174話:逆転の一手


『……おい、起きろ。竜殺し。

 まだ死んだワケではあるまい』

 

 内から囁く声と、身体の底から滲むような炎の熱。

 途切れていた意識がゆっくりと浮上する。

 反射的に身体を動かそうとしたが、手足がロクに動かない事に気付く。

 言う事を聞かない……というよりは、単純に隙間スペースがなかった。

 目を開く。酷く暗いせいで、状況はハッキリとは確認できない。

 

「ボレアス……か?」

『あぁ、ゲマトリアの《吐息》に呑まれる寸前。

 消し飛ばぬよう、炎となってお前の内に戻ってやったのだ。

 感謝の言葉ぐらいは必要だと思わんか?』

「助かった」

 

 恐らく、それが無ければ確実に死んでいた。

 俺の言葉を聞いて、ボレアスは機嫌良さげに少し笑ったようだ。

 と、腕の中でもぞりと動く二つの気配。

 

「……レックス?」

 

 一つは当然、アウローラだ。

 彼女も身体のあちこちを焼き焦がした状態で、力なく俺の腕に身を預けてる。

 こっちも人の事は言えないが、大分重傷だ。

 

「無事……とは、言い難いわね」

「お互いにな」

『……ホント、さっきので生きてるとか彼氏殿の悪運は相当だな』

 

 もう一つ、猫の姿のヴリトラは呻くように言った。

 こちらも毛並みをこんがり焦がされてなかなか痛々しい事になっている。

 まぁ暗いせいでイマイチ良く見えないが。

 

「で、俺達どうなった?」

『ゲマトリアの放った《吐息》で、我らのいた場所は文字通り粉々よ。

 お前も吹き飛ばされ、大量の瓦礫の底に埋まっているのが現状だ』

「何とか、完全に潰されてしまわないよう、空間は作ったのだけどね」

「……そうか。いや、本当に助かった」

『オレも手伝ったから感謝してくれ』

 

 うん、繰り返しになるが本当に助かった。

 ボレアスが咄嗟に戻って俺の身体を強化しなければ。

 アウローラとヴリトラが落下の衝撃や瓦礫に潰されるのをどうにかしなければ。

 そのどちらかが無ければ、俺はそれで死んで終わりだったろう。

 ここから這い出せたら、改めて礼をしたい気分だ。

 ……まぁ、その前に。

 

「ゲマトリアは?」

『仕留めたと思ってどっかに行ってくれれば最善だったがな』

「……残念だけど、気配は遠のいてないわ。

 多分、かくれんぼの鬼にでもなったつもりなんでしょうね」

『一息にまた《吐息》でもブッパされたら終わりだ。

 けどわざとそうせずに弄んでるっぽいなぁ』

「成る程なぁ」

 

 つまり、少しは猶予があるって事だな。

 下手に動けば即見つかるのは想像に難くない。

 むしろゲマトリアの方は、そうして鼠が飛び出してくるのを待ってるのだろう。

 だから動かずにいれば時間は稼げる。

 それでどうするかが問題だ。

 

「覚悟はしていたつもりだけど、まぁあそこまで出鱈目に強いとはな」

『……力だけなら、かつての《五大》を上回るやもしれんな。

 我も正直驚いている』

『《古き王》でもない、第二世代以降の古竜だよな。

 オレの力を取り込んでるとしても、それを扱えるだけの「器」は必要だからな。

 《五大》の誰かの直系かね、やっぱり』

「……ゲマトリアの出自はどうでもいいわ」

 

 それで気付かれるかは不明だが、一応は抑えた声で言葉を交わす。

 傷付いた手で俺の腕を抱き締めながら、アウローラは不機嫌そうに唸る。

 

「この状況をどうするかよ。

 ……本当に、心底腹立たしいし屈辱の極みだけれど。

 今の私達の戦力ではゲマトリアには届かないわ」

「まぁ、そうだよな」

 

 《古き王》が三柱。

 けれどその全員が《竜体》になれない程に弱体化している。

 そんで俺は剣を振り回すぐらいしか能のない人間だ。

 今や《古き王》さえ上回る力を解放した大真竜。

 ゲマトリアを討つのは不可能に近い。

 可能性はゼロじゃないかもしれないが、流石に厳しいな。

 

