23話:爪を折る


「――なんで」

 

 イーリスの声は震えていた。

 どうしようもない現実を前に、恐怖は絶望に変わる。

 

「なんで、アンタが《爪》なんだよ……姉さん!!」

 

 その呼びかけは、しかし目の前の《爪》には届かない。

 主人の言葉に従って、此方へと踏み出す。

 気付けば、その手には小さく細長い硝子瓶のようなものが握られていた。

 

『使え、テレサ。私が許可しよう』

「はい、我が主」

 

 愉快げな真竜の言葉に、《爪》は淡々と応える。

 硝子瓶は赤い液体に満たされており、蓋の部分には細い針が幾つも生えている。

 《爪》はそれを、自分の首筋へと突き刺した。

 瞬間、瓶の中の液体が一気に減る。

 針を通じて、《爪》の体内へと流し込まれたのか――そう認識した、直後。

 

「ッ!?」

 

 これまでに感じた事のない、凄まじい衝撃。

 瞬き以下の時間で間合いを詰めて来た《爪》に、俺は正面から蹴り飛ばされた。

 ギリギリ剣の刃で受け止めたが、耐え切れずに後方へと転がされる。

 

戦闘用麻薬コンバットドラッグ……!? 

 待てよ、姉さん――!」

 

 悲痛に響くイーリスの声。

 それはやはり《爪》には――彼女の姉であるはずのテレサには届かない。

 彼女はただ、主人の命に従い俺に襲い掛かる。

 その身体能力は、先ほど打ち込んだ怪しげな薬のおかげで更に高まっているようだった。

 

「あんなん絶対身体に悪いだろ……!」

 

 追撃を受ける前に体勢を立て直し、振り下ろされた爪を今度は剣で弾く。

 魔法による加速と薬品による二重の強化。

 それらは凶暴なまでの速さと力を《爪》に与えていた。

 弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。

 以前の「れっしゃ」での戦いと同じように、兎に角防ぐ事に神経を集中する。

 

『ハハハハハハッ!! どうだ、私の《爪》は凄いだろう?』

 

 俺達の戦いを眺めながら、真竜は汚い声で笑う。

 いちいち粘つく音がしそうで腹が立つ。

 

『彼女は歴代の《爪》でも特に優秀でねェ。

 アンテノラ家の夫妻も、我が娘が《爪》に選ばれた事を特に喜んでいたよ』

 

 聞いてもいない事をペラペラと喋り出した。

 恐らく、これはイーリスに向けて語っているのだろう。

 彼女が知らないところで、一体どんな事があったのかを。

 此方はテレサの放つ爪と体術の連撃を、派手に転がって何とか避ける。

 

『ただ、私も久々の逸材に心底張り切ってしまってねェ。

 かなり色々と“弄った”たし、出来栄えも我ながら最高のモノだった。

 しかしどうも、夫妻はそれにショックを受けてしまったようだ』

 

 具体的に、何をどうしたのかは知らないが。

 肉体の強化だの、想像するだけでも大分マッドな事をしたのだろう。

 その上でこんな表情のない人形のような有様だ。

 少なくとも、情を持つ親ならどう思うか。

 

「っと……!」

 

 一瞬、テレサの右手に宿る青白い光。

 《分解》発動の予兆を感じ、相手の腕を蹴り上げて妨害する。

 真竜は余興を楽しむついでのように、イーリスを嬲る為の言葉を吐き続ける。

 

『そんな時だろう、出来が悪いと思っていた下の娘が“奇跡”持ちと分かったのは。

 “奇跡”を持つ者は、支配者たる私に供物として捧げられる。

 それが決まりだが、夫妻は姉の時と同じ轍を踏みたくはなかったんだろうねぇ』

 

 ……成る程。

 幼い娘を糞野郎のところに渡さない為、どういう決断をしたか。

 イーリスもを察したのだろう。

 その理解と絶望を感じ取った真竜は、とうとうゲラゲラと笑い始めた。

 

『事もあろうに、娘が“奇跡”持ちであるという事実を改竄し!

 私の眼を欺く為に、「価値のない出来損ない」として下層へと放り投げたわけだ!

 ハハハハハハハハハ!! まったく何と健気な親の愛情じゃあないか!』

「っ……黙れ、よ……!」

『そんな事も何一つ知らず!

 ただ捨てられた子として地ベタを這い回っていた気分はどうだったかな?

 恨んだだろう? 憎んだのだろう?

 自分を捨てた家族も、この都市そのものも!

 だから良く知らぬ相手に縋ってまで、此処まで這い上がって来たんだろう?』

「黙れよ……!!」

 

 嘲笑う真竜に、イーリスは絞り出すように叫ぶ。

 このままにしておくのは、大変気分が宜しくなかった。

 

『もう君が恨んでいる両親はいない。私が殺して喰ってしまったからね!

