第十八部:竜殺しのやり直し

482話:全ての悲劇の始まり


 ――『ソレ』は、生まれた瞬間から既に『完成』されていた。

 何処かの次元にある世界。

 特筆すべき事は特に無かった。

 何処にでも転がっている程度の凡百の文明。

 宇宙の一端しか認識できない、人類に相当する知的種族。

 星の彼方へ手を伸ばすに至るのは、恐らく数百年は先だったろう。

 そんな世界で、『ソレ』は産声を上げた。

 理由はなかった。

 『ソレ』が異常である事に、特別な理由は何もない。

 偶々、人の身でありながら神に等しい力を持って生まれてしまった。

 本来なら泣くことしかできない赤子の時点で、『ソレ』には多くが見えていた。

 この宇宙が、どれほど彼方まで広がっているのか。

 次元の構造と、それを越えて移動する方法。

 無限に等しい星々と、その星を輝かせる生命の光。

 全て、この世に生まれ落ちたその瞬間から、『ソレ』には見えていたのだ。

 神の叡智を有する幼い思考で、『ソレ』は考えた。


『――――


 世界は美しかった。

 無秩序な混沌のように見えて、その芯には揺るがぬ秩序がある。

 生命の輝きは花のようで、咲いては散る様はこの世の何よりも鮮やかだった。

 広大極まりない星の海は、幾らでも遠くまで手を伸ばすことができる。

 生まれた『ソレ』の目に映る世界は、間違いなく美しかった。

 心に確かな歓喜を宿した、その瞬間こそが『ソレ』にとっての人生の絶頂だった。


『……何故だ?』


 生まれ落ちて、数年ほどの時が流れた。

 子供と呼ぶには異常過ぎるほどに異常だった『ソレ』は、すぐに孤独となった。

 幼い身でも、『ソレ』にはあらゆる事が可能だった。

 故に他者の存在は不要であり、孤独である事も『ソレ』は気にしなかった。

 そんなことよりも、もっと大きな問題がある。

 『ソレ』の眼は、世界を見ていた。

 遠い星の彼方や、幾層にも折り重なる多次元ではない。

 目の前に広がる世界。

 自らが生まれ落ちた故郷とも呼ぶべき場所を、『ソレ』は見ていた。


『何故――何故、


 不完全。

 最初、『ソレ』は自分が異常だとは思っていなかった。

 誰もが同じ視点を持ち、同じように星へ手を伸ばす力を持っていると考えていた。

 だが、事実は違った。

 誰も永遠には生きられない。

 誰も生身で宇宙を渡ることなどできない。

 誰も神様のように、天地を自在に操ることもできない。

 『ソレ』にとっては容易いことも、他の誰も同じようにはできないのだ。

 その事実に、『ソレ』は戦慄すら覚えていた。


『……そんな不完全さで、何故生きられる?

 あり得ない――そうだ、そんな事はあり得んだろう。

 もし、奴らが語るところの「神」とやらがいたとしてだ。

 何故、自分に似せた生き物をこんな醜く不完全な存在にした?

 何故、自分と同じ視点と力を与えなかった?