『寝たい。いや間違えた、逃げたい』

『素直に逃がしてくれるワケもないがな。

 いっそ諦めて投降するか?』

「却下よ。レックスをあんな奴に明け渡すなんて耐えられない」

「俺もちょっと遠慮したいな」

 

 仮に俺しかいないのなら、選択肢として考えないワケじゃないが。

 今の状況でそれを選ぶのは色々危険リスクが多すぎる。

 糞エルフは兎も角、分かれて行動してる姉妹の事もあるしな。

 逃げられない、投降するのも無し。

 となれば後は戦うしかない。

 それも勝てる確率はゼロと大差がない有様だ。

 ……うーん、なかなか詰んでるなコレ。

 

「ん……?」

 

 その時、遠くから振動が伝わって来た。

 何か大きなものが、何枚もの壁を隔てた向こうで動いているような。

 まぁ、それが何かは大体想像が付く。

 

「……探し回ってるわね。それもわざと手間をかけて」

「あのサイズを考えると、『まだ遠い』とはちょっと言い難いな」

『この状態で見つかったらそれこそ抵抗の余地すらないな』

『オレ寝るから終わったら起こして?』

 

 現実逃避し始めた猫を、アウローラが制裁代わりにこねくり回す。

 時間はガリガリと削られて、その分だけ猶予も短くなる。

 パッと妙案でも閃けば良いが、現実はそこまで甘い顔はしてくれない。

 考える。遠くで竜の足音がした。

 ゲマトリアは遊んでいる。少なくとも、今はまだ。

 打開する一手を講じるならば今しかないが、肝心の「一手」が見つからない。

 俺がドヤドヤ突っ込んで殴り掛かるのも、ついさっきあっさり返り討ちにされた。

 古竜姉妹の力押しは通じず、多少の小細工も無意味だろう。

 ゲマトリアとの間にはそれだけの格差がある。

 ……うん、そう都合よくアレコレ思い付いたりはしないな!

 俺の足りない頭じゃ、またワンチャン賭けて突撃するぐらいしか浮かばない。

 これも俺一人ならやったんだが、などと考えていると。

 

『……長子殿が万全であったのなら、対抗できそうなものだがなぁ』

 

 それは、ボレアスにとっては弱音に近い言葉だ。

 思わずと言った様子で、《北の王》は俺の内からそう呟いた。

 これを聞き咎めたか、アウローラは若干不愉快そうに眉根を寄せて。

 

「悪かったわね、《竜体》にもなれない状態で。

 けどそっちだって似たようなモノなんだから、余り言わないで頂戴」

『いや、別に他意はなかったのだ。

 ただかつての長子殿であれば、今のゲマトリアにも引けを取らぬだろうとな』

『なんたって《最強最古》だもんなぁ。

 あの《五大》の連中と比較しても別格扱いだったし』

「……この状況でそんなおだて方しても仕方がないでしょうに」

 

 妹弟の言葉に、アウローラはため息混じりに応える。

 存外悪い気はしていないようだ。

 ……しかし、そうか。

 

「昔のアウローラなら、ゲマトリア相手でも勝てそうなのか?」

『断言はしかねるがな。あの大公閣下も相当に強大な竜だ。

 しかしかつての《最強最古》ならば負けず劣らずなのは我が保証しよう』

「勝てるわよ、勝つに決まっているでしょう?

 昔の私なら、あんな小娘なんかに負けたりしませんとも」

 

 負けず嫌いな面が顔を出したらしい。

 俺に身を寄せながら、やや強めの言葉で語るアウローラ。

 対抗意識を燃やしての発言ではある。

 それはそれとして、彼女がそういうなら間違いはないはずだ。

 そうなると、だ。

 

「その『昔の力』を回復させるには、どうしたらいいんだ?」

『……何を言い出すかと思えば。

 それは困難だぞ、竜殺し。死人を生き返らせる事の次ぐらいにはな。

 我も長子殿も、長い年月で消耗した上でこの様だ。

 魂の疲弊はちょっとやそっとでは癒せるモノではない』

 

 やや呆れた調子でボレアスが応えた。

 

『仮にそれを行うならば、よほど莫大な量の魔力がなければ不可能だろうよ』

「……そうね。本来なら、最低でも百年以上は休眠する必要があるから。

 それを覆すだけの魔力となると……」

『《古き王》か、それに準ずる奴を一柱丸呑みしなきゃならないぐらいか?

