80話:怒れる彼女


 ――どう考えてもヤバいのは、一目瞭然だった。

 正直、レックスの奴が天井から落ちて来た時はホッとした。

 出待ちしてたんじゃねェのかとか言いたくなるタイミングだったけど。

 それはそれとして、コイツが来てくれたんならもう大丈夫だと。

 そんな安心感があったのは間違いない。

 けど、今目の前にある現実は最悪の一歩手前だ。

 あの怪物、バンダースナッチは余りにも強すぎた。

 レックスの動きが悪いのは、何となく察してはいた。

 状況は分からないが、姉さんと同じように万全じゃない。

 それでもレックスなら、これまでに何度も真竜を倒して来たコイツなら――。

 

「……マジかよ、糞」

 

 そんなオレの勝手な期待とは無関係に、バンダースナッチは荒れ狂う。

 狂気に染まった怒りを撒き散らしながら容赦なく。

 オレなんて、近付いただけで死にそうな破壊の中でレックスは戦っている。

 爆発や土煙の合間に見える姿は、明らかに防戦一方だった。

 耐えて反撃の機会を伺っているとか、そんな状況じゃないのは分かる。

 それは嵐に呑まれてしまわぬよう、只管耐えているだけだ。

 レックスが負ける。

 その事態を想像すらしていなかった事を、オレは初めて自覚した。

 

「……ちょっと、貴女」

「えっ、あ?」

 

 そう声を掛けて来たのは、小柄な白い女だった。

 見覚えが無いはずだけど……何故かほんの少しだけ、知ってるような気がする。

 多分気のせいだろうとは思うけど。

 レックスと一緒に天井から落ちて来たっぽいが、一体何者なんだ?

 

「私の事はブリーデって呼んで。

 イーリス……で、良いのよね?」

「あ、あぁ」

「貴女も分かってると思うけど、このままじゃアイツ死ぬわ」

 

 事実をハッキリと告げられて、心臓が一瞬跳ねた。

 死ぬ。オレもさっきはその覚悟はしたが。

 

「此処に来るまででも大分消耗してたし……やっぱり甘かったわ。

 何とか一度、退かないと……」

「退くって言ったって……出来る、のか?」

 

 バンダースナッチは、もう小型の嵐と言って良い暴れっぷりだ。

 レックスも死なないよう耐えるのが精一杯で、それ以上は動けていない。

 こっちから手出しが出来る余地があるとも思えなかった。

 言っているブリーデも、明らかに表情を硬く強張らせている。

 手を突っ込めば火傷じゃ済まないと、当たり前に理解しているけど。

 

「賭けになるけど、やるしかないでしょ。

 ……死にそうだけど。ホントに。

 ちょっと付き合っただけで馬鹿が移ったみたい」

 

 呆れた顔でため息を吐いて。

 それからブリーデは、改めてオレの方を見た。

 いや、違う。その視線はオレじゃなく、もう一人を映す。

 オレに抱えられたまま、何故か黙っていたルミエル。

 彼女は不思議そうな顔でブリーデの事をずっと見ていたようだった。

 そんなルミエルに、ブリーデは少し笑って。

 

「まさか、こんな形で顔を合わせる事になるなんてね」

「お姉ちゃん、は……?」

貴女は知らないでしょうね。

 ……ごめんなさいね、ルミエル。

 貴女の両親に、私は何もしてあげられなかった」

 

 懺悔するように言ってから、ブリーデはルミエルの頭をそっと撫でる。

 それから意を決した様子で吹き荒ぶ嵐を見た。

 

「償いってワケじゃないけど。

 やれるだけの事はやってみましょうか。

 ……今、あの馬鹿に死なれるのもちょっと寝覚めが悪いし」

「オイ、どうする気だよ……!?」

「ちょっと無茶するだけよ。貴女は、貴女に出来る事をしなさい」

 

 それだけ告げて、ブリーデは慎重な足取りで死地へと近付く。

 距離は未だあるが、戦いの余波だけでもかなりの圧力だ。

 実際、強い衝撃が走るだけでブリーデは転びそうになっていた。

 あんな様子じゃ絶対に死ぬって。

 

「クソッ……」

 

 どうする、どうすれば良い?

