幕間4:最古の悪


 ――楽しい。

 楽しい、楽しい、楽しい。

 久方ぶりの解放感に、思わず歌い出したい気分です。

 つい勢いで《竜体》になってしまいましたが、いやはや。

 うん、悪くない。むしろ良い。

 ウラノスからは「できる限り控えろ」と言われてましたけど。

 ――ま、偶には良いですよね!

 盟約が成立してからは一度もなった記憶がありませんし。

 人の形も嫌いじゃないんですけど、ええ。

 むしろあの形は、「彼女」も褒めてくれたお気に入り。

 なので普段から全然苦ではないですが、それでも竜の姿はやはり格別。

 ぎゅっとしまっておいた手足と翼、それを一気に広げる気持ちよさと言ったら!

 糞エルフに撃ち込まれた矢傷がちょっと痛みますけど、これといって問題は無し。

 歌う代わりについ《吐息ブレス》を吐いてしまいますね!

 ごうっ、溢れた炎が床を舐める。

 特に意味はありません、もし「獲物」がいたらソレはソレ。

 ちょっと吹いてみた炎ぐらいじゃ死にはしません。

 城の土台――竜王の残骸と呼ぶべき岩塊。

 その内側に穿たれた空洞を、ボクはわざとゆっくり歩き回る。

 何処かにいるはずの「獲物」を。

 ボクが本物の真竜となる為に必要な生贄。

 だから殺す気はこれっぽっちもなくて、でもちょっとやり過ぎてしまったかも。

 いやいや、これぐらいで死ぬようなら期待外れ!

 軽くボコボコにぶっ飛ばして、ダメ押しに《吐息》を連続で叩き込んだぐらい。

 この大真竜となるボクの「器」になるんですから、その程度で死んでは困ります。

 なので絶対に生きている。そのはず。

 

『何処に隠れてますかねぇ?』

『あっちこっちぶっ壊すから見つからなくなるんですよ?』

『なぁに、かくれんぼだと思えば楽しいじゃないですか!』

『さぁさぁ、恐くないから出て来てもいいですよー?』

 

 適当な事を喋りながら、のしりのしりと歩き回る。

 見つけ出すだけなら幾らでも手はあります。

 ただまぁ、ウン。

 ちょっと楽しくなってしまったので。

 数百年ぶりの竜の身体。

 人に比べたら随分大きいワケですが、逆に動きはとても軽い。

 あんまり軽くて、気付いたら目に付くものは壊してしまうぐらい。

 そう、軽く《吐息》を吐くだけでみんな容易く壊れてしまう。

 こういう万能感とか、破壊衝動とか闘争本能的なものとか。

 そういうのが危ないから、ウラノスは「控えろ」と言っていたんでしょうけど。

 ――偶には良いですよね、偶には!

 二度目の自己弁護を胸中で唱えながら、ボクは辺りを見渡す。

 どこもかしこも崩れて積もった瓦礫だらけ。

 五対ある眼でキョロキョロと観察しますが、特にこれといった変化は無し。

 うーん、このどっかに埋まってると思うんですけど。

 

『やっぱり死んだんじゃないんですか?』

『それじゃあ此処までのアレコレ全部無駄になるじゃないですかヤダー!』

『馬鹿言ってないで探してくださいね!

 生きてるにしろ死んでるにしろ、見つけない事には始まらないんですから!』

 

 ぎゃあぎゃあと自分同士で喚き合う。

 それもまた楽しい――楽しいはずだ、きっとそう。

 足下の瓦礫を適当に蹴ったり、尻尾で払ったり。

 探してるというよりは適当に散歩をしている気分。

 いいから早く見つけ出してしまえばいい、という気持ちと。

 もう少しこのままでいる理由を持っていたい、という気持ち。

 その両方がボクの中にあった。

 《竜体》でいる方が楽だ……っというのも、勿論ある。

 ただそれ以上に、思い出してしまった。

 今は、盟約が成立してからはわざわざ竜の姿になる必要なんてなかった。

 そんな事をしてまで戦う相手もいなかったから。

 けれど昔は、まだボクが「みんな」と戦っていた頃は。

 他と比べたら全然弱いボクでも、竜になれば役に立てた。

 戦う事も助ける事も、それなりにはやれた。

 数百年ぶりに翼を広げた事で、ちょっとだけ懐かしくなってしまった。

 ……もう遠くなってしまった背中。

 黒く染まっても尚輝いている、ボクの太陽。

 そうだ、楽しんでばかりではいられない。

 ボクの望みは本当の真竜になって、あの高みに並ぶ事のはず。

 こんな事が知られたら、ウラノス辺りにはまた叱られてしまいそう。

 厳つい顔を顰めて、「もう少し自制心を養うんだ」って。

 きっと表情ほどには怒っていない。

 ウラノス……彼も、彼女も、みんな優しい「人」だから。

 

『――よしっ。感傷に浸るのはここまで!』

『さぁさ、いい加減真面目に探しますよ!』

『何処ですかー? なんて呼んでも答えないでしょうけど!

