114話:魔女の騎士
風が荒れ狂う。
降り注ぐ雨粒の一滴にさえ敵意が込められている。
膨大な量の水が巨大な蛇のように鎌首をもたげ、宙を踊る濁流となって押し寄せる。
世界が狂ったかのような理不尽極まりない光景。
その中心で歌う青い鱗の巨竜。
俺達は今、その恐るべき竜に挑んでいた。
『クソッタレ……!』
イーリスの罵声と共に、幾つもの対竜兵装が同時に火を吹く。
鎖で繋がれてる上、真竜は相当な巨体だ。
吐き出される灼熱の弾丸は一つ残らず真竜の身体に突き刺さる。
激しい音を立てているが、弾の殆どが強靭な鱗の前に弾かれていた。
ダメージは無いワケでは無いが、恐らく掠り傷程度。
ただ四方からの銃撃は、真竜の意識をそちらに逸らす効果はあった。
蛇の如き濁流と雨粒の矢が対竜兵装に叩き付けられる。
表面の装甲がガリガリと削られるが、それでも銃身は弾を放ち続けている。
かなり強固な作りなようで、一発や二発で破壊される事はなさそうだ。
そして竜の気が逸れている内に俺達も仕掛ける。
「余所見はいかんなぁ!」
笑いながら吠えて、ボレアスが思い切り爪を叩き込んだ。
狙うのは首辺り。
炎を纏った一撃が青い鱗を叩き割る。
横から叩かれた衝撃に、竜の巨体がぐらりと揺れて。
其処に《転移》したテレサの拳が重なった。
人間が出したとは思えない炸裂音。
立て続けに攻撃を受けた事で、竜の操る水が一瞬動きを止める。
其処で終わらず、此方は更に攻め手を重ねて行く。
「ふっ……!」
真竜の懐に飛び込み、気合を入れて剣を打ち込む。
背中にくっ付くアウローラの魔法で、身体の動きはいつも以上に軽い。
力の増した腕は、先の攻防以上に容易く鱗を断ち割った。
肉を斬り裂き血が跳ねると同時に、素早くその場から離脱する。
真竜マレフィカルムは水を操る。
それは自身の血も同様で、下手に返り血を浴びるのも危ない。
そうでなくとも、動きを止めた処で狙い打たれるのが一番危険だ。
テレサも細かい《転移》で位置を変え、ボレアスは只管跳ね回って殴り続ける。
未だに真竜は大してダメージを受けた様子はない。
ただ確実に削れてはいるので、このまま――。
「ッ……!?」
不意に背筋に寒気が走った。
何かを仕掛けてくる。
根拠の無い勘だが、それは従うべき直感だった。
しかし真竜が何をしてくるつもりなのかは分からない。
俺は咄嗟に距離を作って――そして見た。
真竜がその顎を開いているのを。
その眼が狙っているのはボレアスだった。
「むっ……!!」
突き刺さる敵意に、僅かに遅れてボレアス自身も気が付いた。
相手の構えから《
対抗せんと自身も炎を吐くべく吸い込んで。
「っ、拙い……!」
危険に気付いたアウローラが魔力を練るが、少し遅かった。
放たれたのは青白い閃光。
それと同時に大量の冷気が押し寄せて来た。
反射的に飛び退いて、光が晴れた後に見えたのは――氷だった。
恐らく真竜が吐き出したのは「凍らせる吐息」か。
荒れ狂っていた水ごと広い範囲が凍て付き、巨大な氷塊が生じていた。
その真ん中で見事に氷詰めにされてるボレアス。
コイツはちょっと拙いかと、そう思った矢先に真竜が動く。
鎖で縛られてる状態で身体を捻り、長い尾を横薙ぎに打ち払ったのだ。
音を置き去りにする速度で振るわれる巨大な鞭。
俺はアウローラごと地面を転がり、テレサも範囲外にいたので難を逃れた。
だが氷漬けにされていたボレアスは避けようもない。
「ぐぇっ……!?」
氷塊を脆い硝子細工のように粉砕し。
真竜の尾がボレアスに直撃する。
無防備な状態で喰らわされた一撃に、その身体が大きく吹き飛ぶ。
其処を狙って真竜が再び口を開くが、流石にそう好きにやらせてたまるか。
「レックス!」
「おう」
アウローラは俺の名を呼びつつ、その手を真っ直ぐ真竜へ向ける。
放たれる熱を伴わない光弾は正確に竜の顔面を叩いた。
顔を撃たれた衝撃で真竜はほんの僅かに怯み、その隙に俺が斬りかかる。
タイミングを合わせてテレサの方も間合いを詰めた。
