幕間3:夜明けは遠く


 他に誰もいない、空虚な部屋。

 そこにただ一人……いや、ただ一柱。

 大真竜たるコッペリアだけが、ぼんやりとその場に座していた。

 身体を縫い留めている幾つかの武器。

 我を失いかけた際に、白子の長姉が諫めるためにコッペリアの身体を貫いた物。

 既にその大半は除去したが、未だに数本はそのままだった。

 血に塗れた肉体に大きな支障はない。

 この程度、コッペリアからすれば掠り傷と変わらない。

 残った剣も抜こうと思えばすぐに抜けるが……。

 

「…………アカツキ」

 

 呟く。

 それは愛しい者の名だった。

 既に失ってしまった過去でもある。

 ズキリと、胸の奥が痛んだ。

 コッペリアは無意識に自分の胸元を抑えていた。

 痛い、苦しい。

 また気が狂いそうな衝動が魂の内から湧き出しそうになる。

 それこそがブリーデの剣を突き刺したままにしておく原因でもあった。

 盟約の礎たる大真竜たち。

 その中にあって、コッペリアは特に不安定だった。

 本人も自覚はしている。

 だからこそ、今も磔にされることを甘んじて受け入れていた。

 

「本当に、君は酷い奴だ」

 

 聞く者は誰もいない。

 けれど、言葉にせずにはいられない。

 自分の中で閉じ込めたままでは、本当に狂いそうになる。

 それほどまでに、コッペリアが――いや、ヘカーティアが抱くモノは大きかった。

 どこまでも不確かで、それなのに求めずにはいられない。

 人はそれを「愛」と呼ぶのだと、ヘカーティアは知っていた。

 

「僕の気持ちを知っていて――だからこそ、絶対に道を曲げない。

 そうする事が最善だと、君は知っているから」

 

 なんて不器用で頑固な生き方か。

 ヘカーティアは、古い時代の頃を思い出す。

 ――その男と彼女が出会ったのは、本当に遠い遠い昔。

 後に始祖と呼ばれる魔法使いたちが、この地に降り立ったばかりの頃。

 当時からして、ヘカーティアは不安定な状態にあった。

 不死不滅の古竜。

 偉大な《造物主》が手ずから創造した完全なる生命。

 けれど、完全である古竜を生み出した存在である《造物主》は自ら命を絶った。

 完全なる生命による、永遠に繁栄する理想世界。

 それを夢見た《造物主》は、完全であるが故に動かない古竜たちを見て失望した。

 失望し、自身が全知全能には少しだけ届かない事を悟った事で死を選んだ。

 そしてその神の死をきっかけにして、古竜らは活動を始めた。

 ……完全な生命を創造したはずの者が完全ではなかった。

 そもそも本当に完全であるのなら、そのまま満たされた状態でいれば良かった。

 何もかも満たされているのなら、新たに何かを欲する必要もない。

 けれど、そうはならなかった。

 ヘカーティア自身、かつての自分がどうだったのかも思い出せない。

 ただ、《造物主》の死を契機に何かが欠けてしまった事だけは間違いなかった。

 完璧な生命など存在しない。

 だから自分たちは、不完全なまま永遠を生きなければならない。

 古竜の魂は不死不滅。

 その事実が、ヘカーティアという古竜をどうしようもなく狂わせた。

 「死にたがり」というあだ名は、もう古い頃から兄弟姉妹から呼ばれていた。

 無意味だと知りながら、他の竜を殺し自らも殺す。

 器を砕いたところで古竜は死なないと、そう理解しながらも。

 無駄な行為を繰り返す彼女を、同胞らは憐れみながらも距離を置いた。

 積極的に触れなければ、時折狂って暴れ出す以外は大人しいと知っていたから。

 ……そしてある時、ヘカーティアはただ一人で森の奥にいた。

 その森が何処で、何のためにそこにいたのか。

 どちらもヘカーティアは覚えていない。

 狂っていない時の彼女は、酷く無感情で無頓着だった。

 殺意の対象は、自分自身と兄弟姉妹にだけ。

 だから仮に他の誰かが通りかかっても、大きな危険もない。

 世界そのものから放置されたかのようなヘカーティア。

 放っておけば、その状態のまま百年ぐらいはあっさりと過ごした事だろう。

 だから、その「旅人」の存在は誰にとっても想定外だった。

 

「――何故、君はこんなところで一人でいるんだ?」

 

