第六章:空が墜ちる時

175話:五龍大公vs最強最古


 以前に一度、飛竜ワイバーンの背に乗って空を飛んだ事はある。

 それ以外にも魔法での飛行とか、「飛ぶ」という行為自体は経験があった。

 ただ、今の状況はそのどれとも大きく違う。

 空の高さが違うのも含め、見えてる景色はこれまでとはまるで異なる。

 何より一番の差異は、乗っている存在の強大さだ。

 周囲の大気を歪める程の、莫大な魔力を身に纏った黄金色の竜。

 伝説や神話、或いは災厄の中でのみ語られるモノ。

 この世で最も偉大な獣であり、最も古き王。

 おかしな表現かもしれないが、これほど竜という名に相応しい者はいないだろう。

 そんな恐るべき竜の背中に、俺は跨っていた。

 言葉遣いや気配は大分変化しているが、それでも分かる。

 この黄金の竜がアウローラである事は。

 しかし。

 

「地声は結構低いんだなぁ」

『彼氏殿、ちょっと今そういうのは止めてあげよう??』

『ハッハッハッハッハッハ』

 

 思わず呟いてしまった一言に、二匹の竜が反応する。

 ボレアスは相変わらず俺の内側だが、ヴリトラはさっきまでとは少し異なる。

 近くに猫の姿はなく、けれど気配と声は直ぐ傍にあった。

 より正確に言えば俺の鎧だ。

 魔剣に取り込んだ力をアウローラに移す際の事だ。

 ヴリトラは俺の補助という事で、実体を解いて一時的に俺の鎧に宿る形となった。

 その影響か、大分ボロボロだった鎧は新品同然の輝きを取り戻している。

 全体に竜の魔力も漲っていて、身体もかなり軽い。

 と、その鎧の上から柔らかい感触が軽く覆いかぶさって来た。

 

「――ちょっと、私は真面目にやってるんだから。

 変な茶々入れするのは止めて頂戴?」

「いや、悪かった。ついな」

 

 背中から抱き着いて来るのは、少女の姿をしたアウローラだった。

 俺が跨っているのも、力を取り戻した事で《竜体》と化したアウローラだ。

 ならばこっちは何かと言うと。

 

「意識の一部だけを切り離して、霊体として像を結んでるだけよ。

 ……竜の姿だと、どうしても昔の感じになっちゃうし。

 そういうの、やっぱり気になるから」

 

 という事らしい。

 女の子らしさを保つための幽霊ボディとか、まぁ大体そんな感じか。

 けど半分ぐらいは実体らしく、軽く触れ合う事はできる。

 だからアウローラは甘えるように俺の身体に抱き着いていた。

 

「あっちに集中しなくて大丈夫なのか?」

「平気よ、このぐらいの並列処理マルチタスクなら。

 ――それに、貴方も一緒に戦ってくれるんでしょう?」

「あぁ、勿論」

 

 その為に、こうして背中に乗ってるワケだしな。

 加えてボレアスとヴリトラの助けもある。

 此処まで揃えば負ける気はしない。

 

『――あんまり舐めないで下さいよ、《最強最古》!!』

 

 吼えるのは、黄金の竜と相対する五本首の竜。

 竜王ヴリトラの力を呑み込んだ大真竜、《五龍大公》ゲマトリア。

 その強大さは、《竜体》となったアウローラにも決して引けを取らない。

 故に臆する事なく、むしろ戦意と敵意を剥き出しにして咆哮を放つ。

 

『お前なんて、所詮は時代遅れの老害ロートルなんですよっ!

 今さら王様面したって遅いですから!』

『時代遅れとは良く言ったものだな、小娘。

 だが吠えるだけなら犬でも出来る。

 それとも、大真竜とやらは犬の群れの事だったか?』

『だから、舐めるなと言ったでしょうが――!!』

 

 アウローラの挑発に、ゲマトリアは怒りを牙の如く剥き出しにする。

 五つの顎が大きく開き、吐き出される五種の《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 炎熱も、氷雪も、雷撃も、毒霧も、強酸も。

 そのどれもがこれまで以上の威力だ。

 ちょっと前に同じモノを喰らっていたら、間違いなく全滅していた一撃。

 それが迫る中でも、黄金の竜は僅かな動揺も見せない。

 むしろ嘲るように笑ってさえいた。

 

『だから小娘なのだ、貴様は』

 

