第五章:旅の終わり

200話:竜とは何か

 

 感傷にばかり、浸ってはいられない。

 私達が目指すところは、竜を殺すことなのだから。

 荒野の向こう、閉ざされた海を遠く望んで聳え立つ城。

 改めてその姿を見る。

 あの愚か者は、今もあそこで無意味な試みを繰り返しているのか。

 不出来な「獣」を何匹生み出したところで、父の御業には届かない。

 自らをいずれは《造物主》に届く存在であると。

 己の真の名も定義せず、ただ《北の王》とだけ称する名無しの竜王。

 アレは本当に、己の愚かさを理解できていないのかしら。

 ――まぁ今日か、或いはいつか来る未来か。

 いずれにせよ、その理解に届く前に死ぬのだけど。

 彼と、何よりも私が鍛え上げた竜を殺す剣によって。

 

「正面から行って大丈夫だと思うか?」

「それを私に聞かれても困るわ」

 

 堅く閉ざされた城門。

 まだ距離のあるそれを指差して、彼はそんな事を聞いて来た。

 別に侵入方法なんて何でも良いでしょうに。

 見たところ見張りの類もない。

 まぁ魔術による監視か、使い魔ファミリアは配置してるでしょうけど。

 幾ら尊大で傲慢な愚か者でも、最低限の備えはしているはず。

 後は城の中にどれだけ「獣」がうろついているかだけど。

 それも、直接確かめた方が速いでしょうね。

 

「……ならまぁ、普通に行くか」

「それが良いでしょう」

 

 こそこそとか、考えたって仕方ない。

 あの城は《北の王》の玉座。

 その内で起こった事ぐらいは筒抜けでしょうしね。

 

「それじゃあ早速――」

 

 お邪魔しますか、と。

 そう彼が言い終えるよりも早く。

 轟音と衝撃が、北の大地を揺るがした。

 何が起こったのか、私は理解が一瞬遅れてしまった。

 そんな私を庇う立ち位置で、彼は素早く剣を抜き放つ。

 目を向けた先は、北の玉座と呼ばれた城。

 今やその城塞は爆ぜるように燃え上がっていた。

 いいえ、「ような」ではなく本当に内側から爆ぜたのだ。

 それを実行できる者は、この地に一柱しかいない。

 

『――――竜とは何か』

 

 低く重たい、遠雷の如き声。

 剣を構えながら、彼は頭上を仰ぎ見た。

 先ほどまでは晴れていた空に、今は暗雲が立ち込める。

 天候に対して影響を及ぼすほどの魔力。

 自らの城塞を砕き、広げた翼で空を塞ぐその威容。

 巨体に隙間なく纏った紅い鱗。

 四肢には尋常ならざる力が宿り、爪の鋭さもまた比類なし。

 長い尾を鞭のようにしならせ、牙の並んだ顎からは炎の吐息が溢れる。

 万人が思い描く「悪しき竜」のイメージそのままに。

 その竜は真っ直ぐに、彼の前へと降り立った。

 死の都で遭遇した「獣」など、比べるべくもない。

 

『竜とは、我の事だ。小童』

 

 目にしただけでも、人間の魂なら容易く砕く絶大な畏怖。

 天から落ちる稲妻のように唸りながら。

 最果ての地に君臨する者――《北の王》が、姿を現した。

 

「――――」

 

 彼は応えず、剣を構えたまま動かなかった。

 古き竜は――《北の王》は、その姿を見てどう思ったろうか。

 少なくとも、畏怖によって魂を砕かれていないのは分かっているはず。

 その燃える眼差しが、一瞬だけ私を掠めた。

 ……偽装はしているけれど。

 流石に、直接見たら正体ぐらいは察するかしらね。

 けれど《北の王》は何も言わず、私からは直ぐにその視線を外した。

 そのまま流れるように、彼と手にした剣を目に映した。

 

『……我が王気を浴びて尚、怯むことなく立ち続けるか。

 己のさだめを知った上での勇猛さか、或いは恐れを知らぬが故の蛮勇さか。

 いずれにせよ、この一時はお前を戦士として認めよう』

「…………」

 

 つまらない賞賛を口にする《北の王》。

 それでも彼は応えない。

 私の位置からだと、見えるのは彼の背中だけだけど。

 きっと今、その眼は初めて見る竜の様子を観察しているのでしょうね。

 そこに畏怖も恐怖もあるかもしれないけど。

 

「…………それで」

『なに?』

「もう、始めて良いのか?」

 