 倒れているところを引っ張って来た姉さんも、戦える状態じゃない。

 オレもルミエルを抱えていて、戦う術も手元にはない。

 このまま見ている事しか出来ないのか。

 レックスの奴がバンダースナッチに殺されてしまうのを。

 ブリーデが成す術も無く踏み潰されるのを、見ているしか無いのか。

 本当に?

 

「……イーリスお姉ちゃん」

 

 涙の混じったルミエルの声。

 縋るオレの腕を撫でて、それから小さな手が抱き締めてくる。

 

「ごめんね、あたしのせいで」

「別に、お前のせいじゃ……」

「ううん。あたしのせい。

 あたしが、パパとママを助けられなかったから。

 そのせいで、こんな事になって……」

 

 己の無力を嘆き、涙をこぼすルミエル。

 そうは言ったって、オレが見てるお前はただのガキだろ。

 そんな子供が全部背負って、泣きながら謝る必要なんて何処にあるよ。

 嗚呼、クソッタレ。悪態を吐いてる場合か。

 何か、オレに出来る事を考えろ。

 

「……無茶をするなと、本当は言いたいが」

「っ、姉さん、気が付いたのか……!?」

「あぁ、お前があんまり悔しそうな顔をするから。目が覚めたよ」

 

 冗談交じりに言いながらも、姉さんは起き上がるのも一苦労な様子だ。

 身体は無事な箇所を探すのも難しいぐらいのはずだ。

 そのまま寝ていたって誰も責めたりはしない。

 それでも、姉さんは自分の意思で立ち上がった。

 

「テレサお姉ちゃん、無理しちゃダメだよ……!」

「おっと、私の方が言われてしまったか。

 とはいえ、そうも言っていられない状況のようだからな」

 

 姉さんの視線の先、案の定スッ転んだブリーデが見えた。

 やっぱあのままじゃ、辿り着く前に死んじまうよ。

 

「彼女には、何か考えがあるのか?」

「賭けとか言ってたけど、アレじゃ大穴にすらならねェよな」

「であれば、彼女をあの中にエスコートしなければな」

 

 言いたい事は分かる。

 分かるが、今の姉さんじゃブリーデと纏めて死ぬのが目に見えてる。

 それは姉さん自身も理解しているはず。

 だから。

 

「……イーリス、私は行くつもりだ」

「……あぁ」

「だが、私一人では多分無理だ。間違いなく死ぬ」

「分かってて突っ込む奴が多すぎるだろ……」

「私も別に死にたいわけじゃない。

 ――だから、助けてくれるか?」

「無茶振り激しすぎるんだよマジで……!」

 

 そうだ。やるしかない。

 泣き言を言ってる暇なんざありゃしないんだ。

 姉さんはそのまま、ジタバタ藻掻いてるブリーデを助け起こしに行く。

 オレは、オレの出来る事を探していた。

 死地に突っ込む姉さんとブリーデを、ちょっとでも助ける手立て。

 それを実現する可能性は、オレの手札には一つしかない。

 《金剛鬼》、高性能の自動甲冑オートメイルであるアレなら無茶は出来る。

 けど今、アレはオレの手元にはない。

 この場所に来た時点で近くには無く、オレの命令も届かない。

 ……届かない、届かないのか?

 オレの《奇跡》は、オレの意思一つで機械を自由に操作できる事。

 端末無しに通信を行う事も出来るし、同じ要領で《金剛鬼》も遠隔操作していた。

 電波の強度とか、その辺りの問題で動かせる有効射程は五十メートルほど。

 少なくとも、オレはそう思っていた。

 それだけの距離があれば十分だろうとも考えてた。

 けれど今は、それじゃ全然足らない。

 

「……ルミエル、ちょっと手伝ってくれ」

「イーリスお姉ちゃん……?」

「いや、別に何してくれって話じゃないんだが。

 多分結構キツいから、お前のことかなり強めに抱き締めちまうと思う」

 

 ぬいぐるみ代わりとか、そんな扱いで大変恐縮だが。

 そんなオレの言葉に、ルミエルは抱き返す事で応えてくれた。

 子供の小さい手が、やけに力強く感じる。

 

「あたしは、このぐらいしか出来ないけど……。

 だから、遠慮しないで」

「……ありがとな」

 

