480話:それでも王は、玉座にある



 剣は間違いなく、《黒銀の王》の命に届いた。

 それを感じ取った時、俺は微塵も「勝った」とは思わなかった。

 命には届いても、相手はまだ終わっていない。

 俺を見る眼は、変わらずに黒い炎を燃やし続けている。

 その眼光のおかげで、ギリギリで反応が間に合った。


「ッ――――!!」


 黒い刃が叩き込まれる。

 技もクソもなく、ただ上から下へと真っ直ぐに。

 力任せの一振りは、だからこそまともには受けられない。

 回避を試みて――失敗した。

 こっちもこっちで、いい加減に身体がガタガタだ。

 見えてはいても、反応してから動くまでが一瞬遅れてしまった。

 咄嗟に構えた剣に、黒い斬撃が重なる。

 衝撃。

 天地を見失い、俺は勢い良く吹き飛ばされた。

 剣で受ける寸前に、反射的に後ろに下がったのが幸いだった。

 押し潰されて死ぬという、最悪な結果だけは避けられた。

 が、派手に殴り飛ばされた事に変わりはない。

 着地にも失敗し、何もない真っ白い地面を無様に転がる。


「ッ、げほっ……!」


 熱い塊が胸の奥からこみ上げた。

 逆らわず吐き出せば、真っ赤な血が盛大にぶち撒けられる。

 ……内臓とか絶対ヤバい奴だよな、コレ。

 まぁ、即死でなけりゃ上等だ。

 それよりも、早く立ち上がらねば追撃が――。


「……は……っ」

「…………ま、そりゃそうか」


 すぐに立ち上がることは不可能。

 だが、予想していた追撃は来なかった。

 考えて見れば当然だ。

 さっきの一刀で与えた傷は、疑いようもなく致命傷だった。

 《盟約》の頂点たる《黒銀の王》。

 彼女もまた、俺と同じぐらいには余裕のない状態だった。

 斬り裂かれた胸元の傷を抑え、荒れた息を吐き出す。

 溶岩のように熱く煮え滾った血が、その足元を赤く濡らしている。

 もう、とっくの昔に動けなくなってもおかしくない出血量だ。


「降参するか?」

「まだと、そう言ったはずですが」

「だよなぁ」


 笑う。

 お互いに、もう膝の下ぐらいは棺桶に足を突っ込んでる。

 どっちが先に力尽きても不思議じゃない。

 その程度には、俺も《黒銀の王》も同じように死線の上にいた。

 ……あぁ、気が付けば同じ目線の高さだ。

 頂きの距離も、随分近くなったな。


「…………」


 言葉は途切れる。

 すぐには動かず、呼吸を整えた。

 《黒銀の王》もまた、その場に留まって力を練っている。

 ――限界は近い。

 恐らく、あと何度も剣を振る力は残っていない。

 一刀で決める必要がある。

 そうでなければ、死ぬのは俺の方だ。

 相手――《黒銀の王》も限界だが、それでもこっちよりマシのはずだ。

 流石に地力の差ばかりは如何ともし難い。

 無言で睨み合い、攻めに入る機会タイミングを探る。

 ……心臓の音がやけに響く。

 鼓動が耳元で聞こえているような、そんな錯覚すら覚えそうだ。


「…………」


 語る言葉が尽きたか、声を出す余裕もないか。

 俺はどちらかと言えば後者だが、《黒銀の王》はどうだろうな。

 赤黒く燃える瞳。

 その光から目を逸らさず、剣を構える。

 ジリジリと、両者の間合いは近付きつつある。

 少しずつ――けれど、確実に。

 最後の瞬間は、ゆっくりと。


「――――ガアアアアァァァッ!!」


 咆哮。

 同時に、空間が炸裂した。

 《黒銀の王》が吼え、全力で踏み込んできた。

 ただ一歩、前に足を踏み出す。

 たったそれだけの動作が、破壊的な衝撃を生み出していた。

 突然、目の前で嵐が爆発したに等しい。

 物理的な圧力と、《黒銀の王》が叩きつけてくる魔力と殺気。

 それらが混ざり合って、正面から俺に襲い掛かってきた。

 次に来るのは、間違いなく必殺の一撃だ。

 大上段に振り上げた黒い剣。

 黒い炎と雷を纏った刃は、まともに喰らえば木端微塵になるだろう。

 ――死ぬ。どうしようもなく死ぬ。

 《黒銀の王》が全霊を込めて振り下ろす、幕引きの一撃。

 それを認めて、俺の方も前に出た。


「おおおおぉぉぉぉぉぉッ!!」


 叫んだ。

 全部、魂の底から力を振り絞るために。

 衝撃波も、王の魔力と殺気も。

 纏めて受け止めて、無理やりそれを突き抜ける。

 これぐらい、気合いがあればどうにかなる――なった。

 だから、問題は次だ。


「「――――――ッ!!」」


 声。叫び。咆哮。

 重なって、混ざり合い、反発している。

 どっちがどっちのモノかは、どうにも曖昧だ。

 耳が馬鹿になってる可能性もあった。

 どうあれ、そんな事より、今は。


「オ、ラァッ!!」


 

 黒い剣が迫ってきている。

 酷くゆっくり動いてるようだが、実際はとんでもない速度だ。

 回避は――無理だ。

 防ぐのも、多分難しい。

 だったらどうする。

 どうする、できる事は一つだけだ。

 剣を振る。

 残った力の全てで柄を握り締め、剣に伝える。

 やるべきこと、今できることを。

 《黒銀の王》が振り下ろす刃へと、竜殺しの刃が重なった。

 それは竜巻を、横合いから殴り付けるような感覚だ。

 叫び、歯を食いしばった。

 ――勝つ。

 そう誓った。

 ――絶対に勝つ。

 それ以外にはない。

 ――俺は、絶対に、勝つ!

 あぁ、しくじったら死ぬだけだ。

 けど、死んでも構わないなんて温いことは考えない。

 勝って、生きて、終わらせる。

 そのためにも――――!


