第五章:運命に抗う
21話:三千年の愛
「完全な蘇生……?」
イーリスは困惑の表情で、その言葉を繰り返した。
それから俺の方にも視線を向けるが、こっちも正直良く分かっていない。
俺は死んで、それから生き返ったのだと思っていたが。
「つまり俺は
「違うわよ。貴方は生き返ったわ――完全に、ではないけど」
成る程。いやまだ理解出来てないが。
少なくとも生き返ったのだけは間違いないらしい。
アウローラは言葉を選んでいるのか、ゆっくりとしたペースで続ける。
「先ず、私は三千年前に、彼――レックスに竜殺しの魔剣を授けた。
永遠不滅の古竜を殺す為、その刃は斬り殺した竜の魂を取り込んで力に変える。
それを使って、レックスはかつて《北の王》を相手に竜殺しを成し遂げた」
そこまではいい?と首を傾げるアウローラ。
俺もイーリスもその辺りの話は以前に聞いている。
黙って頷くと、アウローラの唇から憂いを帯びた吐息が漏れた。
「かつてのレックスは、人の身でありながら竜の王に打ち勝った。
魂を力に変える《一つの剣》。
己の魂を燃やす事で、最大限にその力を引き出して」
けれど、と。
「《北の王》を倒し、貴方は力尽きた。それは単純に肉体が死んだだけじゃない。
竜殺しという、本来不可能な偉業を成し遂げた代償。
その為に、貴方の魂は燃え尽きてしまった」
「…………」
塵は塵、灰は灰。
何処かの誰かが繰り返した言葉が浮かんでくる。
「肉体の死だけなら、まだ何とかなったの。
魂が《摂理》に還ってしまう前に対処するだけで蘇生は出来るから」
「出来んのか。それもそれで凄いと思うんだが……」
「時間が経つと魂は完全に肉体を離れてしまうから、そうなったら難しいけどね」
半ば呆れたようなイーリスの言葉に、アウローラは軽く頷いてみせる。
死んだばかりぐらいの蘇生は簡単とか、それもとんでもない話だ。
そんな物凄い魔法使いであるはずの彼女でさえ、俺の蘇生は難事だったわけか。
「レックスの場合、魂が燃え尽きて灰のようになってしまっていた。
それは魂の死。竜でさえ覆す事の出来ない、真の死だった」
「……成る程」
けど、俺は今こうして生きている。
三千年。その年月は、アウローラが不可能に挑んだ時間でもあった。
「そのまま、灰になった貴方の魂を《摂理》に還す事も出来た。
けど、私はそうしなかった。
残された灰の全てを残さず集めて、貴方の蘇生を試みた」
燃えて残った灰を、一つも余す事なく掻き集めて。
それを燃えてしまう以前の状態に戻す。
馬鹿でも分かるぐらい、それはあり得ない事だった。
或いは、人が竜を殺す事よりも遥かに難しい。
「苦労したわ。前提からして不可能な話だったから。
魔法の類は一通り試して直ぐに駄目だと分かって、アプローチを色々変えてみたりして」
「……それで、三千年か」
「ええ、長い――けど、あっという間に過ぎた時間ね」
人間の想像力では、とても追いつかない。
苦く呟くイーリスに、アウローラはいっそ満足げに笑う。
「あれこれ色々と試みてみたけど――結局、魂を癒すには、同じ魂を使う他ないと結論したの」
「……と、言うと?」
「灰となってしまった魂。その一つ一つを、私は繋ぎ合わせた。
私自身の魂を削って、失われてしまった熱を補いながら、元の形に戻るように」
「…………」
イーリスは絶句し、俺も簡単には言葉を出せなかった。
バラバラになった灰の一つ一つを繋ぎ合わせた、とアウローラは言った。
最早苦行という言葉でも足りない。
その為に、三千年。考えただけで気が遠くなる。
「そうして、私の試みは概ね成功したわ。其処に彼がいるのが良い証拠ね」
「うむ。
「ええ、私はそんな無様な仕事はしないわ。……まぁ、完全ではなかったけどね」
