113話:竜殺しの時間


 剣をしっかりと握り締めながら、俺は雨の中を走る。

 降り注ぐ水は冷たいが、俺の身体はそれを感じさせない熱に包まれていた。

 走り出す直前にアウローラが施してくれた魔法。

 鎧自体を発熱させる事で、雨粒程度の水なら即座に蒸発させる。

 水流に呑まれれば役に立たないが、豪雨の中を進む助けにはなる。

 中身の俺が常にジリジリと炙られてる状態になるが、それは我慢するしかない。

 強化した足で建物を足場にしながら、俺は空に陣取る真竜に迫る。

 近付く程に雨の密度は増し、更に強烈な風も吹き付けてくる。

 剣の間合いに入るだけでも一苦労だな。

 

「ガァ――――ッ!!」

 

 直ぐ近くで赤い炎が弾けた。

 咆声と共に吐き出されたボレアスの《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 それは豪雨の壁に穴を空け、迫って来た濁流の一部を蹴散らした。

 まぁ直ぐに他から水が流れ込んでくるんだが。

 

「口惜しいが全て吹き飛ばすには火力が足らんな!」

「この水全部吹き飛ばしたら、それ以外も纏めて消し飛ぶでしょうけどね」

 

 何故か清々しく笑うボレアスに、アウローラが小さくツッコミを入れる。

 竜の二人に続く形でテレサもいるが、雨粒を払うだけでも大変そうだ。

 

「言いたくはありませんが、厳しいですね」

「だな。このままじゃ都市ごと水没しそうだしな」

 

 テレサの言葉には頷くしかない。

 滝のような雨は衰える気配もなく、都市全体を水で埋め尽くしつつある。

 その上で渦を巻いたり波が起こったりと暴れたい放題だ。

 普通なら建物も全部薙ぎ倒されてもおかしくないはずだが。

 其処は「学園長」がちゃんと防御しているらしい。

 おかげで俺達も足場を失って水に呑まれるなんて事にはならずに済んでいる。

 それも時間の問題だろうが。

 

「さて、俺達だけじゃ正直キツいが……」

 

 今この場にイヴリスはいない。

 あっちはあっちで仲間と合流するからと別れた後だ。

 俺達よりも《黄金夜会》の方がこの事態に対する経験値は上の筈。

 その辺、何か上手くやって欲しいところだ。

 俺がそんな風に期待を持っていると。

 

「……アレは……?」

 

 最初にそれを見たのはテレサだった。

 激しく降り続ける雨の中、その圧力に逆らうように飛ぶ姿。

 黒い翼を広げる一人の少女、オーガスタだ。

 彼女はその手に黒髪の青年ヤオフェイをぶら下げていた。

 激しい風雨に晒されて相当に苦しいはず。

 それでもオーガスタは歯を食い縛り、真っ直ぐ真竜に向けて飛んでいく。

 

「行きますよ、しっかりとやってください……!」

「はいよォ!」

 

 真竜マレフィカルムは飛んで来たオーガスタ達に注意を向けない。

 それこそ羽虫が飛び回っているような感覚なんだろうか。

 巨体のスレスレをオーガスタは掠めて、手に下げていたヤオフェイを投下する。

 ヤオフェイは即座に赤い装甲を纏い、そのまま竜の身体の上に着地。

 そして。

 

「おらァ――っ!!」

 

 気合を叫び、その拳を鱗に叩き付けた。

 美しい水晶の青鱗は、脆そうな見た目に反して相当に硬いようだ。

 ヤオフェイの一撃でもほんの僅かに罅が入った程度。

 だが、戦果としてはそれで十分だったらしい。

 

「ヨシ、接続完了っ……!?」

 

 言い終えるよりも先に、ヤオフェイは襲って来た水流に吹き飛ばされる。

 飛び回る程度なら気にしないが、刺されれば流石に鬱陶しいか。

 空中に放り出されたヤオフェイだが、それはオーガスタが即座にキャッチする。

 

「助かったヨ、副会長!」

「それよりちゃんと仕掛けてきましたか!?」

「そりゃァ勿論……! 次頼みますヨ!」

「――ええ、ありがとう。後は此方の番ね」

 

 ヤオフェイの声に応えたのはイヴリスだ。

 彼女ともう一人、ホーエンハイムはそれぞれ校舎の屋根の上に立っている。

 叩き付ける雨粒に怯む様子もなく、空を塞ぐ竜に臨んでいる。

 そして両者は同時に歌うように声を上げた。

 歌――そう、それは歌のように聞こえる。

 言葉としては認識できず、先程の真竜の上げた声に似ていた。

 歌声が高まるのとは真逆に、少しずつだが雨の勢いが弱まってくる。

 真竜は身を捩り、僅かに苦し気な鳴き声を漏らした。

 

