197話:死せる都
これまでの道中でも、廃墟の類は何度も見て来た。
既に役目を失ってしまった城壁。
攻め落とされて朽ち果てた砦。
人の気配が風化して久しい街並み。
そういう意味では、この場所も今まで見た物と大きな差はない。
竜の炎に焼かれ、その毒気に蝕まれた古い都。
滅び去った国と同様に、かつてあったはずの名は忘れ去られてしまった。
黒く焼け焦げ、風で年月に晒され続けても、なお。
かつて栄えた王の都であることを示すように、それは横たわっていた。
「……まるで打ち捨てられた骸のようね」
目に付く建物の大半は、半分もその原型を留めていない。
どこもかしこも瓦礫ばかり。
当たり前のように人の姿はない。
代わりに耳に届くのは、数多の「獣」の息遣い。
「なら、さしずめコイツらは死肉漁りか?」
「あら、上手いことを言うのね?」
彼の言葉に、私は軽く笑って応えた。
――用をなさなくなった門を越えて、朽ち果てた都を目にした矢先。
人の匂いに誘われて現れた「獣」の群れ。
この門の周りは、どうやら彼らの餌場だったようで。
奇跡的に都に辿り着いた者の多くが、ここで力尽きたのでしょうね。
けれど。
「よし、進むか」
鎧袖一触、という言葉に相応しい。
やっぱり多少強いぐらいの「獣」では、もう相手にならないわね。
あっという間に切り捨てた「獣」の屍を、私達は踏み越える。
そうして私達は、本当の意味で死の都に辿り着いた。
「……そういえば」
「なに?」
「ここ、必ず通らなきゃダメだったのか?
目的地がこの先なら、迂回するのも」
「貴方にしては賢い意見だけど、ダメよ。
この都を抜ける以外の道は、《北の王》の力で閉ざされてる。
結界みたいなものね」
「けっかい」
魔法の手ほどきをしたとはいえ、彼の知識はまだまだ乏しい。
実戦で使う以外に必要なことは教えてないから、仕方のないことだけど。
「とりあえず、道は塞がれてると思ってくれたら良いわ。
私だったら、無理やり突破することもできるけど。
それならこの都を通った方が早いわ」
「なるほどなー」
納得した様子で彼は頷いた。
……私なら、別に突破しようと思えば難しくはない。
ただそれをすると、《北の王》に私の存在が気取られる可能性がある。
それはできれば避けたい。
別にアレを恐れているわけではない。
単純に、愚かな王様には玉座で大人しくして貰いたいだけ。
その首を落とす者が、目の前に現れるその時まで。
「……バカね」
そこまで考えて、私は自分で笑ってしまった。
彼が本当に《北の王》に勝てると?
《最強最古》たる私に劣るとはいえ、アレもまた《
単純な力の強大さだけで言うなら、兄弟達の中でも相当に上だろう。
そう、私や《五大》の連中には劣るとはいえ。
人間如きに勝てる存在ではないのだ。
竜殺しの剣を手にしたと言っても、剣自体もまだ完成にはほど遠い。
――届かない、届くはずがない。
この死の都に辿り着いただけでも、十分奇跡の範疇なのに。
それ以上は、もう奇跡という言葉でさえ到底足りなくなってしまう。
「流石に王様のお膝元なだけあって、数も半端じゃなく多いな」
ぼやく彼の足下には、既に何匹もの「獣」の屍が転がっていた。
単純に見つけたから襲って来るモノ。
縄張りに待ち伏せて、奇襲を仕掛けてくるモノ。
時には、翼を広げて空から襲って来るモノもいた。
火を噴くモノや、毒液を吐くモノ。
種々様々な「獣」どもが、矢継ぎ早に現れ続ける。
お前も早く、この死の都の一部となれと。
そう言わんばかりの攻勢。
だけど、死神の手を振り払うのも手慣れたもの。
群がる「獣」のことごとくを、彼は一刀で斬り伏せてみせた。
避けて、防いで、斬って。
時々魔法は使うけれど、「大物」が現れるまでは温存する方針。
都の「獣」どもを、彼は剣一振りで片付けていく。
「ホント、このぐらいじゃもう相手にならないわね」
「いやぁ結構神経は使ってるんだけどな?」
などと言いながら、また新たな「獣」をバッサリと切り捨てる。
……正直、彼の強さは私の予想以上だ。
期待はしていたし、確信もあったのは間違いない。
けど同時に、この都で力尽きる可能性が高いとも思っていた。
結果はご覧の通り。
もしかしたらこのまま、簡単に都を抜けられるのでは――。
「…………む」
北に横たわる屍と化した、かつての王都。
死の気配に満たされた空気を、震わせるのは咆哮。
距離はまだ遠い。
けれど、その声から感じ取れる力の強さは。
「……大物ね」
「分かるのか?」
「まだハッキリとはしないけど」
呟く私の言葉に、彼は視線を向けて来た。
表情が少し硬くなってしまったのは、きっとバレているでしょうね。
これまでの「獣」とは、明らかに気配が異なる。
今の声からは、《北の王》に近い魔力を感じ取れた。
本人(?)でないのは間違いない。
ならば単純に、あの王様からより強い力を与えられた「獣」だろう。
ただの遠吠えからでも、竜の気配を感じられる程度の。
「大分ヤバそうな感じだな」
「人の顔色を読むのって感心しないわ」
「そこはお互い様ってことで」
「貴方の顔色なんて、普段は兜で見えないじゃない」
私も、顔の半分は仮面で隠してるけど。
……そういえば、半分は見えてない割に彼は随分と私の内面を読んでくるわね。
