第五章:千年の終焉
477話:王の歓喜
『――なぁ、本気でやるんだな?』
「あぁ」
姿は見えないが、声だけは届く。
念を押すイーリスの言葉に、俺は躊躇うことなく頷いた。
一筋の光も差さない暗闇。
イーリスの声は聞こえるが、この場には俺以外の誰もいなかった。
まぁ、当然と言えば当然か。
原理や理屈なんてのは、良く分からない。
ただ、ここが『俺自身の内側』である事だけは、何となく理解できる。
……此処は、酷く冷たい。
周りが暗いのは、俺が死につつあるからだ。
死ぬ。
どうしようもなく死ぬ。
《黒銀の王》の剣に、心臓を貫かれた。
本来なら即死する傷であり、抗う術などあるはずもなかった。
ただ、俺には取れる選択肢が一つだけある。
「助かったわ、俺一人じゃ多分無理だったろうからな」
『オレだって上手くやる自信はねェからな。
……まぁ、やれるだけやるか。
アウローラの奴も、多分面食らうぞ』
「だろうなぁ」
笑う。
笑いながら、俺は暗闇の中を進む。
時間の流れが微妙に曖昧だが、あまり悠長にはしてられない。
……微かに感じる、火の気配。
冷たさしかないはずの、死の帳の中で。
熱く燃える「何か」がある。
俺は、それがなんなのかを知っていた。
「……さて」
炎。
赤く燃え盛るソレは、複雑な紋様を描いていた。
見たことのない細かい文字が、鎖の如く連なって重なっている。
その文字の一つ一つが、『力ある言葉』だ。
そして恐らく、人の言葉ではなく竜の言語なのだろう。
三千年――途方もない年月をかけて編み込まれた、複雑精緻な魔術式。
人智の及ばぬモノと言っても過言じゃない。
それは、アウローラが俺を生き返らせるために刻んだ蘇生術式だった。
「……術式を完成させるのに必要な魔力は、もう十分にある」
ここに至るまで、俺は魔剣で多くの竜を斬った。
永遠不滅である古き竜の魂。
それらは剣の内にある炉心を燃やす燃料となり、蘇生術式に魔力を供給している。
――アウローラも言っていた通り、必要十分なはずだ。
今の死にかけてる状態でも、術式が完成すれば関係がなくなる。
まぁ、俺一人じゃ術式の発動は無理だったかもしれない。
幸いにも、魂の扱いに長けたイーリスが助けに来てくれた。
多分、これでなんとかなるはずだ。
『けど、術式を完成させるって事は……』
「あぁ。剣に溜め込んだ力は、殆ど消費する事になるな」
頷く。
元より、術式の完成を避けたのはそれが理由だった。
剣が呑み込んだ竜の魂。
それそのものが無くなるワケじゃない。
ただ術式を完全なモノにするために、莫大な魔力を消費しなければならない。
そうなれば剣に宿る竜の魂は疲弊して、暫く使い物にならなくなるだろう。
魔剣は単に頑丈で、良く斬れるだけの武器になる。
「まぁ、何とかなるだろ」
『……どの道、これを使わなきゃそのまま死ぬだけだしな』
その通り。
何とかなる――というか、何とかするしかない。
《黒銀の王》。
頂きの距離は遠く、俺の剣は届かなかった。
だが、全く届かなかったワケじゃない。
どうにか戦えたし、傷を付けることもできた。
だったら、勝てない相手じゃないはずだ。
『……絶対に勝てよ』
「あぁ」
『死んだらアウローラじゃなくて、オレがぶっ殺すからな』
「おっかないなぁ」
笑う。
俺も、イーリスも。
どう考えても絶望的な状況で。
それでも、俺たちは笑っていた。
『……よし、やるか』
「おう」
促されて、一歩前に踏み出す。
燃える炎。
呪文の文字列が輪になって、幾つも複雑に回転をしている。
その内側に入って、立ち止まる。
……熱い。
死の冷たさが嘘のように、身体が熱い。
まるで自分そのものが、炎に変わってしまったかのような。
『上手く行ってくれよ……!!』
祈りに似たイーリスの言葉。
瞬間、蘇生術式が激しく燃え上がる。
炎。炎。炎。
圧倒的な熱量を伴って、魔力の炎が燃焼する。
術式が起動する。
呪文の輪が急速に狭まり、俺の身体に一つ一つ刻まれていく。
