460話:安らかな眠りを


「マジで今、何で生きてるか分かんねェ」

「イーリス……」


 術式で用意した「隠れ家」。

 その中の寝室に入るなり、イーリスは大きな声で呻いた。

 迷わずベッドに身を投げ出す妹を見て、テレサは苦笑いをこぼす。

 まぁ、気持ちは分かるわ。

 そう言いたくなる程度には、大変な戦いだったものね。


「なにやら他人事みたいな顔をしてるがな、長子殿。

 今回は大体そちらのせいなのは理解してるか?」

「う、うるさいわね」


 ニヤニヤと笑いながら、ボレアスが傍で囁きかけてきた。

 分かってる、分かってますとも。

 私が不覚を取ったせいで、面倒をかけてしまったのは事実。

 理解はしてるから、それについて反論する気はない。

 今だって、術式をちょっと強化して普段より「隠れ家」のグレードを上げている。

 この寝室も、いつも以上に広いスペースに豪華なベッドが置かれていた。


「迷惑かけたのは事実だし、そこはちゃんと弁えてるわよ。

 ……改めて、感謝するわ。

 おかげで、またこうしてレックスと一緒にいられるんだもの」

「ま、みんな頑張ったって話だよな」


 そう言って、レックスも軽く笑った。

 私の身体をひょいっと抱えて、ゆっくりと頭を撫でてくれる。

 その感触が心地よくて、思わず喉を鳴らしてしまう。

 ……本当に、この状態に戻れて良かった。

 彼を殺しかけてしまった事実は、思い返すだけでもゾッとする。


「できれば二度はゴメンだな。

 マジで大変だったし」

「もう同じ不覚を取ったりしないから、大丈夫よ」


 ベッドの隅に身を沈めるイーリス。

 大きな息と一緒に吐き出された言葉に、私は肩を竦めて応じる。

 ええ、二度もあんな無様を晒すのはありえない。

 似たような干渉を行われるのを想定して、防御策を講じておかないと。

 今は兎に角レックスに甘えたいけど、それは真面目に考える必要があった。


「我としては、なかなか良いモノが見れた故、そう悪い気分ではないがな」

「…………それはどういう意味?」


 やっぱりベッドの上に寝そべりながら。

 何やら含みのある物言いで、ボレアスは私を見ていた。

 それは悪戯を仕掛けようとする、悪童そのものな表情で。


「かつて、《最強最古》と畏怖されていた頃の長子殿だ。

 よもやその姿を再び拝めるとは、流石の我も考えもしなかったぞ」

「やっぱ昔はあんな感じだったんだなぁ」

「ねぇ、この話は止めにしない??」


 レックスも、そんな微妙に興味がありそうな反応しないで。

 けど彼が話に乗った事で、ボレアスはますます調子づいてしまう。


「別に嫌がることはあるまい?

 元には戻れたし、アレもアレで長子殿であることに変わりなし。

 そんな状態でも竜殺しを食い殺そうとするのは、やはり愛の深さ故よなぁ」

「それな、すげェよだれダラダラだったもんな」

「記憶が巻き戻っても、その想いが変わらない事には感服しましたね……」

「ねぇ、ちょっとホントにやめない??」


 ちょっと、何コレ。

 いつの間にか私を吊るし上げる会になったの?

 レックスも、膝に抱っこした状態でちょっと笑ってるし……!


