22話:仮面の下


 風を切る感覚は、なかなかに気分が良い。

 宙を舞う鳥は、いつもこんな風に楽しんでいるんだろうかと。

 そんな事を考えながら、また軽く一歩踏み出す。

 目の前に広がっているのは創り物の夜空だ。

 此処は未だに都市の内部、空が見える道理は何処にもない。

 イーリスが言うには、これは真竜の力で造られた「偽りの空」であるらしい。

 色とりどりの星に似た光。

 それらがちりばめられた仮初の夜を、俺は――いや、俺達は飛んでいた。

 

「なぁ、大丈夫だよな? 落ちたりしないよな?」

「そんなに心配しなくても、私も補助してるから大丈夫よ」

 

 腕の中で二人の淑女が囁き合う。

 アウローラとイーリス。

 二人を万が一でも落とさないよう、片腕ずつだがしっかりと抱えている。

 特にイーリスは、俺の首辺りに腕を回してしがみついている状態だ。

 落下が別に危険でも何でもないアウローラは、楽し気に笑って身を寄せている。

 

「よっと」

 

 馬鹿みたいに高い塔のような建物。

 上層はそんなものが無数に並び立つ、まるで森のような場所だった。

 俺はその塔と塔の間を、自らの足で飛び回る。

 アウローラから改めて教えて貰った《跳躍ジャンプ》の呪文の効果だ。

 一応《飛行フライト》の方も試したのだが、そちらはまだ制御が難しかった。

 

「平気か?」

「そっちこそね。貴方が疲れたんじゃ意味ないのよ?」

「はい」

 

 本当は、イーリスの実家にアウローラの《転移》で一足飛びに向かう予定だった。

 が、直前に俺への「治療」で消耗していた彼女に、出来れば無理はさせたくないなと。

 簡単に話し合った結果が今の状況だ。

 俺が二人を抱え、偽の夜が被せられた街を跳んで行く。

 アウローラには継続して認識の阻害と、後は落下防止をお願いしてある。

 だからこんな派手な動きアクションも、誰かに見咎められる事もない。

 

「よっ、ほっ」

 

 何やら塔の間を飛び回っている鉄の塊。

 その天井を飛び石代わりに、踏んづけては飛ぶを繰り返す。

 上層に入ってから何度か見たが、アレも乗り物なのだろうか。

 

飛行自動車フライングカーだな。

 地表はゴミゴミしてるからって、気取った上層の貴族連中が使ってる」

「ほー」

 

 あんな金属塊を、魔法も無しで空に飛ばすとか。

 まったく凄い技術だな。

 

「まぁ、確かに凄いは凄いわよね。

 私もこの都市に入ってからは、かなり驚かされているし」

 

 そう言いながら、アウローラは眼下に広がる街並みへも目を向けた。

 中層時点でもかなりのモノだったが、上層はやはり桁違いだ。

 並び立つ巨大な塔の群れに、その間を行き交う空飛ぶ乗り物たち。

 偽りの夜空にも負けない程の無数の輝きにより、街全体が実に煌びやかだ。

 下層や中層でも感じたような、陰鬱な空気は何処にも存在しない。

 恵まれ、成功した者だけが吸う事の出来る清浄さだけが、その街を満たしていた。

 ただ。

 

「……やっぱり、下には例の《牙》とかいうのがうろついてるわね」

 

 魔法の眼で、アウローラは遥か下の様子も正確に見えているようだった。

 下は敵もうろついてるだろうと、上を選んだのは正解のようだ。

 

「流石にド派手な正面突破は面倒だしな」

「あら、貴方なら出来るんじゃない?」

「うーんやりたいとは思わんな」

 

 今の状況では、イーリス辺りが巻き込まれると危ない。

 そうやって、暫し夜空の移動を楽しんでいると。

 

「……あっち。そろそろ着く」

 

