173話:ゲマトリアの《竜体》
これまで、強敵と呼べる相手とは何度も戦って来た。
特にバンダースナッチ、マレフィカルム、後は《闘神》なんかはヤバかった。
その経験を考えても、未知の戦慄が総身を駆け巡る。
――見られている。
ただそれだけの事で、強烈な重圧がのしかかって来た。
五対の眼、その持ち主が何者かは明白だ。
『まったく予定外も良いところですよ。
貴方達といい、あの糞エルフや小娘達の方も』
裂け目を更に広げるモノ。
それは一柱の竜だった。
城の土台にされたヴリトラの身体と比較すれば小柄だが。
十分過ぎる程に巨大な体躯を持つ
強靭な四肢に見る度に色合いを変える鱗。
一対の翼は広げれば空を遮るほど。
そして何より特徴的なのは、長く伸びた五本の首だ。
蛇のように蠢き、裂け目から俺達の事を覗き込んでいる。
直接頭に響く声は、当然ゲマトリアのものだ。
「《竜体》か」
『見せるつもりはなかったんですよ? いやホントに!』
『大真竜であるボクが本気になるなんて、そんなの恥ずかしいですからね!』
『だけどまぁ、貴方達が悪いんですよ?
此処までやる気はなかったのに、本気にさせてしまったんだから』
笑う。頭に響く声でゲマトリアが笑う。
まるで多人数で話すみたいな喋り方はもう癖なんだろう。
言葉でこそ笑っているが、燃える瞳の色には別種の激情が燃えている。
怒り、敵意、憎悪。
こうしている間にも勢いを増す暗い色の炎。
《五龍大公》は完全にブチ切れていた。
『そっちのヴリトラさんから切り取って、封印しておいた魔力。
これだっていざという時の切り札だったんですけどねぇ。
少なくともこんな勢い任せで使う予定なんて無かったんですから!』
『部屋で寝かせておいたのに、それをあの糞エルフは……!
あぁいや、これは関係ないですね!』
『兎も角、これがボクの――大真竜たるボクの《竜体》です。
どうですか? これまで見た他の真竜なんかとは比較にもならないでしょう!』
自慢げ……というよりは、半ば自棄になっているような言動。
実際のところはどうであれ、脅威度はゲマトリアが語っている通りだ。
これまで戦った全ての真竜。
そのどれも届かない絶大な力の「格」。
大真竜という名乗りに偽りは一点も存在しない。
俺が遭遇した竜の中でも、ゲマトリアは間違いなく最も強大な存在だった。
アウローラとボレアスも力の大きさを感じてか、明らかに表情を硬くしている。
ヴリトラは猫なせいで顔色とかは良く分からない。
『……さて!
久々に《竜体》になったせいで、ちょっとテンション上げ過ぎましたね』
『ええ、まったく。こんな長々と一人で喋っちゃ相手も困りますよ!』
『まぁまぁ、其処は仕方がないって事で一つ』
気配が変わった。
これまでは漠然と感じていた圧力。
殺意とか敵意とか、それらが刃を剥き出しにした。
仮に常人であれば睨まれただけで心臓が潰れると確信できる。
ただ、ゲマトリアが「殺る気」になっただけでコレだ。
『では、ええ』
『はい、じゃあ』
『言うべき事は一つですかね?』
相変わらず一人で喋るゲマトリア。
下手に声を発せない俺達に向けて、最後にその言葉を告げた。
『手加減しないので、できれば死なないで下さいね?』
「逃げるぞ!」
「“翼よ”!」
そう叫んだのはボレアスだった。
彼女が翼を広げるのと同時に、アウローラもまた《力ある言葉》を発する。
竜の飛行速度と魔法による加速。
破壊された壁や床の隙間を縫う形で、俺達は高速で飛んで行く。
刹那の間を挟んで、二度目の大激震。
さっきまで此方のいた空間をゲマトリアが粉砕したのだ。
破壊はそれだけに留まらず、容赦なく逃げる俺達を追いかけて来た。
『死ぬ死ぬ! 流石にこれは死ぬって!』
「泣き言を口にする暇があるなら貴方も働きなさい……!」
『質量操作で加速手伝ってるから許して!』
悲鳴を上げる猫の頭を、アウローラは指でグリグリと圧す。
現状だと働いてないのは正直俺ぐらいだな!