「それで素直に食われそうになった方も、大概ではあるがな。

 流石に我も肝が冷えたぞ」

「まー、あの時はアウローラにならそれはそれでと思って」

「レックス……!」

「ホントに割れ鍋に綴じ蓋だよなお前ら」


 イーリスの的確なツッコミも、今は耳に入らない。

 ええ、そうよ。正直、醜態なのは間違いないけれど。

 記憶が巻き戻った状態でも、私はレックスを愛していた。

 その想いが、うっかり食欲という形で出力されてしまったけど。

 そんな浅ましさすら、彼は受け止めようとしてくれた。

 考えただけで胸が熱くなり、あらゆる感情を叫びたくなってしまう。

 代わりに、レックスの腕をぎゅっと抱き締めた。


「良いものが見られたが――あぁ、一つだけ残念なことがあったな」

「? 今度は何よ」

「長子殿が、竜殺しに敗北した場面を見られなかったのがな。

 あぁまったく、残念極まりない」


 物凄く。

 私ですらちょっとヒきそうなぐらい、猛烈に意地悪そうな笑みで。

 ボレアスはそんな事を言ってきた。

 ……まぁ、確かに。

 大真竜であるウラノスとの戦いが、直前にあったとはいえ。

 《竜体》まで使った上で、私はレックスに負けた。

 それは、別に問題ない。

 今の私は彼の凄さを讃えこそすれ、敗北自体に思うことはなかった。

 良く勝てたと、レックスに対する驚嘆の念しか出てこない。

 ただ、ボレアスの言いたい事はそれとはまた少し違っていた。


「長子殿と竜殺しは、尋常に戦ったのだろう?」

「まぁ、そうね」

「がんばったぞ」

「尋常に二人のみで戦い、そして結果はこの通りと。

 ――つまり、そやつを仕留めた竜は、未だに我一人というわけだな」

「あー、そういう話に持ってくの??」


 聞いた瞬間、イーリスは姉と共に微妙に距離を取った。

 コイツは。

 いや、本当にコイツは……!

 無駄に勝ち誇った顔のボレアスを、私は思いっきり睨みつける。


「何だ、そんな怖い顔をする事はないだろう。長子殿?」

「た、確かに、お前の言いたいことは分かりますけど……!」

「うむ、口惜しくはあるが、我と竜殺しの戦いの結果は相討ちだ。

 お互いに、文字通り死力を尽くした末の事。

 当然、我は納得しているとも。

 ――で、長子殿は普通に負けてしまったワケだ。

 ここから導き出される結論は、一つしかあるまい?」

「そんな雑なマウントの取り方ある……!?」


 本当にコイツは。

 本当に本当に、この性悪ドラゴンは……!

 やっぱり、ちゃんと白黒つけておくべきかしら。

 とりあえず、蹴りの一つでも入れてやろうかと思ったけど。


「どうどう」

「ちょ、レックスっ?」


 レックスに止められてしまった。

 身体をぎゅっと抱き締められると、それだけで力が抜けてしまう。

 ちょっと不満げに、彼の兜を見上げる。

 指先は優しく、丁寧に私の頬をなぞった。


「別に、今更そんなことで格付けしなくても良いだろ。

 今と昔じゃ、俺も色々と違うしな」

「……そうね、そうよね」


 頷く。

 そもそも、昔の彼はまだ竜との戦いに慣れてなかった。

 ボレアス――《北の王》は、一番最初に竜殺し。

 生き返った後に、更に多くの竜を仕留めた今の彼とは大きく異なる。

 ……うん、前提条件が違い過ぎるわね。

 だったら、私も気にする必要なんてないはず。

 上の位置から、寝そべったボレアスを見下ろして。


「で、他に何か言いたいことはある?」

「竜殺しに、記憶のない状態でもよだれがダラダラだった醜態は変わらんぞ?」

「お前はぁー!!」

「どうどう」

「喧嘩すんなら部屋の外でやれよ??」


 イーリスはホントに平常運転ね……!

 一瞬ブチギレそうに……というか、完全にブチギレたけど。

 レックスの腕に抱えられてるから、手足をジタバタさせるだけに留める。

 まったく、私の理性に感謝して欲しいわ。

 《吐息ブレス》を吐こうかとも考えたけど、流石にそれは自制する。


「こっちだって疲れてるんだから。

 あんまり無駄な体力を使わせてほしくないのだけどっ」

「ハハハハ、いやそれはすまんな。

 流石に悪ふざけが過ぎたか」


 全然悪いと思ってないわね、コイツ。

 クックと喉を鳴らすボレアス。

 ちょっと強めに睨んで見るけど、それこそどこ吹く風だ。

 ……まぁ、レックスに抱えられてる状態じゃ迫力がないのはそうでしょうけど。

 と、不意に視界がぐるっと回った。


「きゃっ……!?」

「と、悪いな」


 私を抱っこしたまま、レックスがベッドに寝転んだのだ。

 腕の位置を直し、彼の指が髪に触れる。


「こう、色々やりたい事はあるんだけどな。

 やっぱ先ずは寝るべきかなと」

「……色々って?」

「風呂入ったり、後はできれば飯食ったり?

