199話:終わりに辿り着くその前に


 夜。

 死せる都を越えた、荒れ野のど真ん中。

 彼と私はそこで野営をしていた。

 空は雲一つなく、今夜も星が良く見える。

 辺りに「獣」の気配はない。

 聞こえるのは夜風の音と、篝火が小さく爆ぜる音ぐらい。

 珍しく、静かな夜だった。

 いつものように、食事の準備を進めながら。

 篝火を間に挟んで、向かい合わせに腰を下ろす。

 私が回復を施したのもあって、彼の調子も悪くはない。

 都の「獣」と戦った後の消耗は、もうないと考えて良いだろう。

 けど、それとは別に――。

 

「貴方は死ぬ」

 

 ただ事実として、私はその言葉を口にした。

 彼は火の勢いを強めるため、用意した薪を一つ放り込む。

 それから一拍置いて。

 

「だろうな」

 

 と、いつもの調子で応えた。

 胸の奥にじわりと広がる、未知の感情。

 この時の私は、まだそれが何かを分かっていなかった。

 分かっていないから、私はただ言葉を続ける。

 

「……随分と軽く言うのね」

「いつもの事だろう。しくじったら死ぬだけだ」

 

 それは彼がいつも口にしている言葉。

 けれど、そう言う彼自身も理解しているはず。

 

「結果がどうあれ、貴方は死ぬ。

 それだけ竜は強大で、本来なら人の手には届かない」

「あぁ、知ってる」

 

 事実はただ事実として、彼は淡々と受け止める。

 竜殺しの剣を持っていたとしても、《古き王》は強大な存在だ。

 今の彼ならば、万が一にも届く可能性はある。

 けれどその代償は、彼の死に他ならない。

 勝利と敗北、そのどちらを手にしても彼は死ぬのだ。

 

「貴方は――此処まで、良くやったと思うわ。もっと早く死ぬと思ってたのに」

「死ぬような目には山ほど遭ったけどなぁ」

 

 竜の私からすれば、ほんの一瞬で過ぎて行った旅路。

 人間の彼にとっては、果たしてどうなのだろう。

 懐かしむように笑う彼を、私は仮面越しにじっと見ていた。

 

「……貴方は死ぬ事を恐れないの?」

 

 確実な死があると知りながらも、彼から恐怖は感じられない。

 今もいっそ楽しげに笑っている。

 日が上って先へと進めば、《北の王》が待つ果ての玉座が見えてくる。

 辿り着けば、後は最後に死だけが残る竜殺しが始まる。

 それが、この儚い旅路の終着。

 

「人間なんて皆、死ぬ事が恐ろしくて仕方ないはず。

 瞬きみたいに終わる生に、誰もが文字通り必死にしがみついてる」

「まぁ、そりゃそうだろうな」

「なのに貴方は、明日死ぬと分かって無謀な戦いに挑もうとしている。

 それが私には、不思議で堪らないわね」

「……ふむ」

 

 こんな事を聞く意味も、本来はないのかもしれない。

 彼は私の予想を超える結果を示し続けた。

 ただ、それにも限界はある。

 死という結果自体は、最初から予定していたこと。

 だから、こんな事を聞く意味なんてない。

 私自身も意図が分からない問いに、彼は暫し考え込む。

 

「…………分からん」

 

 その末に出て来たのが、この一言で。

 私はなんだか、肩透かしを食らった気分になってしまう。

 

「分からないって……」

「いや、普通に考えたら死ぬのは怖いだろ。

 実際に、『獣』と戦ってる時だって怖くないワケじゃないんだ。

 や、まぁそんなこと考えてる余裕もないのは事実だけど」

 

 やっぱり、普段からそんな感じなのね。

 その「獣」から採った肉を火で炙りながら、彼は軽く笑う。

 

「もしアレなら、俺が死ぬ直前ぐらいに同じことを聞いてくれ。

 その時は、もう少しまともに応えられると思うわ」

「なによ、それ」

 

 余りにも馬鹿馬鹿しい答えに、私の方も笑ってしまった。

 本当に馬鹿で愚かで、どうしようもない。

 どうしてこんな人間が、北の最果てまで辿り着けたのか。

 今さらその事が不思議で堪らなくなる。

 ――まぁ、今さらそんなことに文句を言っても仕方ないわね。

 過程がどうあれ、彼が《北の王》に挑む事実は変わらない。

 勝っても負けても、彼は死ぬ。

 今日が最後の夜だ。

 

「なぁ」

「なに?」

「明日には《北の王》のいる城に着くんだよな」

「そうなるわね」

「何かこう……助言アドバイスとかあるか?」

「…………」

 

 聞かれて、今度は私の方が考え込んでしまった。

 助言――助言?

