196話:遥か遠い星の話
大空を我が物とする怪鳥すら、今の彼の敵ではない。
そして強い「獣」を狩るほどに、剣に宿る火は大きくなっていく。
大きく、強く。
火は苛烈に燃え上がり、やがてより強大な炎となる。
剣の担い手もまた同様。
魔剣を振るっている内に、炎は彼の身にも宿っていた。
今はもう、そこらの「獣」なんて軽く蹴散らせる。
斬って殺せば、また剣の炎は勢いを増す。
一歩ずつ、己の足で前へと進んで行くこの旅路のように。
一つ一つ、彼は積み上げ続けた。
ほんの少し前までは、弱い人間に過ぎなかった彼。
それが今や、古き竜の命を脅かす可能性に届こうとしている。
まるで、星に手を伸ばそうとする愚者のように。
不可能だと、そう分かっていても彼は止まろうとはしなかった。
――北の玉座には、辿り着けるかもしれない。
ほんのちょっと前は朧気で、今はもうハッキリと見えて来た目的の地。
少し前までは、無理だと思っていた。
そんな私が今や、期待どころか確信まで持っている。
確実に、彼は辿り着けるだろう。
あの愚かな《北の王》が座する最果てに。
そう、疑ってはいない。
けれど。
「……アウローラ?」
夜も更けた荒れ地の真ん中。
彼の声が、私の意識を現実に引き戻す。
偽りの名前を呼ばれることにも、随分と慣れた気がする。
夜風で僅かに揺れる、篝火の向こう側。
こちらも随分と見慣れてしまった、鎧姿の彼。
私は何でも無いと伝えるように、軽く片手を上げた。
「少し考え事をしてたわ。大丈夫」
「結構多いよな、それ」
「頭を悩ませられるようなことばかりだから」
仕方ないでしょう、と。
笑いながら言ってみたら、彼はちょっとだけ困った様子で。
「いや、こう、申し訳ない」
「あら、別に貴方のことだなんて一言も言ってないけど?」
「まー心当たりはそれなりにあるもんで」
「心掛けだけは殊勝なものね」
それはなんて他愛なく、そして馬鹿馬鹿しい話。
百年も前の私がこれを見たら、一体何と思うでしょうね。
現在の私はすっかりと、こんな無意味な会話にも慣れてしまった。
ふと、夜空を見上げる。
ここは荒れ野のど真ん中。
遮るものはなく、今日は快晴で雲一つない。
だから、一面に広がる星々がとても良く見えた。
見上げる私に釣られて、彼も夜空を仰ぐ。
「やっぱり、星好きだよな」
「…………」
以前、歪んだ森で聞かれたのと同じ言葉。
その時の私は、答えをはぐらかしたけれど。
「……そうね」
今は、否定することなく頷いた。
だってあの輝きは、私の手には届かないものだから。
手が届かないからこそ、こんなにも強く焦がれてしまう。
「……竜とは、この地にて産み落とされたもの」
ぽつりと。
私は囁くように、その言葉を呟く。
殆ど独り言だったけど、彼の耳にも届いたようで。
星から離れた視線を、示し合わせたようにお互いに向ける。
「――それは遥かな上古の時代。
大いなる《造物主》は、星が生み出した黒き《怒り》と争った。
決着の付かない戦に苛立った《造物主》は、大海に新たな大地を創り出した。
その上で結界を張り巡らせて、この地と外部の行き来を固く
私の知る限り、この結界を越えられた例は三度だけ」
「初めて聞く話だな」
「
けれど古すぎて、記録としても記憶としてもとうに失われてしまった」
こんな古い話を語るなんて、我ながらガラでもない。
ただ、今は何となくそんな気分だから。
彼も興味深そうに聞いているのもあって、自然と饒舌になってしまう。
「人間は海の向こうから、そして古い始祖達は別の世界からこの地に渡って来た。
前者は多くを失って、後者は滅びの只中だけど。
それでも貴方達はこの地の『外』を知っている――知っていた。
だけど竜が知っているのは、この狭い大陸の内側だけ。
