172話:ヴリトラ解放
大気が軋む。
強大な魔力が渦巻き、ゲマトリアを抑え込んでいる。
人間なら当然、仮に真竜でも抗う余地なく潰されそうな重圧。
しかし相手は大真竜。
床に沈み込みながらも、力技で強引に立ち上がろうとしていた。
『マジかよ。
身体を浮かせるために軽減してる「重さ」を纏めてブチ当ててるんだけど』
「この、ぐらいでェ……っ!」
この島一つ分の重量。
それをヴリトラはゲマトリア達に叩き付けているようだ。
普通粉々になりそうなところを《五龍大公》は抗う。
固有能力や《邪焔》を駆使し、三匹のゲマトリアは遂に立ち上がる。
「――で、こっちがそれを見ているだけだとでも?」
立ち上がった処で、竜王達は動いた。
アウローラもボレアスも、既に「溜め」は完了していた。
大きく息を吸い込み、そして二人同時に。
「「ガァ――――ッ!!」」
解き放つ《
アウローラの青白く煌く閃光と、ボレアスの赤く輝く炎熱。
どっちも全力の一撃。
巻き込まれたら死ぬので、俺は直前でアウローラ達の背後にダッシュで逃げた。
周囲を青と赤の光が眩く埋め尽くし、大気の破裂は耳で聞ける音の領域を超える。
……全てが静かになった後。
其処にはド派手に抉られた破壊の痕跡だけが残っていた。
床や壁を巻き込んで穿たれた大穴。
軽く覗き込むと、遠くに空の一部が見える。
どうやら余りの威力に土台部分を丸ごと貫通したようだ。
「……流石に死んだか?」
「さて、派手に吹き飛ばしてはやったが」
「腐っても古竜よ。あの程度じゃ死にはしないでしょう。
流石に器は粉々に砕けたと思うけど」
『容赦ないわーこの二人』
俺の言葉にボレアスとアウローラがそれぞれ応えてくれる。
其処にヴリトラの声も加わった。
とりあえず、封印の解除は成功したようだが。
「具合はどう?」
『やっぱ完全じゃあないな。
感覚的には手足が動くようになった、ってところか?』
「封印はもう一つある、と話しておったな。
そちらの方は今はどう感じている?」
『こっちの封印が解けたせいか、今までよりはハッキリ感じられるな。
やっぱオレの力を一部切り取った感じだな。
こっちの封印が解除された場合の保険にしてるっぽい』
「そっちもどうにかしないと、完全に自由にはなれないわけか」
『そういう事だな、彼氏殿』
その呼び方にまたアウローラが悶え始めるが、とりあえずは置いておこう。
「ちなみに、そっちを解除しない場合の不都合は?」
『まぁパワーダウン以外のデメリットは無いかね。
本体――オレ自身の魂の本質はこっちにあるからなぁ。
最悪、もう片方は無視してどっか行ってもまー大きな問題はないな。
ウン、ない。問題無し』
「……パワーダウンとか気軽に言ってるけど。
それ、実質力の半分近いんじゃないの?」
『またちょっと……それこそ二百年か三百年でも寝てれば治る程度だし。
別にそこまで拘らなくても良いかなって』
うーん、「ちょっと」の
要するに、ヴリトラ本体が封印を突破しても完全な状態にしないための措置か。
『あー不都合と言えば』
「なに?」
『流石に力を削がれた状態で、この身体を丸ごと動かすのは難しいな。
ただ単純に
この身体、というのは俺達がいるこの土台の事だろう。
島一つ分にも等しい巨大な竜体。
万全ならこれを自由に動かせる、というのが逆に信じ難い話だ。
ヴリトラは浮遊する岩塊の状態で軽く笑った。
『ま、それならそれでこのまま動けば良いしな。
これも別に大きな問題じゃなかったな』
「……いえ、流石にその身体は何とかしたらどう?