 人間が竜に挑むことそのものが、天地の境を埋めるに等しい蛮行なのに?

 あらゆる魔導の秘儀に精通し、真理の一端を解き明かした私でも。

 それはなかなか難しい問いかけだった。

 だけど聞かれた以上は、曖昧な言葉で濁すのも《最強最古》の沽券に関わる。

 私は暫し悩んで――。

 

「……竜は、特に《古き王》と呼ばれる者達は、本当の意味で不死不滅」

「うん」

「肉体の死に意味はないし、多少の傷を負わせたところで痛手にはならないわ」

「うん」

「風よりも速く動き、山を動かす程の膂力を持ってる。

 巨体を覆う鱗は鋼よりも遥かに強靭、爪も牙もこの世の如何なる名剣よりも鋭い」

「うん」

「《北の王》の吐息は炎で、後はその気になれば毒気も含ませられるわね。

 ちょっと前に通過した都も、アイツの吐息一つであの有様よ」

「やべーな《北の王》」

 

 今さらそれを言う?

 古竜の戦力確認のつもりで、アレコレと口に出したけど。

 

「あとは魔導の知識と技術も持ち合わせている。

 まぁ《北の王》はわた――《最強最古》と呼ばれる竜ほどは、精通してないけど」

「なるほどなぁ。で、助言はある感じ?」

「…………その剣で殺せば死ぬわ。だからがんばって」

「がんばる」

 

 我ながら単純シンプル過ぎてどうしようもない答えだった。

 とはいえ、竜殺したる《一つの剣》であれば《古き王》だろうと殺せる。

 正確にはその魂を剣の内側に呑み込むのだけど。

 不滅である竜の魂でも、私が構築した封印術式に拘束すればどうしようもない。

 死なない竜を「殺す」という矛盾。

 彼に与えた剣だけが、それを成し遂げられる。

 

「まぁつまり、いつも通りってことだな」

「そうね、いつも通りにやってくれたら良いわ」

 

 いつも通り。

 何も変わらない。

 それもこの夜までの話。

 言葉は途切れて、また風と爆ぜる火の音だけが荒野に響く。

 本当に、静かな夜だった。

 少々焼き過ぎてしまった「獣」の肉を、二人で平らげて。

 彼と私はそのまま、言葉もなく星を見ていた。

 

「……休まなくて良いの?」

「もうちょっとしたら休むよ」

「明日は《北の王》に挑むっていうのに、平気なワケ?」

「大丈夫大丈夫」

 

 一応、気を遣ってるつもりだけど。

 彼は軽く笑ってみせた。

 

「まぁ、ちょっと勿体ない気がしてな」

「? なんの話?」

「いや、こっちの話」

 

 はぐらかす彼に対し、思わず首を傾げてしまう。

 まぁ、なんでも良いですけど。

 私は眠る必要もないから、そのまま夜が通り過ぎるのを待つだけ。

 ただ、星を見ながら。

 遠い遠い、私の知らない無数の輝き。

 彼も暫くは起きていたけど、程なく眠りについた。

 鎧を着たまま眠るというのも、考えてみたら器用な話ね。

 星を見るのは飽きないけど、偶に彼の冴えない顔も覗いてみたりしながら。

 どうしようもなく、時間は流れていく。

 ――そして、日が昇り始める前に彼は目を覚ました。

 何も言わず、ただ傍らに置かれた剣を手に取る。

 

「行くか」

 

 その一言だけで十分だった。

 篝火を片手の一振りだけで消して、私もそれに応える。

 

「覚悟はできてる?」

「それを今さら聞くのかよ」

「必要なことじゃない?」

 

 かもしれないな、と彼は頷く。

 鞘に納めた剣を腰に佩いて、補充した賦活剤の数を確認する。

 恐らくは最後の戦いになるだろうからと。

 甲冑の痛んだ部分も、サービスで修繕を施しておいた。

 

「助かるわ」

「必要なことをしてるだけよ。

 《北の王》と戦う時まで、助力は期待しないでね」

「分かってるさ。俺が自力で殺らなきゃ意味ないんだろ?」

「理解してるんならそれで良いわ」

 