永遠の生命があるのに、これほど滑稽な話がある?」
どこまでも飛べる翼と、いつまでも生きられる命があるのに。
この大陸からは出られない。
古竜などと大層な呼ばれ方をして、それは籠の鳥と何が違うのか。
――遠い、遠い遠い昔は、それでも良かった。
完璧な生命で、最初から全てが満たされているのなら。
その他の何もかもが「余分」に過ぎない。
窮屈な鳥籠の中だとしても、満たされているなら幸福だった。
だけどもう、その時は過ぎてしまった。
「多くの竜は、この地からは出られない事を知っている。
だからここで満足するより他ないと、己の欲求のままに振る舞う。
人を襲って国を焼くのも、そのせい。
此処にあるものしか知らないから。
此処にあるものでしか、何もできないのよ。
――だから私は、そんなのは御免だわ」
「……成る程な」
今の話を、どれだけ理解したか分からないけど。
彼は納得したように大きく頷く。
「まぁ、俺だって似たようなもんだ。
生まれてこの方、故郷を出たことなんてなかった。
こんな長旅なんて、言葉通り生まれて初めてだ」
「……でも、人は大陸の外から来た種族よ。
貴方達の魂は、この地の外側を知っているはず」
「いや俺個人は覚えてねぇもの。関係ないわな、そんなもん」
バッサリと、切って捨てるように言われてしまった。
確かに、個人の記憶としてその事実を知っている道理はない。
まさか彼にそんなことを突っ込まれるとは。
……少し、感傷的になり過ぎたかしらね。
言ってから、彼はまた夜空の星を見上げた。
今度は私が釣られる形で、遠い星々の光を仰ぐ。
「……ただ、そうだな」
「?」
小さく呟いた、彼の声。
変わらず夜空を見上げている相手に、私は視線を下ろす。
彼の目は変わらず、遠く輝く星を見ていた。
「俺もこんなところまで来て、こんなことになって。
アンタと一緒に竜退治をするなんて、思いもよらなかった」
「……それはまぁ、そうでしょうね」
穏やかに語られる、彼の言葉。
別に大した話でもないはずなのに。
何故、私はこんなにも胸が締め付けられているのか。
分からない。
分からないまま、彼の声が夜の荒野に響く。
「知らないところに行くってのは、知らないことが起こるってことだ。
……旅を始める前は、そんなことは思いもしなかったが」
だから、と。
「知らない場所へ行ってみたいって気持ちは、今は分からんでもないな」
「…………」
何故。
何故、何故だろうか。
そんな、どこにでもありそうな、つまらない言葉に。
私は何故か、何も言えなくなってしまった。
分からない。
《最強最古》と呼ばれ、魔導の叡智を多く極めたはずのこの私が。
分からないと、そう思わざるを得ない事が。
こんな旅と呼ぶにも短すぎる時間に、あまりに多く存在する。
酷く理不尽で、不愉快に思って当然のはずなのに。
何故か――何故か。
「……アウローラ?」
「なに?」
「いや多分、それはこっちの台詞だと思うんだけどな?」
「何でも無いわよ。というか貴方、私の様子を気にし過ぎじゃないかしら?」
「そうかぁ?」
そんなことないぞと、わざとらしく
まぁ、人間は浅はかですから。
完璧な造形である私の姿が、気になるのも致し方ないことね。
相変わらず、胸の辺りの違和感には慣れないけど。
「……うーん、やっぱ慎ましやかな……」
「なんですって?」
「いやアウローラさんはお美しいですよ?」
私の方を見ながら、なにやら失礼極まりない言葉が聞こえたけど。
どうやら気のせいみたいね、ええ本当に。
別にそんな人間視点の評価なんて、私にはどうでも良い話。
本当に心底どうでも良いから、そこは間違えないで欲しいわね。
「やっぱ怒ってます?」
「私を怒らせるような自覚があるの?」
