176話:激闘の空


 空を夜に塗り替えて、そこから星を墜とす大魔法。

 《竜体》となったアウローラの力は桁違いだ。

 普通ならこれだけで終わってしまい、戦いにもならない。

 だが相手は大真竜、古い王冠を簒奪した僭主せんしゅの一柱。

 降り注ぐ流れ星を浴びながらも、墜落する事もなく持ち堪えていた。

 

『こんなもの――ッ!!』

 

 ある星は力場で破壊し。

 またある星は黒い炎――《邪焔》を纏った爪や尾で打ち砕く。

 炎や雷の《吐息》で払うように撃ち落す。

 流れ星は幾つも降り注ぎ、その全てを迎撃する事は不可能だ。

 実際に何発かはゲマトリアの身体を撃ち抜いていた。

 鱗が破れ肉が抉れても、それらの傷は瞬く間に再生する。

 天の星々を墜とす大魔法の直撃を受けながら、ゲマトリアは未だ揺るがない。

 その様は凄まじいの一言だった。

 

「……よし」

 

 地獄めいた光景を眺めながら。

 俺は軽く剣を握り直した。

 アウローラは《流星》を維持している為に動けない。

 ゲマトリアは圧倒されてはいるが、恐らくこれだけでは押し切れない。

 だったら、ここが働き時だろう。

 

『やる気か? 流石に正気とは思えんぞ』

「それこそ今さらだろ」

 

 このぐらいの無茶はいつも通りだ、多分。

 背中にくっついたままの、幽霊な方のアウローラ。

 その頭を軽く撫でておいた。

 

「じゃ、ちょっと行って来る」

「……別に、見ていてくれても構わないのに」

「それだとアウローラが大変だろ」

 

 彼女が負けるとは思っていない。

 しかしこのまま楽に勝てるほどゲマトリアは甘くないだけだ。

 だから俺は軽く笑って。

 

「俺の事は気にせずに、魔法もこのまま続けてくれ。

 ――あぁ。あと、ハスキーな歌声もセクシーでありだと思う。

 できたら今度ゆっくり聞かせてくれ」

「ッ――――」

 

 とりあえず言っておきたい事は言ったので、俺はそのまま空に踏み出した。

 アウローラが真っ赤な顔で何かを口にするが、ちょっと良く聞こえない。

 これは後で聞いておいた方が良いだろうか。

 

『彼氏殿さぁ??』

「なんか拙かったか?」

『いやぁ良いですけどね!

 こんな高さで身投げする事に比べりゃよっぽど!』

『この男は賢いようで馬鹿だからな、今の内に慣れておけよ』

「頼りにしてます」

 

 流石に備えも無しなら不用意に身投げしたりはしない。

 いや本当にしませんよ、する必要がない限りは。

 それは兎も角、俺は竜の背から星が流れる夜の空に身を躍らせた。

 本来ならば成す術もなく自由落下するところだが、今の俺には助けがある。

 

『で、ホントにやるんだな彼氏殿!』

「あぁ、頼む」

『ハハハッ、精々暴れてやるといい』

 

 落ちる速度と軌道、それらを鎧に宿ったヴリトラに操作して貰う。

 向かうべき先はただ一つ。

 今も星の雨に耐え続けている大真竜ゲマトリア。

 そのでっかい《竜体》の上だ。

 《流星》を防ぐ事に意識を割いている為か、まだこっちに気付いていない。

 それならば好都合。

 俺は剣の切っ先を下に構え、流れる星に紛れて落下する。

 まで数秒と掛からなかった。


「ッ――――!」


 展開された力場の盾、その一部を突き抜ける。

 衝撃で思わず漏れた声は、不可視の力場が砕ける音に紛れた。

 剣を下に突き出した状態で、俺はゲマトリアの首の根元辺りに着地した。

 速度と重さが乗った剣は、大真竜の鱗を容易く貫く。

 

