459話:再び、天秤が揺れた時に


 《造物主》は――愚かな父は、界渡りの超越者。

 その中でも、特に「神」と呼べるほどの存在。

 不滅性の一つを取っても、古き竜すら遥かに上回っている。

 それは残滓であっても変わらない。

 決して、《造物主》を滅ぼすことは不可能だった。

 ――そう、本来ならば。


『ガアアァアアアアア!!?』


 叫び声。

 苦痛を訴える、悲鳴に近い響き。

 発しているのは、《造物主》の一部である闇。

 辛うじて人型に近いそれは、袈裟懸けに切り裂かれていた。

 レックスが振り下ろした一刀。

 その刃を受けた結果だ。

 憤怒、憎悪、敵意。

 それらのドス黒い感情に混ざって、微かに困惑が滲み出す。


『何故……!?』

「オラァッ!」


 何かを言うより早く、更に剣が閃いた。

 今度は横一文字に。

 渾身の力を込めた斬撃が、《造物主》の闇を払う。

 永遠不滅。

 この残滓を砕くつもりなら、今のヤルダバオトの全力が必要なはず。

 レックスの剣に、そこまでの力はない。

 けれどそんな事とは無関係に、彼の剣は《造物主》の残滓を削り取る。


『ハッ! 良い調子ではないか、竜殺し!

 そのまま死体に戻してしまえ!!』

『不遜だぞ下等生物が!!』


 笑うボレアスの声を、怨念の叫びがかき消す。

 その声にも、《分解》と同様に物質を塵に変える魔力が込められていた。

 まともに喰らえば、レックスの甲冑でも耐えきれない。


「危なっ!!」


 だから、彼はそれを剣で斬り裂いた。

 完全に無効化できなかった分は、私が魔法で打ち払う。

 破壊の波動を砕けば、反撃の刃が三度闇を抉る。

 絶叫。

 あり得ないと、《造物主》の戸惑いが伝わってくる。


『何故、あり得ん、私は《造物主》……!!

 万物の頂点、この世で並ぶ者なき、完全なる超越者!!