「何か知らんがやったっぽいな」

「恐らく封印術式ね。

 最初のヤオフェイが触媒を直接打ち込んで、それを基点に発動したんでしょう」

「成る程なぁ」

 

 とりあえず、期待通りにやってくれたのは間違いないようだ。

 此方の視線に気付いたか、イヴリスが軽く手を振る。

 

「これで多少は真竜の力も弱まるはずです。

 けど、この術式は完全に顕現した竜体相手までは想定していませんから。

 そう長く持たないと思って下さい」

「あぁ、助かる。そっちもあまり無理するなよ」

「出来る限りの事はしますよ。術式の維持で手一杯でしょうけど」

 

 笑うイヴリスにこっちも軽く手を振り返す。

 それから再び俺達は空にいる真竜を目指して走った。

 雨が弱くなったおかげで、先程よりは大分スムーズに進む事が出来る。

 校舎の壁を駆け上がり、真竜も大分近くに見えて来たが……。

 

「――拙いな、飛んで逃げる気だぞ」

 

 そう呟いたのはボレアス。

 彼女の言葉通り、真竜は薄羽を大きく広げている。

 ゆっくりとだが確実に高度を上げている。

 

「重力制御で縛ってるんだけどね……っ!」

 

 少し苦し気に呻きながらも、アウローラは術式の魔力を強めているようだった。

 そのおかげで上がる速度は緩やかだが、完全には止められない。

 一応こっちも飛んで戦える面子もいるにはいる。

 が、俺は流石に飛びながら戦うとか器用な真似は出来る気がしない。

 竜と戦う場合、空に逃げられると大体詰む。

 そうなるのだけは何とか避けたいが――。

 

『――待たせて悪いな。

  操作に慣れないせいで、ちょいと時間かかっちまった』

 

 雨音を押し退けて聞こえて来たのはイーリスの声だった。

 同時に、視界の端で何かが動く。

 それは俺達も足場にしていた校舎の一部。

 壁やら屋根やらがあっという間に変形して、何かデカい塊が顔を出す。

 それは黒い金属で造られた巨大な円筒のような物体。

 一瞬何か分からなかったが、その先端が素早く真竜に向けられて。

 

「うぉっ……!?」

 

 爆ぜた。

 強烈な爆発と共に発射されたのは一本の槍だ。

 人間が食らったらバラバラになりそうなサイズのソレが竜の身体に突き刺さる。

 鱗の強度に阻まれて完全に貫くには至っていないが。

 それでも先端の半ば以上が肉に喰い込み、真竜は苦痛の声を上げる。

 刺さった槍には太い鎖も付いており、それは発射された円筒に繋がっていた。

 更に二度三度と大槍は放たれ、真竜を空へと逃がさぬよう縫い留める。

 

『っしゃ、これでどうだ……!』

「イーリスか! 何だコレ!?」

『こういう事態を想定しての対竜迎撃装備だとよ!

 出来る限り援護はすっから、そっちはそっちで何とかしてくれ!』

「おう、助かる!」

 

 この場にはいないイーリスに礼を言って、俺は思い切り走った。

 真竜がもがく度に太い鎖はギシギシと軋む。

 こっちも長く持ちそうにないが、とりあえず十分過ぎるな。

 

「やっぱり頼れる奴だな、イーリスは」

「ええ、自慢の妹です。

  私も、負けているつもりはありませんので」

「頼りにしてはいるけど無理はするなよ?」

「一番無理をする人が言っても説得力無いんじゃないかしら」

「ハハハ、違いないな」

 

 アウローラのツッコミにボレアスは心底愉快そうに笑う。

 いや俺の場合はがんばってるだけなんで。

 無理や無茶はそんなにしてませんよ、そんなに。

 まぁそれは兎も角だ。

 

「ようやくだな」

 

 《学園》の頂上。

 その広いが狭い空間に、鎖で繋ぎ止められた真竜が一柱。

 アウローラの重力制御も合わせて何とか空からは引き摺り下ろした状態だ。

 《黄金夜会》の封印も受けて、力も幾らか抑制されているだろうに。

 正面から相対しているだけで強烈な圧力に襲われる。

 間違いなく、力の格で言えば地下迷宮のバンダースナッチと大差ないだろう。

 まともに戦うには余りに難敵だが。

 

「よし、やるか」

 

