111話:魔女の《原典》

 ……オレがいる場所は、物理的な影響を受けない電子の海。

 《学園》に関する情報データを集積した底の底。

 オレはその中心で「学園長」を名乗る「何か」と対峙している。

 そのはずだが――何か、揺らぎのようなものを感じた。

 周囲の状況に変化は無い。

 現実でのオレは大して力も無いが、電脳の世界は得意分野だ。

 何を仕掛けられても対応できるよう常に警戒している。

 だからこそ、今起こった現象が何であるのか分からなかったが……。

 

『……始まったか。

 此処は現実時間よりも思考速度が速いが、それでもあまり余裕は無いな』

「おい、一体何の話だよ。つーか、『学園長』ってのはホントに……」

『六つの幻想異体が停止した事で、マレウスの仮想人格が消失した。

 あらゆる制御を離れて、真竜マレフィカルムが覚醒した。

 どうやら、《夜会》の者達と君の仲間が対応しようとしているようだが……』

「は???」

 

 おい待て、いきなり何を言い出しやがった。

 マレウスの仮想人格とか、真竜マレフィカルムって一体何の話だ。

 相変わらず目がチカチカする姿のまま、「学園長」は淡々と言葉を続ける。

 

『君達がこれまで接していたマレウスは、本来の彼女ではない。

 私――『』が構築した、かつての彼女の人格を元にした仮想人格。

 それをマレウスの魂に貼り付けたモノ。

 《学園》の副学長として君達と行動を共にしていた彼女の、それが真実だ』

「……何だそりゃ。じゃあ、あのマレウスは偽物だったってのか?」

『魂は間違いなく彼女本人だ。

 ただ、その人格が偽物コピーである以上、その認識は間違いでもない』

 

 機械的な物言いに、オレは腸が煮えてくるのを感じた。

 まるで人形とか玩具みたいに言いやがって。

 仮想人格だと、本物のコピーだと。

 この野郎はマレウスの事を、一体何だと……!

 

『常ならば、真竜として完全な覚醒に至る前に。

 「基点」となるイヴリスの手で再び状態の初期化フォーマットが行われるのだが。

 どうやら彼女は今回で実験を終わらせるつもりらしい。

 ……最良の結果を得るまで継続を望む私の意思とは相反するが。

 或いは今回こそはと、彼女は考えているのだろうな』

「オイ、余裕は無いとか言って何をワケわかんねェことくっちゃべってんだ。

 そもそもオレをこんな所に引っ張り込んで、一体何が目的だよ」

『強いて言うなら、対話する事そのものが目的だ。イーリス。

 恐らく語る機会はこの場限りだ、故に改めてこの言葉を口にしようと思う』

 

 少しだけ、「学園長」の纏う空気が変わった気がする。

 争う気はないとか言っといて、やっぱやる気なんじゃねーか。

 身構えるオレに対して、「学園長」はゆっくりと近付いて来る。

 そして。

 

『――ありがとう、君達には感謝している。

 マレウスがああまで幸福を享受している姿は、そう多くはない』

「…………は?」

 

 待て、今コイツは何を言った?

 敵意は、欠片も感じられなかった。

 害意とかそういう感情も無く、「学園長」は言葉通りの感情を見せる。

 本当に本心から、コイツはオレ達に感謝しているようだった。

 何か裏があるんじゃないかと疑うが。

 

『私の実験に強制的に巻き込んでしまった事については謝罪する。

 だがこの数百年、無為な結果を繰り返すばかりだった。

 その状況を変える事が出来るのではないか、と。

  不確定要素としての君達に期待した。

 現状は最悪に等しいが、君達には感謝しかない』

「待て、ちょっと待て。一体何を言ってんだよ、お前。

 さっきからオレ似た事しか言ってないじゃねーかもう少し分かるように喋れ」

『そうか、失礼した。さて、何処から説明をするべきか。

 繰り返すが、現実世界ではマレウスが真竜として覚醒を果たした。

 その顕現により、物質とは無関係なはずの此処にも影響が及ぶ程に』

「……そもそも、お前は一体何なんだよ。

 《アヴェスター》の人工知能……とか言ってたけど」

 

 それは確か、《学園》を運営する為の術式じゃなかったか?

