112話:真竜マレフィカルム

 

 最初にそれを見た時、頭が正しい理解を拒んだ。

 ボレアスと二人で部屋を飛び出して直ぐ、私は術式による探知を行った。

 レックスとマレウス、目当ての反応は一瞬で見つける事が出来た。

 ただ、何故か両者の位置が離れている。

 レックスは地上だけれど、マレウスは《学園》の遥か上空。

 おかしいと思いながら、私は校舎の外に出た。

 起こっている現実を確かめようと、そう考えて――。

 

「……あれは、何?」

 

 見たモノは、想像を超える景色だった。

 塔に似た校舎の頭上を塞ぐように、薄羽を広げる一頭の竜。

 青白い水晶に似た鱗を纏うその姿に、私は見覚えが無かった。

 正確には近い見た目をした竜体ならば知っている。

 けど、あの子の竜体はこんなにも大きくはなかったはずだ。

 羽根もあそこまでの広さはなかった。

 だけど似ている。青い鱗は間違いなくあの子マレウスのもので。

 探索の術式は、空にいる竜がマレウスである事を告げていた。

 いや、でも。そんな。

 仮にあの竜がマレウスだとしても。

 あの子はあんな、赤く濁った眼をしていないはず。

 

「おい、長子殿!」

 

 ボレアスの声に、私は意識を現実に引き戻す。

 同時に幾つもの楽器の演奏にも聞こえる、竜の鳴き声が響き渡る。

 青い巨竜はその歌声に莫大な魔力を乗せていた。

 そして現れるのは凄まじい量の水塊。

 生み出した竜自身よりも更に巨大な質量。

 あんなものが落とされれば、《学園》は疎か都市全体を打ち砕いて余りある。

 当然、その下にいる者達が助かる道理は皆無。

 別にこの街が崩壊する分には構わないけど。

 

「ボレアス、合わせなさい!」

「ハハハ! 承知した!」

 

 空から津波が落ちてくる。

 そんな現実を破壊する矛盾した幻想に、私は正面から挑む。

 ボレアスは大きく息を吸い、胸の内に灼熱を宿す。

 私は人の言葉ならぬ竜の言葉を歌って術式を編み上げる。

 正直、かなり厳しいけど……!

 

「ガアアァッ――――ッ!!!」

「“焼き尽くせ”」

 

 私の《力ある言葉》とボレアスの咆哮が重なる。

 都市を呑み込もうとする大瀑布に、炎の吐息が突き刺さる。

 圧倒的な高熱は大量の水を蒸発させるが、それでも完全には止められない。

 其処に私の放った炎の術式が到達する。

 威力・範囲ともに最大に広げた爆炎が半ば蒸発した水を更に押し包む。

 可能な限りの魔力を振り絞っているのに、凄まじい重圧を感じる。

 私一人だったら間違いなく押し負けていた。

 

「この……っ!」

 

 奥歯を噛み締め気合いを入れて。

 私は全力で水の塊を砕き散らした。

 水塊は弾けて、《学園》全体に豪雨となって降り注ぐ。

 とりあえず、大質量をまともに喰らうのだけは防げたけど……。

 

「何だ、アレがまさかマレウスだと言うのか?

 そこのところどうなんだ、長子殿」

「うるさいわね、あんな怪物がマレウスのはずが……」

 

 そう、そんな事があるワケがない。

 確かにマレウスは《古き王》の一柱だし、大きな力を持つ竜の王だ。

 けれどそれはあくまで「」の話。

 竜王としてのマレウスは其処まで大きな力は持っていなかった。

 少なくとも、こんな規模の水を操るような魔力はなかったはずだ。

 弱っているとはいえ、私とボレアスの二人掛かりでギリギリだなんて。

 

「確かに、アレは下手をすれば全盛期の頃の長子殿に匹敵するぞ。

 マレウスはああまで強かったか?」

「そんなはずがないでしょう! いいや、それより……!」

 

 再び、天候を変える程の魔力が動く。

 発生源は当然、あの青い竜だ。

 空に向けて歌声を発すれば、先程までは晴天だった空があっという間に黒雲に覆われる。

 それは《学園》の上空だけではない。

 もっとずっと広い範囲の空を、青い竜の魔力が埋め尽くしていく。

 これは――少し、拙い気がする。

 

「雨を呼んで、見渡す限りを全部水で埋め尽くす気ね」

「それは……少々拙くないか?」

「ええ、大量の水を幾らでも振り回せる事になるんだから。

 私達は怪物の腹に呑み込まれたも同然ね」

 

