478話:奇跡を信じる


 ……地に伏したまま、私はそれを見ていた。

 《最強最古》たる私が、無様に地面を這ったまま。

 それを屈辱と思う余裕さえなかった。

 ただ、目を奪われる。

 起こっている奇跡に、心を射抜かれた気分だった。

 ――レックス。

 最初の竜殺し。

 私が愛した、ただ一人の彼。

 死んだと思っていた。

 心臓を貫かれ、確実に致命傷だった。

 けど、彼は再び立ち上がった。

 剣に刻んだ蘇生術式を完成させたのだと、すぐに理解できた。

 歓喜に震え――同時に、不安も過ぎる。

 術式は完成した、してしまった。

 それは剣に宿った魔力、その大半を消耗する事を意味していた。

 少なくとも、当分は剣の出力は大幅に低下してしまう。

 そうなったなら、彼は殆ど普通の人間と変わらない。

 ……そのはず、なのに。


「……凄い」


 彼は、戦っていた。

 《大竜盟約》の頂点、恐らくこの大陸における最強の存在。

 《黒銀の王》。

 古き王である私やボレアスさえ一蹴したその力に、偽りはない。

 勝てない、勝てるはずがない。

 アレがその身に下ろしているのは、この星の怒りそのもの。

 《造物主》と戦い、これを追い詰めた大地の化身。

 《人界》の半神たちでは比較にならない。

 彼らの王でようやく格が釣り合う。

 人間が挑むべき相手ではないし、まして敵うはずもない。

 誰もがそう絶望する――そんな怪物、なのに。


「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 彼は、戦っているのだ。

 剣と剣がぶつかる。

 炎と雷を纏った黒い刃を、竜殺しの剣が弾いた。

 何度目になるか分からない。

 ほんの少しでもズレたら、それだけで身体が丸ごと消し飛びかねない。

 糸よりも細い死線の上を飛び回る、そんな危うさだ。

 にも関わらず、彼――レックスは。


「…………っ!」


 死なず、戦い続けている。

 《黒銀の王》の攻撃を、捌いているだけじゃない。

 反撃に繰り出される剣は、少しずつだけど傷を刻んでいる。

 少しずつ、少しずつ。

 鱗を一枚一枚剥ぎ取るように。

 レックスは間違いなく、《黒銀の王》にダメージを与えていた。

 ……本当に、信じられない。


「……ふん。

 我と戦った時も、ああだったな。奴は」

「感慨深そうじゃない」

「竜にとっても、三千年という年月は短くはないからな」


 私と同じように、地に伏せたままのボレアス。

 元は《北の王》だった彼女も、レックスの戦いを見ていた。


「勝てるワケがない」

「…………」

「勝てる道理がそもそもなく、天地の境を人の手で埋められるはずも無し。

 ――そのはず、なのだがな」

「そうね」


 ボレアスが言う通り、それが道理だ。

 人と竜の間には、覆しようがない格差がある。

 まして、相手は竜すら超える超越者。

 かつて愚かな父は、その姿と力から私たち古き竜を創造する着想を得た。

 いわばこの星における、唯一にして真なる竜。

 それが《黒銀の王》だ。

 ……勝てるワケがない、そんな道理が存在するはずもない。

 分かっている。