 じゃあ、ちょっとばかり無茶するか。

 目を閉じて、意識を集中する。

 外の世界じゃなく、自分自身の内側へと。

 そこから一気に「自分」を中から外へと広げる。

 その意思が届く距離には限界がある。

 オレが今まで、「これ以上は届かない」と定めてしまった線引き。

 届いている範囲には当然金剛鬼はいない。

 伸ばした手が何も掴めない感覚。

 ――それじゃあダメだろ。

 自分で引いた「限界」の線を、自分の手で引き千切る。

 途端に、頭蓋に針を刺したみたいに痛みが走る。

 当たり前にように襲って来る反動。

 無意識に引いていた線は、「」という死線デッドライン

 だったら何だ、どうせやらなきゃ死ぬんだ。

 ちょっと頭痛がするぐらいで怯んでいられるか……!!

 

「ま、だだ……ッ!」

 

 足りない。

 「届く範囲」を広げちゃいるが、まだ足りない。

 歯を食い縛り、更に意識を拡大させる。

 自分の内臓を無理やり引っ張り出しているような不快感。

 実際に吐きそうなぐらい気持ち悪いし、ぶっちゃけ相当苦しい。

 手や指に感じるルミエルの体温に縋り、何とか堪える。

 恐らくは現実の時間にすればほんの数秒。

 体感ではかなりの時間を、耐えがたい苦痛の中で過ごした。

 そして。

 

「あ、った……!!」

 

 広げた意識の端に《金剛鬼》の反応を捕まえる。

 即座に状態の確認チェックを行う。

 損傷はあるが動作に支障無し、戦闘行動の継続に大きな問題もない。

 これなら、行ける。

 

「イーリス、テレサとブリーデを連れてこっから逃げろ!」

 

 現実の方で、そんな感じのレックスの声が聞こえた。

 逃げる、逃げるだって?

 逃げてどうにかなるもんじゃないって、そっちも分かってんだろ。

 だったら少しぐらいは無茶させろよ。

 頭の血管に熱湯が駆け巡ってるみたいに熱く、頭蓋は内側から破裂しそうだ。

 その苦痛を噛み潰し、喉の奥の悲鳴を呑み込んで。

 オレは持てる力を振り絞って呼んだ。

 

「来い、《金剛鬼》……!!」

 

 声は擦れてろくに音にはならなかった。

 しかし入力した命令に従い、鋼鉄製の従者は走る。

 瓦礫を蹴散らし風となって、《金剛鬼》はオレのところに戻って来た。

 そしてそのまま、危うい位置にいるブリーデと姉さんの元へと向かわせる。

 

「行くぞ、姉さん!」

「あぁ、頼んだ。見える距離まで近付けば、後は私が何とかする」

「えっ、ちょっと何この鎧のお化け……!?」

 

 ビビるブリーデはとりあえず無視。

 《金剛鬼》の機構に意識を重ねて、その五体を動かす。

 姉さんとブリーデを纏めて抱え、真竜の力が荒れ狂う内側に踏み込んだ。

 バンダースナッチは此方に注意を向けていない。

 ただ振り回した刃の余波や、垂れ流した力の断片でも破壊を巻き起こす。

 生身の二人を守りながら、《金剛鬼》で無理やり押し通る。

 装甲が削られる感覚が、「痛み」としてオレの方にも流れ込む。

 ホントに肉が抉られているわけじゃない。

 だから耐えられる。気合いで我慢して先へ進む。

 そして――見えた。

 今まさに、バチバチ言ってる刃を掲げたバンダースナッチと。

 その前でボロボロになってるレックスの姿が。

 

「姉さん!」

「あの前に跳びます、ブリーデ。宜しいですね?」

「ええ、腹括ったから放り込んで頂戴……!」

 

 ブリーデが頷くと同時に、姉さんと共のその姿が消えた。

 《転移》の魔法により、ブリーデは真竜とレックスの間に再出現する。

 姉さんはその傍ら、何かあれば即座に動ける構えだが。

 此処でバンダースナッチが止まらなきゃ、全員纏めてお陀仏だ。

 空間を跳躍したショックでふらつきながら、ブリーデはその両手を広げ――。

 

「待ちなさい、っ!!」

 

 一つの名前を叫んだ。

 悲痛な響きに、切実な感情を込めて。

 恐らくは、今は狂ってしまった女の名前を。

 

「――――……ぁ……?」

 

 僅かに。

 本当に僅かに、真竜の眼に理性の光が灯った。

 振り下ろすはずの刃は宙を泳ぎ、収束していた力も霧散する。

 ブリーデは、賭けに勝てたのか。

 

「もうやめなさいっ!