 そうなれば抵抗のしようがない。

 言葉を交わす間も、私は攻撃の為の術式を構築する。

 あんな規模で雨を呼ばれたら完全に詰みだ。

 それならば無防備な本体を叩いて術の完成を妨害するしかない。

 

「よし、援護は頼むぞ長子殿!」

 

 勝手にそう言うと、翼を広げてボレアスが飛ぶ。

 青い竜が雨を完全に呼び寄せるまで、恐らく一分も掛からない。

 その僅かな時間で止める為に、兎に角全力で仕掛ける。

 

「“落ちて、砕けろ”」

 

 先ずは重力制御で、青い竜の巨体に何倍もの重力を上から押し付ける。

 それで動きを縛った上で、力場の砲弾を複数その身体に叩き込む。

 鋼を砕く威力の弾を断続的に撃ち込み続けるが、目立ったダメージは無し。

 思った以上に鱗が硬い。

 其処に高速で飛来したボレアスの爪が突き刺さった。

 竜の膂力を乗せた鋭い一撃。

 それは青い鱗に傷を刻む――が、浅い。

 確かにボレアスの爪は青い竜の鱗が持つ強度を上回った。

 けれどそれは、表面を幾らか削ったに過ぎない。

 

「ハハハッ! 何という硬度だ……!」

 

 ボレアスは愉快げに笑いながら、更に爪による攻撃を重ねる。

 その上で《吐息ブレス》も至近距離から叩き込み、鱗の一部を削っていく。

 削っている、その程度だ。

 間違いなく、ボレアスは現状で出せる全力を尽くしている。

 だというのに青い竜が受けている損害は本当に軽微だ。

 私も術式による攻撃は継続しているけど、結果は殆ど変わらない。

 多少のダメージは通っていても、青い竜の歌声が途切れる事はなかった。

 マレウスの鱗は、こんなに頑丈じゃなかったはず。

 一体、コイツは何なのか。

 

「コレはダメだな……!!」

 

 そうボレアスが呟くと、ぽつりと水滴が落ちて来た。

 雨を呼んでいた歌声が途切れる。

 青い竜の術式が完成した。

 一瞬の間を置いて、大量の雨粒が一気に降ってくる。

 それは豪雨なんて生温い代物じゃない。

 まるで都市を覆い尽くす巨大な滝のように水が流れ落ちる。

 大量の水を一気に浴びたせいか、身体が重い。

 ……いや、それは単純に濡れたからではなかった。

 竜の魔力を帯びた水。

 それは浴びた者に対して自動的に攻撃を仕掛けて来た。

 まるで捕食粘菌スライムか何かのように、水が身体を締め付けてくる。

 空を飛んでいるボレアスも同じ状態だった。

 

「チッ、厄介な!!」

 

 水は形なく身体に絡みついて来る。

 それほど強い力ではないけど、あくまで竜の腕力と比較した話。

 また水の質量が増せば圧力も強まるようで。

 抵抗しながらも、ボレアスは上空でバランスを崩す。

 降り注ぐ雨に更に捕まりながら、そのまま地上へ向けて落下し――。

 

「!?」

 

 滝のような雨を斬り裂いて走る影があった。

 距離はあってもその姿を見間違えるはずもない。

 レックスだ。

 片手にイヴリスとかいう小娘を抱えた状態で、彼は大きく跳躍する。

 そして自由落下中のボレアスを空いた手で捕まえた。

 その間も降り続ける雨は渦を巻き、破壊的な力を撒き散らす。

 二人も抱えた状態では、幾らレックスでも拙い。

 

「こっちへ!!」

 

 私は大きく叫び、その声を《力ある言葉》として術式を発動する。

 目には見えない力場の結界。

 雨と渦巻く水を無理やり押し退けて僅かな安全地帯を築く。

 レックスは私の声に即座に反応すると、迷わず此方に飛んで来た。

 結界の識別フィルターは十全に機能を果たし、レックス達だけがすり抜ける。

 水の圧力は増すばかりで、展開し続けるのもなかなか厳しいけど。

 

「大丈夫っ!?」

「おかげでな。そっちこそ大丈夫か?」

「もう少しぐらいなら何とかね」

 

 応える間も結界はギシギシと軋みを上げる。

 直ぐに破れるような事はないけど、余り良い状況じゃないわね。

 

「余計な真似をしてくれたな、竜殺し。

 だがまぁ助かった、一応礼は言っておこうか」

「もうちょい素直に言えないもんかね」

 