『ギッ……!?』

『なんですか! 今のは《流星》じゃ……!?』

『ちょ、まさか……っ!』

 

 剣をぶっ刺せば流石に察するか。

 足場は死ぬほど不安定だが、転ばないようにがんばる。

 その上で、突き刺した剣で鱗の一部とその下の肉を斬り裂いた。

 派手に血がしぶき、悲鳴の五重奏が響き渡る。

 それが隙となり、また何発かの流れ星がゲマトリアの巨体を貫く。

 

『レックス――ッ!!』

「おう、借りを返しに来たぞ」

 

 さっきは散々ボコボコにされたからな。

 激しく揺れる竜の身体の上。

 デカいおかげで足場としては広めで助かる。

 落ちてくる星とその破片にも注意しながら、俺は硬い鱗を蹴った。

 当てる場所を狙う必要はない。

 見渡す限り全てがゲマトリアの《竜体》だ。

 剣を振るえば鱗が削れ、肉が抉れて血が飛び散る。

 勿論、ゲマトリアの方もただやられたまんまじゃない。

 

『この状況で飛び込んでくるとか馬鹿過ぎませんか!?』

『鬱陶しい! 離れなさい――!!』

 

 上から襲って来る爪と、おまけに力場の網。

 捕まったらその時点でお陀仏だ。

 揺れる中を走って転がり、ついでに剣で鱗や肉を削って行く。

 首の一つがこっちを向いて顎を開き、炎の《吐息》を放ってきた。

 避ける余地はないのでまともに浴びるしかない。

 ゲマトリア自身は自分の《吐息》で傷付く事はないのだろう。

 だからこそ、身体ごと邪魔な俺を焼き払いにかかる。

 

『熱ゥ! ちょっと彼氏殿! マジでキツいんだけど!』

「おれもきつい!」

 

 本当に、ヴリトラが協力してなかったら死んでるな。

 内に宿ったボレアスと、鎧に宿ったヴリトラ。

 二柱の竜が与えてくれる耐火の加護。

 後は自前の気合いと根性で「がまん」する。

 即死せずに耐えられるなら、後は何とかなる。

 

『ッ、嘘でしょう……!?』

 

 渦巻く炎を突き抜ければ、耳に届くのはゲマトリアの驚愕した声だ。

 全身を割とガッツリ焼かれているので、とても応える余裕はない。

 どの部位も軽く動かすだけで激痛が神経を掻き毟る。

 それを「がまん」して、持てる全力で剣を振り抜いた。

 いつの間にかは知らないが、ゲマトリアは鱗に薄く《邪焔》を纏っている。

 防御を固めたつもりらしいが、そんなものは関係ない。

 

「おおおぉぉッ!!」

 

 内で燃える戦意を叫び、自分自身を鼓舞する。

 魂で燃えるボレアスの炎は、《吐息》で焦がされた五体に力を漲らせる。

 ヴリトラの宿る鎧はそれを助けて力を増幅させる。

 古い竜の力を上乗せした竜殺しの刃。

 それは薄衣程度の厚さの《邪焔》を、物ともせずに貫いた。

 鱗と肉を再び斬り裂かれるゲマトリア。

 苦痛を訴える悲鳴が夜空に轟く。

 

『こんな、馬鹿な……!』

『真なる竜殺しを、人間如きと侮り過ぎたなぁ《五龍大公》!』

 

 驚愕と困惑を叫ぶゲマトリアと、それを嘲るボレアス。

 俺は何も考えず、無心で剣を振るう。

 動揺はしながらも、ゲマトリアも爪や力場で攻撃は仕掛けて来た。

 大真竜の意地か、或いは竜の闘争本能がなせる業か。

 暴れ狂うゲマトリアの上を走り、鱗を裂いては攻め手を躱す。

 避け切れずに、鎧と身体を削られもするが構わない。

 即死しない限りは何とかなるからだ。

 

