終章:ご都合主義の神が幕を引く時

481話:そして神は骰子を振った


「レックス!!」


 その声に振り向く――と同時に、軽い衝撃に押し倒される。

 飛びついた勢いのまま、アウローラは俺の頭を強く抱き締めた。

 柔らかい感触。

 手を伸ばし、軽くその背を撫でる。


「良かった……本当に……!」

「ん。勝ったからな、大丈夫だ」


 泣き出しそうな彼女に、俺は笑って応える。

 安心させようと、こちらからも抱き締め返した。


「……人のまま、《黒銀の王》に勝つとは。

 どう賞賛すれば良いか、言葉が見つからんな。竜殺し」


 呆れと驚き。

 それと、分かり辛いが喜びを込めて。

 ボレアスはそう言いながら、俺とアウローラの傍に来る。

 その視線は、玉座で事切れた王に向いていた。

 ――《黒銀の王》に勝った。

 改めて言葉にしても、やはり夢の中の出来事のようだった。


「……俺一人じゃ、どう足掻いても無理だった。

 けどまぁ、俺もがんばったからな」

「あぁ、お前だからこそ掴み取れた勝利だ。

 それについては誇れば良い」

「だなぁ」


 笑う。

 どうあれ、勝ったのはこっちだ。

 ボレアスの言葉で改めて確認をして、良く噛み締める。

 と、テレサとイーリスの姉妹も慌ただしく駆け寄ってきた。


「勝ったのか、勝ったんだな! マジで勝ったのか!?」

「レックス殿……良くご無事で……!」

「おう、どうにか勝ったぞ。

 二人とも助けてくれたおかげだ、ありがとうな」


 言ってから、軽く姉妹に向けて頭を下げる。

 特にイーリスは、手助けしてくれなきゃあのまま死んでたかもしれない。


「あー……まぁ、大した事はしてねェし。

 お前の方が良くやったって話だろ、そんなもん。

 別に良い、気にするなよ」

「照れてるのが丸分かりだぞ、イーリス」

「うるせぇよ、姉さんだって似たようなもんだろ」


 緊張の糸が途切れた様子で、きゃいきゃいと騒ぐ二人の姉妹。

 うん、お互いに無事で良かった。

 その辺りで、視線を動かす。

 《黒銀の王》の玉座。

 ゲマトリア以外の者も、その傍に佇んでいた。


『……長き務め、良く果たしてくれた』


 オーティヌス。

 《始祖》の王は、声を震わせながらこうべを垂れる。

 イシュタルやブリーデ。

 《盟約》の仲間たちは、それぞれオーティヌスに倣って王の死を悼む。

 ……《黒銀の王》が死んだ。

 それは《大竜盟約》の終わりを意味するはずだ。

 そして。


「――いよいよ、《盟約》の封印とやらも限界だな」

「おう」


 ウィリアムは、眠る猫を片手にぶら下げていた。

 俺の近く……というほど近くでもないか。

 半端な距離を置いた場所に佇み、その視線を彷徨わせている。


「異様な気配が濃くなってきている。

 お前も当然、感じ取っているとは思うが」

「多少はな」


 頷く。

 糞エルフの言う通り、さっきからチリチリと神経を焦がす感覚がある。

 嵐の前の静けさ……というには、それは酷く攻撃的だった。

 地の底に封じられている《造物主》の残骸。

 呪いに等しい悪意が、少しずつこちら側に染み出しつつある。

 ……多分、そう間を置かずに目覚めるだろうな。


「勝算はあるのか、竜殺し」

「いや。実際に戦ってみないことにはなぁ」

「そう言うだろうと思ったぞ」

「そっちこそ何かあるのか?」

「相手は神にも等しい怪物だ、あるはずもないだろう」

「だろうなぁ」


 結局、蓋を開けてみないことには分からない。

 だから慌てず、今は身体を休めることに専念する。

 糞エルフもそのつもりなのか、ただ警戒だけは続けていた。

 と――腕の中で、アウローラが少し震えていることに気が付く。


「大丈夫か、アウローラ」

「……大丈夫、とは言い難いわね。

 父――死んだ《造物主》の声が、聞こえてくるの。

 少しずつ、近づいてきてるわ」

「そうか」


 できれば、そのまま寝ていて欲しいんだけどな。

 戦慄を抑えきれないアウローラを、俺は強く抱き締めた。

 大丈夫だと。

 そう伝えるために、彼女の髪をそっと撫でる。