 神が完全であるのなら、それが創造した世界も完全であるはずだ』


 分からない。

 星の彼方も、次元の構造も。

 神の叡智さえ理解する『ソレ』にも、まったく分からない不条理さ。

 人の視点で見る世界は、受け入れ難いほどに醜いものだった。

 ……また、暫くの時が流れる。

 永遠に等しく生きられる『ソレ』にとっては、瞬き程度の時間だ。

 『ソレ』は考えていた。

 自分が生まれ落ちた世界。

 完全であるはずの自分が生まれた世界が、何故こんなにも不完全なのか。

 永遠に生きられないのに、無駄に殺し合う人々も。

 空で瞬く星にさえ容易には届かない、程度の低い文明も。

 一人では何もできないに等しい、脆弱極まりないその無力さも。

 何もかもが、『ソレ』と比べて不完全だった。


『――世界が不完全なのは、それを創造した神が不完全であるからだ』


 結論は、酷く傲慢で単純シンプルなものだった。

 不完全な神が生み出した、不完全な世界。

 完全な存在である自分の方こそが、此処では例外イレギュラーなのだ。

 それを答えとした瞬間、『ソレ』は笑っていた。

 笑って、笑って、笑って――そして、一言だけ吐き捨てた。


『なら、


 その瞬間。

 不完全と断じられた世界は、滅びを迎える事になる。

 神に等しい力を持つ『ソレ』に対し、抗う術など存在しなかった。

 人々はわけも分からぬまま、突如襲ってきた破滅に呑み込まれていく。

 或いは、最初からそうなることが運命であったように。

 『ソレ』は容易く、文字通り完全に。

 自らが生まれ落ちた世界を、その痕跡すら残さずに洗い流してしまった。

 何も無くなってしまった荒野の星。

 その様を見ても、『ソレ』の心は何も感じることはなかった。


『――この世界は不完全だった。

 不出来な神が創った、醜く欠けてばかりの世界。

 そんなものは不要だ。

 この美しい宇宙に、無駄なモノは必要ない。

 ……あぁ、そうだ。この宙を彩るのは、もっと素晴らしい星であるべきだ。

 