ほんの少しだけ、アウローラの表情が曇った。
俺を蘇生させる為に、どれだけトンデモナイ事をしたのかは分かった。
その上で、彼女はそれを「完全ではない」と言うが。
「やっぱり記憶の事か?」
「それもある。けど、一番大きいのは貴方自身の魂に、熱が戻らなかった事」
「熱?」
「火、若しくは生命力と言い換えた方が分かりやすいかしら。
どんな生き物も、魂に熱を宿しているからこそ、その身体に生命が循環する。
肉体が死に、その熱が失せた時、魂は《摂理》に還って次の誕生を待つ」
「ふむ」
良くは分からないが、そういう仕組みで魂というのは回っているらしい。
火を、熱を宿してこの世に生まれ、その火が消える事で最初の場所に還っていく。
それが死で、それがこの世界の《摂理》だとアウローラは語る。
「貴方は生き返った。《摂理》に還るのを私が拒み、灰になった魂も元に戻した。
けど一度は完全に死んだせいか、魂に貴方自身の火を戻す事は出来なかったの」
「……それ、ヤバいんじゃないのか?」
イーリスの口にした疑問は、事実を端的に表していた。
「ええ。そのままだと、レックスの魂はまた死んでしまう。
だから、火が消えて熱が失せてしまわぬよう、私が魂の一部を削っているの」
「…………」
さらっと言っているが、それはそれで大分ヤバいのではないか。
魂の死は、竜でも覆せないと言っていたはずだ。
「それは大丈夫なのか?」
「平気とは言わないけど、大丈夫よ。私は竜だもの。
魂に宿った火の大きさも、人間とは比べ物にならないわ」
此方を安心させるように、アウローラは穏やかに笑って答える。
嘘ではないだろう。つまり「平気ではない」というのも真実なわけだ。
何度か彼女が疲弊したように見えたのも、やはり気のせいではなかったようだ。
「ただそれも、あくまで応急処置に過ぎない。
これまでもう二回、レックスが倒れかけたでしょう?
魂を削って一時的に熱を与える事は出来ても、それは直ぐに消えてしまう」
「これまでやってくれた治療っていうのも、その「魂を削る」って奴だったわけか」
「ええ、定期的にやらないとダメだから」
調子は悪くないなどと思っていたが、実際は介護された病人状態だったとは。
知らずアウローラに負担をかけていた事は、どうにも心苦しい。
そんな俺の考えを読み取ったのか、アウローラの指先が軽く兜に触れた。
大丈夫だと、安心させるように笑って。
「最初に言った通り、私の目的はレックスの蘇生を完全なモノにする事。
その為の手段が――」
「竜を殺す事、か」
色々あるが、最後は其処に行きつくわけだ。
アウローラも小さく頷く。
「既に失われたものを、再び取り戻すのは難しい。
それは私一人だけの力じゃ足りなかった。
だから貴方に渡したその剣で、もう一度竜を殺す」
俺の腰に下げた剣を、彼女は指差した。
竜を殺す為に、竜が鍛えた唯一の魔剣を。
「竜の魂は永遠不滅。そして剣はその魂を捕らえて魔力を引き出す。
そうして得た力を使って、失われた貴方の火を取り戻す為の術式を構築する」
まったく、それは途方もない話だった。
死んだ人間ひとりを生き返らせるというのは、それだけ大変なわけだ。
当事者ではあるが、正直まったく自覚もなかった。
「……それは、この都市の真竜。
マーレボルジェの奴を殺しただけで足りるのか?」
確かに、それは気になるところだ。
現状では力が足りないから、不足を補う為に竜を殺す。
ならその数は一匹だけで十分なのだろうか。
イーリスの疑問に、アウローラは首を横に振った。
「残念だけど、足りないでしょうね。
完全な死者蘇生の術式を完成させるのに、どれだけの竜の魂が必要なのか。
私でも正確なところは分からないわ」
「それじゃあマズイんじゃないのか?