 勝手に探しますからご心配なくー!』

 

 恐らくレックスは死んでいない。

 他は腐っても不死の古竜なんだからそもそも心配無用。

 とはいえ、埋まってるからと瓦礫を《吐息》で掃除するワケにもいかない。

 流石に死ぬかもしれませんし。

 となれば、魔力の反応なりを探って地道に掘り出すしかありませんね。

 面倒は面倒ですが、こればっかりは仕方ない。

 

『こんな事なら最初からガチで捕まえておくべきでしたね』

『正にアフターフェスティバル!』

『《竜体》なんてホントに久しぶりなんですから、ちょっとはしゃぐのは仕方ない』

『そうそう、仕方ない仕方ない。

 面倒なのも仕方のない事だから、文句言わずにやりますよー?』

 

 五本の首で自分一人、なるべく楽しくゲラゲラ笑う。

 楽しい、楽しいのだ。

 竜となって力を振るうのは、とても楽しい。

 過去を思い出したせいか、少しだけ胸の奥が痛んだけれど。

 望みを叶えた暁には、そんな痛みさえも消え去るはず。

 みんなのために黒く染まった彼女。

 地の冠を戴く事を選んだ彼女。

 もう、その名を口にする事さえ難しい彼女。

 ボクの太陽、今も頭上に在り続ける輝き。

 もう一度その手に触れるために、ボクは高みに辿り着くんだ。

 だから、そのためにも――。

 

『…………ん?』

 

 ぴくりと、五感とは違う感覚に触れるもの。

 魔力を探り出そうと知覚を伸ばした瞬間に、それは引っ掛かった。

 距離はそう遠くない。

 積み上がった土砂と瓦礫に埋まった一角。

 其処で微かに魔力が高まる感じがした。

 この状況でそんな反応がある理由は、当然一つっきりだ。

 

『やっぱり生きてましたか』

 

 死んでいない、などと自分で断言したものの。

 それでも死んでる可能性も十分あったので、少しホッとしました。

 けど掘ったら死体が出ました、なんて未来もまだ十分あり得る。

 ぬか喜びはできればしたくありませんね。

 なんて考えてる間も、魔力の反応はちょっとずつ強まっている。

 何をしてるんでしょうかね?

 

『まぁ怪我してるのを治療してる、とかじゃないですかね?』

『信じ難い事にレックスは人間ですしねぇ、多分そんなところでしょう』

 

 この反応が魔法による治療なら、生きてる可能性は大きくなる。

 一歩ずつ近づく。竜の身体で可能な限り慎重に。

 大よその位置は分かりましたけど、間違って踏んづける可能性は減らしたい。

 

『……しっかし、考えてみるとちょっと間抜けですよねぇ』

『? 何がですか?』

『だって折角隠れてるのに、魔法で治療したせいで見つかるなんて。

 頭隠してなんとやらって奴ですか?』

『アハハハ、確かにバカな話ですよねぇ!』

 

 追い詰められ過ぎたせいで、冷静じゃないのかもしれませんね。

 まぁ理由はどうあれ結果は同じ。

 哀れな羊さんたちは、恐い竜に見つかっておしまいです。

 まるでよくある童話の一節じゃないですか。

 ボクは思わず笑ってしまいながら、ゆっくりゆっくりと距離を詰める。

 魔力の反応もちょっとずつ強まっていく。

 もう誤魔化しても仕方ないと開き直りましたかね?

 いや――でも、これは。

 

『……なんか、強すぎませんか?』

 

 最初は気のせいかとも思いましたけど。

 魔法で治療しているだけにしては、ちょっと様子がおかしい。

 なんかどんどん反応が大きくなっているような?

