198話:獣の王
戦いは、最初から熾烈を極めていた。
始めは様子見だとか、小賢しい駆け引きだとか。
そんなものは一切存在しない。
あるのはただ、原始的な暴力の原理のみ。
『■■■■――ッ!!』
「おおおぉぉっ!」
「獣」が吼えて、人が叫ぶ。
人間の胴体など容易く引き裂いてしまう爪の一撃。
彼はそれを剣で正面から叩き落す。
獣の爪牙がどれだけ鋭かろうと、竜殺しの刃には及ばない。
鋼をも切断できる爪は、剣を受けて逆に半ばから斬り飛ばされる。
剣の切れ味は当然のものとして。
狙って相手の爪を破壊した、彼の腕前も素晴らしい。
けれど「獣」もそう容易くはない。
断ち切られたはずの爪は、瞬く間に元の状態に再生したのだ。
そして何事もなかったかのように、「獣」は再び爪を振り下ろす。
これまでも強い生命力を持つ「獣」に遭遇した事はあるけど。
ここまで高い再生能力を有する個体は初めてね。
既に何度か繰り返した光景に、彼は思わず舌打ちを漏らした。
「くっそ面倒だなコイツ……!」
『■■■■■――!!』
苛立っているのは「獣」も同じであるようだった。
死の都にまで到達できた者自体、それほど多くはないでしょう。
そして「獣」の強さから考えても、戦いになった者は更に少ないはず。
「獣」がその爪で引き裂いて来た何人もの犠牲者達。
剣を片手に戦いに挑む彼は、そのどれにも当てはまらない。
傲慢な王様にとって、それは許しがたい屈辱。
『■■■■――!!』
その咆哮には、これまでとは異なる響きが混ざっていた。
単なる激情の発露ではなく、力の流れを宿した声。
直後、「獣」の口から炎の奔流が吐き出された。
「うぉっと!?」
地面を舐めるように襲って来る炎の波。
彼は驚きながらも、大きく飛び退いてそれを回避した。
――今のは《
不完全ではあるけど、やはり竜としての属性を持ってるだけはある。
炎を避けたが、咄嗟のことで体勢を崩してしまった彼。
それを狙って「獣」は素早く襲い掛かった。
未だに炎は地面を焼いているが、「獣」は構わずそれを踏み潰す。
自分が吐き出した炎に、自分が焼かれる道理などないと。
横薙ぎに叩き付けられた爪の一撃は、流石に彼も避け切れなかった。
「っ……!」
避けられなかったが、剣による防御は間に合った。
直撃すれば、それだけで胴体が千切れ飛んでもおかしくはない一撃。
爪は剣の刃で防いだが、「獣」の膂力まではどうしようもない。
『■■■■!!』
抗し切れず、彼の身体が思い切り吹き飛ばされた。
まるで手毬か何かのように地面を跳ね、朽ちた建造物の一つに叩き付けられる。
私は、何も語らずにそれを見ていた。
「獣」は自分が殴り飛ばした獲物を、容赦なく追い掛ける。
今のだけでも十分に死ねる一撃だった。
まだ彼が死んでいないという確信が、「獣」にはあったようで。
それとも単に、獲物の肉をその爪で引き裂かなければ満足できないのか。
どちらにしろ「獣」は容赦なく、瓦礫に半ば埋もれた状態の彼に迫る。
彼は動かない。まるで死体のように。
仰向けに倒れる彼へと、「獣」の爪が振り下ろされ――。
「《盾よ》っ!!」
その切っ先が届く寸前に、《力ある言葉》が吐き出される。
力場の盾は硬い音を響かせて、「獣」の爪を弾く。
生じた一瞬の空白。
そこに彼は、強引に刃を捻じ込んだ。
『■■■■■ッ!?』
不可視の盾で爪を防がれた方の腕。
それが手首の辺りから、彼の剣でバッサリと斬り裂かれる。
苦痛に叫び、「獣」は僅かに怯みを見せる。
今度は彼がそれを狙い撃つ番だ。
「ッ――――!」
声にならない叫び。
一歩退いた「獣」の脚に彼は剣を叩き込む。
二度、三度と素早く斬り付け、深く深く抉り裂く。
怒りと苦痛、それに憎悪。
あらゆる激情を咆哮に乗せて、「獣」は再び炎を撒き散らす。
攻めに転じていた彼はこれをまともに浴びてしまう。
鎧の上だろうが無関係に焼いて来る炎。
魔力の通った炎熱は蛇のようにうねり、彼の身体に纏わりつく。
だけど彼は、そんなものには構わなかった。
「熱ィわ馬鹿野郎……!」
ただ恨み言を罵声にして吐き出しながら、「獣」の血肉を剣で刻む。
最初に切断した手首は、既に復元を完了しつつある。