「ッ……!!」
熱い。
これまでも、剣に流れる炎で肉体を強化した事はある。
感覚としてはアレに近いが、感じる熱は桁違いだ。
本当に、俺自身が炎になったような。
燃える――燃え続ける。
炎に包まれて、気が付く。
この炎は、外から与えられたものじゃない。
本当に、俺自身が燃えているために噴き出した炎だと。
……灰となって、燃え尽きたはずの魂。
蘇生術式が完成した事で、再びそれに火が点いた。
うん、やっぱりアウローラは凄いな。
完璧に死んだはずの俺が、本当に生き返ることができた。
燃える炎を、強く強く握り締める。
「――よし」
行ける。
そう考えた瞬間には、死の暗闇は粉々に砕けていた。
意識が浮上する。
炎を握り締めた手には、いつもの魔剣の柄が握られている。
身体は――問題ない。
切断された腕も繋がっているし、これならば。
「――本当に、これで終わりですか?」
最初に聞こえたのは、重く冷たい声。
それを認識すると同時に、殆ど直感で刃を振るっていた。
衝撃。
振り下ろされた《黒銀の王》の剣。
俺の剣が、その切っ先をギリギリで受け流す。
「……いいや。まだ、これからだろ。
なぁ、《黒銀の王》……!」
立ち上がり、剣を構える。
ボロボロになったアウローラとボレアスが、地に伏せているのが見えた。
……俺が手間取ったせいで、随分と大変だったみたいだ。
視線を向ける。
アウローラは驚いた様子だったが、すぐに安堵したように微笑む。
ボレアスやイーリスも、声も出せないぐらい疲弊した様子で。
それでも、俺を見て笑っていた。
後は任せた――と、言葉にせずとも強い信頼が伝わってくる。
あぁ、もう少しだけ待っていて欲しい。
「――ええ。
まだ終わりではないと、そう信じていました」
コイツを――《黒銀の王》を倒して、終わりにするからな。
「ッ――――!!」
走る。
直後、俺がいた空間を黒い斬撃が斬り裂いた。
当たり前のように容赦がねぇな……!
走りながら、改めて自分の状態を確認する。
身体は思った以上に軽い。
内側で燃える炎は、いつも感じているものとは違う。
俺自身の魂が燃えている。
当たり前のようで、それは未知の感覚だった。
「……完全な蘇生を果たしましたか。
驚嘆に値しますよ。貴方の魂は、《摂理》に還るのも怪しい状態だった」
「アウローラのおかげだな!」
「ですが、剣に宿っていた力は随分と減ってしまったようですね」
うーん、良く見てやがる。
逃げ回るように駆ける俺に対し、《黒銀の王》は正確に剣を打ち込む。
その威力は、変わらず常軌を逸している。
一つでもまともに直撃すれば、その時点で即死しかねない。
走り、転がり、時に剣で弾いて。
《黒銀の王》が巻き起こす死の嵐を、紙一重で躱し続ける。
「――つまり、今の貴方はただの人間とそう変わらない。
魔剣の力を限界まで使っても、私には届かなかった。
それなのに、そんな状態で私に勝てると?」
「あぁ」
挑発というよりも、確認めいた《黒銀の王》の言葉。
それに対し、俺は迷わず頷いた。
「これで二度も負けたんだ、三度目の正直って奴だよ」
「そうですか」
我ながら適当過ぎる答えだと。
そう思ったんだが、意外にも《黒銀の王》は少しだけ笑ったようだ。
まぁ、気のせいかもしれないけどな。
それを確かめる余裕もなく、黒い斬撃が無数に押し寄せてくる。
……身体は軽い。
が、魔剣の炎で強化していない分、身体能力は間違いなく下がっていた。
力任せ、速度任せで捌くのは難しい。
だから。
「オラァッ!!」
気合でどうにかする。
斬撃を弾き、受け流し、無理な分は形振り構わず回避する。
アウローラやイーリスたちは巻き込まぬよう、立ち位置も考えた上で。
兎に角死なないために、死ぬ気で《黒銀の王》の攻撃を弾く。
当然、それは言うほど簡単なことじゃない。
ほんの僅かにでもズレたら、それだけで身体が砕かれる。
剣を受け流す、その時の余波でも全身が軋む。
だが、このぐらいなら何とかなる……!