レックスの奴、あんま良い状態と思えないけど」
俺の方にも視線を向けながら、イーリスは指摘を重ねる。
アウローラの方も、言われるまでもなくその問題は分かっているのだろう。
ほんの少しだけ表情を曇らせてから、ため息を一つ。
「……一応、竜の魂以外も取り込めば、魔力の回収効率は良くなるわね。
元々、その剣には竜以外も殺せば魂を奪う機能は備わっているから」
なかなか怖い話が飛び出したぞ。
イーリスもドン引きで言葉に詰まってしまった。
さりげなく、剣を持ってる俺とも距離を作ったりする。
しかしそうなると、此処まで斬った相手の魂とかも俺が取り込んでしまった事に……?
「今はあくまで竜の魂を封じる事に特化させてるから、大丈夫よ。
まぁ確かに、一時はそのまま使って出来る限り大量の魂を取り込むのも考えたけどね?」
「考えたんだ」
「効率は良いでしょう?」
何でもない事のように応えるアウローラ。
まぁ確かにそうかもしれないが、イーリスさんがドン引きのままですよ。
「ただ、その方法は効率は良いけど汚染の問題が解決しないから止めたの」
「汚染?」
「余り大量に自我の強い魂を集めすぎると、その思念が混ざり合って淀むのよ。
特に殺された人間の魂なんて、断末魔の苦痛でいっぱいでしょうし」
その説明だとちょっと良く分からなかった。
多分イーリスも似たようなものだろう。
馬鹿の気配を察したアウローラは、ちょっとだけ首を捻る。
少しばかり考えてから、思い付いた様子で手を叩いた。
「色に例えたら分かりやすいかしら。
魂は一つ一つ異なる色を持っているけど、全部混ぜたら黒になる。それが淀み。
これに苦痛や負の感情まで帯びると、他の物にまで汚染が広がるようになるの」
「成る程なぁ」
とりあえず、何となくは理解出来た気がする。
兎も角、無差別に魂を集め過ぎるのは危険というわけか。
「必要なのはレックスを完全に蘇生させる為の術式だから。
貴方自身に汚染の影響が出そうな方法は避けたいわね」
だからそういう手段を取る気はない、と。
改めてアウローラは明言する。
「……とりあえず、無差別に大量虐殺する気がないのは分かった。
いやまぁ、無関係な奴が死ぬのを気にする程、オレも繊細じゃないけどさ」
それはそれとして、自分まで標的にしかねない危険物には近づきたくはないだろう。
イーリスはまだ微妙に引きつつも、それについては納得したようだった。
「で。結局、レックスの状態は蘇生が完成するまでどうしようもないのか?」
「私が定期的に魔力を分ければ、とりあえずは大丈夫。
後は竜の魂を剣で奪う事が出来れば、少なからず改善されるはずよ」
「そうなのか?」
良く分からんと兜に書いてありそうな俺に、アウローラは優しく説明してくれた。
「魔剣――《一つの剣》は今、所有者である貴方と魔術的に繋がってる。
剣が竜の魂を封じれば、その魔力は貴方の魂に熱を与える。
そうすれば今までみたいに、すぐ熱を失って力尽きる事はなくなるはずよ」
「ふーむ、成る程」
俺を蘇生する術式を完成させる為に、竜の魂が複数必要になる。
それとは別に、剣に竜の魂を取り込む事さえ出来れば、これまでの異常は改善できるわけだ。
結局のところ、やるべき事は一つだ。
竜を殺す。ただそれだけだ。
「……本当は、《北の王》の魂が無事なら此処まで苦労しなかったんだけど」
そう呟きながら、アウローラは小さくため息をこぼした。
覚えちゃいないが、確かにこの剣は三千年前に《北の王》を斬っているはずだ。
思い浮かぶのは、俺の内側で嘲笑う炎の竜の姿。
「何か問題があったのか?」
「剣に取り込まれてはいるはずなんだけど。
レックスを蘇生させる過程でアレコレ試してね。
ちょっと失敗したわ、ぐらいのノリで笑うアウローラ。
傍から聞くとなかなか酷い話ではある。
まぁそれはそれとして、やはり《北の王》の魂は剣の中に宿っているわけか。
「それで、反応がないっていうのはずっとか?」
「ええ、そうね。
小さな残り火程度の熱は感じるから、消耗し切って休眠してるんでしょうね」
竜の魂は永遠不滅。