 人工知能とかそんな事も言ってた気がするけど。

 

『言葉通り、私こそが《原典アヴェスター》。

 かつてマレウスの魂を喰らった「者達」。

 彼女を「救う為」にこの《学園》を創始した彼らの人格情報。

 それらを基にして構築された仮想統合人格。

 それが私だ。始まりの者達の思想と感情を記したモノであるが故に《原典》。

 マレウスの魂により真竜となった「本物」の彼らは既に存在しない。

 年月と竜の魂を得た事による狂気で歪まぬ為、全てを私に託して消失した』

「…………」

 

 いやいきなりぶっこんで良い情報量じゃねーだろ。

 軽く頭が混乱したわ。

 分かった事は、コイツはマレウスの魂を喰って真竜化した奴のコピーで。

 大元になった奴はもう消えちまって存在しない事。

 其処までは呑み込めた、呑み込めたけど。

 

「お前は、何がしたいんだよ。《七不思議》実験だのなんだの。

 オレをこの場に招いた理由じゃねぇ。お前自身の目的はなんだ」

『全ては彼女を――マレウスを救済する事。

 千年ほど昔のあの時から、「私達」の目的はただそれだけだ。

 《学園》という場を構築したのも、《七不思議》実験を始めたのも。

 全て、全てただそれだけの為だ』

「マレウスの……救済?」

 

 分からない。

 この《学園》を造った事。

 あの《七不思議》とかいう怪異を暴れさせた事。

 それらの一体何が、マレウスを救う事に繋がるんだ。

 そもそも、マレウスの魂を喰って真竜になったのがコイツの大元オリジナルじゃないのか?

 オレの頭に浮かんだ疑問符ぐらい、「学園長」は当然分かっているようだった。

 

『残念ながら、私も「何故そうなったのか」は正確に記録していない。

 恐らく外部からの干渉で書き換えられたのだろうが――それは今は置いておく。

 重要なのは、ある時を境にマレウスが狂気に陥った事だ』

「マレウスが、狂気に……?」

 

 聞き返しながら、オレはある事を思い出していた。

 少し前に入り込んだ古い迷宮。

 その深奥で見た、狂った竜と人間の末路を。

 ……もしかしてアレも、無関係じゃないのか?

 

『マレウスはそれを抑制しようとしていたようだが、全て徒労に終わった。

 彼女は人を遠ざけようとしたが、多くの者はその理由を理解してはいなかった。

 ――当時のマレウスは一つの街で暮らしていた。

 己の異常を感じてからは人里を離れたが、彼女の身を案じた人々はどうするか。

 放っておけるワケがない。誰もが彼女に恩を感じていたのだから』

「……それで、どうなったんだよ」

『一人の絵描きの少女が、以前から描いていた絵をマレウスに見せに行った。

 ――それが、狂った彼女の手による最初の犠牲者だった』

「っ…………」

 

 それはマレウスや他の連中にとって、どれほどの悲劇だったか。

 恐らく全てを記録しているだろう《原典アヴェスター》は、感情を交えず事実のみを語る。

 

『千年前に起こった古竜同士の争いについては、君も知っているだろう。

 その過程で狂ったマレウスも討伐される事になった。

 竜を封ずる剣で彼女を貫いたのは、彼女ともに生きた街の者達だった』

「……それが、まさか」

『その通りだ。彼らは――「私達」は、狂ったマレウスの魂を喰らった。

 竜の魂を完全に無力化するにはそうする他ない。

 「私達」はそれを選んだ、これ以上優しい彼女が他人を傷つけてしまう前に』

「…………」

 

 オレは何も言えなかった。

 自分達を助けてくれた長年の恩人を、狂ってしまったその相手を殺す。

 あまつさえ、その魂を切り刻んで自分達で喰らう。

 一体どんな地獄だよ、それは。

 それを行った奴らがもう消えている事は、せめてもの慰めになるのか。

 彼らの地獄を引き継いだこの人工知能は大丈夫なのか。

 

『狂気について危惧しているのなら、私にその影響は無いよ。

 《原典》として始まりの意思と思想は引き継いでいるが、私はあくまで人造物。

 故に狂う事はない。その点については何も問題はない』

「……だと良いけどよ」

『続けよう。「私達」はマレウスの魂を封じる事で、その狂気を鎮めた。

 だが本当にそれだけで良いのか?

 彼女を本当の意味で救う事は出来ないのか?