 あ、だからオレを食べるってのだけはゆるして?』

「そんな話はしてないわよ、誤解されるでしょ」

 

 無駄に拝む猫をアウローラがまたこね回す。

 それは兎も角、必要なのは魔力か。

 しかも《古き王》一柱――恐らく万全の――が持つのと同等近い量の。

 普通に考えれば不可能事だ。

 どっかからポッと取り出せるようなものでもない。

 けれど、俺には一つだけアテがあった。

 

 

 言いながら、俺は手にしたままの剣を示した。

 俺が口にした言葉の意味を、アウローラは一瞬理解できなかったようだ。

 真っ先に察したのはボレアスの方だ。

 灰になっているという俺の魂。

 そこに宿る灯火として熱を与えている彼女は、慎重に言葉を語る。

 

『……それは、これまで戦い。

 そして魔剣の内に取り込んで来た竜の魂の事か』

「あぁ、相当な量なんだろう?」

 

 少なくとも、俺の血が霊血とかになる程度には。

 それを使えば足りるんじゃないかと、そう考えたワケだが。

 

「ダメよ」

 

 即、アウローラは硬い声でそう言った。

 強い光を帯びた彼女の瞳は、暗闇の中でも良く映える。

 兜の隙間から覗き込むようにして、アウローラは俺の目を正面から見つめた。

 

「ダメよ、分かっているでしょう?

 魔剣――《一つの剣》に取り込んだ竜の魂。

 その魔力の大半は、貴方に施した蘇生術式の維持と構築に使われてる」

「そう言ってたな」

「それを取り除いてしまったら、術式は機能不全に陥るわ。

 貴方はまだ完全に生き返ったワケじゃない。

 だから最初の都市では何度も力尽きてたでしょう?」

 

 それも当然覚えている。

 あれから真竜を何体か討ち取って、今は大分安定しているが。

 剣が呑んだ魔力を移し替えてしまったら、また元の木阿弥になるだろう。

 それは俺がバカでも分かる話だ。

 

「……それだけじゃないわ。

 発動中の術式を突然不活性化させるに等しいんだから。

 他にどんな不都合が生じるのか、私にも分からない。

 だから、そんな事は――」

「アウローラ」

 

 更に言葉を続けようとするアウローラ。

 そんな彼女の名を呼びながら、その髪を緩く撫でた。

 遠くに聞こえるのはゲマトリアの足音。

 気のせいかもしれないが、距離は近付いてきているように思える。

 残された猶予が少ない事だけは、間違いない。

 

「術式に使っている魔力を、お前に移すのはできるんだな?」

「……できるわ。けど」

「ここまで剣で斬った分を渡しても、まだ此処にはボレアスがいる。

 最初の街で力尽きた時は、そのおかげで立ち上がれたからな」

 

 今ではもうそれなりに懐かしい話だ。

 燃え尽きたはずの俺の魂は、竜の炎で熱を保っている。

 内側でボレアスが苦笑いをこぼした。

 

『そう過度に期待されても困るがな。

 ――まぁ、お前が朽ちない程度の助けにはなってやろうさ。

 不本意ながら、お前と我は運命共同体ゆえな』

「悪いなぁ、助かるわ」

『良い。今回に限っては、我としてもあの小娘の鼻っ柱は圧し折りたいからな』

 

 そう言って、ボレアスはまた意地悪そうに笑った。

 話している間も、アウローラはまだ迷っているようだった。

 

「……確かに、ボレアスがいるなら、術式の維持は大丈夫。

 けど、急激な状態変化とその影響は、私にも予測が付かない」

「維持が問題ないんなら、直ぐに死体に戻るって事はないだろ?

 だったらまぁ、勝つために必要な最低限の対価リスクだ。

 最悪しくじっても、俺が死ぬだけなら……」

「レックス……!」

「このままだと、『俺が死ぬかもしれない』どころじゃ済まないからな」

 

 アウローラ達は死なないにしても、真竜は魂を喰って力にする。

 姉妹は間違いなく死ぬだろうし、俺も無事で済むはずがない。

 このままゲマトリアに負けたなら、それは十分に起こり得る未来だ。

 俺としても流石にちょっと困る。

 覆しようのない結末をひっくり返すために必要な事。

 自分だけでどうにか出来たら一番だったが。

 そこまで望むのは流石に贅沢だな。

 

「アウローラ」

 