 イーリスはある一点を指差しながら、囁くように言った。

 上層に侵入してからの、最初の目的地。

 それは下層に落とされる前の、イーリスの実家だ。

 彼女の両親は都市の運営にも関わる高官であるらしく、真竜との距離も近い。

 だからそこから情報を吸い出せば、真竜のいる場所への最短ルートを割り出せる、と。

 そんなイーリスの提案に、俺達も異論はなかった。

 

「…………」

 

 相変わらず腕の中で小さくなっているが、イーリスの表情は険しいものだ。

 これから自分を捨てた両親と対面する可能性もあるのだから、無理もないだろう。

 

「何かあれば、こっちが守ってやる。

 お前はやりたいようにやってくれたらいい」

 

 今、イーリスが何を思っているかは分からない。

 だから俺に言える事はそれぐらいだった。

 その言葉にイーリスは、ほんの少しだけ口元を緩めて。

 

「あぁ、頼りにしてる。気を揉ませて悪いね」

「むしろ面倒事の数はこっちの方が多いぐらいだ。そのぐらい気にするな」

 

 竜殺しだの完全な死者蘇生だのに、重たい家庭問題が加わるぐらいだ。

 どれも何とかするのだから、どれも同じようなものだろう。

 

「――で、あれがお前の家か?」

 

 塔の間を飛びながら、俺はその建物に視線を向ける。

 街中に現れただだっ広い空間。

 それを占有しているのは家……というより、城か砦にしか見えない屋敷だった。

 外見の印象は、俺の知っている時代の様式に近い。

 今では古典的クラシカルとか言われる類だろうか。

 

 「あぁ、間違いない」

 

イーリスは苦い顔で頷く。

光に浮かび上がるかつての生家に、彼女がどんな思いを抱いているかは分からない。

分からないので、とりあえず軽く背中を叩いておいた。

 

「……なんだよ」

「いや、何となく」

「そういうところだぞお前」

 

 何がそういうところなのか。

 それも良く分からんかったが、何故かアウローラからも頭を小突かれた。

 うーむ、解せない。

 

「そんな事より、中で待ち伏せされてるわよ」

「マジ?」

「ええ、魔法で透視したわ。《牙》とかいうのが何人か見えるわね」

 

 俺達がイーリスの家に行く事を、相手は予想していたわけか。

 待ち伏せがあるのなら、一度退くのも手ではある。

 

「構わねぇよ」

 

 此方が聞く前に、イーリスは自らの意思を口にしていた。

 

「あそこはオレの家だったんだ。里帰りに遠慮する必要なんてないだろ?」

「よし、分かった。ならどうお邪魔すればいい?」

「出来るだけ派手にやってくれよ」

 

 決まりだな。

 俺は塔の壁を蹴り、空飛ぶ車を踏んづけて、ひと際大きく跳ぶ。

 真っ直ぐに、イーリスの実家だった場所へと。

 壁をブチ破ってもいいんだが、今日は両手に花を抱えてる。

 なのでお上品に、正面に見えたデカいステンドグラスを蹴破る事にした。

 硝子が派手に砕け散り、キラキラとした破片が舞い落ちる。

 三階分ぐらいの高さが吹き抜けとなった、無駄に凝った作りの玄関広間エントランスホール

 幾つもの彫刻や絵画で飾り立てられたその場所に、似合わぬ兵士の姿が複数。

 完全武装の《牙》の部隊だ。

 連中はいきなりど真ん中に降って来た侵入者に、一瞬驚いたようだったが。

 

「おっと!」

 

 即座に銃火が乱れ飛び、俺は二人を抱えたまま床を蹴る。

 とりあえずデカい柱の影に転がり込んでから、そっとアウローラ達を下ろした。

 

「いきなり大歓迎だなぁ。ところでイーリスさん」

「? なんだよ」

「アレなに?」

 

 俺が気になったのは、待ち構えていた《牙》の連中ではなく。

 屋敷の中に置かれた無数の絵画や彫刻の方だ。

 何かどれも、全裸の変な男ばかりを描いているように見えるんだが。

 