 そう考えて、「私達」はこの《学園》を作り上げた。

 かつて、マレウスが「私達」にしたように。

 人々と穏やかに交流し、生きる事の出来る空間。

 その中で時間を費やせば、彼女の魂を癒す事が出来るのではないかと考えた』

 

 その言葉には、少し納得するものがあった。

 確かに《学園》で生活しているマレウスは生き生きしていたし、楽しそうだった。

 大昔の連中もあんな感じで一緒に暮らしていたんだろうな。

 此処だけ見れば、試みは成功しているように思える。

 

『最初は上手く行ったと思っていた。

 取り込んだ彼女の魂を一部独立させ、狂気の記憶を消して人格を再構築する。

 このやり方については賛否あるだろうが、これ以外には思いつかなかった。

 ……ともあれ、最初の頃は順調だった。

  彼女には《学園》の副学長として、生徒達と同じ時間を過ごして貰った。

 試みは、上手く行ったと思っていた』

「何がダメだったんだ?」

『マレウスを侵す狂気は、その程度では消す事が出来なかった。

 初期状態は問題ないが、時間が経てばまた精神に変調を来す。

 最終的には竜体の顕現にまで至り、大規模な破壊をもたらしてしまう』

「マジかよ……」

 

 あのマレウスしか知らない身としちゃ、まるで想像が付かない。

 だが「学園長」が嘘を言ってる様子もないし、実際におかしな事も起きている。

 なら語っている事は真実なんだろう。

 

『マレウスの狂気を癒すべく様々な手法を試したが、全て徒労に終わった。

 どれだけ穏やかな環境でも、彼女は狂える巨竜に落ちる。

 その過程で、マレウスが最初に手をかけた少女を「協力者」として復元。

 彼女をマレウスが狂った際の抑止力としたり、計画遂行の為に《原典》を構築したりと。

 時間と失敗だけが延々と繰り返された』

「……そんで、今は《七不思議》かよ。アレはアレでなんなんだ?」

『苦肉の策だ。マレウスの狂化と竜体顕現は必ず起こる。

 それを防ぐ為に彼女の力の一部を誘導し、特定の属性を与える事にした。

 《寓話結界》と名付けたソレは、《学園》に属する生徒達の認識を反映し……』

「悪い、良く分からん」

 

 魔術っぽい話は専門外だわ。

 オレがあんまり理解していない事に、「学園長」は一瞬だけ考え込んで。

 

『要は治水工事と思えば良い。

 そのままでは大河は直ぐにでも氾濫してしまう。

 だから水が溢れ出さぬよう幾つもの堰を作り、それを通して水量を制御する術を開発した。

 それは生徒達の認識を力にする事で構築される。

  より強固な堰を作る共通認識を築く為に《七不思議》が考案された』

「……何となくだけど、イメージは掴めたわ」

 

 氾濫しそうな大河がマレウスで、水はマレウスの魔力。

 《七不思議》は堰というか、フィルターみたいなもんか?

 抑えるだけじゃ弾ける力を《七不思議》に設定された怪異に意図的に流し込んだワケか。

 その理解で合ってるかは分からんが、「学園長」は話を続ける。

 

『《七不思議》はマレウスの症状を緩和した。

  が、根本的な解決には至らなかった。

 流入する力が増せば怪異は活性化し、放っておけば結界自体が破綻する。

 最終的には全ての怪異を停止させなければならない。

 そして《七不思議》が全て停止すればマレウスは真竜へ変化する――また繰り返しだ』

 

 淡々と言ってはいるけど。

 それは血反吐をぶちまけるような過程だった。

 繰り返し、繰り返し。

 コイツは彼女マレウスが狂い果てる様を見て来たんだ。

 

『……《七不思議》を彼女の思い出に準えもしたが、意味は無かった。

 いつか、マレウスが在りし日の心を取り戻すのではと期待した上での事だ。

 しかし彼女の発狂は止められない。

 唯一の収穫は、マレウスが最初に狂った瞬間の再現。

 即ちイヴリスの殺害をトリガーに竜体の沈静化が可能になった事だけだ』

 

 そこまで言い終えたところで、「学園長」は沈黙した。

 聞くも地獄、語るも地獄だ。

 人造物だから感情はないみたいに言ってたけど。

 コイツだって、十分苦しいんじゃないか。

 それに今の話からすると……。

 

「イヴリス……《黄金夜会》の連中も、それを知ってるのか」

『イヴリス以外は、この《学園》の運営を始めた後に加わったメンバーだがね。

 全員《七不思議》の怪異に巻き込まれ、自発的に参加した者達だ。

 彼らは私と契約した事で限定的にだが真竜の力が使える。

 夜会のおかげで《七不思議》の停止とマレウスの鎮静化はスムーズになった』

「……そうか」

 