 対するアウローラも大きく息を吸い込む。

 そして放たれる青白い極光。

 人間の姿での《吐息ブレス》とは文字通り桁が違う。

 ヴリトラの竜骸からゲマトリアを弾き出した時と同等――いや、それ以上か。

 二柱の竜王が撃ち合う《吐息》。

 それは正面からぶつかると、凄まじい破壊の衝撃を辺りに撒き散らす。

 《吐息》の威力はほぼ互角ぐらいだったか。

 お互いに大半を相殺した上で、その余波だけで世界を揺さぶる。

 背に跨っているおかげか、こっちには衝撃は殆ど伝わってこないが。

 

「すげェな、やっぱり」

『《古き王オールドキング》の頂点、かつては《最強最古》と呼ばれた者だからな』

『……長兄殿なら《吐息》をスカす手ぐらい使えるだろうに。

 いきなり正面からの撃ち合いに乗るとか、分からせる気満々じゃん』

「当たり前でしょう? 身の程知らずの代償はキチンと支払わせないと」

 

 微妙に大人げなさが漂うけど、悲しいがこれは戦いだ。

 相手がなんであれ、やり合う以上は全力で叩き潰すのみだ。

 だから俺は強く剣を握る。

 手にした柄から伝わる魔力は、かなり希薄だ。

 まだ竜を斬っていなかった頃と状態は戻った形だな。

 俺自身の魂の内では、ボレアスが炎となって熱を生んでいる。

 だからすぐ力尽きてぶっ倒れる、なんて事にはならない。

 

「さぁ、魔法で最低限の補助はしてあるけど。

 激しくなるだろうから、振り落とされないでね?」

「大丈夫だ。こっちはこっちで何とかする」

 

 囁くアウローラの言葉に軽く頷く。

 それとほぼ同時に、黄金の翼が大きく羽ばたいた。

 加速。これまでのどんな乗り物よりも速い。

 風を切るというより、派手に引き裂いていく感じだ。

 未だに残る《吐息》同士の激突の余波。

 それを貫いて、ゲマトリアが二発、三発と《吐息》を撃ち込んで来た。

 アウローラは素早く空を舞ってこれを回避する。

 わざとらしく揺らされた尾に釣られるような形で、ゲマトリアもまた加速した。

 

『まさか逃げるつもりじゃあありませんよねェ!?』

『下衆の勘繰りだな、器が知れるぞ』

 

 ゲマトリアはキレ気味に、アウローラはあくまで嘲るように。

 お互い罵声を浴びせながら、巨体とは思えぬ速度で高空を飛び回る。

 いや、本当に冗談抜きで速い。

 補助がなければしがみついてるのもしんどかったろう。

 

『辛そうだな、竜殺し』

「本物の竜に乗るのは流石に初めてだからな……!」

「ええ、私が貴方の初めてね」

 

 何故か機嫌良さげに笑うアウローラに、ボレアスは小さくため息を吐いたようだ。

 それは兎も角、二柱の竜による追いかけっこは続く。

 現状はアウローラをゲマトリアの方が只管追っている形だ。

 速度はどちらも同じぐらいなのか、見たところ相対距離は殆ど縮まっていない。

 ゲマトリアは五つの顎から、途切れること無く《吐息》を放つ。

 五本同時ではなく、二つ三つとタイミングをずらして。

 しかしアウローラは、それらを一つも掠らずに華麗に空を舞う。

 陽光に照らされた金色の鱗が、キラキラと光輝く軌跡を描く。

 

『なんだ、馬鹿の一つ覚えか?

 私の鱗はまだ一枚も剥がれていないぞ』

『ハッ! いつまでそう余裕ぶっていられますかね……!』

 

 アウローラの挑発に対し、ゲマトリアは律儀に言葉を返してくる。

 言いながら、何度目になるか分からない複数の《吐息》。

 そんなものは当たるはずもなく、黄金の竜は軽やかに回避して――。

 

『む……!?』

 

 突如、その動きが停止した。

 《吐息》は外れたが、飛行速度は一気にゼロまで落ちる。

 さながら「見えない手」に掴まれたかのように。

 

『ザマァないですねェ!