 いや、もう気のせいとかそんな次元じゃない。

 首を傾げてる間にも、魔力の強さは倍々ゲームで増していく。

 

『ちょ、なんですかコレ……!?』

 

 肝心なところで鈍いと、良く皆に言われるボクですが。

 流石にこれは異常事態だと察しましたよ。

 もう埋まってる場所も探す必要がない。

 何故なら、余りにも発する魔力が強すぎて大気が歪み始めたから。

 ――ヤバい。絶対にこれはヤバい奴だ。

 本能が警鐘を鳴らし、頭が思考するより早く身体が動く。

 

『『『ガァ――――ッ!!』』』

 

 五本の首で同時に放つ《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 巻き込めばレックスが死ぬ可能性があるとか。

 そういう理性的な考えは一時的に消し飛ぶ。

 このまま放っておいたらとんでもない事態になるんじゃないか。

 そんな根拠なんて欠片もない危機感。

 沸き上がる衝動に逆らう事なく、ボクはできるだけ全力で《吐息》をブチ込んだ。

 城の土台である竜骸を、今度こそ完全に破壊してしまう危惧はありました。

 ありましたが、今はそれより未知の「何か」を排除しなければ……!

 

『――――ハッ』

 

 聞こえて来たソレは、誰かの笑い声で。

 《吐息》を放っている最中で、そんな音が耳に届くはずがないのに。

 魔法を使った痕跡もない。

 にも関わらず、ボクは確かにその声を聴いた。

 子供の下らない悪戯を、鼻で笑い飛ばしたような。

 そんな傲慢さに満ちた嘲り。

 ――直後、青白い閃光が視界を覆い尽くした。

 

『なっ……!?』

 

 何が起こったのか、直ぐには理解できなかった。

 その前に凄まじい熱と衝撃が、ボクの《竜体》を正面から貫いた。

 驚き過ぎて混乱するボクを、青い光は更に押し込んで来た。

 熱。衝撃。認識の全てがそれで埋め尽くされる。

 そして気が付けば、ボクの眼には空が映っていた。

 攻撃を受けた上で、そのまま竜骸の外まで弾き飛ばされたのだ。

 起きたこと自体は単純明快。

 だけどボクは大真竜、末席とはいえ盟約の礎だ。

 それが成す術もなく空に放り出された?

 

『ッ……あり得ないでしょう、そんな事!!』

 

 五つの顎で大きく吼える。

 不意打ちでビックリはしましたが、その間にも受けた負傷は再生済み。

 ボクの鱗を肉ごと焼くとか、確かに凄い威力でしたけどね。

 固有能力の一つである《超回復》でこの通り。

 七色の鱗には、もう焼けた傷の痕すらありませんよ!

 

『で、一体誰ですか! 大真竜であるボクにこんな真似をして――』

『……やかましい小娘だ』

 

 大きくブチ抜かれた竜骸の穴。

 暗い闇を覗かせるその奥の奥に、輝く「何か」の姿があった。

 竜の眼なら、如何なる闇でも見通せる。

 なのに何故か、その姿を直ぐには視認できなかった。

 ただ、見えない闇の中に輝く光がある。

 まるで周囲の光を全て、その「何か」が吸い取っているようにも見えた。

 

『口を閉じて、頭を垂れろ。

 王の冠を持たずして、玉座を弄ぶ愚かな僭主よ』

 

 ……頭に直で響く声には聞き覚えがあった。

 相手が誰であるのか、ボクでもすぐに分かりました。

 けれど心当たりの相手と、その声のイメージが重ならない。

 アレは、こんな恐ろしい声を出す相手だったか?

 聞いているだけで怖気が走る、邪悪で傲慢な、地獄そのものみたいな声。

 嫌な記憶が刺激される。

 とうの昔に終わって、蓋をしたはずの記憶が。

 

『……誰だ、お前は』

『語るに及ばず。――だが、その身の程知らずさには敬意を表そう。

 私の居ぬ間に玉座を握った時代の覇者よ』

 

 褒めてる風に見せただけの嘲りの言葉。

 そしてゆっくりと。

 嫌味なぐらいに勿体ぶって。

 光が喰い尽くされた闇の底から、「ソレ」は姿を現した。

 竜だ。一頭の古竜。

 特に奇抜な特徴はない、一対の翼を広げた古竜。

 身体のサイズはボクの《竜体》よりちょっと小さいぐらい。

 金色に煌く鱗を身に纏い、頭には王冠にも似た角を生やしている。

 それは万人が想像する「邪悪な竜」そのものな姿。

 けれど同時に、見る者に対して畏敬の念を抱かせる王気カリスマを放つ。

 まさか――これが、この竜こそが……!

 

『最強、最古……!』

『――どうしようもない愚か者だが、一つ知恵を得たな。

 私が何者であり、何ゆえに多くの者がその異名で私を恐れたのか。

 すぐに、その意味を貴様の魂に刻み付けてやろう』

 

 ボクを嘲り笑うのは、この世で最も古い悪。

 今や大真竜にも比肩する強大な魔力を放ちながら。

 黄金の絶望は、構えを取るように背中の翼を大きく広げてみせた。

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