『人の上でちょこまかとっ!』

 

 複数の《吐息》でも狙いながらゲマトリアは呻いた。

 攻勢が激しくなるほど、こっちが耐える難易度は倍増ししていく。

 かなり頭に血が上っているらしく、五対の眼は俺の姿を必死に追いかける。

 ――そう、ゲマトリアは今や俺を仕留めるのに夢中だ。

 故に、この場で最も注意すべき相手から意識を外し過ぎていた。

 その報いは直ぐに訪れる。

 

『――

『ッ!?』

 

 気が付けば、《流星ミーティア》は止んでいた。

 塗り替えられた偽りの夜空はそのままに。

 黄金の竜――アウローラは、ゲマトリアの眼前にまで迫っていた。

 互いの鼓動が伝わるぐらいの距離。

 それほどに詰められるまで察知できなかった大真竜を、アウローラは嘲る。

 

『私の剣を、私の唯一人を低く見積もり過ぎたな。

 ――そう。貴様如きでは、とても王の冠とは釣り合わん』

 

 一方的に言い放ち、強烈な尾の一撃がゲマトリアを打ち据えた。

 凄まじい衝撃は上に乗る俺にも伝わってくる。

 直で喰らった方は堪らないだろうな。

 

『ぐえっ……!?』

『味わえ、これが格の違いだ』

 

 尾の一発で体勢を崩し、そこに重なる爪の連撃。

 力場の守りは紙に等しく、《邪焔》の防御は俺が斬り裂いたばかりだ。

 俺の剣より遥かに深く、アウローラの爪がゲマトリアの肉を抉り取った。

 金色の鱗を返り血で染めながら、黄金の竜は胸郭を膨らませる。

 次に何が来るか、そんなものは考えるまでもない。

 

『彼氏殿!』

「分かってる!」

 

 この場に留まるのは危険だと。

 ヴリトラの警告と共に、俺はゲマトリアの鱗を思い切り蹴り飛ばす。

 二度目になる空に向けての逃避行ダイブ

 ブン殴られ、隙をこじ開けられたゲマトリアは間に合わない。

 

『――砕けろ』

 

 冷徹極まりない処刑宣告。

 落下する俺が見たのは、アウローラが放つ《竜王の吐息ドラゴンブレス》だ。

 強烈な蒼光が夜の色を一瞬だけ塗り潰す。

 放たれた熱線はゲマトリアの胴体に突き刺さり、言葉通りの結果を現した。

 

『――――ッ!?』

 

 断末魔めいた叫びは、大気を吹き飛ばす轟音にかき消される。

 胴体の半ば以上と、五本ある首の内の二本。

 それをアウローラの《吐息》に打ち砕かれ、ぐらりと大真竜の巨体が揺らぐ。

 ――と、こっちは自由落下中なためハッキリ見えたのはそこまでだった。

 ヴリトラのおかげで落ちる速度自体は緩やかだ。

 しかしこのまま地面と激突したら流石にヤバいな――と。

 そう考えた時。

 

「お待たせ」

 

 黄金の翼が、俺を夜空から掬い上げた。

 囁く声と共に、細い腕が落下中の俺を抱き留める。

 それは霊体の方のアウローラだ。

 実際に俺を受け止めたのは《竜体》の背中だった。

 

「悪い、助かった。

 けどあっちは放って大丈夫か?」

「大丈夫じゃなくても、レックスの方が大事だもの。構わないわ」

 

 ぎゅっと抱き締められ、俺は応えるようにその背を撫でた。

 胸の内側でボレアスが嘆息する。

 

『ゲマトリアはまだ死んではいまい。

 いや不滅の古竜である以上、殺す手段は限られるがな』

『このままどっかで休眠してくれれば楽だけどなぁ』

「それはちょっと難しいだろうな」

 