やはり「獣」の持つ再生能力は尋常ではない。
骨まで切断したはずの傷が、気付けばもう塞がっているのだ。
まともな戦士なら、それを見ただけで絶望してもおかしくはない。
「獣」にとっては残念な事だけど。
彼は「まとも」なんて言葉からは程遠かった。
『■■■■――ッ!!』
「うるせぇよ……!」
いつの間にやら、身体に絡みついていた炎も振り払う。
鎧の隙間から肉の焼けた煙を漂わせながら、彼は剣を振るい続けた。
爪を叩き落し、鱗と分厚い体毛を裂いて、その下の肉と骨に刃を突き立てる。
吐き出される炎を避け、爪や牙の攻撃を避け、時には苦痛に耐える。
繰り返す。繰り返す。
人間ならば既に何度か死んでいてもおかしくはない。
剣の力によって、肉体が強化されてるとはいえ。
文字通り、命を削るような戦いぶりだ。
私はそれを見ていた。
何も言わず、手を貸すこともなく。
――これに勝てないのなら、《北の王》には届かない。
確かに、この「獣」は強い。
私の目から見ても、眷属としては極めて強大だ。
それでも《北の王》自身には遠く及ばない。
だから私は何も言わずに、ただその戦いを見ている。
彼は「竜を殺す」と言った。
ならばこの程度、乗り越えて貰わなければお話にならない。
「オラァっ!!」
まるで棍棒か何かで殴るような一撃。
ホント、貴重な一振りを扱っているという自覚はないらしい。
どれだけ乱雑に使おうとも、剣の威力が損なわれるわけではないけど。
事実、雑なその一刀は「獣」の身体を深く抉る。
骨まで届きそうな傷からは、濁った血が大量に溢れ出す。
斬り裂いたばかりだが、その傷も直ぐに再生して塞がり始めた。
けど、その速度は最初に比べれば明らかに遅い。
古き竜は不死不滅――けど、決して無敵ではない。
眷属であれば、そもそも死なない道理などなかった。
殺せば、死ぬ。
人間では勝てないという、化け物の理を。
より単純な戦士の理が、徐々に捻じ伏せようとしていた。
『■■■■■……ッ!!』
ここでようやく、己の死を意識したのか。
死の都を支配する「獣」の王は、悲鳴に近い声を上げる。
目の前の獲物が――獲物だと思っていた相手が。
己を殺そうとする戦士であると、「獣」は今さら気付いたのだ。
「獣」が初めて感じたであろう恐怖の感情。
それでも退こうとしないのは、「獣」としての本能ゆえか。
なんであれ、彼がやるべきことに変わりはない。
「きっつい……!」
己の現状を叫びつつも、剣を振るう手は緩めず足も止めない。
一つ、二つ、三つと、小さな石を積み上げるように。
手にした刃で、「獣」の命を削り続ける。
隙を見ては賦活剤を口にして、彼も自らの傷を塞ぐ。
もう何度かそれも繰り返していて、恐らく今のが最後の一本。
後は死の淵へと滑落しないための綱渡り。
「獣」が死ぬのが先か、彼が死ぬのが先か。
戦いは終わりへと向かいつつあった。
『■■■■■■――――ッ!!』
一方的に死を与え続けて来たはずの「獣」。
それが今、間近に迫る死の気配に狂乱している。
その様は生命の在り方としては、逆に正しいのだろう。
であるならば。
自らの死を感じながら、敢えて死神の懐に踏み込む者。
それは生命としては愚かしいのか。
死中に活なんて、弱い人間の戯言としか思えなかったけど。
彼自身はそんなこと、考えてすらいないでしょうね。
しくじれば死ぬだけだ――と。
そんな声が聞こえて来そう。
「おおぉぉぉッ!!」
まぁ単純に、必死過ぎて考える余裕がないだけかしらね。
血の混じる声と共に刃が閃く。
賦活剤はもう在庫切れで、肉を削られればそれだけ命も削れる。
致命の一撃は避けても、全ての攻撃は防げない。
炎を避けて、爪を避けて、牙を避けて。
炎に焼かれ、爪に裂かれ、牙に抉られ。
流れる血は自分のものなのか、それとも「獣」の返り血か。
確かなのは、彼はまだ死んでいない。
死んでいないのなら、彼は戦い続けられる。
ここまでずっと、そうしてきたように。
『■■■■……ッ!?』
吼える「獣」の様子からは、滲むような困惑が見て取れた。
とっくに死んでいなければおかしい。
だけど彼は死なず、ただ一本の剣で「獣」を追い詰める。