 こんな事したって何にもならない事、アンタなら分かってるでしょ……!?」

「ぁ――……わ、私、私は……?」

 

 憎悪と憤怒しか感じられなかった声に、戸惑いの色が混ざる。

 ぐらりと、騎士に似た《竜体》も揺らいだ。

 明らかに敵意も和らいできてる。

 これなら……!

 

「……ぁ……ま、を……」

「アリス! 此処には今、あの子も……!」

「邪魔を、するなぁぁぁぁぁッ!!」

 

 抱いた淡い希望を蹴散らすように。

 バンダースナッチは爆発した。

 再び狂気に満ちた叫びと共に、周囲に炎と衝撃波を撒き散らす。

 《金剛鬼》の力でも踏ん張りが利かず、石ころのように床を転がる。

 いや、こっちはまだ良い。

 近くにいたブリーデ達はどうなった……!?

 

「――助かったが、流石に無茶しすぎだろ」

「貴方ほどではないと思いますよ。ええ、此方も助かりました」

 

 爆発の炎を突き抜けて、姉さんとレックスが飛び出して来た。

 互いを支えながら、軽く焦げたブリーデも抱えている。

 あの一瞬で安全圏まで退いたのか。

 どっちもボロボロなのに、やっぱりすげェや。

 思わず安堵するオレとは対照的に、二人の様子に余裕はない。

 

「都合良く諦めてくれねぇかなぁ」

「流石に難しいでしょうね」

「冷静に言ってる場合じゃないでしょ……!?」

 

 三人がそんな言葉を交わしている内に。

 炎の向こうから、バンダースナッチが現れた。

 まるで狂気を可視化したような黒いオーラを纏うその姿。

 最早一切の言葉が通じそうになかった。

 

「■■■■――――ッ!!!」

 

 耳障りな咆哮。

 その手の刃には、さっき以上の力が集まる。

 黒い雷光がバチバチと輝き、周囲の大気を焼き切る。

 ……こんな化け物、マジでどうすりゃいいんだ。

 

「《金剛鬼》をぶつけて足止めするから、兎に角逃げろよっ!!」

 

 それが殆ど意味がないと理解しながらも、オレはレックス達に叫ぶ。

 実際に《金剛鬼》を突っ込ませようと動かすが、まるで間に合う気がしない。

 バンダースナッチが黒雷の刃を振り下ろしたら、それで終わりだ。

 それが分かっているから、レックスも姉さんも逃げずに構えていた。

 そっちの方がまだ可能性があると。

 

「ママ! ダメ、その人達を殺しちゃ……!」

 

 オレの腕の中で、ルミエルも必死に声を上げている。

 だが狂った獣には届かない。

 僅かな躊躇いも無しに、バンダースナッチは剣を真っ直ぐ叩き付け――。

 

「……まったく、本当に無駄な手間を取らせて」

 

 真竜の雷が、破壊を引き起こす事はなかった。

 その場の全員を殺して余りある威力だったそれは、今は完全に消えている。

 たった一人が、その刃を止めた事で。

 

「あぁ、状況の説明とかは良いわ。重要な事は一目で分かったから」

 

 剣を受けた指には、傷一つない。

 美しい顔に浮かべた笑みは酷く攻撃的だ。

 デカい獣に正面から睨まれた方が、まだ可愛げがある。

 

「はぁ……やっと合流出来たな」

「……出来れば、こっちは会いたくなかったんだけど」

「お手間をおかけして申し訳ありません、我が主」

「色々言いたい事はあるけど、後でね」

 

 レックスは安心したように、ブリーデは嫌そうに声を漏らす。

 恭しく頭を垂れる姉さんにはその手を軽く振って。

 真竜の起こした破壊の中心に降り立ちながら、アウローラは笑っていた。

 多分、今一番頼りになる笑顔だ。

 

「私のレックスにこんな泥を付けて。

 ――楽に死ねるなんて、夢にも思わない事ね」

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