489話:最期の言葉


 ――どれだけ、そうしたか。

 退廃の塔を走り、ひたすらに駆け上がる。

 妨害は、文字通り山ほどあった。

 無尽蔵かって勢いで湧き続ける《牙》の部隊。

 戦闘ヘリに、後は装甲車両。

 オレの知らない兵器も、あちこちから顔を出しやがる。

 それこそ、都市間の争いで持ち出す武力の数々。

 マーレボルジェは躊躇いなく、惜しみなく。

 その全てを、オレという個人を仕留めるためにぶつけて来た。

 ――上等だよ、クソッタレ。

 声には出さず罵って、奥歯が砕けるぐらいに食い縛る。

 走る。飛ぶ。

 邪魔になる構造物は、《奇跡》を使って無理やり排除する。


「やっぱり広いな、この塔……!!」


 毒づいて、また一つ壁をぶち破る。

 そろそろ上層が見えてくるはずだ……!

 輸送用の装甲列車を利用するのも考えたが、それは止めておいた。

 走るよりは速いだろうが、逃げ場のないトンネル内じゃ対応が難しくなる。

 結局、自力を振り絞って飛び続ける他ない。


「ッ――――!?」


 爆風が、至近距離から吹きつけてくる。

 見逃しちまったが、敵が撃ってきた榴弾か何かだろう。

 破片混じりの熱と衝撃。

 皮膚が焼けて、血肉を抉られる痛み。

 許されるなら今すぐにでも、苦痛に泣き叫んで転げ回りたかった。

 けど、ダメだ。

 オレはまだ、前に進めるから。


「そうだ、まだだ……っ!」


 声を出すのもしんどい。

 それでも、自分を鼓舞するために敢えて言葉を吐き出した。

 まだだ、まだ行ける。

 だから諦めないし、オレは絶対に辿り着く。

 この塔の上層に。

 ……マーレボルジェの声は、さっきからあまり聞こえない。

 諦めたって可能性は、まぁないだろう。

 妨害はむしろ、激しくなる一方だ。

 何を考えてるかは知らねェが、ちょっかいが減るなら好都合だ。

 雑魚が群がるぐらいなら、どうとでもなる。

 《奇跡》を操り、戦闘ヘリの群れを同士討ちさせる。

 装甲車を停止させ、《牙》の装備や改造も誤作動を起こさせてぶっ壊した。


「いい加減、数が多すぎんだろ……!」


 無力化してもキリがねぇ。

 推測だが、コイツらはまともな人間じゃない。

 マーレボルジェか、もしくは《造物主》の方かもしれないが。

 その力で造られた複製体コピーか何かだろう。

 つまりは無尽蔵で、多少追い払おうが焼け石に水だった。

 だとしても、削らないと最終的に逃げる余地すら無くなりかねない。

 軽くない消耗を受ける代わりに、妨害の一部を払い落とす。

 そうして僅かに出来た隙間を、また全力で駆け抜けた。

 その繰り返しだ。

 繰り返して、繰り返して。

 少しずつだが、確実に。

 オレは塔の上層へと近づきつつあった。

 無理やり開いた狭い通路を抜けて、阻む形で閉じた隔壁をブチ破る。

 これで一体何枚目になるのか。

 力の使い過ぎで、頭の神経が焼き切れそうだ。

 あと少し、あと少しで……!