 残った姉も、今や私の忠実なる《爪》だ! いやぁ、悲しいねェ、辛いねェ。

 是非とも、どんな気分かを聞かせて――』

「うるせェよ馬鹿」

 

 お前の戯言なんざ聞きたくもない。

 声を上げ、同時に動く。多少無謀ではあるが。

 テレサが放った蹴りに対し、此方も蹴りを合わせる。

 正面からまともにぶつかれば、力に勝る相手の方が勝つ。

 だから少し工夫をする。

 

「《盾よ》!!」

 

 蹴り足が激突する寸前に、その間に力場の盾を展開した。

 盾は衝撃も遮断し、テレサの蹴りは真っ向から受け止める。

 逆に術者である俺の方からは、盾を物理的に動かす事が可能だ。

 以前もやった魔法の盾撃。

 蹴りを放って体勢の不安定なテレサを、盾ごと蹴飛ばす形で後方へと突き放す。

 このまま追い撃つ事も出来るが、今はそれより大事な事がある。

 向こうが立て直す間に、俺は大きく後ろに下がった。

 膝を屈しそうなイーリスの傍へと。

 

「っ……レックス……?」

「イーリス、余裕もないし聞くのは一回だけだ」

 

 剣を構えて、視線は正面に。

 その状態で俺はイーリスに問いかける。

 

「お前はどうしたい?」

 

 それだけは確かめる必要があった。

 このまま戦って、「敵」である《爪》を倒す事は出来る。

 俺としては躊躇う理由もないし、やらねば死ぬのだからやるだけだ。

 だがイーリスはどうなのか。

 ぐっと、言葉に詰まった気配は感じた。

 答えは決まっている。ただ躊躇っているのだろう。

 

「言えよ。何でもいいから」

「っ……けど……!」

「いいのか」

「よく、ねェけど……!」

 

 視界に捉えたテレサは、また即座に襲っては来なかった。

 様子を見るような緩慢な動き。恐らく、ご主人様の意向なのだろう。

 この状況を観劇か何かと勘違いしているらしい。

 

「ちゃんと言えよ、イーリス。お前は、どうしたい」

 

 あのクソッタレが楽しむ悲劇のままでいいのかと。

 答えなんて、最初から一つしかない。

 

「っ……頼む、レックス……オレも手伝うから……!

 姉さんを、助けてくれよ……!」

「おう」

 

 やっと出て来た本音に、一つ頷く。

 俺だけじゃ無理だろうが、助けがあれば何とかなる。

 

「で、アウローラさん。何とかなりそうか?」

「……仕方ないわねぇ、ホントに」

 

 頼っていいと言われたので、遠慮なく頼らせて貰おうと思います。

 アウローラは心底呆れた表情だが、やる気がないわけでもなさそうだ。

 それから改めて、彼女の視線がテレサの方を向く。

 

「洗脳ね。術式による精神の掌握と魂の屈服。まぁよくある奴よ」

「絵に描いたようなクソ悪党の手口だな」

「まぁローコストかつ、術式が解除されない限り有効だから。

 実際便利ではあるのよね」

 

 凄い悪い奴御用達の手法ではあるらしい。

 アウローラは思考を回している様子で、僅かに沈黙してから。

 

「十秒。それだけの間、完全に動きを止めて頂戴。

 それで何とかしてあげる」

「分かった」

 

 あの化け物っぷりで十秒完全に止めろとは、想像以上に難事だが。

 ま、やってやれない事もないだろう。

 

『さて、相談は終わったかな?』

 

 わざとらしく、真竜の油じみた声が割り込んで来た。

 

『操られた哀れな娘を助けるのに、一体どんな――』

 

 何やら屁をこいてる奴がいるが、正直どうでもいい。

 どうでもいいんで、聞き流して走り出した。

 合わせて、テレサもまた俺の方へと向かってくる。

 相変わらず狂気じみて速いが――。

 

「……!」

 

 その姿が、不意に目の前で消失した。

 「れっしゃ」の時と同じく《転移》によるものだ。

 あの時は続く謎の攻撃でふっ飛ばされたが、今度は違う。

 

「よっ……!」

 

 足を止めず、そのまま正面へと身を投げ出す。

 遅れて、テレサは先ほどまで俺がいた辺りの場所に再出現した。

 当然、それ以上の事は何も起こらない。

 俺が受けた謎の攻撃について、アウローラがその仕掛けを見抜いていた。

 

「《転移》による衝突――だったか、よく考えるもんだな!」

 

 声を上げ、技が不発したテレサに対して剣を叩きつける。

 アウローラ曰く。


「《転移》先の空間に物体があった場合、それは転移した物に退


 ……という事らしい。

 空間の復元力だの淘汰圧だの、難しい事までは理解出来なかったが。

 テレサは俺のいる位置に《転移》の座標を合わせ、その「押し退ける力」で俺をぶっ飛ばしていた。

 本来は反作用とか言うので転移した側にもダメージはあるらしい。

 それを術式を弄る事で、その反作用とやらも標的に押し付けていたとか。

 とりあえずかなりの高等技術であるようだが、種が分かれば対処も簡単だった。

 要するに相手が《転移》する場所にいなければいいのだ。

 

「――――」

 

 必殺の技をスカされても、テレサに動揺は見られない。

 洗脳とか、そういう奴の影響なのだろう。

 何が起こっても顔色一つ変えないし、感情によって動きが変化する事も殆ど無い。

 だから次にどう動くかも、予測しやすかった。

 