 魔法の力で光沢を取り戻した装甲を、私は軽く叩いた。

 さぁ、後は目的地に向かうだけ。

 彼が先に歩き出し、少し遅れて私が続く。

 ほどなく見えてくるのは、この大陸の北端。

 人の足で辿り着ける果ての地。

 同時に、これまで生きて帰った者は誰もいない幽世。

 荒れ野の先に聳え立つのは一つの城。

 死の都で目にした瓦礫の塔とは異なり、今も堅牢な作りを見せる城塞。

 幾つも並ぶ高い尖塔に、周囲を囲う分厚い城壁。

 竜であれば、本来は必要のない人工の殻。

 これを「北の玉座」と、畏怖を込めて呼ぶ者もいる。

 

「あの城の中に、《北の王》はいるわ。

 気を付けて、恐らく奴はもう私達を……?」

 

 注意を促すつもりで、彼に声を掛けて。

 その目線が、城とは別の場所を見ている事に気付いた。

 辿った先、遠く見えるものは――海だった。

 ここは大陸の北端だから、大地が途切れた先は海しかない。

 彼は少し足を止めて、それを眺めているようだった。

 

「……海、もしかして見るのは初めて?」

「あぁ。つーか、これが海でいいんだな」

「そこからなの?」

「そりゃ見るの自体が初めてだからな」

 

 確かにこの時代、生まれた土地を離れる人間は少ない。

 海の見える場所以外の者は、一生それを目にしない事も珍しくないか。

 

「確か、前に言ってたよな。

 人間は、この大陸の外からやって来たとか何とか」

「そういえば、そんな話もした気がするわね」

「てことは、このでっかい水溜まりの向こう側にも人の住んでる土地があるのか」

「それはその通りね」

 

 ただ、大陸の「外側」の状況は。

 恐らく彼が想像してるものとは大分違うはず。

 

「この地は竜に支配されているけれど、外の世界も大概よ。

 大半が《巨人》と呼ばれる災害が闊歩する地獄。

 一応人間は生きているけれど、ここよりマシとは口が裂けても言えないわね」

「詳しいなぁ」

「まぁ、多少はね。

 ……それで、貴方も『海の向こう側』には憧れるの?」

「いいや、そこまでは」

 

 一瞬、引っ叩いてやろうか悩んでしまった。

 けれど、そんな風に応えながらも彼の目は海を見ていて。

 

「……けど、この海って奴の向こう側は、俺の知らない場所が山ほどあるんだな」


 彼の語ったその言葉に、如何なる感情が込められているのか。

 それは私にも読み取れなかった。

 恐らく、彼にとってもそれほど意味のある言葉ではなかったけど。

 ただ何となく、私はその戯言に応えていた。


「そんなの、大したことないわよ。

 いつも見上げている星空も、貴方の理解で言えば海と同じよ。

 『星の海』――なんて、始祖達は詩的に表現してみせたけれど」

 

 今はもう黎明に染まりつつある空を、私は指差した。

 星の煌きの残滓を、私は指先で追う。

 

「この海の向こうに、貴方の知らない地があるように。

 空に輝く星々は、私でさえ知らない世界の光。

 それを見て、知ることが出来たのなら。

 ――それはとても素敵な事だと思わない?」

 

 父たる《造物主》も、かつてあの星空の彼方よりこの地に現れた。

 私もいずれ、その光の先へと飛び立つ。

 その為に剣を鍛え、その為に同胞たる竜を殺す。

 全ては、この短い旅路が終わった果てに。

 つい熱っぽく語ってしまった私の言葉に、彼は何度か頷いた。

 

「難しい理屈とかは、良く分からんし。

 この海の向こう側だって、俺には想像もつかないが……」

 

 頷いて、彼は笑っていた。

 心底楽しそうに笑うのは、逆に珍しいかもしれない。

 

「知らないものを知りに行くってのは、確かに悪くないな。

 この旅も、俺にとっては同じようなもんだしな」

「……そうね」

 

 旅の終わりに待つのは死だと。

 理解しながら笑う彼を。

 私は、何を思って見ていただろう。

 彼はもう一度、空と海をそれぞれ見比べて。

 

「……次があれば、またそういう旅になると良いんだけどな」

 

 そんな、あり得ない未来を口にした。

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