488話:楽園にて足掻く


 懐かしい空気だった。

 暗く湿った裏路地。

 立ち込める硝煙の臭い。

 乾いて黒く染まった血の痕に、独特の埃っぽさ。

 何もかもが、かつてオレの生きていた都市そのままだ。


「ハハッ、なにが理想世界だよ……!!」


 こんな地獄を許容してるんじゃあ、現実リアルとそう変わらねぇだろ。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、オレは声を上げて笑った。

 笑いながら、地面の強化建材を蹴飛ばして走る。

 瞬間、背後を熱い「何か」が掠めた。


『殺せ、殺せ!!

 生かしておく必要はない!

 殺して、その屍を私の前に晒せ! 我が《牙》たちよ!!』


 響く罵声はマーレボルジェのもの。

 その命令に従うのは、蠢くゴツい金属塊ども。

 強化外骨格パワードスーツに身を包み、手に構えるのは重機関銃ヘビーマシンガン

 コイツらも、拝むのは随分久々だ。

 マーレボルジェ配下の戦闘集団、《牙》の一団だ。


「撃て、撃て!!」

「今更テメェらなんかに捕まるかよ、間抜け!」


 中指を立て、ノロマな亀どもに舌を見せる。

 あぁ、昔のオレなら軽く絶望していた状況シチュエーションだ。

 身体改造を施された《牙》の能力は、生身の人間とは比較にならない。

 加えて上等な装備をぶら下げてるとなれば、喧嘩を売る方が大馬鹿って話だ。

 けど、今は違う。

 こっちだって、それなりの修羅場はくぐってきたんだ。


「そら、追いついてみやがれ!!」


 跳ぶ。

 生身の跳躍なら、当然たかが知れている。

 強化された《牙》の足から、走って逃げるなんて不可能だ。

 ここが、真っ当な物理法則の働く世界なら。


「何だ……!?」

「オイ、呆けてないで早く狙えっ!!」


 混乱する《牙》の声は、急速に遠ざかっていく。

 まるで羽根でも生えたみたいに、オレの身体は高く浮かび上がった。

 ――よし、何とかやれるな。

 この塔に入るために、壁に無理やり穴を開けた時と同じだ。

 そのものじゃないにしろ、この世界は魂の領域と近い構造をしている。

 感覚としては、電脳ネットへの完全没入フルダイブと変わらない。

 理屈ではなくただと確信すれば、意思の力は物理法則を捻じ曲げられる。

 こんな風に、建物を飛び越すぐらいの跳躍なんて容易いもんだ。


『逃げ場はないと、そう言ったはずだぞイーリス――!!』

「うるせぇよ、そういう台詞は捕まえてから言ってみやがれってんだ!!」


 部下どもは不甲斐ないが、流石にその主人は執念深い。

 まぁ、この街はあの野郎の庭だしな。

 金剛石の眼をかっ開いて、全裸の大男が暗いスラムの頭上を飛ぶ。

 絵柄は死ぬほどシュールだが、実際の危険度を考えると流石に笑えない。

 逃げる速度と追う速度。

 今のところ、両者ともに互角で大きな差はないが……。


『ガアァ――――ッ!!』

「っとォ……!?」


 足元と、右肩の辺り。

 肌を掠める熱は、肉を焼く苦痛を残して大気を貫く。

 マーレボルジェが放った熱線だ。

 周囲に宝石のようなものを幾つも浮かべ、そこから閃光を何度も撃ち込んできた。

 足の速さは互角でも、向こうには火力がある。

 ロクに反撃手段もない以上、オレの方は死ぬ気で回避するしかない。

 避ける、避ける、避け続ける。

 熱線は切れ間なく、逃げるオレをしつこく追いかけて来た。

 流れ弾は塔の内部をガリガリ削っているが、その主人は気にした様子もない。

 オレを殺す事しか頭にないようで、金剛石の眼を怒りで燃やしている。


「ハハハハ! 必死じゃねぇかオイ!

 小娘相手にどんだけだよっ!」

『ッ……減らず口を……!!』

「余裕なさ過ぎンだろ、そんなに図星を突かれたのが痛かったか!?」

『黙れと言っているんだよッ!!』


 熱線。

 塔そのものを破壊しそうな勢いで、何度も何度もぶっ放される。

 一発でも当たれば、オレなんかじゃ余裕で死ぬ。

 だから、一つ残らず躱してやる。

 このぐらい、今のオレならどうってことないんだ……!!


