24話:敗北、そして
傍にいたイーリスを、アウローラの方へと突き飛ばす。
それから意識のないテレサを抱えて、上から覆い被さる。
僅かな猶予で、俺に出来たのはそこまでだった。
衝撃と轟音。世界が天地を失う。
何が起こったかを考える余裕はない。
テレサの身体を離さぬようにしながら、ただ耐える。
アウローラの仕立ててくれた鎧がなければ、五体余さず粉々だったろう。
『ハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』
揺さぶられて飛びかけた意識は、不本意にも耳障りな哄笑が繋ぎ止めた。
霧の中に放り込まれたかのように、視界はハッキリしない。
そんな状態だが、先ず腕の中のテレサを確認する。
火傷とか軽い負傷はあるようだが、ちゃんと呼吸はしていた。
此方は問題ないか……なら、問題は。
『まさかまさか、此処まで上手く事が運ぶとはなァ!!』
四方八方へと撒き散らされる怪音波。
身体はまともに動かないが、それでも無理やり顔を上げる。
最初に見えたのは、瓦礫の山だ。
さっきまであった立派な屋敷も、その周りにあった無数の塔も。
全て上から踏み潰したように、満遍なく粉砕されていた。
その瓦礫に、まるで王様のようにふんぞり返る怪物。
人間よりも遥かにデカく、宝石やら金の輝きでギラギラ飾った大男。
成る程、俺が見た彫刻や絵画を作った奴はなかなか腕が良かったらしい。
醜さも悪趣味さも創作そのままに、真竜は其処に君臨していた。
「……部下に注意が向いてる間、自分は安全圏から戦略魔法の儀式を進めてたと。
竜を名乗っておきながら、やり方が随分と狡いわね」
真竜と相対するアウローラの声は、かつてない怒気が漲っていた。
どうやら彼女の傍で、イーリスも無事なようだ。良かった。
しかし、状況が未だ危機的な事に変わりはない。
何とか立ち上がろうと試みてはいるが、なかなか上手くいかない。
その間も、真竜は勝ち誇ったように笑い声を上げ続ける。
『いやいや、貴女ほどの御方を相手にするなら万全を期して当然でしょう!
私の愛する――いや、愛した《爪》は、思った以上の働きをしてくれましたよ』
「っ、この野郎、最初から捨て駒にする気で……!」
奥歯を噛み締め、イーリスは唸るように叫ぶ。
当の真竜は、人間の怒りなど気にも留めていないようだが。
「……それで?」
だが、アウローラの怒りはそうはいかない。
辺りの空気が凍てついたと、そう錯覚する程の緊張感が走る。
「まさかこの状況――私に「勝った」なんて。
本気で、そう思ってるわけじゃないでしょうね?」
『――いや、恐ろしい恐ろしい。私の眼から見て分かる程に弱っているはず。
なのにこの戦慄とは、流石と賞賛する他ありますまい』
口調は変わらずだが、真竜からもふざけたような空気は消え去る。
実際にアウローラがどれだけ強いのか、俺もちゃんと分かっているわけじゃない。
相手が真竜だろうと、負けないぐらいには思っていたが……。
『真竜たるこの身でも、確実に勝てるとは言えませんな。
流石は神話の時代にその威名を轟かせた、《最古の――』
「黙れっ!!」
それは。
怒りよりも、何処か悲痛さを滲ませる叫びだった。
何かを言おうとした真竜を、アウローラは無理やり遮る。
「その名を――それ以上、口にするな……!」
怒りではない。むしろその声は、僅かに震えを帯びていて。
俺も驚いたが、真竜の方も不意を突かれた様子だった。
しかし、直ぐに何かを理解したようにその声に喜悦の色が滲んだ。
『……まさか。いやまさかまさか』
笑いながら、此方の様子をチラリと見て来た。
とりあえず中指を立ててやろうと思ったが、なかなか難しい。
その視線から、身体でテレサを隠してやるのが精々だ。
『手駒にしては随分と気に掛けている――程度に思っていたが。
いやまさか、自分の素性すら伝えず? 利用しているわけでもなく?』
「……黙れと言ったはずよ、小童」
アウローラは地獄の底から響くような声を出すが。
己が優位に立っていると確信したのか、真竜は怯まず嘲笑う。
『ハハハハハハ! なんと、なんと。いや失敬、ついつい笑ってしまったが。
伝説に語られる貴女でも、三千年の月日は長かったと見える!』
「…………」
嘲る真竜の言葉に、アウローラは無言。
勝利に酔っ払った真竜は、慇懃無礼な態度で膝を付き。
『さぁ、最古の御方。私と共に来て頂けますかな?
