479話:か細い勝機


 弾く。

 剣を振るう。

 弾かれる。

 躱す――弾く、走る。

 また剣を振る。

 何回、それを繰り返したか。

 数百、数千。

 どれだけの時を、この戦いに費やしたか。

 一秒と永遠が、今だけは同じ価値となって釣り合っている。

 あまりにも危うい均衡の上を、ただ駆けていく感覚。

 俺はまだやれる――やれている。


「ッ――――!!」


 言葉にならない咆哮。

 叫んで打ち込んだ刃を、黒銀の剣が受け止めた。

 瞬間、反撃として繰り出される前蹴り。

 比喩抜きで、そのつま先には大地を微塵に踏み砕く力がある。

 身体を強引に捻って、それを無理やり回避した。

 続く剣撃は、構え直した刃で受け流す。

 完璧に弾いても、相殺し切れない衝撃が身体を軋ませた。

 嵐とか、地震とか。

 そんな天変地異と比較しても、なんら遜色のないパワー。

 剣であれ、単純な蹴りや拳の打撃であれ。

 《黒銀の王》が放つあらゆる攻撃に、そんな天災に等しい威力が乗っかっていた。

 つくづく、生身で戦って良い相手じゃないな。


「ハハっ……!」

「…………」


 絶望的過ぎて、逆に笑ってしまった。

 それを聞いた《黒銀の王》も、口元に微かに笑みを浮かべている。

 どこか、稚気さえ感じさせる笑い方だった。

 ――あぁ、楽しいんだろうな。

 俺も似たような感じだ。

 頂きは遠い。

 見えた勝ち筋も、掴み取るにはあまりに細い。

 絶望して然るべきだろうし、膝を屈してなきゃおかしいぐらいだ。

 分かっている。

 いつものことだと強がっても。

 これが、本当にどうしようもないぐらい絶望的なんだと。

 全部理解した上で――なお。


「楽しいかよ、《黒銀の王》……!」

「ええ、楽しいですね。

 そういう貴方はどうですか」

「あぁ、楽しいね!!」


 笑っていた。

 嘘偽りのない本音を口にしながら、俺も、彼女も。

 ……自分の全てを出し切っても、まだ足りない。

 限界を何度も超え、それでも届かない。

 けど、間違いなく近付いている。

 遠いはずの頂きが、少しずつ見えてきた。

 あと一歩を、何度も繰り返す。

 剣が触れる度に、傷は確かに刻まれていた。

 その傷一つを与えるまでに、文字通り死ぬような地獄が襲い掛かってくる。

 不格好で、無様で、とても英雄的ヒロイックとは呼べないが。

 俺は何度でも、その死線を渡り続けた。

 この剣が届くまで、何度でも。


「――――!!」


 轟く咆哮は、俺の発したものじゃない。

 彼女――《黒銀の王》が開いたあぎとから放たれていた。

 単なる大声とは違い、物理的な破壊力を伴う衝撃波。

 それを正面からモロに受けて、足が一瞬止まりかけた。

 狙いすました一閃。

 真っ直ぐに振り下ろされた剣には、黒い炎と雷が絡みついている。

 喰らえば死ぬ。

 だから俺は、兎に角死ぬ気で回避した。


「危なっ……!?」


 転がる。

 刃の下を、ギリギリのタイミングで潜る。

 何分の一秒でもズレていたなら、間違いなく直撃していた。

 空振った余波ですら、鎧の上からこっちの肉体を削り取ってくる。

 痛みも苦しみも、今は全部頭の中から締め出した。

 僅かにできた隙に、竜殺しの刃を捩じ込んだ。

 手応えは、これまでで一番大きい。


「ッ……!!」


 切り裂いたのは、相手の右脇腹の辺り。

 浅い――が、剣の切っ先は確実に《黒銀の王》の肉を抉っていた。

 人間と変わらない真っ赤な血が、傷口からなかなか派手に溢れ出した。


「おう、まだやるか?」

「その言葉、そっくりそのままそちらに返そう」

「まぁそうなるよなっ!!」


 真顔で返されたら、こっちも反論に困るな。

 ダメージは間違いなく積み重なっていた。

 《黒銀の王》は、決して無敵の存在じゃない。

 それはそれとして、俺の方が受けてる傷が多いのは間違いなかった。

 魔剣は疲弊し、前みたいに無理な力の使い方はできない。

 魂が復活したことで、身体の動き自体はむしろ良くなっている。

 それでも《黒銀の王》には届かないし、また死んだら今度こそ終わりだ。


「…………」


 だが、相手――《黒銀の王》も、そう余裕がありそうでもない。

 これまでの大真竜とかは、多少の傷ぐらいならすぐに塞がっていた。

 不死不滅の竜にとって、器である肉体がちょっと壊れるぐらいは問題ないんだ。

 しかし、《黒銀の王》はどうだ。

 特に深くはなく、軽く肌を裂いた程度の傷。

 そんな細かい負傷も、なかなか再生する気配がない。

 ……もしかして、そういう傷を癒やすような能力は持ってないのか?

 そう考えた瞬間、視界いっぱいに黒い刀身が迫ってくる。


「とぉッ!?」

「貴方の考えは正しい、竜殺し」


 思考を読んだか、単に顔に出ただけか。

 回避された剣で更に追撃を仕掛けてきながら、《黒銀の王》は淡々と語る。


「再生能力が無いワケではない。

 ただソレは、星の怒りを留め続ける肉体に常に効果を現している。

 そうでなくば、生身で神威を降ろした状態で耐えられる道理もないからだ。

 仮にその崩壊以上の負傷を受けたなら、流石に再生は間に合わなくなる」

「なるほどなぁ……!」


 要するに、身体が常時崩壊しそうなのを、再生能力でどうにかしてると。

 ただ、その崩壊とは別に傷を受けたら、それは常識の範囲でしか治らないワケか。

 結果的に、傍から見たら再生は弱く見える。

 大体予想通りだが――。


「で、それが分かったからどうだと?」

「がんばれば勝ち目がある、ってことだろ!?」

「ええ、その考えは正しい」


 まぁ、実際に勝てるかどうかは別問題なのは分かってるけどな!