『ちィ、ちょこまかとっ!!』

「ハ、ハハハ……!」


 笑う。本当に笑うしかない。

 きっと、頭の中では色々と出てるなコレ。

 胸は熱く、鼓動も早い。

 高揚で脳みそが沸騰しそうだが、思考の冷静さは失わないよう努める。

 とりあえず、どうにか死なずに済んではいる。

 逃げる分には暫く問題ないはずだ。

 あくまで、「逃げる」だけなら。

 しかし鬼ごっこを永遠に続けることはできない。

 この状態が続けば、最終的に追い込まれるのはオレの方だ。

 マーレボルジェの奴も、それは理解してるだろう。

 だからしつこく、蛇の執念深さでオレの背を追ってくる。

 あと、このままだと塔の外周――端っこ辺りで詰められるな。

 だったら……!


「逃げるなら、次はこっちだな!!」

『何――!?』


 跳躍、というよりも飛翔。

 重力も何もかも無視して、上へ上へと飛び上がる。

 肉体の感覚が強いせいもあるが、風を切るのが少し心地良い。

 上がり続ければ、当然見えてくるのは天井だ。

 ここは閉鎖型の積層都市。

 空の代わりに頭上を塞ぐ建材に、オレは手を伸ばした。

 やる事は、最初の時と変わらない。


!」


 邪魔なモノは除けてしまえば、そこに道が出来上がる。

 ぽっかり開いた天井の穴へ、躊躇わずに頭から突っ込んだ。

 上へ、もっと上へ。

 行きたい場所は、更にずっと高いところだ。

 最下層を離脱して、辿り着いたのは都市の中層部。

 構造に変化がなければ、ここは全体に供給される物資を造る生産区画のはずだ。

 天井から地面を抜け、そのまま大きく飛ぶ。

 予想した通り、並んでいるのは無数の工場だった。

 それに加えて――。


「ま、当然迎撃してくるよな……!」


 歩兵じゃ埒が明かないと、そう考えたかは知らないが。

 探知光サーチライトを振り回す、独特の形状フォルムの影が上空を飛んでいる。

 戦闘ヘリの群れだ。

 搭載した機関砲ガトリングの銃口は、ピタリとこっちに揃っていた。

 そして、一斉に爆ぜる砲火マズルフラッシュ

 熱い銃弾の雨が、オレを引き裂こうと横殴りに襲ってくる。

 まぁ、そんなもん素直に当ってやる義理もない。

 弾を浴びる直前、何もない空中を「足場」にして飛び越えていく。

 この手の戦闘ヘリの強みは、その小回りの良さと機動力だ。

 だけど今のオレは、そんな戦闘ヘリよりも自由に飛ぶことができた。

 一瞬で標的を見失った連中を、笑いながら見下ろして。


「じゃあな」


 別れの言葉を呟き、オレは力を行使する。

 元々、この手の精密機械を相手にするのは得意分野だ。

 物理的な構造が変わらないのなら、やることだって変わらない。

 意思を電子の流れに変換し、機械の内側を乗っ取ってやる。

 操作の権利を全て奪い取ったら、最優先に設定された命令コマンドを素早く打ち込む。

 内容は単純、「近くを飛ぶ戦闘ヘリを撃ち落とせ」――だ。

 素直な戦闘ヘリたちは、速やかにその命令を実行に移す。

 オレを狙っていた機関砲は、元は味方だった相手に照準を固定する。

 砲火の花が咲き乱れ、すぐ後には派手な爆発が幾つも連続した。

 赤い炎を背負って、暗い都市の空を翔けていく。

 追加で複数の戦闘ヘリが現れるが、それらの全てが同じ運命を辿った。

 こんなんでどうにかなると思ってるんなら、流石に舐め過ぎだろ。


「そら、足止めにもなってねぇぞ!