あぁ当然イーリスも。私は美しい宝石には目がないのです』
「それを私が素直に頷くとでも?」
『無論、抵抗して頂いて構いませんよ?
貴女が相手となれば、私も手加減は出来ない』
「…………」
笑う。笑っている。
真竜にとって、此処はもう己の遊戯場に等しいのだろう。
『仮に戦ったとして、私は貴女には勝てないかもしれない。
ですが――そうなれば、さて。貴女の「手駒」は無事でいられますかな?』
竜同士が争えば、それは天変地異の具現と同じだ。
確かに、この状態で巻き込まれて死なない自信はあまりない。
負傷した俺を人質にする形で、真竜はアウローラに屈服を迫る。
……こっちは気にせずぶっ飛ばせと、本当ならそう言いたいところなんだが。
「良いでしょう」
アウローラは、特に躊躇わずその言葉を受け入れた。
「貴方に従うわ、マーレボルジェ……だったかしら?
イーリスも、悪いけど」
「……いや、大丈夫だ。こっちこそ、足手纏いになってすまねェ」
イーリスとしても、この場が地獄になって姉が巻き添えになるのは困るだろう。
半ばアウローラにしがみつくような形で、彼女の選択を受け入れる。
気を良くしたか、真竜の笑い声が一段と高くなった。
『ハハハハハハハハハ!
賢明、実に賢明! では少し失礼して――』
言いながら、真竜はアウローラに向けてその手をかざす。
それから何事か呟くと、黒い鎖のようなものが彼女の身体に絡みついた。
鎖の表面に赤い血管めいた模様が走り、心臓が脈打つように鈍い輝きを放つ。
「……これは」
『貴女が良く知るものでしょう? 三千年前より改良は加えてありますがね。
そして貴女だからこそ、この拘束の意味は誰より理解出来るはず』
アウローラは応えない。
ただ、瓦礫に半ば埋まるような状態で動けないままの俺を見て。
「…………」
何かを呟いた。
距離もあるし、囁くような声は届かない。
けれど、彼女が何を言っているかは直ぐに分かった。
ただ一言。きっと、三千年の間も言い尽くして来ただろう言葉。
――「待ってるから」と。
『ハハハハハハハハハハ!! これで、これで私は――!!』
最後まで汚い哄笑を響かせながら。
真竜は二人ごと《転移》によって姿を消した。
後には破壊の跡と、その中心に取り残された奴が二人。
「……生きている、か?」
声は、意外にも腕の中から聞こえて来た。
「おう。そっちこそ、気が付いてたのか」
「少し前から、な。
あぁ、操られている間の事も、ぼんやりとだが、覚えている」
《爪》――いや、完全に正気に戻ったテレサは苦々しげに言った。
それからゆっくりと、動けなくなった俺の身体を抱えるようにして身を起こす。
「大丈夫か?」
「貴方ほどじゃない、
イーリスに体内の制御系を
良く分からんが、大丈夫そうなら何よりだ。
俺の方は――正直、死んでないのが奇跡とかそういうレベルだろうな。
それを察しているのか、テレサの表情は重く暗い。
外れない鎧の上から、状態を確かめるように何度か触れて来た。
「……治療すべきだが、私にはその
「アウローラがいれば直ぐだったんだがなぁ」
「君の
情けないな、私は。完全に屈服し、抗う事すら出来ずにこのザマだ」
血を吐き出すように、テレサは後悔を口にする。
彼女も負傷してはいるが、俺に比べれば随分マシだ。
直ぐにでも、真竜に持っていかれた妹を救いに走りたいだろうに――動かない。
いいや、動けない。
アウローラによって洗脳は解かれた。
けれど未だ、テレサの心は真竜の恐怖に支配されたままだ。
「すまない、私のせいで……! 貴方ではなく、私の方が――」
「俺は、約束を守っただけだ」
涙のように零れるテレサの言葉を、俺は遮る。
あぁ、別にそっちのせいじゃない。