振り回される爪を銀の刃がまた断ち切った。
それが再生するより早く、彼は剣で「獣」の胴体を斬り裂く。
心臓にほど近い場所。
もう少しで、「獣」の命に届く距離。
『■■■■■――――ッ!!』
「しぶといなお互いに……!」
焦燥に駆られる「獣」とは真逆に、彼は笑っていた。
自棄が過ぎて笑うしかないだけでしょうけど。
血を流しながら、焼け焦げた身体を戦意によって駆動させる。
振り下ろした剣が、「獣」の右腕を肘辺りから切断した。
これまでは即座に始まった再生。
しかし今はただ、傷口から濁った血が溢れるだけ。
『■■■っ!? ■■■■――ッ!!』
強靭であるはずの「獣」の肉体も、とうとう限界を迎えつつあった。
再生能力は機能せず、斬り裂かれた傷口はドス黒い血を流れ出すばかり。
同時に彼の方も限界近いのは、私の眼から見ても明白だった。
今も戦意を衰えさせずに戦い続けているのは、正直奇跡に近い。
何かの拍子で絶命してもおかしくない状態で、それでも彼は戦い続ける。
――狂気さえ感じるその様を見ながら、私は。
果たして何を思っただろう。
自分の感情を、私自身が一番理解できていない気さえする。
『■■■■ッ……!!』
「何を喚いてるかは知らんけどな……!」
片腕を失い、それ以外の五体も何度も切り刻まれ。
苦し紛れに炎を吐き散らしながら、「獣」は後ずさる。
死の都の王であり、《北の王》の眷属であるはずの大いなる「獣」が。
ただ一人の、死にかけの人間を恐れていた。
「いい加減に、死ねっ!」
それが、「獣」が耳にした最後の言葉となった。
下がろうとする身体を足場に、彼は「獣」の頭上まで駆け上がる。
恐怖と共に仰ぎ見る「獣」へと、全力で剣を振り下ろした。
その一刀は「獣」の頭蓋を断ち割り、切っ先は心臓の位置まで抉り裂く。
断末魔の声はなく、震える心臓のように「獣」の身体が一度激しく跳ねた。
生命の鼓動は途絶え――とうとう、死の都に君臨していた「獣」は力尽きる。
切り刻まれた巨体がぐらりと揺れた。
「っと……!」
崩れ落ちる「獣」に巻き込まれる前に、彼は慌てて距離を取る。
そんな彼も殆ど力尽きていたため、無様に転んでしまった。
まったく、恰好の付かない人ね。
しかもなかなか自力では起き上がれない始末。
――まぁあの激戦の後では、仕方ないのかもしれないわね。
そう思い、私は彼の傍まで寄ると片手を差し伸べた。
「悪いなぁ」
「ええ、反省して欲しいわね」
私の手をしっかりと握って。
彼はどうにかその場から立ち上がる。
まだ足元がふらついているので、一先ず支えることにした。
ホント、世話の焼けること。
「……勝ったな」
「ええ、勝ったわね」
物言わぬ屍と化した「獣」を見ながら。
彼も私も、言うまでもない事実を口にする。
勝った。竜の力を宿す眷属を相手に、彼は勝利した。
その魂と力を呑んだ剣は、これまでになく強く脈動しているのが分かる。
まだ不完全――だけど、間違いなく近付いている。
竜を殺す剣としての完成が。
「っ……」
と、支えていた彼の口から苦し気な声が漏れた。
あれだけボロボロにやられた後なんだし、無理もないか。
回復ぐらいのサービスはして上げても良いかと。
私はそう考えて、改めて彼の方を見た。
「や、悪いな。流石にちょっとしんどくて」
「――――」
少々バツが悪そうに言う彼の声は、私の耳には余り届いていなかった。
彼を見て、私は一つの事実に気付いてしまったから。
何よりも力強く、魂の火を燃やす剣の光。
その火によって日増しに輝きを増す彼の強さ。
余りにも眩いその光に、私はずっと目を塞がれていた。
――いえ、本来ならばそんなモノ、気に留める必要もなかった。
剣の火を一番間近で受け続けて来た彼の魂。
私の与えた賦活剤が、生命を削るのと引き換えに肉体の傷を癒しているように。
魂を燃やす魔剣の火は、彼を竜に届き得る域にまで鍛え上げた。
そしてこれは、その代償。
私の眼は、彼の魂を捉えていた。
剣の火に焼かれ続けて色を失いつつある、その姿を。
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