『ッ……なんですか、あの動き……!?』
テレサと互角に殴り合っているゲマトリア。
その首の一本が、俺と《黒銀の王》の戦いを見ていた。
あり得ないと、三つの声が何度も呟く。
逆に、刃を交えている当人は冷静そのものだ。
「……そうか」
呟く声に、微かな熱を感じる。
《黒銀の王》の表情は冷たく、感情の色は見えない。
けど――少し、ほんの少しだが。
笑ってるように見えたのは、今度こそ気のせいじゃないはずだ。
「見せすぎましたか」
「ま、そういう事だな……!!」
別に、種や仕掛けのある手品じゃない。
さっき一度死ぬまでの間に、コイツと剣を何度合わせたか。
百じゃ到底足りない。
体感的には千に届くぐらいには、アレは濃密な死線だった。
その数、その時間。
それだけ俺は、《黒銀の王》の剣を見た。
おかげで、太刀筋にも大分慣れてきた。
「ふっ……!」
弾く。
剣だけで防ぎ切れなければ、《盾》の呪文を展開する。
ほんのちょっとでも見誤れば、一撃で死ぬ。
絶対に踏み外せない綱渡り。
恐ろしくはあるが――それ以上に今は、身体が軽い。
俺は、戦えている。
「……素晴らしい」
刃を重ね、弾き、切っ先が装甲を貫く。
掠めた剣に肌を裂かれて、《黒銀の王》は赤い血を流す。
まともに痛みを感じているのか、それは分からない。
ただ、呟く声にはハッキリと一つの感情が滲み出ていた。
歓喜だ。
《黒銀の王》は、間違いなくこの状況を喜んでいる。
「そうだ――そうでなくては。
これぐらいできなければ、私も待っていた甲斐がない」
「ちょっと期待が重すぎやしないかねぇ……!!」
黒い剣を掻い潜る。
相変わらず絶望的に速い。
目で見えたらもう斬られてるので、直感で回避を続けている。
限界点を見極めながら、死線の上での攻防が繰り返される。
……少しずつだが、確実に。
《黒銀の王》の身体には、傷が積み重なっていた。
まだまだ致命傷には程遠いが……!
「素晴らしい――が、侮られても困ります」
「ッ……!?」
瞬間、寒気が総身を貫いた。
黒い炎と雷。
幻覚ではなく、実際にその二つを剣に纏って。
《黒銀の王》は、これまで以上の速度で剣を振り抜いた。
回避が間に合ったのは、正直奇跡だった。
標的を失った斬撃は、何もない空間を爆砕する。
……以前、都市を一刀で粉々にしたのと、恐らく同等の威力。
アレを溜めなしでブッパできるとか、それは流石に反則じゃないか?
しかも、剣はまだ炎と雷を纏ったまま。
「当然のように連発もできるのかよ……!!」
「当たれば――いえ、掠っただけでも剣以外は残さず砕けるだろう。
凌いでみせろ、竜殺し」
当然の如く、容赦のよの字もない。
太刀筋こそ大きく変わらないが、速度と威力が倍増しになりやがった。
けど、そう――そっちこそ、そうでないとな。
頂きの距離はまだ遠い。
それも、決して届かないワケじゃないんだ。
「さぁ。こっから三度目の正直って奴だ、《黒銀の王》……!!」
「来い、竜殺し。
私の炎と貴方の炎、どちらが消えるのが先か。
決着をつけましょう」
笑う。
俺も、《黒銀の王》も、どちらも笑っていた。
振り下ろされようとしていた黒刃に、竜殺しの刃が重なる。
完全に振り抜かれ、威力が十全に爆ぜる前に。
撃ち落とすように剣を当てて、その力を弾き散らす。
――戦いの終わりは、もう間もなく。
互いに同じ予感を共有していると、根拠もなく確信しながら。
俺たちはただ全霊を込めて、剣と剣をぶつけ合った。
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