 その時の彼は、ヘカーティアがどういう存在であるのかは知っていたはずだ。

 知っていて、それでも尚訪れて来た者。

 もしこれが「不死の秘儀」を修めた他の始祖であったなら、ヘカーティアは狂っていただろう。

 けれど、そこに立っていたのは定命の男だった。

 不死の秘密を目の前にしながら、それを我が物にする事を拒んだ男。

 《十三始祖》には数えられず、名も無き賢人として歴史の影に埋もれた者。

 ヘカーティアにとって、夜明けにも等しい出会い。

 

「私はアカツキという。

 もし君が不快でないのなら、どうか話を聞かせて欲しい」

 

 ……なんて、本人は言っているが。

 この男はとても頑固で、一度決めた事は頑として譲らないところがあった。

 まだ出会ったばかりの頃、ヘカーティアが幾ら無視したり拒絶したりしても。

 彼はその場を動かず、また懲りることなく何度でも彼女に会いに行った。

 ――なんてどうしようもなく物好きで、頭のおかしい男だろう。

 それがヘカーティアが最初に抱いた、アカツキに対する第一印象だった。

 延命の処置こそしているけれど、彼は不死ではない。

 偉大なる魔法使いの王が、大いなる竜の長子から「不死の秘儀」を得た際。

 彼もまた、その交渉の席にいた。

 にも拘らず、アカツキは不死となる事を拒んだ。

 その理由を出会った暫く経った後に、ヘカーティアは問うた事があった。

 魔法使いの始祖たちにとって、永遠の命を得ることは至上の命題であったはず。

 何故、それを得る機会を自ら捨てたのか、と。

 

使

 

 最初に返って来た答えは、本当に簡潔なものだった。

 魔法使いではない。

 真実その言葉通り、アカツキは殆ど魔力を持ってはいなかった。

 全てが魔法に支配された世界、それが彼の元の故郷。

 その地にありながら、彼は魔力を持たぬが故に迫害されていた身分だった。

 そんな彼が、自分と同じように魔力を持たぬ人間のために考案した技術。

 それこそが機械であり、科学技術と呼ばれるモノだった。

 故郷を失い、新たな地に渡った後も。

 アカツキという男は、限られた時間でその研究を重ねていた。

 

「魔法という技術を否定するつもりはない。

 ただ、それはどうしようもなく自然の在り方を歪める力だ。

 永遠の命を得る不死の秘儀など、その最たるもの。

 生命には等しく、最初から決められた尺度が存在する。

 人には人の、鳥には鳥の、そして竜には竜の。

 或いは病や理不尽な事故で、本来あるべき時間を失ってしまったなら。

 それを取り戻そうとする行為は『医療』と呼べるだろう。

 ……だが、元々あった命の限界を取り去る。

 私はその不自然さを、どうしても受け入れる事ができなかった」

 

 ヘカーティアにとって、単なる気紛れから投げかけた疑問。

 それに対し、アカツキは本当に真摯に答えた。

 なんて不器用でバカな男だろうと、何度目になるかも分からない呆れ。

 どうしようもなく愚かで、頑固で堅物な。

 ……そんな男に、ヘカーティアはいつしかどうしようもなく惹かれていた。

 それが愛だとは彼女はまだ知らなかった。

 アカツキは何も言わなかった。

 出会いから暫く経ち、二人は多くの時間を共有するようになった。

 ヘカーティアが狂って暴れる時間は、驚くほど少なくなった。

 その事実を、当時の彼女は余り自覚しておらず。

 アカツキ自身も、それについて特別触れるようなことはしなかった。

 流れる時間は本当に穏やかで。

 それが永遠に続くのだと、ヘカーティアは錯覚してしまったほどだ。

 ……けれど、この世に本当に永遠なモノなどありはしない。

 延命をしているだけのアカツキより。

 不死となったはずの他の始祖が狂い始めたのは、本当に大いなる皮肉だった。

 或いは、長き生も「いずれ終わる」という自覚があったから。

 アカツキは狂うことなく、不死なる竜と共に過ごせたのかもしれない。

 どうあれ、穏やかに回っていたはずの歯車は狂いだした。

 その時のことを、ヘカーティアは良く覚えていた。

 

「…………馬鹿な奴だよ、本当に」

 

 呟く。

 意識は追憶から、再び何もない部屋へと。

 ヘカーティア――大真竜コッペリアは、無気力に声を紡ぐ。

 聞く者は誰もいない。

 応える者は誰もいない。

 そのはずだった。

 