 もう一度名を呼んで、狭苦しい中で腕を動かす。

 そうしてから、彼女の細い身体を強めに抱き締めた。

 

「他に何かありそうなら言ってくれ。

 俺なりに頭を捻ったが、今以上のはちょっと思いつかない」

「…………無茶は毎度の事なんて、できれば言いたくないんだけど」

「悪い。ただ、俺は俺のやれる事をやっておきたい。

 アウローラに昔の力が戻って、それでゲマトリアとも互角にやれるんなら。

 後は俺がいる分でこっちの勝ちだ。違うか?」

「それもそれで無茶な話じゃない?」

 

 俺の言葉が可笑しかったのか、アウローラは小さく笑った。

 いやぁ、かなり真面目に言ったつもりなんだけどな?

 と、抱き合う間に挟まれていた猫が、やや居心地悪そうにもぞもぞしていた。

 

『あー……何だ、ウン。位置的に挟まれたのは仕方がないとして。

 オレも協力するって言った手前、やれる事はやるぞ?

 長兄殿の餌になれ、って言われたらちょっとふて寝するけど』

「言わないわよ。それよりも、レックスの補助サポートをお願い。

 内からはボレアスが支えるにしても、それだけじゃ足りないかもしれないから」

『侮ってくれるなよ長子殿。……と言いたいところだがな。

 流石に我も万全とは言い難い状態だ。

 それに人の言葉では「猫の手も借りたい」と言うんだったか?』

『猫なのは見た目だけですけどね!』

 

 うーん、賑やかだな。

 なんにせよ、俺の案は採用されたようだ。

 剣に溜め込んだ魔力をアウローラに移して、全盛期の力を取り戻す。

 そしたら後は殴り合いだな。

 アウローラだけでも互角なら、俺がいる分でこっちの勝ちだ。

 ボレアスとヴリトラの助けがあれば、力尽きて死ぬ事もないだろう。

 方針が定まったのなら、後は行動あるのみだ。

 そのはずなんだが。

 

「…………」

「? アウローラ?」

 

 腕の中で、何故だかアウローラが動きを止めていた。

 ゲマトリアが放つ存在感と魔力が、この狭苦しい場所にも流れて来ている。

 最早一刻の猶予もないはずだが。

 

『オイ、どうした長子殿?

 今さら竜殺しに噛み付くのがはしたないとか言い出さんだろうに』

「あ、魔力の摂取方法はやっぱその方式なんすね」

『剣から直接よりは、色々と繋がっているお前から取り込んだ方が楽だからな』

 

 そういうもんか。

 しかし少し前にあんだけ派手に吸ったのだから、躊躇う理由はなさそうだが。

 そう首を傾げていると、アウローラは恥じらうように頬を染めて。

 

「……ねぇ、レックス」

「あぁ」

「貴方の案に、もう反対はしないわ。

 危険は多いし無茶はさせたくないけど、他に手段もないから。

 それは良いわ。私も納得して、腹を括ったから。

 けど――その」

「? 何か問題があるのか?」

「…………ちょっと、変わるかもしれないから」

 

 変わる?

 どういう意味か分からなかったが、アウローラは直ぐに言葉を続けた。

 

「だから、私の性格というか、何かそういうのが。

 力が戻ったら、こう、開放感的なもので。

 そんな状態だと、貴方の前ではしたない事をしそうで……」

『言ってる場合じゃなくない長兄殿??』

『長子殿の色惚け具合には本当に困ったものだな……』

「あー」

 

 まぁ、ウン。

 アウローラは女の子だし、そういうのは気になるか。

 妹弟が呆れ返る気持ちもちょっと分かるが。

 

「大丈夫だ」

 

 言いながら、アウローラの背をゆっくり撫でた。

 

「多少変わろうが、お前はお前だ。

 そりゃちょっとは驚くかもしれないが、別にどうって事ない」

「……ヒいたりしない?」

「しないしない」

「……うん、それなら」

 

 控えめに頷くと、細い指が俺の兜に触れた。

 暗闇の中でそれを剥ぎ取り、アウローラの熱が近付く。

 囁く声もまた、目の前から聞こえる。

 

「――少し、苦しいかもしれないけど。

 我慢してね、私の王様レックス

 

 その言葉に、俺が応えるよりも早く。

 静かに重なった唇が、お互いの声を包み込んだ。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る