「レックス……」

「俺もいるし、テレサやイーリスもいる。

 あとボレアスも、流石にヤバかったら助けてくれるだろうしな。

 だから、《造物主》だろうがビビる必要はないぞ。

 どうせ《黒銀の王》よりは弱いだろうからな」


 少なくとも、王がずっと封印で抑え込んでいた相手なのは間違いない。

 だったら、強さだけなら《黒銀の王》が上のはずだ。

 それなら怖がることはない。

 強がりである事は重々承知の上で、敢えてそんな言葉を選んだ。

 ――俺たちは、《黒銀の王》に勝ったんだ。

 大人しく聞いていたアウローラは、呆れたように笑う。


「……ホント、無茶苦茶言うわね」

「そうか?」

「そうよ。……けど、貴方の言う通りかもね。

 かつての父の気配に近いから、ちょっと動揺してたわ」


 笑って、アウローラはより強く身を寄せる。

 その身体を抱き締めて、髪や背中を撫でてやる。

 心臓の鼓動は、穏やかな音色を刻んでいた。


「……マジで近づいてきてるぞ」


 呟く言葉は、イーリスの唇からこぼれた。

 不快げに眉を寄せて、視線は足元に。

 俺の目には見えないが、彼女の方は違うのだろう。

 魂に干渉する神様の権能それに近い力。

 人間とは異なる五感が、遙か地の底の悪意を捉えているようだ。


「ここにいるとヤバくねェか?」

「まぁ、ヤバいのは間違いないと思う。

 とはいえ、ここ以外のどこに行くって話になるからな」

「……私の《転移》なら、離脱は可能ですが」

「いや、この場で迎え撃つべきだろう」


 そう言って、ボレアスも足元の地面を見ていた。

 微かな震動が、この地下神殿全体へと広がりつつある。


「この場には、残る《盟約》の戦力もいるからな。

 どの道、封印が破れたなら地上に現れるのも一瞬であろうよ」

『……そちらの、《北の王》の言う通りだ』


 ゆらりと。

 立ち上がる影のように、いつの間にやらオーティヌスが近付いてきた。

 姉妹がちょっとビックリしてるが、それは置いてだ。


「協力しよう、って話で良いのか?」

『あぁ。お前たちは《黒銀の王》に勝利した。

 ならば後は彼女の遺志の通り、千年前の片を付けるのみだ』


 語る言葉に、俺たちへの敵意はなかった。

 あるのはただ、燃えるような戦意のみ。

 これから始まる、本当の意味での最後の戦いに向けて。

 《始祖》の王はその魂を燃え上がらせていた。

 やる気満々なのは、実際助かる話だ。


「……アンタも、余計なこと考えないで手伝ってよ?」

「余計なこと、と言われても何のことか心当たりがないな」

「糞エルフが言うとなかなかおもしろい冗談だなぁ」


 大体いつも悪いこと考えてるだろ、お前。

 呆れ気味にため息を吐くブリーデ。

 傍らでは、マレウスも苦笑いを浮かべていた。

 そんな光景を見ながら、一つ息を吐く。

 ……そろそろ本当に、旅の終わりが近いな。

 《黒銀の王》に勝利したこと。

 遅れて湧いてきたその実感と共に、予感があった。

 終わりが来る。

 長いようで短い、短いようで長い。

 死んで終わりだったはずの俺が辿った、やり直しの旅。

 この旅の終着点は、もう間もなく――。


「……レックス」

「あぁ」


 名を呼ばれて、視線を下ろす。

 アウローラだ。

 彼女は俺を見上げて、そっと微笑んでいる。

 抱き締めて、離さないように。

 心臓の鼓動を、互いに重ね合わせた。


「きっと、大丈夫よね」

「あぁ」

「これが終わったら、もっと行きたいところが沢山あるの」

「分かってる」

「一緒に行きましょう、レックス」

「あぁ、勿論だ」


 頷く。

 一つの終わりは、次の始まりだ。

 三千年前に死んだ時は、そんな「次」は考えられなかったが。

 今は違う。

 旅が終わる。

 次を始めるための、区切りとしての終わりだ。

 だから俺は、躊躇いなく応えた。


「一緒に行こう、アウローラ」

「――ええ。ずっと一緒よ」


 微笑む彼女に、もう一度しっかりと頷いた。

 自然と唇を重ね、熱を触れ合わせる。

 本当はもっと感じていたいが、流石に状況が良くない。