 ……それは、ある種の思い付きだった。

 愚かな神の手では、不完全な世界しか創れない。

 ならば完全である自分なら、もっと優れた世界が創造できるはずだ。

 特に深い考えがあったワケではない。

 潔癖に近い感覚と、自身の完全性に対する傲慢なまでの自信。

 その二つが、『ソレ』を新たな行動へと駆り立てた。

 己の手で滅ぼした世界には、もう欠片ほどの未練もない。

 故に、『ソレ』は先ず次元の彼方へと旅立った。

 こんな不出来な星では駄目だ。

 完全な世界を創造するためには、より優れた土台が欲しい。

 遙かな虚空まで見通す眼で、『ソレ』は理想となるモノを探し始めた。


『――――見つけた』


 人間では長き時も、神の如き『ソレ』にはほんの一瞬の事。

 星々の海の中で、特に一際強く輝く星。

 見つけたと同時に、『ソレ』は躊躇うこと無くその大地に降臨した。

 その星には、『ソレ』が知るのに近い人類が既に存在していた。

 彼らは程度の低い文明を築き、退屈な営みを送っている。

 そこに意味はなく、価値などまるで存在しない。

 あまりにも不完全な生命だった。

 『ソレ』が滅ぼした故郷と同じく、誰も永遠には生きられない。

 誰も自分のように、神に等しい力を持っていない。

 不完全で醜い生命――だが。

 星が有する力と、宿った生命の輝きは素晴らしいものだった。

 ――コレがあれば、私の手でより完全な世界を生み出すことができる。

 それは未来予知にも等しい確信だった。

 『ソレ』は己の全能性を、何一つとして疑っていなかった。

 その手始めとして、目の前に横たわる不完全な文明を滅ぼす事から始めた。


『さぁ消え失せろ、痴愚どもが。

 この世界は私の手で、より完全なモノへと変わる。

 ――不出来で不完全なお前たちは、私の世界(ソラ)には不必要だ』


 そして、その世界でも滅びが吹き荒れた。

 創造の練習がてら、『ソレ』は手足となる怪物たちを生み出した。

 後の世では《巨人》と呼ばれるモノ。

 その原型である《天使ネフィリム》に、人々は為す術もなく殺されていく。

 終末の洪水が全てを呑み込む様を、《ソレ》は笑いながら眺めていた。

 ――そうだ、これで良い。

 お前たちは不完全だ。

 永遠ではない生命でありながら、同族同士で殺し合う。

 無力で欠けているから、愚かな欲望は留まることを知らない。

 そんな醜く無意味な生き物なら、いっそ跡形もなく滅んでしまうべきだ。

 ――私は正しい。

 一片の疑いもなく、天の理の如くに。

 私こそが正義に他ならない。

 何故なら私は神に等しく、全知全能だからだ。

 私のようではないお前たちは、私の美しい世界には必要ないのだ。


『故に死ね。滅べ。消えて無くなれ。

 この美しい世界は、私が望む通りであれば良い』


 それは途方もない悪意だった。

 神の如き存在から、不完全な生命に向けた破滅の意思。

 誰にもどうしようもない。

 健気に立ち上がる者たちはいたが、その全てが無力だった。

 思う様に踏み潰し、蹂躙をして。

 儚く砕け散る文明の上に君臨して、『ソレ』は高らかに笑うのだ。


『――ふむ?』


 笑う『ソレ』に、誰かが問いを投げかけた。

 ――お前は一体何者だ。

 誰が言ったのかは、まるで重要ではない。

 矮小な個人など『ソレ』は認識しておらず、しかしその言葉だけが届いていた。

 何者なのか。

 愚問過ぎて失笑してしまうが、同時にほんの少しだけ思考を巡らせる。

 最早誰も、『ソレ』の人としての名を呼ぶものはいない。

 『ソレ』自身も、かつてあったはずの自分の名など忘れていた。

 理想世界の創造という一大事業を前に、『ソレ』は改めて己の存在を再定義した。

 全知全能の神。

 新たな世界を創造する天の主。

 ならば、『ソレ』の名はたった一つしかあり得ない。

 即ち――。


『私は、《造物主デミウルゴス》だ』


 全知全能、唯一無二。

 真なる神の名乗りを得て、《ソレ》は――《造物主》は笑った。

 何もかもが滅び去った後に、新たな創造が始まる。

 それが正しいモノであると《造物主》は僅かにも疑ってはいなかった。

 ――不完全な生命はいらない。

 神の如く永遠を生き、神の如く多くの力を持ち、神の如く欠けたる事はない。

 そんな完全な者たちだけが生きる、完全なる理想郷。

 其処には苦痛はなく、悲しみもない。

 不出来で醜いモノなど一つも存在せず、誰もが永劫の幸福を享受できる。

 《造物主》が生まれ落ちた時に見た、この広大な世界の美しさ。

 それをそのまま実現した、無謬なる小宇宙。

 何一つ、疑いを持ってはいなかった。

 全知全能である自分なら、容易い創造に過ぎないと。


『――あぁ、そうだ。私に不可能などない。

 この宇宙が完全であるように、私の存在もまた完全だ。

 不出来で不完全で、醜い多くの生命たちよ。

 私に頭を垂れ、大人しく滅びを受け入れるが良い。

 新たな創造の前に、必要な供物となる事を喜びとせよ』


 傲慢極まりない言葉と共に、《造物主》は己の望むままに振る舞う。

 星がその怒りを露わにした時は、流石に驚きはしたが。

 燃え盛る黒き炎でも、《造物主》を討ち滅ぼすことは叶わなかった。

 神に等しい力は、星の持つ怒りでさえ届かない。

 ただ、《造物主》は煩わしさを感じていた。

 ――何故、邪魔をする?

 かつての生まれ故郷は、何の抵抗もなく滅ぼされたのに。

 完全な自分の行いは、有象無象は黙って受け入れる他ない絶対正義のはずなのに。

 分からない。

 分からないという事実が、全知の誤謬である事を理解せぬままに。

 《造物主》は、一つの大地を造り上げた。

 元いた大陸から、遠く離れた場所に生み出した大きな島。

 これ以上星の怒りの邪魔を受けぬよう、海を囲う形で空間の遮断も施した上で。

 とうとう《造物主》は、その創造に着手した。


『完璧な生命。永遠不滅で、神にも等しい力を持つモノ。

 不出来で不完全な、醜いばかりの生き物とは違う。

 永久に繁栄する理想郷を生きるに相応しい、そんな完全なる生命を。

 私はこの手で、必ず生み出そう――!』


 そして彼らが築き上げる無謬の理想郷で、自らは完全な神として君臨する。

 一つの欠けもない完璧な未来予想図に、《造物主》は酔い痴れていた。

 酔い痴れて、そこにあるはずの理想へと躊躇いなく手を伸ばす。

 ――それが途方もない絶望である事を知るのは、まだ遙か先の話。

 遠い時の果て、全ての悲劇は此処から始まった。

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