だからその状態でも、あくまで眠っているだけだとアウローラは語る。
そうか、眠っているのか。
なら俺が見たものは、正しく夢だったわけか。
「……とりあえず、私から話せる事は以上だけど。
他に問題とか、確認しておきたい事はある?」
「一応、今の話で納得はした。
要するに「やる事は変わらない」って認識でいいんだろ?」
「そうだな。真竜を殺す。それは何も変わってないな」
確認するイーリスに、俺は軽く頷いた。
アウローラも異論はないようで、そのまま俺の傍に寄り添う。
「今日は休んだら、次はいよいよ上層ね。
時間をかける意味もないし。
なるべく迅速に真竜とやらのいる場所まで行きたいわね」
「上層だったら、案内ぐらいは出来るはずだ。
オレが落とされる前と大きく変わってなければだけどな。
……実家が引っ越してないかどうかは、まぁ祈るしかねぇが」
何故か。
そう言った瞬間のイーリスの表情に、何か暗いモノが過った。
あの「れっしゃ」を離脱する前も、少し様子がおかしかったはず。
彼女はまだ、それについては自分から語らない。
だからというわけではないだろうが、アウローラは気にせず話を進めた。
「頼りにしてるわ、イーリス。
私達の中で、都市の知識に詳しいのは貴女だけだもの」
「協力者だかんな。役に立てるところは逃さないようにな」
「良い心掛けだわ」
そう微笑んでから、何故かぎゅっと俺に身を寄せてくるアウローラ。
どうかしたのかと思い、そちらに顔を向けたら。
「さ――後は、こっちに『火』を足さないとね」
囁く声は、思った以上に間近で聞こえて来た。
いつの間にやら兜を取り外され、そのまま柔らかいモノが触れて来た。
流石にいきなりはビックリする。
イーリスは……視界の端で顔を背けているのが見えた。判断が早い。
そんな事を考えている間に、柔らかく触れた場所から熱い「何か」が流れて来た。
アウローラは「火を足す」と表現していた。
これまでも数度、彼女の「治療」によって温かさを分けて貰った事はある。
しかし今回は、温かいではなく「熱い」と表現すべきだろう。
さながら、発火した火酒をそのまま流し込まれているようだった。
「んっ……」
艶めいた音が、彼女の唇から溢れた。
軽く抱きしめて、触れあって、熱を啄む。
暫し戯れるようにしてから、ゆっくりと距離を開く。
まだ互いの息遣いが伝わる近さだ。
アウローラは目を細めて、猫のように笑った。
「今回は前よりも多めに足しておいたけど、気分はどうかしら?」
「良い酒をしこたま呑んだ後みたいだな。次からは、先に一言欲しいが」
あんまりビックリし過ぎると、心臓の数が足らなくなりそうだ。
悪戯が成功した事を確信したようで、アウローラは満足げな様子だ。
もう一度だけ唇を触れ合わせて、それから兜を俺の頭に嵌め直す。
「少し不自由だと思うけど、必ず貴方を治してあげるから。
その為にも、貴方自身の協力は不可欠だけど」
「それはまったく問題ないけどな」
俺自身の事なのだから、身体を張るのは当然だろう。
気になる事があるとすれば、一つ。
アウローラは俺の蘇生を「今の目的」と言った。
廃城で彼女が語ったかつての
それは今、アウローラの中でどうなっているのか。
「……? レックス?」
常に思考を読んでいるわけでもないようで。
少し考えこんだ俺の事を、アウローラは不思議そうに見上げていた。
……或いは、今なら聞けば答えてくれるかもしれないが。
「どうかしたの?」
「いや――思い出したら、話す」
忘れてしまう前の俺は、それを知っているはずだから。
「? ……良く分からないけど、貴方が思う通りにしてくれればいいから」
「あぁ、そうする。面倒かけて悪いな」
笑って、細い身体を抱き締めて。
貰ったばかりの熱を分け合うような感覚は、ひどく心地良かった。
「……なぁ、イチャつくなら寝室でやってくれね?」
堪らず口にしたイーリスの抗議だったが。
残念ながらアウローラには聞き流されてしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます