458話:不理解


『不遜だぞ、痴愚どもがッ!!』


 闇が吼え猛る。

 呪いを帯びたその声は、容易く世界の法則を捻じ曲げる。

 《造物主》の怨念を中心に、破壊が伝播していく。

 ……まるで、無差別かつ広範囲の《分解》ね。

 地表にこびりついた憎悪の塊。

 そんな断片に過ぎない状態で、良くそんな力が出せる。

 我が父ながら、それについては感心するしかない。

 破壊の津波が押し寄せる。

 普通に考えれば、こんなものは逃げるべきだけど――。


「レックス?」

「大丈夫だ」


 名を口にすると、即座に彼は頷いた。

 片手で私の腕を掴み、もう片方の手には魔剣を握り締めて。


「突っ込もう」

「ええ、そう言うと思った!」

『まぁ、いつもの事ではあるな』


 ホント、一語一句予想通り。

 私も、彼の内にいるボレアスも笑ってしまった。

 笑って、そして言われた事をそのまま実行に移す。

 地面を、空気を、物質的なモノ全てを粉々に砕く破壊の津波。

 飛行する速度を落とすことなく、私たちは突っ込んだ。

 破壊の影響に接触する直前。


「オラァっ!!」


 レックスが気合いを叫び、剣を一閃。

 触れれば問答無用で壊される力の波を、刃は真っ向から斬り裂いた。

 一度ではなく、二度三度と。

 更に斬撃を重ねることで、《造物主》の放つ破壊に穴を開ける。

 同時に、閃光が瞬いた。


「ホント、お構いなしねお前は!!」

『排除します』


 会話する気なんて微塵もない。

 お決まりの文句を機械的に繰り返し、ヤルダバオトが仕掛けてくる。

 恐らく、《造物主》の破壊に対抗するためか。

 再び正十字の輝きを収束し、巨大な光の槍という形で叩き落としてきた。

 《天墜》。

 《均衡の竜王》が放つ最強の一撃。

 それに対し、私は大きく息を吸い込む。

 今の状態では、ハッキリ言って私だけじゃキツイ。

 レックスも、今は目の前の破壊を剣で切り払っている最中だ。

 キツい――けど、この場にいるのは私や彼だけじゃない。


「イーリス、目を閉じていろ!!」

「この状況で目ェ瞑る方がくっそ怖いんだけど……!!」


 妹のイーリスを背負って。

 テレサは迷うことなく、私の傍に並んだ。

 右手は頭上に掲げた形で。

 これなら、多分どうにかなる。


「ガァ――――っ!!」

「《分解》!!」


 《吐息》を放つ音に、テレサの声が重なった。

 万物を焼き尽くす極光と、万物を分解する蒼光。

 その二つが、ヤルダバオトの《天墜》に正面から突き刺さった。

 拮抗する事はない。

 力と力がぶつかった瞬間、膨大な熱と衝撃が夜空を容赦なく焦がした。

 余波でさえ、古竜でもまともに浴びればただじゃ済まない。

 私は間髪入れず、遮る形で防壁を展開した。


「助かったわ、テレサ!」

「いえ、こちらこそ感謝を……!」

「うん、二人とも流石だな」


 呑気に笑うレックスも、今も剣を振るっている。

 《造物主》は、今もまだ破壊の波動を放ち続けていた。

 が、それは尽く彼の剣が砕いていく。

 その事実に、父の怨念は酷く苛立たしげに吼えた。


『人間が!! 定められた命しか持てない下等な生物種の分際で……!

 全能の神である私に逆らうのか!!』

「何かどっかで聞いた覚えのある物言いだなぁ」


 まともな神経なら、その声を聞いただけで精神を壊しかねない。

 それほどまでに、《造物主》の呪いは暗く重い。

 だけどレックスは、そんなものは何処吹く風と受け流している。


「貴方も流石ね」

「まぁ、このぐらいはな」


 笑う。

 状況は絶望的で、一歩間違えれば破滅に真っ逆さま。

 ハッキリ言ってピンチだけど、それはそれでいつもの事かしら?

 そんな事を考えて、私はまた笑ってしまう。

 戻ってきたのだ。

 《最強最古》じゃない、アウローラとしての私に。

 その事実を何度も認識し直して、その度に喜びが胸を満たす。

 それに比べれば、父の怨念や《天秤狂い》なんて。


『長子よ、均衡が乱れていますね』

「余計なお世話よ――!!」


 ホント、大した事はない。

 得体の知れないヤルダバオトの言葉や視線も。

 構わず、私は笑い飛ばした。

 笑い飛ばして、直後に《吐息》を打ち込む。

 距離を詰めようと降ってくる巨体を、極光が一時的に押し留めた。


「そもそも、お前は何でこんなタイミングで出てくるのよ!

 こっちは意味が分からないんだけど!?」

『今の私は、大真竜オーティヌスの使役下にあるだけです』


 オーティヌス!

 《大竜盟約》の序列二位。

 そして、かつて私と取引をした《始祖》たちの王。

 あぁ、成る程。

 アイツが大真竜として呑んでいた竜の魂が、この《天秤狂い》だったワケね。

 封印の拘束を維持したまま、元の力を保った姿で外部に出力する。

 ハッキリ言って、無茶苦茶にも程がある魔術的手腕だ。

 そんな真似、確かにあの老害にしか不可能ね。


『何だ、《五大》最強とも呼ばれた貴様が、今や老人の走狗か!!

 《天秤狂い》の名も今は昔か!?』

『別に理解は求めていません』


 淡々と。

 レックスの内から挑発するボレアスにも、ヤルダバオトは律儀に応じた。

 ……変わらない。

 三千年は過ぎたのに、そういうところは本当に変わらない。

 《天秤狂い》は、かつての邂逅の時のままだ。


『オーティヌスは、己の使命として私を封印しました。

 彼には彼なりの思惑があるようですが、私は乱れた均衡を正すだけ。

 そうすれば、天秤の美しさは保たれる』

「ちょっと、コイツ何言ってんだ……!?」

「それが分かったら誰も頭を抱えてないわね」


 当たり前過ぎるイーリスのツッコミに、私は苦笑いを返すしかない。

 本当に、うんざりする程に変わらないわね。

 生きる時代が変わって、自らの置かれた状況さえ変わっても。

 何も変わらないから、ほんの少しもブレる事はない。

 その異名の通り、まさに天秤のような竜だ。


「ま、そっちが好きにやるんなら、こっちもそうするだけだがな!!」


 叫ぶレックス。

 《造物主》の放つ破壊の波は、今はもうその勢いを衰えさせていた。

 それを成し遂げたのは、剣一本。

 こっちがヤルダバオトの相手をする間、彼は《造物主》の破壊を防ぎ切っていた。

 多少、甲冑の一部が欠けたりはしているけど。

 レックスは強く、剣の柄を握り締める。


『何者――いや、違う。愚昧で低俗な生物め。

 !!』


 呻く怨念は、ここに至ってやっとその存在に気付いたらしい。

 私と《黒》の魔法使いが鍛え上げた、一振りの剣。

 《造物主》の亡骸、その一部を素材にして構築された竜殺しの刃に。

 浴びせられる呪いの声に、レックスは兜の下で笑って。


「良いだろ、彼女からの贈り物プレゼントだ」


 そんな事を言い出した。

 ……ちょっと、こんな状況で顔から火を出したくないのだけど。

 いえ、まぁ、嬉しいけど。嬉しいですけど!