強烈な蹴りが鱗を叩き、剣の切っ先が鱗ごと肉を斬り裂く。
それに続き、真竜の顔面に今度は炎がぶち当たった。
放ったのは当然ボレアスだ。
校舎をぶち抜く勢いで叩き付けられたが、その程度じゃへこたれないか。
瓦礫からややボロボロになって立ち上がり、壮絶な笑みを浮かべる。
「まったく、歯応えがあって大変結構だ……!」
「油断し過ぎよ馬鹿! もっとしっかりしなさい!」
罵声を飛ばしながら、アウローラも魔法を発動し続ける。
行動を制限する為の重力制御は維持したままで、細かい攻撃魔法を何度も撃ち込む。
俺は剣を、テレサは魔法を交えた打撃を合わせて放つ。
復帰したボレアスも、今度は翼を広げて速度を出しながら爪で鱗を削っていく。
イーリスも校舎の設備をフル稼働させた上で、俺達を巻き込まない形で火力支援を続けている。
かなりの猛攻だが、それでも真竜は弱った様子は見せない。
爪や尾を動かせる範囲で振り回し、雨を含めた周囲の水を操り嵐を巻き起こす。
その姿は天災そのもので、勢いはまったく衰えない。
どころか――。
「おい、長子殿!」
「……そうね、言いたい事は分かるわ」
ボレアスの声に、若干の焦燥が混じっていた。
俺の背にいるアウローラも、その声は僅かに引き攣ってるように感じた。
その理由は俺にとっても明白だった。
ピシリと、金属に罅の入る嫌な音が耳に入ってくる。
音の発信源は真竜を捕らえている鎖だ。
力ではとても砕けそうにないゴツイ見た目の鎖が、今まさに砕けつつあった。
――真竜の力が増している。
気のせいではない。徐々にだが確実に。
真竜マレフィカルムの力はより強大化しつつあった。
『ありえねェだろ……!?
記録上の試算だと鎖はもうちょい持つはずだぞ……!』
イーリスからも悲鳴じみた声が上がった。
多分だが、《黄金夜会》の封印術式も破れつつあるんだろう。
そのせいで拘束用の鎖も耐久限界を迎えつつある。
「何かこう、何とかできない??」
「今現在で私すっごい頑張ってると思うの……!」
うん、ですよね。
割とマジ焦りなアウローラの言葉に頷くしかない。
そうしている間にも真竜の魔力は高まり続ける。
これは流石にヤバいなと、そう考えたところで――。
「……んっ?」
視界の端で動く影があった。
それは嵐の中を、黒い翼を広げて飛ぶオーガスタだ。
吹き付ける風雨に顔を歪めながらも必死に速度を上げている。
そしてそのまま真っ直ぐに、真竜目掛けて急降下。
当然、真竜はそれを迎撃する為に水流を操る。
高速でぶっ飛ばすオーガスタに向けて、無数の水槍が放たれた。
「こんなもの……!」
それを無茶苦茶な制動と加速を繰り返す事で回避する。
どう考えても翼が千切れる動きだが、オーガスタはそれを無理やり成し遂げた。
こっちも真竜をぶっ叩く事で多少の妨害はしているが。
それを差し引いても神業に近い。
飛行を続けながら、オーガスタはその手に魔力を集中させる。
「アレは、最初に仕掛けたのと同じ封印術式ね。
重ねる事で、破綻寸前の封印を強化する気でしょうけど……」
オーガスタの狙いをアウローラが口にした。
あとほんの数秒で、翼の少女は真竜へと辿り着く。
だが敵もそう容易くはない。
「《吐息》が来るぞ!」
炎を撃ち込みながらボレアスが警告を発した。
その言葉通り、真竜は開いた顎をオーガスタへと向ける。
さっきの凍結の《吐息》は、ボレアスだからこそ直撃でも耐えられた。
しかし生身の人間がまともに喰らえばどうなるか。
俺は水流を斬り裂いて真竜の喉元まで迫る。
振り抜く刃の切っ先は、鱗を断ち割り真竜の首を抉り裂く。
が、真竜の動きは止まらない。
避けようもないタイミングで、真竜の《吐息》が放たれて――。
「無茶をし過ぎだ……!」
空間そのものを圧し潰す氷塊。
其処に呑み込まれるより一瞬早く、オーガスタの姿が消失した。
それを成したのはテレサの《転移》だ。
再出現先は真竜の真下で、《吐息》をまともに喰らうのは避けた形だ。