「…………あぁ」


 ……漏れた声、儚い吐息。

 俺――ではなく、《黒銀の王》の唇から。

 嵐が過ぎ去った後の、空を見上げるように。

 黒い少女は、その足を止めた。

 膝が落ちたのは、俺の方が先だった。

 離すまいと思っていた剣も、手の中からこぼれ落ちる。

 空白の地面に刃がぶつかって、硬い金属音が響いた。

 転がった刀身は、さっきよりも濃い血で赤く彩られていた。


「……見事、ですね。竜殺し」

「……あぁ」

「期待は、していましたが。

 それでも……これはなかなかに、信じ難い」

「俺もだよ」


 本当に。

 皮肉でもなんでもなく。

 実感は湧かない。

 そもそも、俺一人でどうにかなった勝負でもない。

 運にも助けられた上で、首の皮一枚レベルでギリギリだ。

 息を吐く。

 実感は薄い――が。

 確かに言えることは、一つだけあった。


「……それでも、俺の勝ちだな。《黒銀の王》」

「ええ。誇っていい。

 貴方は間違いなく、私に勝利したのだから」


 カランと、乾いた音。

 立ち尽くす《黒銀の王》の手からも、黒い剣が落下した。

 二つ目の致命の傷。

 それを首元から胸まで刻まれた彼女は、ゆっくりと膝を折る。

 力尽きる様も、厳かで。

 俺はどうにか身体を動かして、その様子を見た。

 ……今度こそ、間違いなく、勝った。

 あの《黒銀の王》に。

 《大竜盟約》の頂点である、最強の大真竜に。


「ッ――嘘、だ……!」


 崩れ落ちた《黒銀の王》。

 彼女へと、小柄な影が駆け寄った。

 再び、ボロボロな人間体に戻ってしまったゲマトリア。

 自分も瀕死な状態だろうに、構わずに《黒銀の王》に縋りつく。


「嘘、だ。嘘だ、嘘だ……貴女が、負けるなんて……そんなこと……!!」

「…………ゲマトリア」


 泣き叫ぶ竜に、黒い少女は語りかける。

 俺は黙って、それを見ていた。


「私は負けた。それは間違いない。

 そして、こうなることは私が望んだ結果でもある」

「そ、んなの……!」

「だから、貴女が自分を責める必要はない。

 貴女のせいで、私は負けたワケではないのだから」

「ッ…………!」


 王が討ち果たされたのは、自分がこの戦場にいたからだと。

 間違いなく、ゲマトリアは責任を感じていたはずだ。

 《黒銀の王》はそれを強く、優しく否定する。


「ゲマトリア、貴女が罪に思うことは何もない。

 ……むしろ、最後まで轡を並べてくれたことが私には嬉しかった。

 心から感謝しています、古き竜――古き友よ」

「……ッ……今、そんなこと、言わないで、くださいよぉ……っ」


 止まない涙を隠すように。

 ゲマトリアは、《黒銀の王》に強く抱き着いた。

 震える背を、細い手がゆっくりと撫でる。

 ……その辺りで目が合った。

 ついさっきまでは、黒い炎に似た怒りが燃えていた瞳。

 今はその色も失せて、青い湖のように穏やかな光が宿っていた。


「偽りのない称賛を、竜殺し。