 《竜体》になって力押しだけが能かと思いましたか!?』

 

 嘲りながら、ゲマトリアは大きく息を吸い込む。

 恐らくは、固有能力と思しき不可視の力場か。

 飛び回って《吐息》を連射しながら、密かに網を張っていたようだ。

 今のアウローラなら力尽くで破るのは難しくないはず。

 しかしどうしても動きは縛られる。

 其処を狙ってゲマトリアは渾身の《吐息》を叩き込むつもりだ。

 だから、俺はここで動いた。

 縛られたアウローラの上を走り、大体の「当たり」を付けて剣を振るう。

 音も無く、剣の切っ先が何かを砕く手応え。

 全てではないが、アウローラを縛る力場の網に切れ目を入れた。

 そして一部さえ壊してしまえば――。

 

「流石ね、レックス」

 

 アウローラが微笑み、黄金の竜は容易く戒めを引き千切る。

 だがゲマトリアの方もそう温い相手じゃない。

 力場の網を破壊するまでに、十分以上に「溜め」を完了していた。

 

『『『ガァ――――ッ!!』』』

 

 ほぼ全力に近い《竜王の吐息》。

 流石に回避は不可能と判断し、アウローラもまた息を吸い込む。

 一瞬遅れて放たれる《吐息》が、再度五種の《吐息》に正面から突き刺さる。

 また同じように凄まじい衝撃が大気を揺さぶるが、さっきとは少し違う。

 最初の撃ち合いは殆ど互角だった。

 が、今のはゲマトリアの威力が勝っていたようだ。

 全てを相殺し切れず、《吐息》の一部が黄金の鱗を焼き焦がす。

 衝突の余波も大半がこちらに吹きつけてくる。

 

『ッ――――』

 

 黄金の竜――アウローラの口から声が漏れた。

 何を言ってるかは分からない。

 或いは痛みの声を押し殺したのかもしれない。

 

『アハハハハ!! その程度ですか《最強最古》!?』

 

 そして、ゲマトリアは攻め手を決して緩めなかった。

 動きを止めた処に細かい《吐息》を更に撃ち込む。

 同時に、見えない力場の爪を様々な角度から叩き付けて来た。

 アウローラは翼を広げて躱そうとするが、速度は先ほどより落ちていた。

 全ては回避し切れず、何発かの攻撃が金色の鱗を削る。

 その様子を見て、ゲマトリアは気を良くしたようだ。

 

『なんですか! エラそうな事を言った割にロクに反撃もしないとか!

 《最強最古》とか名乗っておいて恥ずかしくありません!?』

『――――』

 

 アウローラは応えない。

 ただその口からは微かな声が漏れ聞こえる。

 それは俺の傍にいる霊体のアウローラも同じ事に気付いた。

 耳を傾けると、それは歌に似ていた。

 似ているが、それとは別物である事にも気付く。

 そして。

 

『どうしましたか、ちょっとぐらい反論したらどう』

『――《流星ミーティア》』

 

 ゲマトリアが投げ付けてくる悪罵に。

 アウローラはそれとはまったく関係ない、《力ある言葉》を返した。

 瞬間、起こった事はあまりにも劇的だった。

 まだ日が照っていたはずの空。

 その全てが一瞬にして暗い色に染まったのだ。

 

『な……っ!?』

 

 突然の異常事態に、流石のゲマトリアも動揺を見せる。

 暗い色――いや、これはだ。

 まだ日が落ちていないはずの真昼の空が、一瞬で夜の空に裏返った。

 言葉通りの天変地異だが、それはまだ序の口だった。

 

『使うのも随分久しいので、少々手間取ったな』

『そんな、ボクのいる空間で魔法が使えるはずが……!』

『種の割れた手品を過信し過ぎたな。

 何をしているか分かっているなら、対処する方法も当然造れる。

 とはいえ、それを突破するために発動まで時間が掛かったのは事実。

 思った以上にできる小娘に、私からの贈り物プレゼントだ』

 

 星が瞬く。

 アウローラはこれを《流星ミーティア》と呼んだ。

 つまり、それが意味するのは。

 

『星の雨に打たれるがいい、愚かな僭主よ。

 この我が魔力で整えた偽りの星空。

 ――その全てがお前にとっての天罰ダモクレスの剣だ』

 

 星が瞬く。

 それこそ見た目通りの星の数ほど。

 降り注ぐのは金色の竜が語った通りの天罰の具現。

 紅蓮の炎に包まれ、落ちてくる無数の岩塊。

 それらは例外なくゲマトリアを標的ターゲットにしていた。

 

『長兄殿の十八番だな、見たのはこっちも久々だ』

「……流石にとんでもないな」

 

 遥か遠い夜空ではなく、すぐ目の前を過る流れ星ミーティア

 ヴリトラの漏らした言葉に、俺も応える形で呟いた。

 星を落とす桁違いの大魔法。

 それを容易く行使する様は、《最強最古》の名に相応しいものだ。

 

『そら、堪えて見せろよ大真竜』

『――――ッ!!』

 

 降り注ぐ星々と、その轟音に半ば掻き消されたゲマトリアの咆哮。

 そんな中で、竜の本性のままに笑うアウローラの声だけが良く響いた。

 

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