幕間6:死を想え


 ――真竜たる私を脅かすモノなど、この世に最早存在しない。

 それは絶対的な確信であり、純然たる事実だった。

 この私、マーレボルジェが恐れるべき事柄などありはしない。

 私が喰らい、この身に取り込んだ古竜の魂。

 「古き王オールドキング」に数えられずとも、それに比肩する程の強大な竜。

 その力を我が物とした上で、数多の「価値」ある人間の魂を喰らってきた。

 仮に同じ真竜を名乗る者の中でも、私を超える存在はどれだけいるか。

 片手の指と自惚れる気はないが、それでも十指もあれば十分足りるだろう。

 そうだ、私は時代の覇者たる真なる竜トゥルードラゴン

 人を超越した存在である私が、今さら人間如きを恐れる理由がない。

 精々が使い捨ての石炭、時に価値ある宝石も混じっている程度。

 そんな下等な生物種、竜たる私が恐れる事などあり得ない。

 

『ッ……何故……!』

 

 最初にその男を認識した時は、「大した脅威ではない」と考えた。

 無論、立ち位置を考えれば彼の《最強最古》が従える《爪》に当たるはず。

 事実として、私の《爪》と交戦しながらも命を落とさなかった。

 それ自体は驚異ではあったが、だからと言って脅威とは呼べない。

 所詮は《爪》だ。数も少なく貴重だが、代わりはある。

 戦いぶりを実際に目にしても、強いが人間の範疇に過ぎないとしか思わなかった。

 その認識に、誤りはなかったはずだ。

 

『何故、だ……!』

 

 貴重だが、惜しむ事無く愛しい《爪》を捨て石として使い。

 意識外からの飽和攻撃で吹き飛ばした時点で、終わりのはずだった。

 なのにその男は私の前に立ち、あまつさえ手にした剣で私の身体に傷を付けた。

 たかだか人間の分際で、何たる不遜か!

 

『あり得ん……こんな事……ッ!!』

 

 戦い――いや、「制裁」を行う段階になっても、私の認識に変化はなかった。

 上等な武器と防具に、それなりの身体能力。

 魔力はそこそこ高いようだが、扱う魔術は単純なものばかり。

 剣の扱いや体術にしても、我が《爪》のように洗練されているとはとても言えない。

 粗野で無骨、私の好むところの「美しさ」は微塵もない。

 この程度の「価値」ならば直ぐに踏み砕ける。そのはずだ。

 だが、違和感があった。

 

『ッ、私は、真竜なのだぞ……!!』

 

 熱線の吐息ブレスに、一声で放つ無数の攻撃魔法。

 とうとう私は全力――この身を竜体へと変じて男を殺しにかかる。

 人間相手に竜体を晒すなど、本来なら屈辱の極みだ。

 しかしちょこまかと逃げ回る虫ケラに、私は怒りを抑えきれなかった。

 最悪、余波で都市自体が崩壊する可能性はあったが、そんな事はどうでもいい。

 兎も角、この男を殺さねば気が済まぬ。

 この私が竜体を晒した以上、そう時間は掛かるまい。

 

『その、私が、人間如きに……ッ!?』

 

 だが、男は死ななかった。

 何度も。そう何度も、人間が死ぬに余りある力を叩きつけた。

 熱線の一つ取っても過剰なほど。

 街区を容易く壊滅させるだけの火力を、私は惜しまず振り回した。

 それでも、男は死ななかった。

 基本は走り回り、時に跳ねて、偶に転がる。

 回避し切れなければ剣か、或いは鎧で防ぐか受け流す。

 完全に避けているわけではない。

 その為、まったく無傷というわけでもない。

 消耗はあるし負傷も受けていたが、それは何らかの水薬ポーションで補っていた。

 それは良い。其処までは理解出来る。

 理解出来ないのは、男が「死んでいない」という一点だけ。

 

『何故、何故死なない……!!』

 

 雷に打たれた人間は死ぬ。

 嵐に呑まれた人間も死ぬだろう。

 それが人間だ。

 弱く脆く、故に直ぐに死ぬ。

 真竜たる私の全力は、文字通り天変地異に等しい。

 その前に立って、人間が生きていられる道理はない。

 ただ無力に震えて死ぬか、無謀に挑んで死ぬかしか道はない。

 そのはずだ。そのはずなのに。

 男は死ななかった。

 基本は走り回り、時に跳ねて、偶に転がる。

 回避し切れなければ剣か、或いは鎧で防ぐか受け流す。

 完全に避けているわけではない。

 その為、まったく無傷というわけでもない。

 特別な事など何もない。ただそれを繰り返すだけ。

 だというのに、男は死神の手を巧みにすり抜けていく。

 どころか、その剣は私の身体を傷つけ始めた。

 信じ難い事に、男の振るった刃が私の鱗を一つ断ち割ったのだ。

 この千年で初めての事だった。

 

『どうして、何故、私の方が……!?』

 

 あり得ない事ではあったが、恐れるべき程の事ではない。

 私の竜体が纏う鱗は、今まで喰らった人間の魂が宝石に変わったモノ。

 その数がそのまま私の抱える力の総量。

 例え一つが砕けたとて、総体から見れば微々たるもの。

 数千を超える「価値ある魂」を喰らった私に、人間一人が敵うものかよ。

 だが。何故。何故だ。何故。

 この男は、何故死なない?