しかしタイミングがギリギリ過ぎたか、テレサの右腕は半ば凍り付いていた。
オーガスタもまた翼が凍てつき飛行能力は奪われていたが。
「礼は言いませんよ……!」
半身が凍りついた状態にも関わらず。
オーガスタはそう叫ぶと、魔力を宿した右腕を真竜へと叩き込む。
「よくやったわ、オーガスタ!」
その結果を、術式を維持しているイヴリスが高らかに賞賛する。
同時に、真竜の全身に赤い紋様が浮かび上がった。
それもまた鎖のように真竜を縛り上げていく。
増大した真竜の力が再度抑えられていくが、また直ぐに軋みを上げ出す。
「上手くやってるけど、それでも厳しいわね……!」
俺の背でアウローラもまた術式を編み上げる。
地面に輝く陣が浮かび、其処から伸びた白く光る鎖が真竜へと絡みつく。
空に逃がさない為の重力制御に加え、封印術式の上に別の拘束も加えたようだ。
イーリスが撃ち込んだ物理的な鎖も含めれば四重の拘束。
だが真竜は凄まじい力でそれを振り解こうとしていた。
「ハハハハ! 流石に我も呆れてしまうな、これは!」
「泣き言聞く気はないからな……!」
笑うボレアスに文句を飛ばしつつ俺は走る。
拘束された状態でも真竜の攻撃は弱まる気配がない。
爪や尾を振り回し、それに合わせて風雨が荒れて濁流が渦を巻く。
少しでも止まれば粉々になりそうな威力だ。
『姉さん! オーガスタと下がれっ!』
「すまない、イーリス……!」
幾つもの兵装を同時に動かし、イーリスは激しい銃撃を真竜に浴びせる。
それで僅かな隙をこじ開け、テレサはどうにか真竜の間合いから離脱する。
抱えられたオーガスタは意識こそあるようだが、流石に戦闘不能だろう。
十分過ぎるぐらいに仕事は果たしてくれたが。
「まさか此処までキツいとはね……!」
「いやまったく」
俺やアウローラはまだ大きな負傷はない。
が、さっきから魔法を連発してるアウローラの消耗は軽くない。
テレサも《転移》の連続行使に《吐息》が掠めた負傷。
ボレアスはまだ元気そうだが、さっきデカいの喰らって平気な事はないだろう。
対して真竜は封印と拘束の重ねがけに加え、もうかなりのダメージを入れているはず。
だが嵐は止まず、都市そのものを水に沈める勢いだ。
正直に言って大分ヤバい状況だ。
『――これは仕方あるまいな』
聞こえて来た機械越しの音声は、イーリスのものではなかった。
男とも女とも、若者にも老人にも聞こえる声。
俺の知らない相手だったが、その正体は直ぐに分かった。
「『学園長』、どうなさいましたか?
貴方は実験場である《学園》の保護に忙しいでしょうに」
『確かに君の言う通りだ、イヴリス。
私は《学園》を守らなければならない。
だからこそ、真竜マレフィカルムの魔力が臨界に達している現状は見逃せない。
このままでは遠からず都市そのものを粉砕してしまうだろう』
イヴリスの言葉に「学園長」は淡々と答える。
成る程、コイツが噂の「学園長」か。
声だけで姿は見えないが。
これにイーリスも反応を示した。
『おい「学園長」、どういうつもりだ!?
何か知らねェ
『あぁ、すまないねイーリス。
本来なら君に全て任せるつもりだったが、そういうわけにもいかないらしい。
実験継続が最優先だからこそ、それが不可能になる事態は解決する必要がある。
私も介入させて貰うよ』
その言葉と共に、嵐の中で稲妻が閃いた。
青い雷光が瞬くと真竜の意識がある一点へと向かう。
それは校舎の近くに立っている一つの建物。
ぱっと見では何の建物かは分からず、窓の一つも存在しない。
稲妻は其処から発せられており、全体をバチバチと爆ぜる光が包み込む。
その光がひと際強く輝いた――その直後。
『《
対竜最終防衛兵装、《
高らかに響く「学園長」の声。
青白い輝きの中から、大きな影が立ち上がった。
それは無骨な甲冑を身に纏った、巨大な騎士の姿だった。
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