 言いながら、レックスは抱えていたボレアスを地面に落とす。

 纏わりつく水に関しては、ボレアスが軽く火を吐く事で蒸発させる。

 量が多ければ脅威だけど、服や身体が濡れてる程度では大した事はない。

 だから、今はそれよりも。

 

「レックス、マレウスは?」

「上で大雨を降らせてる奴がそうだな。

 ちょっと面影ないけど」

「やはりアレはマレウスが変化した姿か。

 あまりに強大すぎる故、勘違いかとも思ったが」

 

 唸るボレアス。私は未だに信じられない。

 レックスが嘘を吐くワケがないと分かってはいるのに。

 あの荒れ狂う巨竜の姿がマレウスのイメージとは重ならない。

 

「間違いなく、アレはマレウス先生ですよ。私も保証します」

 

 いつの間にやら、レックスの傍らに立っているイヴリス。

 彼女は私の結界越しに、雨を降らせ続けている巨竜を見上げた。

 それから半ば諦めたようなため息を吐く。

 

「普段は顕現が完了する前に、私が生贄になっていたんですけどね。

 完全に竜体を構築した今、同じ手段を取って初期化フォーマット出来るか分かりません」

「マレウスから頼まれてるし、出来ればその手はギリギリまで保留したいな」

 

 イヴリスの言葉にレックスが応える。

 鎧についた水を魔法の火で炙り、それから剣を構える。

 空を雲と雨で覆い尽くす巨竜にその切っ先を向けて。

 ――彼の戦う意思だけは、いつも真っ直ぐで揺るがない。

 今揺らいでしまっているのは私の方だ。

 

「ねぇ、アレはどうすれば良いの?

 本当にマレウスだとして、あんな……」

「もう戦って止めるしかありませんね。正直、勝てる気はしませんが」

 

 そう言って、イヴリスは小さく肩を竦める。

 戦う他無いのは分かっている。

 分かっていても、どうしても心に揺らぐ部分があった。

 この私が、そんな事はあり得ない。

 以前の私は自分の企みの為に、全ての兄弟姉妹を犠牲にするつもりだった。

 当然、その中にはマレウスも含まれている。

 その時は何も思わなかった。

 なのに私は、何をイマサラ迷っているのか。

 答えの出ない空白は、ほんの一瞬。

 その時、私の直ぐ近くで新たな気配が生じた。

 

「――失礼、遅くなりました。我が主」

 

 《転移》で姿を現したのはテレサだった。

 彼女は慣れた動作で私に一礼する。

 共にいたはずのイーリスの姿はその場にはなかった。

 

「イーリスはどうした?」

「妹はまだ電脳に接続した状態です。

 現実の戦いでは足手纏いだから、こっちで出来る事をすると」

「そうか、それなら良い」

 

 テレサの言葉に頷いてから、レックスは私の頭を撫でて来た。

 少しだけ乱暴な手つきで、髪の毛を軽くかき混ぜられてしまった。

 驚いて見上げる私に、レックスは一つ頷いて。

 

「マレウスがな、出来れば助けて欲しいって言ってたんだ」

「あの子が……?」

「あぁ。正直どうしたら良いか俺には分からん。

 ただこのまま放っておくのは間違いなくヤバいだろ」

 

 レックスの視線の先には、雨風と共に狂う竜の姿があった。

 何故、マレウスがあんな姿になっているのか。

 どうして狂ったように暴れているのか。

 分からない事が殆どだけど、確実なのはレックスの言葉の通り。

 マレウスを、あのままにはしておけない。

 

「……間もなく、私以外の夜会メンバーも駆けつけます。

 大して気にしないでしょうが、《学園》の護りは『学園長』が注力しています。

 私達は兎に角、あの真竜マレフィカルムを止める事に専念しましょうか」

「ハハハ、つまりおかしくなったマレウスを殴れば良いのだろう?

 それならば簡単だ」

 

 イヴリスの言葉に応じるようにボレアスは笑う。

 ……この状況、つまらない事で悩んでも仕方ないわね。

 

「レックス」

「おう」

「あの真竜を叩きのめすわ。

 マレウスをどうにかする方法は、やりながら何か考えましょう」

「よし、それは任せた」

 

 短いやり取りに全幅の信頼を込めて。

 私は――私達は、改めてその災厄と向き直る。

 真竜マレフィカルム。

 激しく吹き荒ぶ嵐の中で、竜は歌に似た声で咆哮した。


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