 ゲマトリアも、ここまで来たら引き下がれまい。

 恐らくは、どんな手を使ってでも――。

 

「……ん?」

 

 などと考えている内に、「ソレ」は起こった。

 アウローラが放った《吐息》の余波で未だに焦がされた夜空。

 その向こうで、何か大きなモノが動いた。

 一瞬ゲマトリアかと思ったが――違う。

 何故なら「ソレ」は、ゲマトリアよりも遥かに巨大だったからだ。

 

『ハハハハハハ――――ッ!!』

 

 複数の首から、同時に上がるゲマトリアの哄笑。

 大真竜は焼けた空を背に翼を広げていた。

 砕かれたばかりの身体は、まだ完全には再生できてはいない。

 それでも既に八割方の傷は塞がっているのは流石と言うべきか。

 しかし、今重要なのはそこじゃない。

 俺もアウローラも、そしてボレアスとヴリトラも。

 等しく「ソレ」を見ていた。

 

「……マジかよ」

 

 俺達とゲマトリア以外で同じ空に浮かぶモノ。

 それは《天空城塞》だ。

 既に度重なる戦闘の余波で、土台部分や城の一部は破壊されている。

 そんな空飛ぶ巨大な城が、壊されながらも原型を殆ど留めたままの大質量の塊が。

 

 まだ落下し始めのはずだが、既に相当に加速した状態でだ。

 

『ホント、ここまでやるつもりは欠片もなかったんですけどねェ!

 けどもういい! ボクは盟約を支える礎の一柱だ!

 例え何を犠牲にしてでも、敗北だけは許されない――!!』

 

 怒りと戦意、そして壮絶とも言える背水の決意。

 それらが一つになった声でゲマトリアは叫ぶ。

 逆にこっちは、渋い顔で唸るしかない。

 

『……追い詰められて自棄を起こしたか。

 まったく面倒極まりない話よな』

『あの質量を丸ごと全部動かすのは、流石にオレの魔力を喰ってるだけはあるな。

 まぁ、落ち来るだけのモンを避けるなら簡単なんだけど……』

「……ちょっと拙いな」

 

 そう、回避するだけなら別に何の苦労もない。

 問題があるとすれば。

 

「多分、あの中にまだテレサとイーリスがいるよな」

 

 あとついでに糞エルフも。

 このまま城が落ちるに任せれば、流石に助からない。

 自力で脱出できる可能性もないではないが、難しいのは間違いないはず。

 俺の言葉に、霊体のアウローラはそっと身を寄せて来た。

 

「どうしましょうか、レックス?」

「あれ、このまま止められそうか?」

「難しいわね。ゲマトリアは今、ヴリトラの魔力も取り込んでる。

 抑える事はできるかもしれないけど、完全に阻止できるかは分からないわ」

「そうか」

 

 だったら、方法は一つか。

 

「ゲマトリアをぶっ飛ばして、その上で城の落下を止める」

「――ええ、そうね。それなら止められると思うわ」

 

 そう言って、アウローラはとても楽しげに笑った。

 対して、呆れた声を漏らしたのはヴリトラだ。

 

『ホント楽しそうに無茶苦茶言うなぁ君達』

『大体いつもこんな感じだから、繰り返すが今の内に慣れておけよ』

『経験者の言葉が重い……!』

「悪いがちょっと付き合ってくれよ」

 

 そんな具合に言葉を交わしてる間にも、城は俺達目掛けて落下してくる。

 落ちる城の向こう、空を背負ってゲマトリアは笑っていた。

 冷静さを失って、目の前の光景に勝利を確信してるところなんだろうが。

 

「そろそろ決着ケリだな」

「そうね。――勝ちましょうか、私達で」

「あぁ」

 

 微笑むアウローラに、俺は一つ頷いた。

 黄金の翼は風を払って空を舞う。

 目指す先は天より落下する城と、それを高みで笑う大真竜。

 決着は、もう間もなくだ。

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