 私も――いえ、誰もがそんな簡単なことは理解できる。

 けど、ただ一人。

 彼……レックスだけは、そんな当たり前のことに異を唱えていた。


「オラァっ!!」

「……!」


 剣。

 黒い刃がまた弾かれ、何もない空間を粉砕する。

 その隙に、竜殺しの刃が装甲の一部に太刀傷を刻んだ。

 が、《黒銀の王》も即座に反撃を行う。

 繰り出されるのは剣――ではなく、蹴りだった。

 単なる蹴りではなく、大地の質量に等しい威力を持った蹴りだ。

 防御すれば潰される一撃を、彼はのけ反るように回避する。

 体勢を崩したところに、改めて黒い剣が襲いかかった。

 都市を丸ごと粉砕しても、尚余りある一刀。

 彼は崩れた体勢のまま、足元を転がるようにしてこれを躱した。

 ……ホント、傍から見てると無茶苦茶な戦い方よね。


「普通なら、何度死んでるか分からんな。アレは」

「そうね、見ていても正直信じられないわ」

「……見ているだけで構わんのか、長子殿?」

「見ているしかないでしょう、こんなの」


 皮肉げなボレアスの言葉に、私は小さく鼻を鳴らす。

 受けた傷は、どうにか繕うことはできた。

 こうして会話をするのも、もう何も苦ではない。

 直接戦うことはできずとも、きっと援護ぐらいはできるはずだ。

 できるはず……だけど。


「彼、楽しそうね」

「今は、目の前の敵しか見えておらんだろうな」


 我の時と同じだな、とか。

 そういう呟きが聞こえた気がするけど、聞き流しておく。

 本人に聞いたら、「そんな事はない」と否定されそうだけど。

 レックスは確実に、今の死線を楽しんでいた。

 蘇生術式を使って生き返った以上、もう後はない。

 僅かなミスが即死に繋がる状況なのに、信じ難い話だけど。


「……見ているしかないでしょう、あんなの」

「今回は珍しく、長子殿と良く意見が合うな」

「馬鹿なこと言わないで頂戴」


 嘆息。

 あぁ、本当に馬鹿な話だ。

 もし万が一、これで彼が死んだりしたら。

 きっと、私は向こう何千年かは後悔に苛まれる。

 そんな未来を想像しただけで、恐ろしくて震えてしまいそう。

 なのに、手を出す気にはなれないのだ。

 ……私やボレアス以外の、外野で見てる者たちも似た気分でしょうね。

 大真竜側であるオーティヌスたちも。

 それとは無関係に、自分のためにこの場に立っているウィリアムも。

 等しく、その戦いを見ている。

 神話の一節――いいえ。

 新たな神話とも言うべき、《黒銀の王》と竜殺しの戦いを。

 邪魔はできない、できるはずもない。

 王も彼も、そうされることは望んでいないのだから。

 けど、ただ一柱。

 この場において、それを否定する者もいた。


『やらせない、絶対にやらせませんよ……!!』


 三本首の竜が吼える。

 大真竜ゲマトリア。

 《黒銀の王》の血を授かった事で、明らかに以前より強くなっている。

 彼女だけは、王と竜殺しの戦いを阻もうとしていた。


『王が負けるはずがない、人間なんかが敵うはずがない……!

 だから、こんなのはおかしいんですよ!

 奇跡なんて、そんな安っぽく起こるものじゃないでしょうが!!