「――コッペリア」

 

 声。良く知った声。

 この場にはいるはずのない声。

 必ず来てくれるだろうと、確信していた声。

 胸の奥が酷く痛む。

 失って、穴だらけになってしまった魂の奥底。

 未だに――いや、決して塞がることない傷が、今も酷く痛んでいる。

 

「やぁ、来てくれたのかい?」

「当然だろう。私は、君の傍にいると誓った」

 

 嘘だ。

 いや、それは真実でもある。

 彼女自身が創り出した、数多の模造品。

 彼であって、彼ではなかった者たち。

 本質としては、《最強最古》らと共に逃げ去った「彼」と同じ。

 ただ「至った結論」が少し異なるだけ。

 それが虚偽か真実か、コッペリアにも分からない。

 言っている当人さえも、分かっているか定かではない。

 顔を上げ、視線を声の主に向ける。

 部屋の入口辺りに佇んでいる、一人の男。

 機械――ではない。

 その身体の内は機械に満たされているが、少なくとも外見は機械ではない。

 白い装束を身に纏った、厳めしい顔の男。

 黒髪の青年の姿は、先ほど追憶で見たそのままだった。

 

「手を貸す必要は?」

「ううん、大丈夫。もう暫く、このまま頭を冷やしたいんだ」

「そうか。私は君の望みに従おう」

 

 硬い金属のようで、同時に柔らかな温かさのある声。

 それは記憶の中の声と、何一つ変わらない。

 本物ではないと、そう分かっているのに。

 その言葉を聞いているだけで、コッペリアは泣きそうになる。

 

「コッペリア?」

「……ううん、大丈夫。大丈夫だから」

 

 笑った顔を見せる。

 涙はこぼさない。

 そうしてしまったら。きっと彼は気遣うだろうから。

 男は――アカツキは何も言わず、小さく頷く。

 当然、彼は本物ではない。

 本当のアカツキの魂は、今もコッペリアの中にある。

 正確には、破綻してしまったその魂の残骸が。

 目の前にいるのは、それを元に創造された模造品の一つ。

 本物に限りなく近く、それ故に本物にはなり得ないドッペルゲンガー。

 そうと分かっていても、コッペリアは喜びを感じずにはいられない。

 偽のアカツキは、それでも自分に愛情を向けてくれる。

 自分と共にある事を拒絶した、機械の方の「アカツキ」と同じく。

 どちらもコッペリアにとって、紛れもなく愛だった。

 

「私に、何か頼みたい事はあるか?」

「……そうだね。多分、程なく侵入者がこの《中枢》にやってくる。

 その中には、『彼』もいるんだ」

「…………そうか」

 

 偽のアカツキにとっては、鏡に映った自分に等しい相手。

 それについて、彼自身はどう思っているのか。

 コッペリアはそれを確認した事はない。

 答えを聞くのが、どうにも恐ろしいと感じてしまったから。

 

「頼めるかな?」

「問題ない。それが今の私の役目と認識する」

 

 言葉に一切の躊躇いはなかった。

 何を、とも聞かずに偽のアカツキは踵を返す。

 即断即決、そうと決めたら一直線。

 胸の痛みは強くなるばかりだ。

 

「暫し、心穏やかに休むと良いだろう。

 他に必要なことがあれば、私の方で請け合おう」

「ありがとう、アカツキ。

 でも今は、侵入者の対処にだけ専念して欲しい。

 使える物は何でも使って構わないから」

「承知した」

 

 確認すべき事は、それで十分。

 立ち去ろうとするレプリカの背中を、コッペリアは見た。

 ――いずれ去る時が来ると、知っていたのに。

 それを受け入れられなかった自分の愚かさ。

 コッペリア自身、その罪深さは良く分かっていた。

 

「アカツキ」

「何か」

「…………愛してる」

 

 分かっていても、どうしようもない。

 それほどまでに竜は狂ってしまっていた。

 魂の奥底に刻まれた、そのどうしようもない程の愛ゆえに。

 

「あぁ、私もだ」

 

 その言葉もまた、真実だった。

 振り向くことはせずに、偽のアカツキは部屋を去る。

 愛する者のために、己の役目を果たしに行く。

 コッペリアはそれを見送っていた。

 その背が見えなくなった瞬間に、ようやく涙がこぼれ落ちた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る