「あれがマーレボルジェだよ。上層ならあんなの何処にでもあるぞ」

「マジかよ」

「上に行ったら、どんな姿か直ぐに分かるって言ったろ?」

 

 確かに言ってた覚えがあるが、まさかこういう意味だったとは。

 あんなん趣味が悪いってレベルじゃないぞ。

 アウローラも嫌そうな顔をして、軽く肩を竦めた。

 

「自分の似姿アイコンを創作してばら撒くなんて、よっぽど自意識過剰なのね」

「だなぁ」

 

 力が強くなると、そういう欲求も高まるのかもしれない。

 と、呑気に話をしている間も《牙》連中は此方に銃を撃ちまくってくる。

 盾にしてる柱もガリガリ削れてるし、そろそろ行くか。

 その前に、一つだけ確認しておく。

 

「イーリス」

「今度はなんだよ」

「あの絵とか彫刻、壊して大丈夫か?」

「いっそ全部ゴミにしてくれ」

「やったぜ」

 

 許可が下りたので、これで何の憂いもないな。

 アウローラにちらりと視線を向けると、此方は微笑みながら頷いた。

 こっちは任せて、好きに暴れて来なさい――と。

 言葉にせず意志を伝えあってから、俺は柱の影から飛び出す。

 《跳躍》の魔法はまだ有効だ。

 その脚力で天井スレスレを跳び、着地先にいた《牙》を踏み潰した。

 速度と重さで床にめり込ませ、そのまま勢いを殺さず走り出す。

 視界に捉えた敵の数は十数人。

 全員例外なく分厚い装甲と、それぞれ厳つい銃で武装している。

 

「撃て! 撃て!」

 

 いきなり一人潰されても《牙》の対応は迅速だ。

 跳ねるように走る此方を追って、銃弾の雨が横殴りに降り注ぐ。

 良い動きだ。半ば包囲された状態も合わせて、本来ならかなりの窮地だろう。

 だが。

 

「悪いな、今日は絶好調だ」

 

 昨日、アウローラに貰った「火」が胸の内で燃えているのが分かる。

 手足に漲る力の赴くまま、俺は戦場を駆けた。

 《跳躍》の機動力で間合いを潰し、正面から《牙》を叩き斬る。

 或いは拳や蹴りで吹き飛ばし、体勢を崩したところで刃を振り下ろしてトドメを刺す。

 ふと思い立ち、連中の上司であろう真竜の絵画や彫刻などを遮蔽物として使ってみたりもした。

 が、ちょっとは躊躇うかと思ったが平然と銃をブッパなしてきた。

 うーん、予想はしていたがつまらん。

 しょうがないので、手頃なサイズの彫刻を投擲武器としてぶつけておいた。

 たまにそんな事もしつつ、基本は繰り返すだけだ。

 跳ぶ。斬る。殴る。殴る。斬る。飛ぶ。たまに転がる。蹴る。

 対応しようと動く《牙》を、次から次へと薙ぎ倒す。

 魔法は消耗が大きく、なるべくなら節約したい。

 なので《跳躍》の効果が切れる前に、俺は一息にその場にいる《牙》を殲滅した。

 

「よしっ」

 

 相手からすれば、こっちが玄関広間を跳ね回ってる内にやられたような状態だろう。

 見える範囲で誰も動かなくなったのを、軽く指を差して確認した。

 身体は――問題ないな。

 宿った熱はまだ、指先まで感じられる。

 

「すっげぇ……」

 

 恐る恐るといった様子で、イーリスが柱から顔を出した。

 遅れてアウローラも出てくると、満足そうな様子でその場を眺めた。

 

「たっぷりと私の魔力を分けたんだから、まぁこれぐらい当然よね?」

「おう。これなら《爪》が相手でも今度は勝てるな」

 

 前は不覚を取ってしまったが、次は必ず勝つ。

 その意思を確認する意味でも、敢えて《爪》の事を口にした。

 そう、それ以上の意味はなかったんだが。

 