 死んだんだったら、大人しく死んだままで――』

「破ァっ!!」


 けど、それを更に阻む者がいる。

 テレサは戯言を吐く竜の首に、容赦なく膝蹴りを叩き込んだ。

 《転移》付きの一撃は、さぞや強烈でしょうね。

 衝撃に貫かれ、竜の巨体が大きく傾ぐ。


『ッ……いい加減に、邪魔を……!!』

「邪魔はさせない、それはこちらの台詞だ。ゲマトリア」


 笑う。

 テレサは笑っていた。

 きっと、あの子も随分と不安でしょうに。

 それを心の奥に沈めて、彼女は自分の役目に専念している。

 ……ホント、あっちもあっちで強くなったわね。

 竜である私からすれば、ほんの瞬き程度の時間のはずなのに。

 何だか、随分と遠くに来た気がした。


「……なぁ、勝てると思うかよ。アレ」


 頭上から聞こえた声に、ちらりと視線を向ける。

 イーリスだ。

 彼女も随分と疲弊した様子で、横たわる私たちの傍にどかっと腰を下ろす。

 そうしてから、大きく息を吐き出した。


「しんど」

「弱音なんて、珍しいわね」

「お前の彼氏に無茶振りされてな。

 あんなクソ複雑なモン、二度と触りたくねェ」


 ……蘇生術式の起動は、この子がやったワケね。

 レックス一人じゃ、流石に難しかったはず。


「ありがとう、助かったわ」

「アイツに死なれちゃこっちの負けだからな。

 勝つために、必要な事をしただけだろ」

「勝てると思うかと、そう聞いた割に。

 あの男なら勝つと、そう信じてる口ぶりではないか」

「信じてなけりゃ、こんなとこまで来れるかよ」


 揶揄するボレアスに、イーリスは「当たり前だろ」と軽く笑った。

 言葉を交わしながら、彼女の目はレックスたちの戦いを見る。


「……勝てるか、と。

 そう言われると、正直難しいわね。

 そもそも、本来なら勝ち目のある相手じゃないもの」

「そりゃそうだよな」

「だけど、そんなのは彼にとってはいつもの事でしょう?」

「それも間違いねェな。

 今更ながら、正直どうかと思うけどよ」

「無茶と無謀が常態化しておるからな、あやつの生き方は」


 巻き込まれる方がたまらねェなと、イーリスは愚痴るように呟いた。

 そう、いつもの事だ。

 勝ち目がない、どう考えても無理だなんて。

 いつも以上にいつもの事だから、彼はあんなに楽しそうで。


「ま、ホントにヤバそうだったらオレは手ェ出すつもりだけどな」

「……どうやって?」

「どうにかしてだよ」


 その答えに、ついつい笑ってしまった。

 繕った傷が痛むから、正直勘弁して欲しい。

 笑う私の方を、イーリスは少しむっとした様子で見下ろす。


「なんだよ」

「いいえ。貴女も、随分とレックスに染まってきたなと思って」

「……別にそういうンじゃねェって」

「大なり小なり、誰も彼も影響されてはおるだろうよ。

 馬鹿は感染うつるな、困った事に」

「あんまり人の彼氏をバカバカ言ってほしくないんだけど」


 笑う。

 傷は痛むけど、どうしても笑ってしまう。

 ……あぁ、本当に。

 私は、随分遠くへと来たものだ。

 あの愚かな父が死ぬ前の、何もかもが満たされた、何もなかった荒野から。

 遠い星の彼方を夢見て、手にしたはずの星を無くした、あの野心と喪失の夜から。

 本当に、随分遠くへ来てしまった。


「……私も、やるわ」

「あん?」

「レックスが本当に危なかったら、すぐに突っ込む。

 それまでは、彼を信じて見守るつもりよ」

「……じゃ、同じだな」


 頷く。

 その間も、戦いは続く。

 《黒銀の王》と竜殺し、二人の戦いが。

 互角と呼ぶには、両者の間に横たわる力の格差が大きすぎる。

 辛うじて攻防は成立しているけど、それはあまりにも危うい天秤の均衡だった。

 この状態から勝つなんて、とても想像できない。

 それでも彼は、私の想像できないモノを何度も見せてくれた。

 今は、そんなレックスの強さを信じるだけ。


「……信じてる」


 だから、祈るようにその言葉を呟いた。

 神様みたいな相手と戦う彼のために祈るなんて、それこそおかしな話だけど。

 今はただ、それが私にできる唯一の事だから。


「貴方を、信じてる。

 ――必ず勝って、私の王様レックス


 その声が音として、彼の耳に届いてるとは思わない。

 戦いは激しく、周りを気にしている余裕などまるでないはずだ。

 それでも、私は信じている。

 私の声は間違いなく、彼の元に届いたはずだと。

 ボレアスも、イーリスも。

 そして多分、ゲマトリアと戦い続けるテレサも。

 誰もが同じように祈っているはずだ。

 彼が――レックスが、最強の黒銀を打ち倒すという、勝利きせきを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る