「ふっ……!」

 

 弾く。薬で加速が倍増した爪の一撃を。

 弾く。両の手を使い、角度や時間差で緩急を付けた連撃を。

 捌く。爪だけでなく、蹴り技も合間に多様してくる。

 《分解》みたいな大技だけは、予兆を感じた瞬間に出かかりを潰す。

 ただ、それを繰り返す。

 

「――――」

 

 テレサの表情に変化はない。

 どれだけ防がれ続けても、変わらずにパターン化された攻撃を繰り返す。

 駆け引きを仕掛けたりしないのは、そこまで複雑な思考が出来ないからだろう。

 強化された速度も力も確かに恐ろしい。

 今だって、薄氷の上をギリギリ綱渡りしている事は間違いない。

 ただ、それも続けば慣れてくる。

 

「(問題はこっからか……!)」

 

 雪崩れ落ちるような攻撃を弾き続け、拮抗状態を維持する。

 仕留めるだけなら難しくはない。

 しかし殺さず、かつ十秒間を完全に抑えるとなると難易度が跳ね上がる。

 そもそも力は完全に負けているのだ。

 体勢崩して数秒程度なら行けるかもしれないが……。

 

「ん……?」

 

 ふと、視界の端で動くものが見えた。

 イーリスだ。

 彼女は無言のまま、少しずつ此方との距離を詰めている。

 ハッキリ言って危険だが……確か自分も手伝うと、イーリスは言っていた。

 この状況で動くという事は、何かしら手を持っているんだろう。

 打合せもしていない状態だが、贅沢は言ってられない。

 しくじっても、最低限俺が死ぬだけで済ませたいところだ。

 

「やるか」

 

 アウローラの方も、洗脳とやらを解除する為に集中しているようだ。

 なら、後はこっちが何とかするだけだ。

 爪を弾いて防いでいた剣に、より強い力を込める。

 正面からぶつかっては圧されるだけ。だから逸らすように叩き落す。

 それで生じた僅かな隙間をこじ開ける為、強引に踏み込む。

 同時に、爪を弾いたばかりの剣の刃先を掴んで――。

 

「――――ッ!?」

 

 思い切り、柄の部分でテレサの側頭部をぶっ叩いた。

 半分ぐらい殺す勢いだが、加減して徹りませんでしたじゃダメなので勘弁して欲しい。

 実際、それでも一瞬怯んだぐらいのダメージしか見て取れない。

 

「どんだけ頑丈なんだよ……!」

 

 そんな改造だかをした奴への文句を叫びながら。

 今度は身体ごとぶつけるように、テレサにタックルをぶちかます。

 俺としては、そのまま床に引き倒すぐらいのつもりだったが。

 結果は向こうが僅かに下がったところで、ガッチリと受け止められてしまった。

 パワフルにも限度があると思う。

 

「やっぱ厳しいなぁ……!」

「――――」

 

 全力で力を入れているが、やはりビクともしない。

 予想通り、俺だけでは出来ても数秒程度。

 今度は逆に、その人外の腕力で叩き潰されるか。

 俺だけだったならば。

 

「おおおぉぉぉぉぉっ!!」

 

 自らを鼓舞する叫びと共に、遅れてイーリスが飛び掛かった。

 普通なら即迎撃されて死ぬところだが、今は俺がギリギリ抑え込んでる。

 その際どい死線を無理やり飛び越えて。

 イーリスの手は、姉であるテレサの頭を掴んだ。

 

「悪い、姉さん。我慢してくれよ……!」

 

 その瞬間、バチリと青い火花が走った。

 機械に干渉し、操作するというイーリスの奇跡。

 彼女が具体的に何を仕掛けたのか、俺には分からなかったが。

 

「――……っ!」

 

 変化は劇的だった。

 テレサの光のない眼が大きく見開かれ、その身体が震える。

 抑え込む俺を逆に押し潰そうとしていた腕の力も、急速に萎えていく。

 十秒。間違いなく、《爪》の動きは完全に停止した。

 

「――良くやったわね」

 

 そう言って、アウローラは笑う。

 その指先をテレサに向けると、輝く槍のようなものがその身体を貫いた。

 マジかと一瞬ビビったが、それは物理的なものではなかった。

 貫いた槍は直ぐ硝子のように砕け散り、テレサの身体には傷一つない。

 文字通り糸が切れた人形そのままに、ぐらりと崩れ落ちる。

 

「おっと」

 

 丁度抑える為に抱え込んでいた俺が、反射的にそれを留めた。

 動かないが、当然死んだわけではない。

 

「姉さん……!」

「意識を失ってるだけだ。大丈夫」

 

 今にも泣き出しそうなイーリスに、姉の顔が見えやすいよう抱え直す。

 見たところちゃんと呼吸もしているし、これなら問題は――。

 

『――お見事』

 

 その声から感じ取った悪寒は、どうしようもなく致命的だった。

 アウローラも気付いたようだったが、僅かに遅い。

 

 

 真竜の嘲笑。それと同時に。

 頭上から降り注ぐ死の光が、全てを吹き飛ばした。

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