「色ボケで気ィ抜くなよ、マジで」

『イーリスの言う通りだな。あとそういうところだぞ、竜殺し』

「そっちこそ、ツッコミ入れてないで集中しなさいよっ!」

「ホントのこと言っただけだぞ」


 ホント、涙が出るぐらいいつものノリね。

 ヤルダバオトが正十字を光らせるけど、それはテレサの《分解》が撃ち落とす。

 ……まったく、随分頼りになる感じになったわね。


『…………』


 何度も攻撃を防がれて、ヤルダバオトは沈黙する。

 いえ、元々そんなに喋る奴じゃないけど。

 聞かれた事は答えるから、別に無口ではないだけで。

 ただ、そう。

 ほんの少しだけ、私は違和感を覚えていた。


「やっぱりそれ?」

「? どういう事ですか、ボレアス殿」

『言葉通りだ。

 先ほど、奴はこちらも無関係に攻撃を仕掛けてきた。

 であればこの状況、もっと積極的に攻めて来てもおかしくはあるまい』


 概ね、ボレアスの語った通り。

 どうにもさっきから、ヤルダバオトの攻め手が緩い。

 それが違和感の正体だった。

 何か狙いがあるのか――なんて。


「まぁ、考えるだけ無駄ね」

「それが結論でマジで良いのか??」

『《天秤狂い》だぞ。理屈で考えたところで、アレの根底には届かん』


 そう言ってる間も、ヤルダバオトもただ見ているだけじゃない。

 正十字を輝かせ、《吐息》の雨を降らせてくる。

 ただそれも、こっちが頑張れば迎撃できる程度の威力。

 ……やっぱり、様子を見てるのかしらね。

 正直、らしくないと言えばらしくないけど。


「ま、手ェ抜いてくれてるのなら助かるな」


 レックスは呟く。

 当然気は抜けないけど、完全な三つ巴の状態よりは余程良い。

 そんな彼の目は、一度も《造物主》から外れていなかった。

 呪いと滅びを撒き散らす怨念。

 向こうもレックスを……正確には、その手に携えた剣を凝視している。


『痴愚が、それが何なのか理解しているのか?

 神たる血肉を弄ぶなぞ、知恵の足りぬ猿には過ぎた行いだ!!』

「いや知らんよ」


 罵声をあっさり切り捨てて、同時に襲ってくる破壊も斬り裂く。

 その動きは、明らかにさっきまでより手慣れてる。

 何度も受けた事で、もう大体の攻撃パターンは見えてきたみたいね。


「後ろは任せて良いか?」

「勿論。それで、このまま行くのね」

「あぁ。そっちも悪いが」

「大丈夫、最初っからそのつもりだもの」


 囁くように応えてから、私はテレサに視線を向けた。

 それだけで、彼女はこちらの意図を汲んでくれる。


「背中はお任せを。主とレックス殿は、《造物主》をお願いします」

「撃ち漏らしは私が防ぐから、そっちは自分とイーリスを優先しなさいね」

『ハハハハ、長子殿は優しいなぁ』

「お前は彼の燃料として、死ぬ気で力を絞り出しなさいよ」

「そこは容赦ねェのな」


 どうせ古竜は死なないんだから、当たり前でしょう?

 ともあれ、状況は整ってきたかしら。

 地表では闇が勢いを増して、無秩序に破壊を撒き散らし続けている。

 頭上には《均衡の竜王》、《天秤狂い》のヤルダバオト。

 圧をかけては来るけど、今は様子見に徹している気配がある。

 後者の意図は不明だけど――。


「ま、とりあえず片方をどうにかしてからだな!」


 レックスの言葉が、きっと正しい。

 今は兎に角、《造物主》の呪いからどうにかしないと。

 様子見ながらも、ヤルダバオトが撃ち込んでくる正十字の光を防ぎながら。

 私は腕に抱えた彼と共に、愚かな父に向かって落ちていく。

 距離が縮まるほど、感じる呪いも強まってくる。

 竜としての本能がそれを忌避する。

 《最強最古》である私が、恥も外聞もなく逃げ出したい気持ちになっていた。

 きっと、ボレアスの方も同じだろうけど。


『痴愚どもが――――!!』

「グチグチうるせェよお父様!!」


 怨嗟に対し、レックスは力強く叫んだ。

 今の私には彼がいる。

 だから本能に従う必要も、恐れを抱く理由もない。

 前を向く。

 《造物主》の放つ破壊を、レックスの剣が切り払った。

 接近したことで力の密度が上がり、それだけでは完全に防げない。

 その取りこぼしを、私が魔術で補う。

 消耗している魔力を、兎に角限界以上に引き出す。

 防壁の術は展開した端から砕かれるので、その度に再展開を繰り返す。

 少しでも触れたら、その時点で死ぬ。

 私たちは、そんな破壊の嵐の中を突っ切る。

 一秒が永遠にも等しく感じられる、悪夢のような刹那。


「おおおおぉぉぉぉぉぉォォっ!!」


 それを引き裂くのは、レックスの声と一振りの刃。

 分厚い呪いと怨念、そして破壊の渦を抜けて。

 振り下ろされた切っ先は、《造物主》の残骸である闇を捉えていた。


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