 千年の結末としては――ええ、悪くはないと考えています」

「満足して貰えたなら何よりだな」


 笑う。

 俺の方も、どうにかリベンジは果たせた形だ。

 もうちょっと、格好良くやれたなら完璧だったが。

 流石に贅沢は言えないな。


「私は――残念ながら、ここまでだ」

「あぁ」

「ここから先のことは、任せて構いませんか」

「そりゃな、そのつもりだったから挑んだワケだしな」


 うむ。

 まぁ、俺がやれるのは《造物主》の事までだが。

 それ以上となると、流石に色々管轄外になってしまう。


「十分ですよ」


 そんな思考を見透かして、《黒銀の王》は笑った。

 穏やかな微笑みだった。

 見た目通りの少女のような笑顔で、彼女は頷く。

 ……ゆっくりとだが、確実に。

 その魂の炎が消えつつある事を、俺も感じていた。


「千年前に、私たちがやり残したこと。

 その後始末を、貴方に押し付ける形となってしまった。

 それだけは、罪に思います」

「好きでやった事だからな、別に良いさ」

「……貴方なら、そう言うでしょうね」


 分かっていましたよ、と。

 《黒銀の王》は静かに笑っていた。

 戦いの気配は、もう何処にも残っていない。

 見守っていた側もそれを感じ取ったか、こちらに近付いてくる。

 糞エルフが余計な事をしないかだけ、注意しとかんとな。


「……レックス、最初の竜殺しよ」

「うん、どうした?」

「貴方と、戦うことができて良かった。

 心からそう思っています」

「……あぁ。

 危なかったけど、俺も勝ってやれて良かったよ」

「ええ、本当に」


 勝ってやれて良かった。

 その言葉に、《黒銀の王》は一つ頷いた。

 口元には、満足そうな微笑みが刻まれていた。


「……本当に、良かった」

「……なぁ。

 できれば、最後に――」


 ――《黒銀の王》なんて、肩書きみたいなもんじゃなく。

 アンタの、人としての名前を聞きたい。

 俺はそう言おうとしていた。

 けど。


「…………」


 ゲマトリアのすすり泣く声だけが、良く聞こえる。

 《黒銀の王》……そう呼ばれた少女は、もう何も応えない。

 その姿は、穏やかに眠っているようで。

 声をかければ、すぐにでも目を覚ましそうにも思えた。

 ……小さく、硝子の割れるみたいな音が響く。

 細かな音は絶え間なく続き、やがて白い世界が砕け散った。

 多分、《黒銀の王》の力が失われたからだ。

 空白が消えて、再び俺たちは玉座と円卓が置かれた広間へと帰還を果たした。

 地の底で蠢く《造物主》、それを封じている楔。

 世界が戻った時、その玉座に《黒銀の王》は腰を下ろしていた。


「……立派なもんだな。流石だよ、王様」


 その姿に、心の底からの称賛を込めて呟いた。

 ……魂の火は潰えて、その生命は消え失せても尚。

 王としての務めを果たすように、彼女は玉座に在り続けていた。


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