 すぐに離れると、名残惜しむようにもう一度だけ熱に触れた。


「……こんな場でイチャイチャしないでよ」

「あら――見てたの? 妹の情事を見物なんて、イヤらしいわね」

「都合の良い時だけ妹面するのやめなさいったら!」


 青白い肌を真っ赤にして、怒りを露わにするブリーデさん。

 いや、ホントに申し訳ない。

 イーリスさんも「そういうとこだぞ」って目で見るのは止して欲しい。

 まぁ、それはそれとしてだ。


「ぼちぼちヤバそうだな」


 呟いて、一度アウローラを離す。

 その場に立ち上がり、魔剣を拾って構え直した。

 ……来る。

 ついさっきまでは、精々気配が漂ってる程度だったが。

 邪悪な空気は急速にその濃さが増して、圧力を強めていく。

 《黒銀の王》の影響は、彼女が死んだ後もまだ残っているのだろう。

 もがくような気配と、恨み言を撒き散らす思念が空間全体に響き渡った。


『――痴愚どもが。小賢しい、小賢しい小賢しい小賢しい。

 星の怒り如きが、定命に過ぎぬ不完全な命が、私の邪魔をするな――!!』


 変わらない。

 《造物主》の残骸は、これまでの接触と何も変わらない。

 憎悪と憤怒、狂気。

 自分以外の全てに対して向けられた、八つ当たりも同然の怨念。

 それをばら撒きながら、《造物主》は《盟約》の封印を突き破ろうとしていた。


「くそ、ラスボスの後にラスボスと連戦っておかしくねェか……!」

「言いたいことは良く分かる」


 いやホントに。

 毒づくイーリスやアウローラたちを背に、俺は一歩前に踏み出す。

 取り出した賦活剤を呑んで、傷は癒やしておく。

 消耗は激しいし、とても万全な状態とは言い難いが。


「まぁ、なんとかなるだろ」

「……そうね。

 《黒銀の王》も、本当になんとかしたものね」


 我ながら楽観が過ぎるが、悲壮感を持っても勝てるワケじゃない。

 呆れた風に笑うアウローラに、俺も軽く笑っておいた。

 そうしている間も、気配はどんどん強くなっていく。

 地面から染み出すように、闇が溢れる。

 単なる魔力ではない。

 《造物主》の呪いが、物質的に形を成したもの。

 それはあっという間に巨大な闇の渦となり、空間を圧迫し始めた。


『……千年封じられても、貴様は何も変わらぬか。

 《造物主》、己の愚かさに気付かなかった哀れな悪神よ』

『――――――』


 怒りを含むオーティヌスの言葉に、闇は――《造物主》は反応しない。

 とんでもない魔力を発しながら、闇の塊となって渦巻いている。

 ……アレは、このまま斬り掛かって良いのか?

 まだハッキリとした形がないせいで、何処を狙うべきか。


『……そうだ、不完全だ』


 ぽつりと。

 闇が一つ呟いた。

 憎悪と憤怒、狂気。

 怨念でしないはずのその声に、別の「何か」があった。

 それが一体何であるのか。

 こっちが理解しようとするよりも、ずっと早く。


『何もかもが欠けていて、醜く、救い難い。

 それも全て、あらゆるものが不完全だからだ。

 不完全な創造、不完全な世界。

 不完全、不完全、不完全。

 不完全ならば――――


 致命的な言葉を、《造物主》は吐き出した。

 瞬間、闇が爆ぜた。

 渦巻いていた全ての魔力が、波濤に変わって全てを押し包む。


「ッ――拙い、これは……!?」


 焦燥に満ちたアウローラの言葉。

 攻撃の意思がなかったせいで、対応が遅れてしまった。

 それは、俺以外も含めて全員がそうだった。

 闇が溢れる。

 憎悪と憤怒、狂気、怨念。

 それらを全て含んだ上で、その声は歓喜に満ちていたのだ。


『あぁ、やり直す。やり直すのだ。

 不完全なモノを、完全なるモノへと。

 愚かな過ちなどありはしない。

 何度でも、何度でも、究極に至るまで繰り返せば良い。

 全て――私は、全てを、やり直そう』


 身勝手極まりない喜びに、言葉を震わせながら。

 《造物主》のちからは、何もかもを呑み込んでいった。

 

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