「ッ――――」


 視界が開ける。

 狭苦しい空間から、広く限られた鳥籠の中。

 積層都市の上層階。

 選ばれた住民だけが住まう事の許されていた、きらびやかな街並み。

 かつては、オレもいた場所。

 地の底に落とされる前の記憶が、頭蓋に刺さった棘のようだった。

 ……不思議と、敵の妨害は止んでいた。

 並び立つ高層建築は、光に彩られて明るく輝いている。

 なのに、オレの眼にそれらは朽ち果てた墓標にしか見えなかった。


「…………」


 足がふらつく。

 道に迷うことはない。

 どんなに時が過ぎても、オレは忘れない。

 気を抜いたら、この場で倒れそうだ。

 ――それだけは、ダメだ。

 堪える。

 まだ、この先だ。

 オレは行かなきゃならない。

 この場所が、本当にこの世界の「果て」なら。

 走る。残る力を振り絞って。

 縺れそうになる足を、喝を入れるために拳で叩いた。

 いつ、マーレボルジェが手を出して来るかも分からない。

 だからどうにか、気合で上層の街を駆けていく。

 記憶にある道を辿って。

 宝石のように煌めいているのに、まったく人気のない都市。

 暫く、その中を走り続けて――。


「…………あ」


 足が、止まった。

 目を開いて、その光景を見ていた。

 隙間なくビルが並んでいるはずの、都市の一角。

 そこだけは、ぽっかりと穴が空いていた。

 破壊され尽くした瓦礫の山。

 記憶に誤りがなければ、此処にあったはずだ。

 此処には、オレの――――。


「……クソ」


 理想世界に背を向けた人間には、神様は随分と酷薄らしい。

 期待してなかったと言えば、嘘になる。

 この場所に、もう一度辿り着くことができたら。

 もう一度だけ、失ったモノに出会えるんじゃないかと。

 ふらりと、足は自然と瓦礫の方へ向く。

 近付いても、そこにはもう何もない。

 壊れてしまった過去の残骸が、転がっている、だけ。


「…………?」


 その、はずだった。

 僅かに揺れる光を、最初は気のせいだと思った。

 都合の良い妄想か、それとも性格の悪い神様の嫌がらせか。

 ……けど、違う。

 そのどちらでもない。

 微かに感じる温かさは、錯覚じゃなかった。

 それはまるで、残り火のように。

 積み上がった瓦礫の傍らに、ほんの少しだけ輝きながら寄り添う光。

 今のオレになら、分かる。

 それは魂の光だ。

 この理想世界の法則に、溶け込むことはなく。

 オレを待っていた、その二つの光は。


「父さん、母さん……!!」


 掠れた声で叫び、残り火の輝きへと駆け寄る。

 手を伸ばす。

 今にも消えてしまいそうな、淡い光へと。

 指先が、その温かさに触れた。

 言葉はなかった。

 そもそも、二人は実体としての身体も持っていない。

 《摂理》に還ったはずの魂で、理想世界に取り込まれもせず留まり続けた。

 普通なら、そんな事は不可能だ。

 もしかしたら、どっかの星の女神の助けもあったかもしれない――けど。

 仮にそうだとしても、普通の人間の魂では至難だったはずだ。

 ……せめて、オレが此処に辿り着くまで。

 そう願いながら、この場所にいてくれたんだ。

 父さんも、母さんも。


「ごめん、オレ、何にも知らなくて……!」


 言葉はない。

 けど、触れた温もりから伝わる想いはある。

 両手を、優しく包み込まれているような。

 少しでもその熱を留めておきたいと、強く握り締めた。


「ずっと、ずっと、謝りたかったんだ……!