それじゃあ単なる岩じゃないの」
『? いや、これで落ち着くんで』
「貴方って奴は本当に……」
あまりにも緩いヴリトラの受け答えに、アウローラは頭を抱えてしまった。
俺としては本人が良いなら良いんじゃないかとは思うが、ウン。
「ヴリトラは昔からこういう奴だ。
長兄殿も諦めが肝心だと思うぞ?」
「……ま、まぁ、今さら竜の誇りだの言う気はないですけど」
「そういうのを気にするのも悪くはないと思うけどな」
フォローになってるかは不明だが、抱えた頭を撫でておく。
髪を指で梳いても、籠手を着けてる状態じゃ感触がイマイチ分からない。
そこはちょっと残念だ。
撫でられたアウローラの方は、少し恥じらうように頬を染めて。
「もう、貴方はまた適当な事を言って……」
「まぁまぁ」
『……彼氏殿が長兄殿の扱いが手慣れ過ぎててちょっと怖くなって来たわ』
「そうか?」
何故か怖がられてしまった。
俺としては、アウローラは結構分かりやすい方だと思うんだが。
まぁその辺はあくまで俺視点での話だしな。
「それより、竜の誇りだのは別にしてもその恰好は何とかしなさいよ。
幾ら何でもその状態で動き回られるのは邪魔なんですけど」
「まぁそれは確かに」
今のヴリトラは、大体俺と同じぐらいの大きさの岩の塊だ。
それが浮遊しながら移動するってのは、まぁ邪魔と言われると反論できない。
狭い通路とか間違いなく通れないだろうしな。
そこを指摘されると、ヴリトラは低く唸る。
岩塊がゆらゆらと揺れるのは、本人的にはどういう仕草なんだろうか。
『……オレは正直、これで不都合ないんですけど』
「いいから何とかしなさい」
「流石に我も、こればかりは長兄殿が正しいと思うぞ」
『彼氏殿』
「実際ちょっと邪魔だと思う」
『うーん味方がいなかったか』
無念、と呟くヴリトラ。
わざとらしく嘆いてみせるが、まぁ言うほど嫌ではなさそうだ。
ごねてるのは単純に面倒臭いだけだろう、きっと。
『とは言っても、《竜体》以外の姿を取った事なんてほぼ無いんだよなぁオレ』
「今は贅沢言わないから、何か動きやすい形になりなさい」
「我も人の姿などと最初は不満だったがな。
まぁ慣れればどうという事はないぞ?」
「貴方はいいからちゃんと服を着て欲しいんだけど??」
アウローラさんの渾身のツッコミは、しかし
それは兎も角、ヴリトラは少し悩んでから。
『……よし、ちょっとだけ待ってくれ』
「なるべく急ぎなさいよ。
《吐息》で吹き飛ばしたけど、ゲマトリアがいつ復活するか分からないんだから」
『分かってる分かってる』
言って、岩塊が淡い光を放ち始める。
さて、ヴリトラは一体どういう姿になるのか。
アウローラやボレアス、後はマレウスと姉妹は美少女揃いだ。
男としてちょっと期待する部分はある。
と、微妙にアウローラさんの視線が刺さって来た。
なので邪な考えは頭の片隅に寄せておく。
誤魔化しついでに、懐から賦活剤を出して呑んでおいた。
これで残りは一本。
できれば補充したいところだが、流石にそこまでの余裕はないか。
……などと考えてる内に、ヴリトラの変化は完了したようだ。
光の中で岩塊の姿は消え失せて、同じ場所に立っているのは――。
『ヨシっ』
……猫だった。
うん、猫だ。どう見ても猫。
大きさは猫にしてはデカい方だろうか?
もこっとした毛並みは岩に似た濃い目の灰色。
瞳は赤く、
どこかふてぶてしい態度を漂わせる猫――いや、猫の姿をしたヴリトラだ。
《古き王》の一柱は、新たな形態に満足そうな顔をしていた。
さて、それに対してこっちの
「なんで猫なのよ??」
アウローラさんのツッコミは大変正常だと思う。
半ギレのそちらと違って、ボレアスは呆れが通り過ぎて若干虚無っていた。
まぁ俺も、まさか過ぎる姿に正直ビックリしたけど。
尚、ヴリトラ本人は一切悪びれた様子もない。
むしろツッコまれた事こそ心外だと、そう言わんばかりに首を傾げる。
『えっ、一番楽そうな形を選んだら自然に』
「古竜の誇りとか何処に置き捨てて来たのよお前は……!?」
『そ、そういうのはいいって言ったのは長兄殿だろ?』
「モノには限度ってものがあるって言ってるのよ私は!」
猫――ヴリトラの身体を両手で持ち上げるアウローラ。
抱き上げるというか首を絞める形でだが。
肝心のヴリトラはあんまり堪えている様子じゃなさそうだ。
しかし猫の身体って伸びるもんなんだなぁ。
「……せめて人の形を取るかと思ったんだがなぁ」
「これまで会ったまともな古竜は大体そうだったしな」
「我は別に好んでいるワケではないが。
それでもまぁ竜としての姿以外で、と考えた場合の妥協点のはずだが……」
猫は無いだろう、猫はと呆れ返るボレアスさん。
それはそれとして。
「なんか猫になっちまってるが、別にそれで不都合はないんだろ?」
『足で地面歩くの自体が下手すると数千年ぶりだからな。
そこを慣らす必要があるぐらいかね。
そういう意味じゃ、四足は安定してて悪くないなぁ』
「コイツは、本当に……」
「まぁまぁ」
無言でこめかみを抑えるアウローラ。
それを宥めるつもりで背や頭を軽く撫でた。
少しして、アウローラはひと際大きく息を吐き出した。
で、持ち上げていたヴリトラを足元に下ろす。
まだちょっとイラついてるのか、爪先で軽く蹴りを入れながら。
『謂れのない暴力はどうかと思うんだよ長兄殿』
「どの口で言ってるのよお前。
……それより次よ。不完全とは言え
ゲマトリアにも手傷を負わせて、一時的にだけど撃退もしたわ」
「できればこのまま攻め込みたいところだな。
時間を置いて回復されたら面倒だ」
「我も竜殺しと同意見だ。
回復されるのもあるが、雑魚を揃えて数押しされても手間だぞ」
その場の全員、意見は大体一致しているようだ。
まぁ足元で一匹、丸まってウトウトしている猫がいるけども。
「全力で踏んづけて内臓全部口から吐き出させてあげましょうか?」
『悪気はないんだ長兄殿!
