実際その通りだと思ったので、俺も同意しておいた。

 そうしたら何か頭を抱えてしまったが。

 

「此処まで来たのだから、早めに観念した方が良いわよ。

 ま、それはそれとして」

 

 哲学に沈んでしまったイーリスは放置し、アウローラの視線はテレサの方を見る。

 

「念の為、確認しておくけど。

 都市の外の情報について、貴女も大した知識は持ってないのね?」

「はい、アウローラ様。

 マーレボルジェは、自分の都市以外には最低限の接触しか持っていませんでした。

 その為、私も「不要な知識だから」と多くは知らされておりません」

「ヒキコモリめ。少しぐらい外の空気を吸ったらどうなのかしら」

 

 何故か小さく舌打ちまでするアウローラ。

 ヒキコモリという単語に、何か思う所があるのかもしれない。

 突っ込むと怖そうだったんで、一先ず黙って聞きながら焚き火に薪を放り込む。

 

「……ごめんなさい、脱線したわね。

 私も「知ってたらラッキー」ぐらいに考えてたから、それは別に良いわ」

「寛大なお言葉に感謝します」

「出来れば、此処から近い都市の座標ぐらいは聞きたかったけど……。

 無いなら無いで、適当に近場を見て回れば良いし」

「行き当たりバッタリかな?」

「高度な柔軟性と臨機応変の合わせ技と言って欲しいわね」

 

 それはやはり行き当たりバッタリなのでは?

 まぁやる事というか、目的がそれで変わるわけでも無し。

 行く当てのない旅の空を、暫し楽しむのも良いかもしれない。

 

「ならば決めるべきは、『どちらへ向かうか』ぐらいでしょうか?」

「そうね」

 

 テレサの言葉に頷いて、アウローラは何故か俺の方を見た。

 

「レックスは、何か希望はあるかしら?」

「希望なぁ」

 

 聞かれてしまったが、これはなかなか難しい。

 俺の中に残る大陸の記憶と、今現在の状況では全く違うはず。

 何処に何があるかも知らない状態で、「好きなの選んで」と言われる難易度よ。

 

「別に細かく決めなくてもいいから。

 どっちの方角に行きたいとか、それだけでも良いわよ?」

「ふむ、それなら……」

 

 北は無い。元来た場所へ戻ってしまうし。

 後は南か、西か、東か。

 仮にその中から選ぶのであれば――。

 

「東、だな」

 

 荒野の廃城から旅立った時も、朝日が昇る方へと出発した。

 ならば一先ず、東へ進んでいくのも悪くはないだろう。

 俺の答えに、アウローラは小さく頷く。

 

「東ね。確かそっちは以前、森人エルフ達の居住地があったはずだけど」

「ほほう、森人エルフか」

 

 長命な亜人種で、尖った耳と基本は美形揃いなのが特徴だったはず。

 そういえばマーレボルジェの都市では、亜人の類はほぼ見かけなかった気がする。

 

「元々普通の人間と比べて、亜人は大分少ないものね。

 そもそもこの時代まで、絶滅せずに生き残ってるかは疑問だけど」

「もしその居住地がまだ残ってるなら凄いけどな」

 

 長寿で知られる森人でも、三千年は恐らく長い。

 居住地が本当に残っていたら、彼らは其処でどう生きているんだろう。

 それは単純に好奇心を刺激される話でもあった。

 

「――なら、目的地は決まりね」

 

 そして好奇心という点では、彼女もまた俺と同じであるようだ。

 アウローラは眼を細め、微笑みながら決定を口にする。

 

「先ずは東、森人の居住地を探してみましょうか。

 そういった場所なら、支配者を自称する真竜と遭遇する可能性も高いでしょう」

「それは確かにありそうな話だなぁ」

 

 聞く限り、真竜はそうやって人を多く集めた共同体を「都市」と称して支配する。

 ならば森人達も似たような形で支配している可能性は十分にあった。

 今のところは、全て想像に過ぎないが。

 

「……では、今後の方針も決まったようですので」

 

 言いながら、テレサがスッと立ち上がる。

 それから、未だに蹲ったままのイーリスの頭を軽く叩いた。

 

「今夜の寝床を整えましょう。イーリスも、少し手伝いなさい」

「あ? オレが? や、まぁそりゃ良いけど……」

 

 有無を言わさぬ声と圧力。

 妹のイーリスは、上位者たる姉のテレサにあっさり屈したようだ。

 大人しく引っ張られていく姿を、俺は焚き火に当たりながら見送った。

 すると。

 

「ホント、良い拾い物をしたわ」

 

 いつの間にやら、アウローラが俺の膝に座っていた。

 細い身体を俺の胸辺りに預けてくる。

 俺の方からも軽く腕を回して、互いの熱を近づけた。

 

「ねぇレックス?」

「ん?」

「次は、どんなモノが見られるかしらね」

 

 クスクスと笑いながら、アウローラがそんな事を聞いて来た。

 とりあえず、向かう先は推定森人の居住地だった場所ではあるが。

 

「分からんな、それは」

 

 三千年という、俺の頭じゃ追い付かないぐらいの時間が過ぎ去った大陸。

 其処には俺が知っているモノは殆ど残っていないだろう。

 だから。

 

「それを確かめる為にも、見に行かないとな」

「……ええ、そうね」

 

 俺の言葉に、アウローラは淡く微笑んだ。

 細い指が兜に触れて、金具を外す。

 それから感じたのは、少し冷たい夜の空気。

 それと温かく、柔らかい感触。

 言葉はほんの少しの間だけ、その意味を無くした。

 

「……ねぇ、レックス?」

「ん?」

 

 直ぐ近くで囁く声に、俺は小さく首を傾げた。

 

「この先、貴方の蘇生を完全にする為、どれだけ掛かるかはまだ分からない」

「あぁ」

「真竜とか名乗る連中と戦うのも必要だわ」

「剣に魂を取り込まなきゃならんしな」

「きっと、長く苦しい旅になると思うけど――」

 

 もう一度、唇が触れ合う。

 温かく、燃えるような熱が吐息となって零れる。

 

「私と最後まで、一緒にいてくれる?」

「あぁ」

 

 頷く。

 答えは迷わなかった。

 それは最初から決めてある事だ。

 

「色々大変だろうし、俺の方が面倒かける事も多いと思うが。

 改めて、これからよろしくな。アウローラ」

「――ええ」

 

 アウローラの微笑みは、月のように淡く、暁のように輝いていた。

 彼女は祈るように、誓うように、俺の手を握る。

 

「何があろうと、私は貴方に付いて行くから。

 ――だから、この手を離さないでね。私の王様レックス

 

 その言葉もまた、祈りであり誓いだった。

 俺はそれに応える為に、また少し顔を近づける。

 ……二人の姉妹が、用事を済ませて戻ってくるまでの時間。

 それまでの間の事を知っているのは、俺とアウローラ。

 後は夜空に浮かぶ、星と月だけだった。


 

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