 

『ッ――――――!!!』

 

 分からない。最早口から迸る声に意味が追いつかない。

 何度もやった。殺すつもりで吐息を放ち、魔法もばら撒いた。

 質量でも竜体は人間を圧倒出来る。

 暴れ回り、周辺の障害物ごと捻り潰そうと試した。

 それでも男は死なない。

 死神の手をすり抜けて、私の鱗をまた切り裂く。

 繰り返す。それを繰り返し続ける。

 いや所詮相手は人間、必ず限界があるはずだ。

 纏った鱗の数は未だ膨大。

 それを一つ、一つと砕いているが、私の命には到底届かない。

 文字通り力の差は天と地ほどもある。

 そうだ、だから恐れる事などない。何もない。

 私は猛っているから、吼え続けているに違いないのだ。

 

『…………こんな、馬鹿な……!』

 

 それから、どれだけ。

 どれだけ、同じ事を繰り返しただろう。

 私は只管に暴れて、破壊の力を振り回し続けた。

 僅かにでも巻き込む事が出来れば、人間などあっさり死ぬ。

 だから私は、竜体の全力で男を殺した。

 殺した。殺したはずだぞ。死ななければおかしい。

 殺すはずの私の一撃を、確実に捉えるはずの死神の手を。

 男は、スルリと躱していく。

 その代わりに、また私の鱗を削る。

 何枚目だ。今ので幾つ目の宝石が壊された。

 ボロボロと、竜体から力が剥がれていくのを感じる。

 最初は微々たるものだったが、確実にその範囲は広がっている。

 男は止まらない。

 洗練された技巧はなく、動作の全てが無骨で粗野。

 それなのに、私は未だに男を殺せない。

 逆に男の剣は、私の鱗をドンドンと減らしていく。

 拙い。此処に至ってようやく、私の頭の中に焦りが生じる。

 こんな事は考えていなかった。こんな事態は想定していなかった。

 私が、真竜たるこのマーレボルジェが。

 人間に、追い詰められている?

 

『あり得ん……あり得んあり得んあり得ん……ッ!!』

 

 声でどれだけ否定しても、現実は無慈悲に迫ってくる。

 多くの鱗が削られて、竜体で振るう力が少しずつ弱まっていく。

 そうなれば、男の勢いは逆に増していく。

 攻撃が薄くなったところに踏み込んで、より多くの鱗を砕いてく。

 もう幾つ壊されたのか、私ですら分からない。

 これまで感じた事のない「何か」が、私の身体を這い上がってくる。

 何が。これは、一体何が。

 

『…………?』

 

 ふと、何かを私の眼が捉えた。

 それは男の握る剣だったが――違う。

 私が見たものは、剣そのものではない。

 剣に宿っているかのような、一つの燃え盛る炎。

 炎。だが、ただの炎ではない。

 笑っていた。一瞬錯覚かと思ったが、違う。

 間違いなく、剣に宿る炎は私の事を嘲笑っていた。

 大気を震わせる音ではなく、もっと直接的に言葉が頭に押し入ってくる。

 それは疑いようもなく、私に対する嘲りだった。

 

『―――“王”を僭称する、身の程知らずよ。

 「竜を殺す事」の意味、やっと理解できたか――?』

 

 笑っている。炎が。嘲って。

 嗚呼、気付いた。それで気付いてしまった。

 何度も殺そうとして、けれど殺す事は出来ず。

 死なねばおかしいというのに、死する事無く戦い続ける男。

 奴が死神の手をすり抜けているのではない。

 この炎を宿す剣を持つ男こそ、私という竜を殺す死神だ。

 それに気付いた事で、今まで不明だった感情の名前も理解した。

 即ち――「恐怖」。私は、恐れていたのだ。

 竜ですらない、ただの人間を。

 

『ガアアァアアアアア――――っ!?』

 

 叫んでいた。気が狂わんばかりに。

 最早真竜としての矜持とか、強者である自覚とか。

 そんなもの、私の中に残ってはいなかった。

 削られた鱗の数は、もう数えるのも馬鹿馬鹿しい。

 死ぬ。死ぬ?

 真竜であるはずの、この私が?

 どれだけ否定を並べ立てても、死神の手は止まらない。

 熱線を吐き出し、魔法を擲つ。全て避けられた。

 剣が閃く度に私の鱗は削れて、力は何処かへ流れ出ていく。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 恐怖が強まり、私は死から逃げ出そうと足掻いた。

 だがそれを、剣を携えた死神が許しはしない。

 奴は私を思い切り踏みつけた。

 逃げようとしたが――力が、殆ど入らない。

 いつの間にか、纏っていたはずの宝石の鱗の大半が砕け散っていた。

 私はまた多くを叫んだが、男はそれらも一蹴した。

 気付けば、剣の切っ先が私の視界を埋め尽くして――。

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