 夜会の連中がマレウスに棘があったのは、その辺りを知っていたからか。

 事情と危険を承知で首を突っ込んでる以上、マレウスに対する思い入れは強いはずだ。

 狂った恩師を抑え込んで、全部忘れた本人とまた一年を繰り返す。

 想像しただけで気が狂いそうな話だ。

 

『……さて、必要な情報は語ったと認識するが』

「まぁ、確かに疑問は概ね無くなったけどよ。

 この話をオレにする意味があんのか?」

 

 色々危機はしたが、結局そこに戻ってくる。

 「学園長」がマレウスの為に全てを行っているのは分かった。

 けど、オレ達は立場としては敵の筈だ。

 ……そうだ。何なら、狂ったマレウスをオレ達は……。

 

『……君の言う通りだ。

 実際、明確な目的があって君と話をしているわけではないんだ。

 ただ君が真実に辿り着いた、理由はきっとそれだけだ』

「なんだそりゃ。ますます意味がわからねェよ」

『私は実験を続けなければならない。

 私には彼女を救う方法が他に見いだせず、今さら何も変えられない。

 それがどれほど無意味だったとしてもだ』

 

 自分のして来た事は無意味だと。

 そう断じながらも、回した歯車は止められない。

 その有様に、オレはどうしようもなく憐れみを感じてしまった。

 それが誰かに対する冒涜だと、頭では分かっているのに。

 

『ただ――あぁ、そうだな。

 話が戻ってしまうが、「私達」は君らに感謝している。

 幸せの意味を知りたがっていた彼女が、あんなにも幸せそうな顔をしていた。

 多分、「私達」はそれをちゃんと伝えたかったのだと思う。

 他の理由は、その前には全て些末事だ』

「……そうかい」

 

 オレ程度には、何て答えたら良いか分からない。

 分からないが――コイツは少しだけ、満足そうだ。

 それならそれで良いのかもしれない。

 

『――真竜マレフィカルムの顕現が完了した。

 私は全ての能力を《学園》の防衛につぎ込むつもりだ。

 交わす言葉はこれで最後になるだろう』

「オレは――いや、オレ達はどうすればいい?」

『彼女を止めてくれ。きっとマレウス自身もそれを望んでいる』

 

 それは言われるまでもない事だった。

 伝えるまでもなく、今頃他の連中だってそうしているはずだ。

 だから。

 

「任せろとは言わねぇけど、そっちはそっちのやる事をやれよ。

 こっちは多分、もう好きにしてるだろうからな」

『あぁ、それで良い。不確定要素である君らは、此方の予定に従う必要はない。

 ――そして願わくば、それがマレウスの救済に繋がる事を祈る』

 

 人造物であるはずの「学園長」は、まるで人間のように祈りの言葉を口にした。

 オレはそれに頷き返し、この場を離れようとする。

 と、其処で「学園長」の方から何かの暗号コードが飛んで来た。

 

「これは?」

『餞別だ。《学園》に設置されている対竜迎撃設備を動かす為の制御コードだ。

 私は都市の防衛に専念する為、扱う余裕がない。君の好きに使ってくれ』

「……あぁ、ありがたく貰っておくよ」

 

 これで必要な事は全て済ませた。

 「学園長」自身が語った取り、恐らくコレが言葉を交わす最後の機会だ。

 去り際に一つだけ、オレは問いを投げかけた。

 

「なぁ、アンタは――いや、『アンタ達』はどうして、マレウスの為にそこまでしたんだ?」

『マレウスは、「私達」に“幸せの意味が知りたかった”と語った。

 彼女はそんな些細な好奇心の為だけに、何百年という時間を人の為に費やした。

 ほんの少しの満足感以外には一切の見返りを求めずに』

 

 それは確か、マレウス自身からも聞いた話だ。

 「学園長」にとって、それは自分に限りなく近い誰かの「記録」に過ぎないはずだ。

 それでもその言葉は、酷く満ち足りたモノに聞こえた。

 

『歴史が彼女を忘れたとしても、「私達」は彼女の献身を忘れていない。

 ――だから、少しでも彼女が“幸せ”を得る事が出来たなら。

 それ以上に報われる事はないとも』


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