ただちょっと、思った以上にこの形態が寝心地が良くてだな……!』
「生皮剥いでやろうかしら」
割とマジ声である。
ヴリトラは再度首を引っ掴まれ、ぷらんとアウローラの手に吊るし上げられる。
その状態で、猫の姿のまま器用に肩(?)を竦めた。
『まぁ協力するって話で、封印まで解いて貰ったワケだしな。
そこは冗談抜きで真面目にやるよ。
どこまで役に立つかは保証し切れんけどな』
「助かる。さっきもそっちのおかげでゲマトリアをふっ飛ばせたしな」
『アレは不意を突けたのと、単純に運が良かっただけだぞ。
少なくともあのガキンチョ、力が半減してる状態で戦いたい相手じゃないな』
そもそも戦い自体が苦手だけどな、と嘯くヴリトラ。
得意でないのが本当だとしても、そこは《
協力すれば、大真竜であるゲマトリアが相手でも十分勝ち目はある。
少なくとも俺はそう考えていた。
「なら、このまま動いてゲマトリアを探しましょう。
できれば回復されてしまう前にね」
「いっそ封印されたままのヴリトラの半切れも回収するか?
どの道、あの姉妹も拾わねばなるまい」
「あー、確かにテレサやイーリスはそうだな。
ウィリアムは……まぁ良いか、糞エルフだし」
『なんか知らんけどすげー扱いが雑なのが一人いるな?』
糞エルフだからそこは気にしなくて良いぞ。
閑話休題。
「で、肝心のもう一つの封印場所ってのは?」
「ヴリトラ」
『ちょっと待ってくれよ長兄殿。
こっちの縛りは解けたし、探れば多分見つかるから』
「急がないとこのまま縦に揺らすわよ」
『長兄殿ったらここぞとばかりに鬱憤晴らしに来てない??』
両手で脇から抱え上げられながら、ヴリトラは形だけの抗議を口にする。
しかし宣言通りに縦に振られたため、そのまま大人しく作業に入ったようだ。
ヴリトラは瞼を閉じ、意識を集中させている。
程なくして。
『……あれ』
「なんだ、寝過ぎて感覚が鈍ったとか言うまいな?」
『いや、そうじゃなくてだな』
茶化すボレアスに、ヴリトラは困惑を滲ませていた。
その様子にアウローラは眉を顰める。
「一体どうしたのよ。
あまり悠長にやってられる状況じゃないんだから。
結果が出たなら手短に言いなさい」
『いや、それがな。確かにもう一つの封印は見つけたんだけど……』
「けど?」
『……近い』
ん?
横で聞いていた俺も思わず首を傾げる。
近い、というのは。
『だから、封印……っつーかオレの力の半分。
それが何か、すぐ近くから――』
ヴリトラがその言葉を最後まで言い切るよりも、早く。
衝撃が走った。
天と地が裂けたと、そう錯覚しそうな。
視界が定まらないのは、それほどまでに世界が揺さぶられているから。
手近な壁――いや、床か?――に剣を突き立て、空いた手を伸ばす。
ヴリトラを抱えたアウローラの手を掴んで、此方に引き寄せた。
ボレアスは背に翼を広げ、自力で傍まで飛んでくる。
そうしている間も揺れは続く。
……俺達がいるのはかつてのヴリトラの《竜体》、その内部。
《天空城塞》を浮き上がらせている土台。
小さな島一つ分にも匹敵する巨大な岩の塊。
桁違いの質量は多少壊されようが小動もしない――しないはずだ。
アウローラとボレアス、二柱の竜が放った全力の《
全体から見れば小さな穴を穿った程度。
そんな馬鹿げたサイズの岩塊が、引き裂かれている。
比喩でも何でもなく、言葉通りの現象が俺達の前で起こっていた。
目に見える全てが脆い陶器であったかのように。
圧倒的な力によって破壊されていく。
そして、頭上に開いた馬鹿でかい裂け目から。
『――――見つけた』
五対の燃える瞳が、俺達を見下ろしていた。
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