「いやいや、そういうワケじゃないけどな」
笑う。私も彼も。
意味も無く、どうでも良い。
明日には忘れてしまいそうな、そんな他愛もない会話。
少ししたら狩っておいた「獣」の肉を焼いて、それを二人で食べた。
必要のない食事にも、随分慣れて来た気がする。
食べ終えたら、また夜空の星を見ながら言葉を交わす。
普段はここまで饒舌ではないのだけど。
その理由は、分かっていた。
「……もう少しね」
「ん?」
「もう暫く進めば、王都に着く。
かつて、《北の王》が最初に焼き払った死の都」
「…………」
私の言葉に、彼は少し黙った。
沈黙は数秒程度。
「そこに《北の王》がいるのか?」
「いえ、アイツがいるのはもう少し先よ。
この大陸の北端に、自分の城を築いているの。
だからそこは北の最果て、或いは《北の玉座》と呼ばれているわ」
「成る程なぁ」
説明を聞いて、彼は納得した様子で頷く。
滅びた王都にはまだ、《北の王》はいない。
しかしそれを越えてしまえば、他に玉座への道を遮るものはない。
間もなく、この短い旅は終わる。
「そうなると、いよいよ本番になるわけか」
「気が早いわね。今言った通り、まずは王都からよ。
そこまで近付けばもう《北の王》の縄張りの内側と同じ。
『獣』の強さだって、これまでとは比較にならないでしょうね」
「だろうなぁ」
別に、脅しつけてるつもりはなかったけど。
彼は本当に、何てこともないように頷いてみせた。
あまりにも軽いので、言ったこっちが心配になってしまうぐらい。
まぁ心配なんて言っても、少しだけど。
ええ、ほんの少しだけ。
そんな私の顔色を読んだのか、彼は小さく肩を竦めた。
「別にふざけてるわけじゃないぞ?」
「それぐらいは分かってるわよ」
「む、そうか?」
なんだかんだと、ここまで旅をして来たのだから。
彼がどういう人間かぐらい、概ね理解しているつもりよ。
そんな私の言葉に、彼は一つ頷いて。
「まぁ余裕ぶってるつもりもないが。
うろつく『獣』がちょっと強かろうが、竜より強い奴はいないだろ?」
「まぁ、それはそうでしょうね」
「だったら、そのぐらいで躓いてちゃ話にならないだろ」
彼はそう言って、腰に下げた剣を見た。
ただ一つの目的のために鍛えられた、唯一無二の剣。
「竜を――《北の王》を殺す。それが目標だからな」
「…………」
それに対して、喉元まで出かかった言葉。
私は「今は言う必要はない」と呑み込んだ。
きっとその前に、貴方は死ぬなんて。
今さらだ、今さら過ぎる。
もしそれを改めて口にする必要があるとしたら。
それは死の都すら越えて、北の玉座に辿り着いた時だ。
辿り着けずに死ぬのなら――その時は、その時。
同時に、私も流石に自覚していた。
最初に剣を与えたのが彼であった事が、どれほどの僥倖だったかを。
「先ずは死の都から。逸って足元を疎かにしないで頂戴ね?」
「分かってるさ」
「そう言って、これまで何度醜態を晒したのかしら」
「そんなこと言って、アウローラさんだってなかなかでは?
特に森でねちょられたのは……」
「なに? 一度記憶を全部ぶっ飛ばした方が良いの?
その小さい脳みそを、あっという間に真っ白にしてあげましょうか」
「ちょっと怖すぎない?」
夜風と馬鹿話と一緒に、時は流れる。
永遠不滅の竜である私は、それを殆ど意識していなかった。
時間とは、どうあっても流れるものだと。
人ならば幼子ですら知っている真理。
その実感を持たない私なんて置き去りにして、静かに夜は明ける。
あと数度、それを繰り返した先。
そこに三千年の別れがあるなんて――その時の私は、想像もしていなかった。
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