 オレは馬鹿なガキで、そのせいで、二人の事を恨んで……っ」


 ――『大丈夫』。

 声。

 魂に直接響く、優しげな言葉。

 視界は涙に濡れて、光は儚げに揺れた。

 笑っている。

 分かる、錯覚じゃない。

 光の中で、二人とも笑っていた。

 ――『貴女たちのことを、愛している』。

 それは祈りで、願いだった。

 深い愛情の温かさに、流れる涙が止められない。

 父さんも、母さんも。

 あんな酷い死に方をして、今も魂だけの状態で留まりながら。

 ただ、自分の子供たちの幸いだけを思ってくれていた。

 ふわりと、頭を撫でられたような気がした。


「……うん、大丈夫。

 もう、大丈夫だから」


 目元から、小さな雫がこぼれ落ちる。

 大丈夫。

 もう、大丈夫。

 辿り着くことが出来て良かった。

 結局、生きてた頃には言うことのできなかった言葉。

 それを、ちゃんと伝えることができた。

 だからもう、これ以上無理はしないで欲しい。

 この身に宿った《奇跡》。

 星の神様の力を使って、二人の魂に祈る。


「オレも、姉さんも。

 もう何も、心配ないから。

 二人ともちゃんと、あるべき場所に行って欲しい」


 生を終えた魂が還る場所。

 星の《摂理》、其処に繋がる道を整える。

 理想世界の「果て」。

 その壁に穴を開けて、二つの魂を導く。

 光の粒が、名残惜しむみたいにオレの指に触れていた。


「……ありがとう、さようなら」


 心からの、愛を込めて。

 別れの言葉と共に、その光を見送る。

 二つの魂が、正しい流れへと還っていく。

 それを見届けてから、オレは大きく息を吐き出した。


『――――思ったよりも退屈な茶番だったな』

「…………」


 嫌味ったらしい男の声。

 オレは何も返さず、そちらを振り向いた。

 いつから其処に立っていたのか。

 マーレボルジェは、不快そうな表情でこちらを見下ろしていた。

 今口にした言葉通り、心底退屈そうな面で。


『理想を望まない愚か者に、残酷な現実を見せつけるつもりだったんだがね。

 まさか世界の法則に取り込まれもせず、魂だけでこんな場所に留まっているとは。

 愚かが過ぎて、流石に私も見逃していたよ。

 君の絶望を肴にする予定だったのに、台無しになってしまったな』

「そうかい。そりゃ残念だったな」


 まぁ、大方そんなところだろうとは思ってたが。

 改めて、マーレボルジェの口元に嘲りの笑みが浮かび上がる。


『――が、過ぎた事は良い。

 おめでとうイーリス、此処が君の「果て」だよ。

 これ以上先はないし、もう戻ることも不可能。

 今の君はまさに、追い詰められたネズミそのものというわけだ』

「…………」

『結局、君はその程度の存在なのだよ。

 どうやら、不可解な力でほんの少し「穴」を開けてみせたようだが。

 そんなものでは、偉大なる《造物主》の理想を崩すことなど到底不可能!

 君の奮戦も何もかも、無価値なモノとして消えるのみだ!!』

「…………」


 ホント、ごちゃごちゃうるせェ奴だな。

 こっちが反応を返さない事に、マーレボルジェはまた少し苛ついたらしい。

 満面の笑顔は一瞬で消えて、眉間に亀裂みたいなしわが刻まれる。


『どうした、まさか状況を分かっていないのかね?

 君はもう――――』

「さっきから御託ばっかゴチャゴチャと。

 うるせェし、言いたい事の一つも伝わらねーんだよバカが」


 中指をおっ立てた上で、力を込めて吐き捨てた。

 絶望もしてないし、膝を屈する気もない。

 そんなオレの態度に、マーレボルジェは心底驚いたらしい。

 絶句するその間抜け面を見上げて、鼻で笑い飛ばしてやった。


「口だけで、小娘一人に未だに勝ててないって現状は理解できてんのか?

 無意味なクソを垂れ流す暇があるなら、さっさと来いよ。

 こっちはもう用事も済んでんだ。

 テメェの相手に、これ以上時間を使ってやる気はねェんだぞ」

『ッ――貴様、まだそんな……!!』

「いいから来いよ。聞こえてなかったのか、三下野郎」


 まだゴチャゴチャ言おうとするクソを、オレは真っ向から睨みつけた。

 そう、こっちの用はもう終わった。

 だから、オレは此処より「先」に行かなくちゃならない。

 そのためにも、マーレボルジェの野郎が邪魔だ。

 悪徳都市の王――いや、元・王様は、全身を怒りに震わせた。

 漲る激情に応え、完全武装の《牙》や戦闘ヘリなど、雑魚の群れも湧き出す。

 あっという間に包囲網の完成だ。

 都市一つを滅ぼすに足る戦力。

 それを小娘相手に並べ立てて、マーレボルジェは勝ち誇る。


『君の蛮勇に敬意を表そう、イーリス。

 お望み通り、相応しい――いや、君一人には勿体無いだけの力を用意した。

 死ぬまでの時間は、ほんの一瞬だろう。

 苦しめずに眠らせてやる事は、私の慈悲だと――』

「…………」


 またグダグダ語り出したが、そんな事はどうでも良い。

 このままじゃあ、どうしようもない。

 オレ一人の力では、マーレボルジェには勝てないのは間違いなかった。

 ……あくまで、オレ一人では。

 右手に触れる。

 目覚めてからずっと、明確な意思を発し続けていた銀の腕輪。

 今はもう、コレが何なのかは分かっている。

 分かっているからこそ、躊躇わない。

 魂に干渉する《奇跡》。

 その見えざる指先で、腕輪の形をした「封印」に触れた。

 賭けと呼ぶにもヤバ過ぎるが――あぁ、やってやるよ。


「そら、外してやるから出てこいよ。

 テメェだって、ずっとこの時を待ってたんだろう?

 なぁ、ヤルダバオト!!」


 名を唱え、腕輪の封を解く。

 瞬間、一つの声が空間を震わせる。

 それは、ただ一言。


『――――


 決して変わらぬ意思の強度を、何よりも明確に示していた。

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