 具体的に見えた勝機であるのも間違いない。

 そう認識した瞬間、戦いは加速した。

 剣の打ち合いはより激しく、《黒銀の王》は更に力を増す。

 死神の気配を首の裏に感じながら、より濃くなった死線へと飛び込む。

 弾く、躱す、斬り裂く。

 俺の剣は届いているし、相手の剣も何度も届きそうになる。

 本当に、ギリギリだった。

 紙一重よりも遥かに薄い線の上で、死の塊が何度も掠める。

 その度に、恐怖が心臓を鷲掴みにしてくるが。


「オラァっ!!」

「ッ――――!!」


 そんな恐ろしさとは無関係に、身体は動く。

 胸の奥で、魂が熱く燃えていた。

 山ほど傷付いて、血が流れていても、この手は剣を強く握り締めている。

 だから戦える。

 俺はまだ、幾らでも戦える。

 それは《黒銀の王》も同じだった。


「ガアァッ――――!!」

「っ!?」


 竜に似た叫びと共に、黒い剣が唸る。

 切っ先に身体を引っ掛けられそうになるが、その寸前で回避した。

 甲冑はもう殆ど役には立たない。

 《黒銀の王》も、纏っていた装甲の大半を失っていた。

 戦うための力だけは、まだどちらも衰えてない。

 戦意は消えない炎のようで。

 ――互いの剣だけが、それを断ち切ることができる。

 この瞬間、俺たちは同じ信仰を共有していた。


「は……!!」

「ふ、ははっ……!」


 笑う声は、どちらのものか分からない。

 きっと、どちらでも良いことだ。

 刃が閃いて、微かな痛みが身体を貫く。

 代わりに、こちらの剣に確かな手応えを感じた。

 戦いは、まだ続く。

 意地はあった、既に二度も負けてる身だ。

 ここで勝てないなら、この先も絶対に勝てない。

 そんな背水の気分で挑んでいることも、間違いはなかった。


「まだ、この程度で――!」

「あぁ、負けてやるかよ……!!」


 ただ、そんな感情とはまったく別に。

 「勝ちたい」と、そう純粋に願いながら剣を握る自分がいた。

 相手が、神様みたいに強い《黒銀の王》だとか。

 自分が成し遂げてきた戦いだとか。

 そういうものは、この一時は心の中から失せていた。

 ――勝ちたい。

 多分、三千年前も同じように思ったはずだ。

 勝ちたい、コイツに勝ちたい。

 理由だとか、そんな些末なことはどうだって良い。

 今の俺は、ただ。


「お前に、勝つ……!!」

「いいえ、勝つのは私だ――!!」


 勝利への渇望。

 その重さだけが、この戦いを拮抗させる。

 俺が叫べば、黒い少女も吼える。

 黒い刃を、竜殺しの剣で弾く。

 衝撃が嵐みたいに荒れ狂うが、構わず前へと踏み込んだ。

 二の太刀を躱し、逆に相手の胴体に刺突を放つ。

 硬い。

 明らかに人体の強度じゃない。

 鋼鉄の塊よりもなお硬い黒銀の身体を、半ば強引に剣で斬り裂く。

 浅いが、また傷を入れることはできた。

 次はもっと深くまで――。


「ッ……!?」


 凄まじい力が、横っ面を思い切り殴り付けてきた。

 《黒銀の王》じゃない。

 そっちなら避け損ねたとしても、間違いなく反応できたはずだ。