『――大した自信じゃあないか、名も知らぬ戦士よ。

 いや、その武勇は見事と賞賛する他ないがね』

 

 ぬらりと。

 黒く濁った油のように、その声は酷く粘ついていた。

 俺は剣を構えて、アウローラはイーリスをその背中に庇う。

 声は空間全体を震わせるように響いて、聞こえてくる場所を特定できない。

 此方の警戒など知らぬとばかりに、声は調子を変えずに続ける。

 

『あぁ、驚かせてしまったかな? いやすまないすまない。私は――』

「マーレボルジェっ!!」

 

 うだうだと話を続けようとした声の主。

 それを遮って、イーリスはその相手の名を叫んだ。

 この都市を支配する、真竜の名を。

 呼ばれた方は、その声に汚い喜びを露わにした。

 

『おぉイーリス! イーリス=アンテノラ!

 私の声を覚えていたとは、何とも光栄じゃあないか』

「そんな耳が腐りそうな声、誰が間違えるかよ……!」

 

 どうしようもない恐怖を、イーリスは感じているはずだ。

 姿を見せていないとはいえ、相手は真竜。

 それこそ言葉だけで此方を害する手段ぐらい、幾らでも持ち合わせているだろう。

 そんな強大な敵を相手に、それでもイーリスは退かぬとばかりに声を上げる。

 

「で! お偉い真竜サマが、わざわざ直接手ェ出しに来るとはな!

 ウチの糞親父どもも随分と偉くなったもんじゃねぇか!」

『んん? あぁ――君のご両親か』

 

 声の響きが、一段変わった。

 嫌な予感に背筋が寒くなったが、その時点でもう手遅れだった。

 

 あぁ、実に美味だったとも』

「……は?」

 

 あっさりと。

 実にあっさりと、クソッタレの真竜はその事実を告げた。

 人の気配のない伽藍堂の屋敷に、その声はやけに響いて聞こえた。

 予想していなかった言葉に、イーリスは完全に絶句する。

 

『まぁそんな些末な事はいい。それよりも、そちらの客人方だ』

 

 言葉を失ったイーリスから、もう興味はないと言わんばかりに。

 今度はこっちの方へと醜悪な意識が向けられる。

 いや、正確には俺よりも、アウローラの方を相手は見ている気がする。

 アウローラ自身もそれを感じ取ったか、不愉快そうに顔を顰めた。

 

「いきなり出て来てくっちゃべって、随分と不躾な主人ね。

 それで? 姿も見せないままに挨拶でも始めようっていうわけ?」

『無論、賓客に対しては礼儀を尽くした挨拶を述べねばなるまいが――その前に』

 

 真竜の声に合わせて、軋む音。

 人の気配の失せた屋敷の奥から、影は扉を開けて姿を見せる。

 以前見た時と変わらない黒衣の《爪》。

 相変わらずその顔は表情のない仮面で覆われたままだ。

 

『そちらのリクエストに応えて、私の第一の従者を改めて紹介しよう。

 私の名前は既にご存じだろうが、彼女についてはまだ知らないはずだ』

「…………!」

 

 何故か。

 何故か、真竜の言葉に激しく反応したのはイーリスだった。

 初めて《爪》と遭遇した時から、彼女がずっと胸の内に抱えていたもの。

 それが何であったかを、直ぐに知る事になる。

 

『では、紹介しよう。―――彼女の名は、テレサ=

 

 主人の言葉と同時に、《爪》が動く。

 仮面を外したのだ。

 その下にあったのは、イーリスと同じ青色の瞳。

 彼女との血の繋がりを感じさせる顔。

 けれど其処には、今外した仮面のように一切の感情がなかった。

 

『私の第一の従者であり、私の愛すべき凶暴なる《爪》だ。

 ――さぁ、テレサ。

 私が与えたその「価値」で、客人方を歓待して差し上げなさい』

 

 この状況が、愉しくて堪らないのだろう。

 真竜の声には、抑えきれない嗜虐の笑みが満ち溢れていた。

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