「イーリスに、助けてくれって頼まれたからな。破らずに済んだ」
「…………」
テレサは濡れた瞳で、俺の方を茫然と見ていた。
別に善人なつもりはさらさらないが、女の子との約束を破りたくはない。
その点、俺はよく頑張ったと思う。
だがまぁ当然、それだけでは不十分だ。
ついさっき、もう一つ約束をしたばかりだからな。
「あー……悪い、ちょっと、離れてて貰えるか?」
「? しかし……」
「大丈夫、大丈夫。ただちょいとばかり、危ないからな」
俺の言っている意味は、今のテレサには殆ど分からないだろう。
ただ困惑しつつも、言われた通り俺の傍から離れた。
よし――これならば良いだろう。
何とか首を動かして、右手を見る。
これだけボロボロでも、手からその剣が離れる事はなかった。
握る。柄を、可能な限りの力を込めて。
「なぁ、見てるんだろう? そろそろ出て来いよ」
『――見ていたとも。何とも愚かで滑稽なそのザマをな』
今度は夢でもないし、俺の中だけのモノでもない。
握った剣から黒い炎が溢れ出し、それが踊るように立ち上る。
下がっていたテレサは、その光景に目を見開く。
炎が笑っている。怒りを込めて、憐れみを込めて。
内を焼く炎ではなく、実際に大気を焼く炎となり、「ソレ」は俺を見下ろしていた。
今の俺は覚えていないのに、忘れる事のないその姿。
かつて、《北の王》と呼ばれた古き竜。
『もう立ち上がれぬか、ただ一人の竜殺しよ』
「…………」
『何とも情けないな。所詮は摂理を見失い、火を失った灰に過ぎぬか』
「…………」
『人間は弱く、その命も短い。だが我は古竜、永遠不滅たる《北の王》。
「…………」
『剣の創り手である彼奴も勘違いしていたようだがな。
貴様の為にと与えていた火は、眠っていた我が目覚める力となっていた事も……』
「話が長ぇよ」
折角だから聞いていたが、思った以上に長かった。
永遠不滅なんつー気の長い身分と違って、こっちは余裕のない身だ。
「難しい理屈とか、そういうのは良く分からんが」
竜の魂は永遠不滅。その火が消える事はない。
そしてこの剣――《一つの剣》は、封じた竜の魂から力を得る。
どうにも《北の王》は、自由を取り戻しつつあるようだが。
「竜を斬れば、力が戻るってアウローラも言ってたからな。
それなら、今のお前でも良いはずだろ?」
『――吼えたな』
笑う。《北の王》は怒りと、何処か楽しんでいるようにも感じた。
『卑怯者の策により、最早動けぬ身で何をほざく』
「ハッ」
動けない。動けない?
確かに半分死にかけで、身体は限界に近い。
単純に力を込めたぐらいじゃ手足は動かず、嘲笑う《北の王》を見上げるだけ。
だが――まだ、「火」は燃えている。
灰になった魂に、アウローラが身を削ってまで分けた力が。
それを掴む。剣を握り、より強く燃やす。
熱が全身に染み渡るように、四肢に力が戻ってくる。
ぶっちゃけ命を縮めるのと同じだろうが、今動けなきゃ直ぐに死ぬんだ。
「まぁお前を斬れば、使った分ぐらい余裕で取り戻せるだろ」
『……確かに、この《北の王》の魂を再びその剣で喰らえば容易かろうな』
再び立ち上がった俺に、炎は愉快げに笑ってみせた。
それから直ぐに、文字通り燃え盛る殺意を叩きつけてくる。
俺は少しだけ懐かしい気分になった。
『ならば我はお前の魂を逆に喰い尽くし、その身を我が器としてやろう。
そして再び我がこの
「懲りねーなコイツ」
なんであれ、やる事は同じだ。
お互いに。
『死ね』
「殺す」
意思の確認も済ませた。
あぁけど、俺の方は少し違うか。
殺すではなく、より正確に言うならば。
「――殺り直し、か」
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