 なのに、何故――何故、このような輩に……っ!』

「さて、何が言いたいのか良く分からんけど」


 呪いが込められた戯言も、レックスは剣で叩き落とす。

 あらゆるものが崩壊する闇を前にしても、彼は変わらない。

 変わらず、いつもの調子で軽く答える。


『――――――!!』


 あまりにも。

 あまりにもシンプルな返事に、愚かな父は絶句したようだった。

 きっと、理解できていないでしょうね。

 本来の《造物主》なら、まだ分からないけど。

 此処にいるのは、あくまで断片。

 呪いと怨念を振り撒くだけの存在では、何も解するはずもない。

 だから。


「やって、レックス」

「おう」


 私の声、彼は一つ頷いて。

 大上段から真っ直ぐに、全霊を込めて剣を振り下ろす。

 闇が蠢く。

 恐らく、《造物主》はそれを防ごうとしたのでしょう。

 攻撃に対して防御する、なんて。

 きっと、愚かな父の中では殆どあり得ない可能性のはず。

 だからそれは、結局上手くはいかなかった。


『……こ、の……痴愚、どもが……!!』


 一刀両断。

 闇はレックスの一撃を受けて、完全に二つに断ち割られた。

 世界を呑み込むほどの存在感。

 それが、急速に弱まっていくのが感じられる。


「大人しく消えなさい、愚かな父よ。

 ……なんて言っても、今の貴方には届かないんでしょうね」

『消え、失せろ。不出来な生命も、不完全な世界も。

 全て、全て、必ず、滅ぼして――』


 崩れる。

 超越者の残滓は、嘘のように霧散していく。

 その全てが消え去るまで、レックスは構えを解かない。

 私も、最大限の注意を向け続けた。

 ……やがて、どちらからともなく細い息を吐き出して。


「消えた、か?」

「……あくまで、ほんの一部だけどね」


 レックスの確認に、私は苦い声で応じた。

 消えた、それは間違いない。

 ボロボロの地面に横たわっているのは、馬鹿な魔法使いの屍だけ。

 コイツを核にしていた《造物主》の残滓は、もう完全に消え失せていた。

 何もない。

 《造物主》の気配は、此処にはもう存在しない。


『……奴が握っていたはずの、真名の気配もないな』

「そうみたいね」

「? どういう事だ?」

「まだ、全部終わったわけじゃないって事」


 首を傾げるレックス。

 呻くボレアスも、きっと私と同じ見立てでしょう。

 《黒》だった男を核にしようとしていた分は、今の戦いで消えた。

 けど、真名によって目覚めた《造物主》の残骸は、まだ残っているはず。

 それを示すように、本能から生じる畏怖は残ったまま。

 愚かな父、《造物主》は今も地の底に。


『――消えましたか、我が父は』

「っ……」


 声。

 完全に注意を外していたワケではないけど、それでも心臓が跳ねた。

 夜空を見上げる。

 《天秤狂い》、竜王ヤルダバオトと視線がかち合う。

 直接的に対峙している姉妹のことは、一切無視する形で。

 奴は、私たちを――いえ、《造物主》の残滓が消えた辺りを見ていた。

 呟いた言葉に、感情らしい感情は読み取れない。

 ただ淡々と、事実だけを述べる口調で。


『乱れていた均衡が、再び正しい位置を取り戻した。

 少なくとも、今この場においてはですが』

「……喜ばしい、とでも言いたげね」

『その通りですね』


 皮肉のつもりだったけど。

 ヤルダバオトは、それに対して大真面目に頷いてみせた。

 均衡が乱れていた。

 だからそれを正した。

 相変わらず、心底理解できない行動原理を当然の如くに語ってみせる。

 今のヤルダバオトからは、敵意の類は殆ど感じられない。

 コイツは、《造物主》がこの場から消えた事実に満足しているようだった。


「……なぁ、コイツは何を言ってんだ?」

「私に聞かれても困るな」

『言っておくが、こっちに聞かれても困るぞ』


 戸惑う姉妹に、ボレアスの方から釘を刺しにいった。

 ――さて、問題はここからね。

 声には出さず、私は状況を観察する。

 《造物主》の残滓は、とりあえずこの場は撃退できた。

 けど、まだ《天秤狂い》のヤルダバオトが残ってる。

 正直に言えば、今の状態でまともに戦うのは相当に厳しい。

 あっさり倒せたようで、《造物主》に関しては不意を突いた形に近い。

 ちょっとでも長引いていたら、逆にこっちが全滅しかねなかった。

 瀕死の身体を、ボレアスの力で無理やり動かしてるレックス。

 私も、《造物主》の攻撃を防ぐのにギリギリまで消耗してしまっている。

 姉妹だって、決して余裕があるワケじゃない。


「……ホント、厳しいわね」


 思わず呟いてしまった。

 後はもう、隙を見てテレサの《転移》に頼るぐらいしか……。


「で、やるのか?」

「ちょ、レックス……!?」


 世間話でもするみたいな。

 本当になんでもない事のように。

 レックスは、そんな言葉をヤルダバオトに投げかけた。

 彼の中にいるボレアスからも、焦燥に近い感情が伝わってくる。

 流石に、今のタイミングでそんなことを言うのは……!


『…………』


 ヤルダバオトは、何も応えない。

 彼を、レックスの方にほんの少しだけ意識を向けて。

 それから、《天秤狂い》は辺りを見回したようだった。

 ……ホント、何を考えてるのか。

 分からない。

 分からないという事は、それだけで恐ろしい。

 《最強最古》であるはずの私が、そんな事を考えるなんて。

 こっちの様子などお構いなしに、ヤルダバオトは視線を一通り巡らせて。


『……天秤は、再び均衡を取り戻しました。

 ですが、酷く危うい』

「…………?」

『美しい――けれど、まだ遠い』


 こっちの理解とか。

 そういったものは、全て置き在りにした言葉。

 一方的な意思を口にした上で、ヤルダバオトは私たちを見た。


『愚かな父は、未だ均衡を失い狂ったまま。

 その天秤を正すことを望むのであれば、楔の玉座を目指すと良いでしょう。

 《黒銀の王》は、来るべき時を待っている』

「……ちょっと、ヤルダバオト?」

『理解は求めていません』


 不理解。

 誰も理解する必要はないし、して欲しいとも思っていない。

 寛容な拒絶を示した上で、ヤルダバオトは踵を返した。


『それでは、私はこれで。また再び、天秤が揺れた時に』


 最後に、そんな一言だけを残して。

 《天秤狂い》のヤルダバオトは、夜空の彼方へと飛翔する。

 とんでもない速度だ。

 端から追う気はないけど、あっという間に見えなくなってしまった。

 私たちは――レックス以外は、その後姿をやや呆然と眺めて。


「……一体、何だったんだ? アレ」

『我に聞かれても困るぞ?』

「私だって同じよ」


 てっきり、《造物主》の残滓ごと私たちを始末する気だと思ったのに。

 いえ……少なくとも、途中まではそのつもりだったはず。

 けど、《造物主》が一時的にでも消えた事で、それで満足した?

 乱れた均衡が、少なくともその時点では整えられたから――。


「……自分で言ってても、意味が分からないわね」


 頭痛がする。

 何もかもが消えた後を「均衡」と呼ぶなら、私たちを見逃す理由がない。

 けど実際、ヤルダバオトは一旦退いた。

 基準がどこで、どういう風に判断を下しているのか。

 分からない。

 分かっているのは、あの《天秤狂い》が見ているのは原初の光景という事だけ。

 何もなく、同時に何もかもが満たされていた、かつての虚無を。


「……一先ず、危険は去ったと考えて良いのでしょうか」

「とりあえずはな」


 うむ、と。

 テレサの漏らした呟きに、レックスは大きく頷く。

 握った剣を鞘に納めると、そこからボレアスも出てくる。


「やれやれ。

 ここまで、どこぞの長子殿のせいでとんでもなく苦労したな」

「…………それは、悪かったわよ」

「おっと。まさか素直に謝られるとは、これはいよいよ世界の終わりか?」

「流石に、悪いと思ったら謝るぐらいするわよ……!」

「まぁまぁ」


 一瞬キレそうになったところで、レックスに抱えられてしまった。

 ちょっと手足をジタバタさせてから、大きく息を吐く。


「……疲れたわ」

「分かる」

「まさかヤルダバオトまで襲ってくるとは思わんかったからな」

「古竜の私が言うことじゃないけど、生きた心地がしなかったわ」


 正直、《造物主》の残骸よりも怖かった。

 まぁそっちはそっちで、まだ全て片付いたワケじゃないから問題だけど……。


「……何をしてるの?」

「ん? あぁ」


 テレサとイーリス。

 正確に言うなら、イーリスの方だけど。

 姉妹は、地面に横たわった屍の傍らにいた。

 ……《黒》、いえウィルと呼ぶべきか。

 理想が潰えて、存在維持の限界に達してしまった哀れな魔法使い。

 本音を言うなら、私はもうどうでも良いけれど。


「どうするんだ?」

「流石に、野晒しにするのはな。

 埋葬してやっても良いけど、それよりも持っててやった方が良いかなと」

「持ってく? 何処へだ?」

「コイツの親父のところにだよ」


 ボレアスの問いに、イーリスは即答した。

 ウィルの父、それは《始祖》の王。

 今は《大竜盟約》の第二位、大真竜オーティヌス。

 十中八九、ヤルダバオトを差し向けたのもアイツでしょう。

 それはイーリスも分かっているはず。


「関わった以上は、このぐらいの義理は通すべきだろ。

 ぶっ殺そうとした件については、それは別に落とし前つけりゃ良いんだ」

「……と、妹はこんな感じでして……」

「良いだろ、それで。俺も別に文句はないぞ」


 申し訳そうにする姉に対し、レックスは軽く笑ってみせた。


「さっきのヤルダバオトも言ってたしな。

 どうせ、また向こうには行く必要があるんだ。

 返してやるのなら、その時ついでにやってやれば良いさ」

「……悪いな、レックス」

「気にするなよ」


 笑って頷く彼に、イーリスも少しだけ微笑んでみせた。

 まぁ、別に死体を届けるぐらい、私もとやかく言いませんけど。


「流石に、今はもうちょっと休みましょう?

 そしたら『隠れ家』を出して、ついでに死体それも保護の処理をかけてあげるから」

「助かるわ。それで大暴れの分はチャラでいいぜ」

「言うようになったわね、貴女も」


 仮にも、私は《最強最古》なんですけどね?

 あまりに遠慮のない物言いと、慌てた様子のテレサを見て。

 私は声を上げて笑っていた。

 こちらを抱えたレックスも、同じように。

 ……まだ、何も終わってはいない。

 愚かな《造物主》も目覚めてしまい、《大竜盟約》は私たちを敵視してる。

 終わりは近付いているけど、まだ何も終わってはいない。

 それを理解した上で、今は。


「……ちょっと、眠りたいわね」


 穏やかに、時を過ごしたい。

 愛しい温もりを傍に感じながら、私は祈る気持ちで夜空を見上げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る