一応アウローラを抱えてボレアスに頑張ってしがみついてるので勘弁して欲しい。
「馬鹿を言っていると舌を噛むぞ!」
いつになく真剣な面持ちでボレアスは叫ぶ。
飛ぶ。飛んで行く。
三柱の竜による高速飛行。
あちこち崩れ出してる洞窟の中を飛んでる状態だが、激突などの心配はなかった。
慣れた動きで複雑な軌道を描き、竜の飛行は速度も落とさず突き抜けていく。
ゲマトリアの気配が遠のくのを感じる。
このまま振り切れるか――と、一瞬でもそう考えて。
『馬鹿ですねェ』
頭に響くのは、ゲマトリアの嘲笑。
瞬間、飛行する速度がガクンッと下がった。
何が起こったのかは直ぐに分かった。
しかしご親切にも大公閣下の方から語ってくれる。
『ボクの固有能力、魔法阻害の力場があるのを忘れてましたか?
《竜体》になった今、この城全体を覆い尽くすぐらいには広げられるんですよ』
そのせいで、アウローラの飛行術式が打ち消された。
だから速度は落ちて。
「まずっ……!」
『落ちなさい、羽虫』
更に、上から凄まじい衝撃が降って来た。
これは力場の爪か。
《竜体》になって威力も増したようで、空間ごと粉砕する勢いでブン殴られる。
床を砕き、ぶち抜いて、また別の空洞へと放り出された。
直後、そこでもまた力場の爪が炸裂する。
適当に振り回しただけの一撃だが、それでも威力の桁が違う。
吹き飛ばされ、叩き付けられ転がされる。
気分は嵐で揉みくちゃにされる木の葉のソレだ。
「レックス、無事……!?」
「あぁ、何とか」
まったく無事ではないが、どうにか言葉は出て来た。
俺が生きてるのは、アウローラとボレアスが庇ってくれたからだ。
魔法が阻害されてる以上、文字通り身体を張って。
でなければ、鎧がどれだけ硬くても中身の方が無事じゃなかったろう。
その代わりに、俺より遥かに頑丈なはずの竜の二人はこっちに負けずボロボロだ。
アウローラの腕の中で、猫のヴリトラも目を回している。
一瞬だったが、こっちも何かしらの防御を張ってくれたようだ。
『ハハハハ、過去最悪の状況ではないか?
こんな事を言いたくはないが、正直勝ちの目が見えんぞ』
「笑ってる場合? ……まぁ、笑うしかないのは少し分かるけど」
「……実際、死ぬほどしんどいな」
それこそ言葉通りに。
ゲマトリアの《竜体》が此処まで強大だとは思わなかった。
恐らくその気になれば、俺達全員を捻り殺すぐらいは容易いはず。
それをせず、今も直ぐに追撃を掛けない理由。
――楽しんでるせいだな。
侮っているワケじゃないだろうが、結果的には似たようなものだが。
強大な力を存分に振るい、獲物である弱者を虐げる。
それもまた竜の本能が為せる業か。
久々に《竜体》になった事で、ゲマトリアは存分にその衝動に従ってるようだ。
即死しないのは不幸中の幸いだが、事態が良くなるワケじゃない。
ゲマトリアは遊んではいるが此方を逃がす気は毛頭ないのだ。
頭上に開いた大穴から五本首が覗き込んでくる。
人間とは大きく異なる竜の表情。
五つの顔が一様に笑っている事だけは、俺の目にもハッキリと分かった。
『おや、鬼ごっこはもうおしまいですか?』
『意外と楽しかったのに残念ですねぇ!』
『まぁまぁ、潔く諦めてくれただけかもしれませんよ?』
ゲラゲラと嘲りながらも、ゲマトリアは隙を見せない。
並ぶ五対の瞳は常に俺達を捉えている。
隙はない――が、だからって大人しくしても死ぬだけだ。
なので、俺が先ず動く事にした。
懐から引っ張り出した賦活剤を素早く飲み干す。
最後の一本だった空瓶は適当に投げ捨てた。
そして空いた手を伸ばして。
「悪いが、ちょっと手伝ってくれ」
アウローラが抱えていたヴリトラを、その手で引っ掴んだ。
『え、ちょ、マジでっ?』
「レックス!?」
アウローラは驚き、悲鳴に近い声を上げる。
目を白黒させている猫をぶら下げ、もう片方の手で剣の柄を握り締めた。
駆ける。賦活剤は正しく機能し、身体は力を取り戻す。
向かう先は大穴からぶら下がるゲマトリアの五本首。
燃える眼がギロリと動き、顎の内三つが開いた。
『『『ガァ――――ッ!!』』』
吐き出される《
渦巻く炎に荒れ狂う稲妻、そして肉を融かす毒の霧。
威力は当然、人の姿だった時の比ではない。
直撃すれば文字通り塵も残らぬ死の嵐。