心理状態を読むみたいな、そんな特技でも持ってるのかしら。
気にはなるけど、今さらそんなことを聞くのもね。
「兎も角、その大物さえ討ち取れば」
「ええ。残るのは、北の玉座にいる王様だけ」
それは恐らく間違いない。
北の最果てに辿り着いても、他の「獣」がいる可能性は高い。
だけど、これだけ強く竜の気配を感じさせる眷属はそうはいないはず。
自分の魂、その一部を与えているに等しい高位の「獣」。
永遠不滅である古竜でも、文字通り身を削らなければ創り出せない。
そんな眷属をもし何匹も作っていたら、本体の力が大きく弱まってしまう。
流石にそこまで間抜けではないでしょう。
「…………」
他に、問題があるとするならば。
眷属――分体に過ぎないとはいえ、彼がそれに勝てるか否か。
こればかりは、蓋を開けてみないことには分からない。
ここまで、散々彼は死ぬと予測して来た。
その全てを跳ね除けて、ついに辿り着いた死の都。
けれど。
「――竜とは、この世の何者にも勝る膂力と。
魔法の始祖達にも匹敵する叡智を併せ持つ者。
あの『獣』は、そこまでの領域にはないけれど……」
語る言葉は詩のように。
竜には届かずとも、竜に限りなく近い脅威。
「獣」の屍を山と積みながら都を半ば過ぎた頃。
彼も私も、遠くにその姿を捉えていた。
――かつては、栄華を極めた人の王が座していた白亜の城。
今は竜の炎に焼かれ、黒く焼けた瓦礫の塔。
その頂上から、滅びた都を見下ろす一匹の「獣」がいた。
歪んではいるけれど、辛うじて人型と言えなくもない造形。
但し、体躯そのものは恐らく常人の三倍近い。
人の形を歪めた外見は、最初の城壁で遭遇した番兵を思い出すけど。
ただ醜かっただけのアレとは異なる。
不出来で不完全ではあっても、同時に竜の属性を感じさせる強靭な五体。
鋭く伸びた爪の先まで、余さず力が漲っている。
頭からは捻くれた角が何本も生え、顔は竜というよりは狼に近かった。
鱗と厚い体毛が、半々程度に覆う身体をひねって。
『■■■■■■――――!!』
「獣」は、天に向けて高らかに吼えた。
ビリビリと大気が震えるのを肌で感じ取る。
あれほどいた他の「獣」の気配が、波が引くように遠ざかって行く。
恐れているのだ、例外なく。
あの死の都に君臨する、屍の王を。
「さて」
恐れていないのは、私以外にはただ一人。
その手に携えるのは、竜殺しの剣ただ一振り。
彼は無造作に一歩踏み出し、塔の上に立つ王を見た。
自分を獲物と見定めた「獣」の瞳を、臆することなく真っ直ぐに。
以前からは想像も付かない、堂々たる戦士の姿。
私は後方から、その背中を見ていた。
「……今の貴方でも、あの『獣』には勝てないかもしれないわよ?」
忠告なのか、警告なのか。
境は曖昧なまま、彼に向けて言葉を投げかける。
限りなく竜に近い格を持つ「獣」。
北の玉座を目指す者を阻む、最後の試練。
それを前にしても、彼はいつも通りの調子で笑った。
「勝てなきゃ死ぬ、それこそいつものことだろ?」
「ええ、その通りね」
「心配か?」
「あんまり調子に乗らないで欲しいわね」
少し、咎めるぐらいに言ってみたけど。
むしろ彼は笑みを深めて。
「やっぱ、そのぐらいトゲトゲしてるのが一番らしいな」
「なに、からかったの?」
「いつも通りが一番って話だ。
今だって、いつも通りならやる事は変わらない」
「獣」はただ仕留めるだけ。
いつもの事で、何も変わらないと。
「どの道、こいつを殺さなきゃ竜だって殺せないんだ。
期待には応えるさ」
期待。
その言葉に対して、私はほんの少しだけ返すべき声を見失った。
彼はそれすらも分かっているようで。
「……ま、あんたがどれぐらい期待してるのかは知らねぇけどな」
笑いながら、そんなことを言って来た。
期待――しているわ、きっと。
貴方は北の玉座に辿り着けると。
けれど、その先に待っているのは――。
『■■■■■――――ッ!!』
私が彼の言葉に応えるよりも先に、
ひと際大きな咆哮が、死せる都そのものを揺さぶった。
瓦礫の塔を塵山のように蹴り崩して。
屍の王は高く高く跳び上がった。
そして、一瞬の間を置いて。
『■■■■ッ!!』
凄まじい衝撃を撒き散らしなら、その巨体が地に落ちる。
大地を抉りながら、竜の力を宿した「獣」は彼の前で吼え猛った。
上から降り立ち、咆哮を上げる。
「獣」はまだそれだけしかしていない。
にも関わらず、放つ
生物としての格差、宿した魂の質量の違い。
竜とは、その存在だけで弱者を容易く圧倒するもの。
無謀にも挑んだ戦士達の多くが、戦う事すらできずに死んでいった。
でも、彼は違う。
その程度の畏怖で怯むほどにヤワじゃない。
「しかし、『獣』ってのはどいつもこいつも良く吠えるな」
剣を構え、挑発めいた言葉さえ口にしてみせた。
眼前の「獣」に、それが通じているかは分からない。
分からないけど、互いにやる事は同じ。
目の前の獲物を殺すだけ。
『■■■■■――ッ!!』
「よし、行くぞオラァ!!」
吼える「獣」に雄々しく叫び返して。
彼は地を蹴り、死の都を支配する王に真っ向から挑みかかった。
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