 俺に出来る事は一つだけだ。

 剣を片手に躊躇う事無く先陣を切る。

 此方の戦意を感じ取ったか、真竜マレフィカルムは高く吼えた。

 その声に応じて、空間を埋め尽くす水が逆巻く。

 放たれるのは水の槍。

 自分が撃ち込まれた事に対する意趣返しか。

 大きさ自体は普通の長槍程度だが、それが一瞬で数十以上。

 水の槍衾が凄まじい速度で迫ってくる。

 避ける隙間もなければ防げる威力でもないだろう。

 だから俺は構わず走る。

 俺一人だったら余裕で死ねるけどな。

 

「なかなか小賢しいなぁ!!」

 

 笑いながら俺の後方でボレアスが火を吹いた。

 こっちを巻き込むとか、あんまり気を使っていない一撃。

 水槍と正面からぶつかって派手に爆発する。

 凄まじい熱気が吹き付けてくるが、それは届く前に見えない壁に遮られる。

 後ろから、俺の首辺りに細い腕が抱き着いた。

 

「悪いな、アウローラ」

「良いわ。それよりあの馬鹿、少しぐらい気にして欲しいわね」

 

 アウローラの魔法に守られながら、俺は真竜の眼の前に辿り着く。

 だがこっちが剣を構えるより早く竜の爪が閃いた。

 単に振り下ろすだけでなく、莫大な水流を纏った一撃。

 それに対して、俺はただ真っ直ぐに踏み込む。

 

「今度は此方にお任せを」

 

 軽く肩に触れられる感触。

 同時に視界が一瞬だけ暗転した。

 次に見えたのは変わらぬ雨と、薄羽を広げた真竜の背中。

 テレサの《転移》により、俺達は真竜マレフィカルムの頭上に再出現していた。

 俺の腕を軽く掴んだままでテレサは笑う。

 

「どうぞ、存分に」

「あぁ、助かった」

 

 短く言葉を交わして、俺は真竜に向かって落ちる。

 気配を察知したか、竜の眼が此方を見る。

 燃える溶岩のように赤黒い瞳。

 その視線に捉えられると、周りの雨粒が矢のように襲い掛かって来た。

 だがそれは、再びアウローラの結界が遮断する。

 

「甘いわね、マレウス。

 ――貴女は戦うのは苦手なんだから、慣れない事はしないものよ」

 

 囁くように言ってから、アウローラは笑った。

 そして振り下ろした剣がマレフィカルムの身体を貫いた。

 青い鱗を断ち斬り、切っ先は深く肉を抉る。

 確かな手応えを感じながら、俺は更に真竜を斬り裂こうとする――が。

 

「レックス!」

 

 アウローラの発した警告。

 頭で考えるより早く、俺は真竜の鱗を思い切り蹴り飛ばした。

 剣は引き抜かれ、跳躍した事で身体は宙に浮く。

 その直後、無数の赤い刃が先程まで俺のいた空間を貫いた。

 

「危なっ……!」

 

 俺が刺した傷口から生えた鮮血の刃。

 仮に鎧で受けても恐らく串刺しだったろうな。

 ギリギリ難は逃れたが、咄嗟に飛び上がったせいで体勢は最悪。

 其処を狙って、水と血が混ざった刃は蛇のように伸びてくる。

 しかし、それが届くより早くテレサが動いた。

 再度俺の手を掴んで、瞬間的な《転移》によって離脱する。

 再出現先は真竜の前方、距離はやや離れた位置。

 今のはかなり危なかったな。

 

「少々迂闊に攻め過ぎたのではないか?」

「あぁ、ちょっとだけな」

 

 からかうように笑いながら、ボレアスが俺の直ぐ横に降り立つ。

 いつの間にかまた全裸になってるようだが、今はとりあえず置いておこう。

 集中すべきは目の前の真竜だ。

 

「ホント、マレウスの癖に私を梃子摺らせるなんて。生意気が過ぎるわね」

「調子が出てきましたね、我が主」

『いや言ってる場合か。こっちは精々サポートしかできねーから頑張れよマジで』

 

 はい、がんばります。

 イーリスの声が何処かから聞こえると、校舎の一部がまた変形する。

 顔を出した物体が何かは分からんが、形状的には銃器っぽい。

 鈍い音を立て、イーリスが操作する対竜兵装はその先端を真竜へと向けた。

 鎖を激しく軋ませながら、真竜は唸る。

 封印術式による制約を受けて尚、漲る魔力は空間を歪ませている。

 お互い殺る気満々だな。

 

「さて――こっからが竜殺しだな」

 

 嵐と共に叫ぶ真竜。

 その咆哮が、《学園》における最後の戦いの合図だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る