俺は頭から突っ込む形で走り、片手に掴んだヴリトラを躊躇わず構えた。
「頼んだ!」
『竜使いが荒過ぎるだろ彼氏殿!?』
悲鳴と文句が半々の声で猫は叫ぶ。
叫びながらも、こっちの期待通りに力を周囲に展開した。
さっき叩き落された時にも、一瞬だけ使っていた不可視の防御壁。
その壁はゲマトリアの《吐息》を遮る。
空間が軋みを上げ、炎と稲妻、死の毒が薄皮一枚程度の距離を暴れ回る。
それを無視して、俺は足を止めずに前へと走った。
地獄を抜け出るまで数秒ほど。
嵐を突き抜け、視界が晴れた先。
其処には、ゲマトリアの首が――。
『――当然、今ぐらいじゃ死にませんよねぇ?』
『流石に分かってますよ?』
笑っていた。
俺が三重の《吐息》を突破してくると見越して。
一つの首が、鋭い牙の並んだ顎を大きく開いて待ち構えていた。
完全に狙い撃たれた形だ。
避ける暇すらなく、叩き込まれるのは氷雪の嵐。
『きっつぃ!!』
「ちっ……!?」
ヴリトラの
この壁にまた救われた形だ。
が、上から吹雪に抑え込まれてしまった為、必然足が止まってしまう。
それを見逃すほどにゲマトリアは甘くなかった。
『アハハハハハハハ!!』
嘲笑と共に、巨大な爪が振り抜かれた。
力場を纏って強化した一撃。
到底、生身で防げる威力ではなかった。
虫でも払う勢いで、俺は抱えたヴリトラごと吹き飛ばされる。
吹き飛ばされ、その上で襲って来るのは岩塊。
ゲマトリア自身が破壊した周囲の瓦礫を操り、それを弾丸に変えて来たのだ。
しかも一発ではなく複数。
状況としては岩の雪崩れに等しい。
「ッ――――!?」
声すら上げられなかった。
高速で降って来た岩の礫に抵抗の余地なく潰される。
――まだ、死んではいない。
抱えたヴリトラが、未だにとぎれず障壁を広げているおかげだ。
『この状況で死なれたら、絶対オレが長兄殿に恨まれるからな……!
だから死ぬなよ彼氏殿!』
そんなヴリトラの言葉に、何か応えようとして。
声を出すより早く、ゲマトリアの《吐息》がダメ押しで放たれた。
全く容赦のよの字もない。
これでもまだ遊びの気配を漂わせてる辺り相当だ。
猫が虫を弄んでるのと同じ感覚か。
などと考えてる内に、殺到してくる炎、雷、氷雪に毒、後は酸。
連続して放たれる《吐息》の乱れ撃ち。
押し潰す岩の礫が、一瞬ながら盾となったのは皮肉な感じだ。
しかしそれも薄紙と大差ない。
ほんの僅かな時間で消し飛び、もう限界近いヴリトラの障壁に殺到して――。
「――図に乗るなよ小娘がッ!」
轟く咆哮。
同時に横合いから押し寄せる炎熱が、吹き荒れる地獄を貫いた。
見間違えるはずもなく、それはボレアスの《
出力が違い過ぎる為、完全に相殺はできていない。
しかし生じた僅かな隙間を小柄な影が走る。
アウローラだ。
彼女もまた息を溜め、その口から蒼光の《吐息》を放つ。
二つの《吐息》による十字砲火。
それは一瞬だけ、ゲマトリアの放つ五種の《吐息》を押し返した。
『おい、彼氏殿!』
「分かってる……!」
ぶっ壊れる寸前ぐらいだが、何とか手足は動く。
ヴリトラの声に応えて、俺は破滅の間隙を全力で走った。
恐らくこの状況、あと数秒も持たない。
だから《吐息》を放っているアウローラの身体を抱え上げる。
それから一気に駆け抜けた。
風になれと謎の文句を頭の中で唱えつつ。
走る。走る。走り抜ける。
走っても死ぬかもしれないが、立ち止まったら絶対に死ぬ。
アウローラは内なる魔力を絞り出す勢いで、全霊で《吐息》を放っている。
ボレアスの方も似たようなものだろう。
だが。
『――ま、良く頑張った方じゃないんですか?』
嘲りと共に、予想した通り一気に押し負けた。
二柱の《古き王》が放った《吐息》。
これを纏めて呑み込んで、ゲマトリアの《吐息》が弾けた。
爆発とか、そんな生易しいものじゃない。
全身が沸騰したかのような熱。
それに五体が余さず砕かれたと錯覚する衝撃。
天地の間に、自分が何処にいるのか。
「――――!」
腕の中で、アウローラが何かを言った気がしたが。
その声が届くより前に、俺の意識は闇の底へと消えていた。
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