 無駄にリソース消費しただけだが、余裕のつもりかよ!!」

『ガァ――――――ッ!!』


 咆哮と、それに重なる閃光。

 《竜王の吐息ドラゴンブレス》が、都市の下から上を真っ直ぐ貫く。

 熱線というよりは、それはもう灼熱した光の柱だった。

 攻撃の気配は感じていたので、回避は特に問題ない。

 街の上を飛びながら、視線は下へ。

 まだ人間体のまま、マーレボルジェがその顎を限界まで開いているのが見えた。

 吸い込んだ息で胸を大きく膨らませ、二発目の《吐息》が撃ち放たれる。

 けど、威力を優先し過ぎて狙いが甘ェよ。


「当たるかよ、馬鹿が!!」


 距離もあるし、空中では遮るモノもない。

 加速して駆け抜ければ、《吐息》なんてそうそう当たるか。

 ――そう考えた直後、冷たい気配が背筋を鷲掴みにした。

 ヤバい。

 駆け抜ける直感を信じて、オレは勘に任せて行動に移る。

 それとほぼ同時に、マーレボルジェの《吐息》が大きく変化した。

 柱じみた熱線が解けて、雨粒のように細かく分裂したのだ。

 回避する隙間なんて殆どない、灼熱の豪雨。

 見え見えの一発は、こちらを油断させるためか……!


『ハハハハハハハハ! 調子に乗りすぎたな小娘!!』


 マーレボルジェの嘲りを耳にしながら、オレは熱い雨を浴びる。

 幸い、《吐息》が細かく爆ぜる直前、こっちも飛ぶための「足場」を消していた。

 始まる自由落下は、オレを攻撃の射線からギリギリ外してくれた。

 だから被害は最小限――最小限ではある、が。


「痛ェなチクショウ……!」


 ダメージとしては、銃弾をモロで食らったのと大差はない。

 身体のあっちこっちが、焼け焦げた穴だらけだった。

 傷が焼けてるので、出血は殆どない。

 だから、必要なのは痛みを堪えることだけだ。

 落下する。

 見えてきた地面には、また武装した《牙》どもの姿がある。

 あと、大砲を積んだ黒い装甲車もチラホラと。

 戦おうと思えば、なんとかやれない事はないだろうけど。


「付き合ってやる義理はねぇよなぁ!」


 痛む身体を、気合いと根性で無理やり動かす。

 再び空に足場を作ると、《牙》や装甲車の頭上を飛んでいく。

 大量に並んだ銃口に砲塔、それらがオレ一人に狙いを定めている。

 更に遠くからは、またマーレボルジェの力の気配があった。

 ったく、小娘一人に容赦ねぇなマジで。


「ッ……は……!」


 息が乱れる。

 痛い。身体に穴が開いてるんだから、当たり前か。

 痛いし、苦しい。

 力を、《奇跡》を使うのだって集中力も体力も必要だ。

 こうして一歩踏み出す度に、自分自身がガリガリと削れてく錯覚を覚える。

 ――こりゃあ、マジで死ぬかもな。

 弱気でなく、単純な事実としてソレを考える。

 果たして、この理想世界とやらで「死んだ」らどうなるのか。

 此処は、神様によって死が否定された場所だ。

 変なバグでも起こりそうだが、マーレボルジェは深く考えてないだろうな。

 今のアレは、完全に使いっぱしりの犬だ。

 それを高らかに誇っているあの野郎の様子を思い出し、ついため息がこぼれた。

 奴隷の鎖自慢ほど、哀れな話もねぇな。


『イーリス! いい加減に諦めたらどうだ!

 分かっているはずだぞ、君の行いには何の意味もないと!

 私も、自分の庭を余り荒らしたくはないんだよ!!』


 うるせぇよ、カスが。

 だったらそっちが諦めろって話だ。

 声に出して反論する余裕はないので、罵倒は胸に留めておく。

 走る、走り続ける。

 まだだ。まだ此処じゃない。

 後先なんて知らない。

 手足が千切れようと、心臓がぶっ壊れたって構うかよ。

 今、オレは走ることができる。

 心はまだ、何も諦めてはいない。

 だったら十分だ、十分過ぎる。

 絶望なんてしてる暇は、これっぽっちも無かった。


「ッ……」


 右手が痛む。

 受けた負傷ダメージとは、まるで関係のない痛みだった。


「分かってるから、もうちょっと落ち着けよ……!」


 小さく呟き、更に上を目指して走り続ける。

 退廃の塔で最も高い場所。

 もう、遠く彼方へと過ぎ去ってしまった記憶を辿るように。

 オレは高く、高く飛んだ。

 悪徳の王の気配は、相変わらず背中を脅かしてくる。

 聞くに堪えない戯言を吐き散らかしてるようだが、構うものかよ。

 後ろは気にせず、ただ前を見て。

 都市の闇を、オレは駆け抜けていく。


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