 や、ここまで死ぬほど大変だったしな。

 あと少しぐらい、のんびりしても罰は当たらんだろ」

「《大竜盟約》だの《造物主》だの。

 片付けないとヤバい問題が、まだ残ってるけどな」


 横になった状態で、イーリスが二つの厄介事を口に出した。

 《大竜盟約》と、《造物主》。

 彼女の言う通り、片付けなければいけない面倒極まりない問題だ。

 どちらも、出来れば避けて通りたくはあるけど。

 そうも言ってられないのが辛いところね。


「……正直、考えるだけで気が重くなるな」


 テレサが呟いた。

 気持ちはとても理解できる。

 神話の時代にすら、これほど大きな問題は起こらなかったろう。

 まぁ、その当時で問題を起こすのは、主に私だという事は抜きにしても。

 《盟約》の頂点である《黒銀の王》。

 そして、目覚めてしまった愚かな父――《造物主》の残骸。

 今のところ、そのどちらにも明確な対策は思いつかない。

 そもそも、勝ち目があるのかどうかさえも……。


「ま、後だな。後」


 出口のない思考。

 没頭しかけたところを、彼の声が中断する。

 ベッドに横たわり、私を抱える腕以外はこれ以上なく力を抜いて。

 レックスは、ほっと息を吐いた。


「アウローラも、眠りたいって言ってたろ?」

「……うん、そうね」

「だったら、今は寝ようぜ。

 起きたら、飯食って風呂でも浴びて。

 後のことを考えるのは、それからでも十分だろ?」


 ……決して、気休めの言葉じゃない。

 彼は真面目に、本気で考えた上でその結論を口にしていた。

 なんとも楽観的だけど、きっと正しい。

 出口は見えない。

 見通しは立たず、未来は全く定まっていない。

 だからこそ、今は身体を休める。

 もう一度戦いが始まったら、次の機会がいつかも分からないのだから。

 イーリスも、心底愉快そうに笑って。


「ホント、無敵だよなお前。らしいと言えばそれまでだけどよ」

「確かに、レックス殿らしいな」

「考えるのが面倒になっただけな気もするがな」

「それはある」


 揶揄するボレアスに、やっぱりレックスは大真面目に頷いてみせた。

 ホントに、もう。

 たまにだけど、真剣に悩んでるこっちが馬鹿らしくなるわね。

 小さく喉を鳴らして、私は彼の身体に身を寄せる。

 温かい。

 やるべき事、やらねばならない事。

 したい事、して欲しい事。

 考え出せばキリがないし、幾らでもあるけど。

 そうね、先ずは眠ってしまいましょうか。


「……ねぇ、レックス?」

「ん?」

「起きたら、ご飯とお風呂のどっちが良い?」

「風呂、かな」

「そこはちょっとは迷えよスケベ兜」


 あまりに正直な返答に、思わず笑ってしまった。

 イーリスのツッコミも尤もだけど、それが彼なのだから仕方ない。

 浴室も広く作ってあるし、一緒に入るのも良いわね。

 確か学園都市以来かしら?

 マレウスやブリーデ辺りも、いたら面白かったのに。


「レックス」

「あぁ」

「今は、おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ。他の皆も寝るよな?」

「寝るよ、流石に限界だわ」

「はい。私もかなりギリギリなので……」


 ボレアスの方からは、一足早いいびきが聞こえてきた。

 ホント、勝手な奴。

 別に今は気にならず、私は瞼を閉じた。

 愛しい温もりが離れてしまわぬよう、しっかりと抱き締めて。


「……おやすみなさい、レックス」

「おやすみ、アウローラ」


 もう一度、言葉で互いを確かめ合う。

 竜には本来、不要であるはずの眠りの淵。

 レックスの熱に包まれながら、私は躊躇いなくその奥底に身を沈めた。


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