 空白の地面を転がり、起き上がる前に。


!!』


 巨大な影が覆い被さり、視界を塞ぐ。

 叫んだのは、ゲマトリアだった。

 三つ首の《竜体》は、その三割近くが欠けていた。

 肉体を維持する限界ギリギリの損傷。

 そんな状態にも関わらず、こちらの戦いに飛び込んで来たのか。


「ゲマトリアっ!!」

『さぁ、王様! ボクに構わず、このままやっちゃって下さいよ!!』

「っ、クソ……!」


 油断したワケじゃないが、完全に意識の外から殴られた。

 ゲマトリアの爪が、半壊している甲冑の上に突き刺さっている。

 巨体の重量は、そう簡単には振り払えない。

 抑え込まれて動けない。

 《黒銀の王》の気配が、大きく揺らぐ。

 剣に力を溜めたか、危険な予感が全神経を駆け巡っている。

 これはマジでヤバいな……!?


『大人しくしてくださいよ、竜殺しっ!!

 お仲間はみんなボロボロで動けないし、足掻くだけ無駄ですよ!!

 お前なんかに、ボクの王様は負けっ――――!?』


 蒼白い光。

 その輝きが、ゲマトリアの巨体を声ごと削り取る。

 テレサの《分解》。

 視線を一瞬だけ巡らせて――見えた。

 血塗れで伏せている彼女が、こちらに向けて腕を伸ばす姿が。

 振り絞るように《分解》の光を放ち……笑っていた。

 こちらは大丈夫だと、そう目が語っている。

 だったら問題ない。

 アウローラやイーリスたちもいる。

 それを信じて、俺は剣を強く握り締めた。


「おおおぉぉぉぉぉッ!!」


 吼える。

 《分解》で首が消し飛んだゲマトリアの《竜体》。

 邪魔な巨体を更に剣で切り裂き、渾身の力で蹴り上げた。

 重量が失せて、勢い良く身を起こす。

 ほぼ同時に、《黒銀の王》が振るう刃が眼前にまで迫っていた。

 首を狙う致命の一撃。

 すぐに振り下ろしていれば、恐らくそれでおしまいだったはずだ。

 ――ほんの僅かだが、斬るのを躊躇ったな。

 その理由は、敢えて考えるまでもない。

 どうあれその躊躇いは、俺にとってはか細い勝機だ。


「――――――ッ!!」


 断頭の剣へと、強引に刃を打ち込む。

 身体中の筋肉が千切れて、骨もあちこち圧し折れていく。

 生身で出して良い力の限界。

 それを軽々乗り越えて、剣を押し込む。

 ――弾いた。

 《黒銀の王》が振るう黒刃を。

 武器落としまで行けば完璧だったが、あくまで体勢を崩しただけ。

 一秒もあれば、相手は立て直せる。

 つまり一秒の間は、完全に無防備だ。


「届け――――!!」


 その叫びは、祈りに近かった。

 弾いた勢いのまま、手にした魔剣を振り抜く。

 回避も防御も、どちらも間に合わない。


「ッ……!?」


 苦痛の声と共に、赤い血が舞う。

 《黒銀の王》の身体を染めるように。

 左の脇腹の辺りから、右肩へと抜ける形で。

 この戦いで初めて、その命に届き得る深い傷が刻まれていた。

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