 ――彼がするべき事に、何も変わりはない。

 竜を殺す。

 ただそれだけを目指して、この最果てに辿り着いたのだから。

 彼の余りの言葉に、《北の王》が一瞬面食らったのが分かった。

 思わず笑ってしまった私に、また燃える眼が掠める。

 あら、こっちなんか見ていて良いのかしら。

 

「オラァ!!」

 

 その一瞬を、彼が行儀よく見ている道理なんてない。

 自分から意識が外れた僅かな隙を突き、彼は眼前の竜に斬りかかった。

 でも、流石に《北の王》も甘くはない。

 タイミングとしてはこれ以上ないぐらいに完璧だったけど。

 その巨体からは信じがたいほどの速さで反応し、刃から身を躱す。

 完全には避け切れずに、剣の切っ先は鱗の一枚を掠めた。

 鋼よりも遥かに強靭であるはずの竜鱗。

 それが剣の一太刀だけで、あっさりと二つに断ち割られる。

 

『貴様……!!』

「これが御伽噺の英雄ヒーローなら、恰好良く前口上でも唱えるんだろうけどな……!」

 

 避けられても構わず、彼は竜の懐へと切り込む。

 《北の王》の眼が、凄まじい怒りで激しく燃え上がった。

 

「私のことは構わないで良いから、存分に」

「おう!」

 

 念の為にかけた言葉に、彼は勢い良く応じる。

 多少炎を引っかぶろうが平気だけど、多分彼の方が気にするでしょうから。

 最低限、戦いに巻き込まれない程度に距離を取る。

 ……そう、これから始まるのは戦いだ。

 本来ならば、ただ荒れ野に屍を晒すだけのか弱い人間が。

 この地で最も古き竜、二十しか存在しない王の一柱に。

 両者の力の差は、文字通り天と地ほどもある。

 これまでの旅で彼は確かに強くなった。

 竜の力を持つ眷属の「獣」にすら打ち勝てるほどに。

 けど、それでも。

 

『――「獣」を屠った風情で、図に乗ったか定命モータル!!』

 

 竜とは、この地で最も強大な獣だ。

 咆哮を轟かせながら、《北の王》はその長い尾を横薙ぎに払った。

 目障りな虫ケラを叩き潰すために。

 それは酷く大振りで、乱雑な一撃だった。

 技術なんてものは欠片もない、「獣」の攻撃と大差ない。

 当然、彼の目にもそれは見えていた。

 やや踏み込み過ぎていたため、回避は自然と紙一重になり。

 

「ッ!?」

 

 当たり前の事として、彼の身体は吹き飛ばされた。

 強風に舞う木の葉そのままに。

 荒れた野に何度も身体を打ち付けながら、甲冑姿が無様に転がる。

 それを見て、《北の王》は嘲った。

 

『地を這い、己の身の程を知るがいい!

 竜の前に立つ事の意味、その魂魄こんぱくに教えてくれようぞ!!』

 

 ――さて。

 一体これまで何人が、ここまで辿り着いたか。

 そして何人が、そんな竜の口上を耳にしただろう。

 吼える竜の言葉は、地に伏した彼の耳にも確かに届いていた。

 余裕と共に見下ろす竜の前で、彼は立ち上がる。

 さっきは尾を振った衝撃に引っ掛けられたに過ぎない。

 負傷は少なく、大地に打ち付けられた余韻も既に抜けているはず。

 だから彼は、何事も無く剣を構えて。

 

「――やれるもんならやってみろよ、老害ロートル

 

 正面から、臆することなく竜を罵る。

 安い挑発だけれど、怒れる竜には効果覿面だった。

 

『魂の髄まで我が炎に焼かれても、同じ口が叩けるか!

 試してくれるわ!!』

「だからやってみろっつってんだよ!」

 

 吼える《北の王》に、彼は叫び返す。

 地を蹴った直後、鋭い風が彼のいた空間を抉り取った。

 爪の一振り、それだけで大地が裂ける。

 人間などまともに喰らえば粉々に砕けてしまうだろう。

 

『逃げ回るだけが能か、哀れでか弱い小人め!』

 

 挑発されたのが、余程腹に据えかねたらしい。

 愚にも付かない嘲りの言葉を、《北の王》は炎の代わりに吐き散らす。

 けど、彼の方に言い返す余裕はない。

 振り回される尾に、頭上から落ちてくる爪。

 余波だけで地面を引き剥がす、竜の王による死の乱舞。

 その渦中にあって、彼は只管逃げ回っていた。

 払う尾の下を掻い潜り、爪はまともに受けずに身を躱す。

 時折、尾や爪に剣を合わせようとするけど。

 

『愚か者め!』

 

 実にあっさりと、彼の身体は地に叩き付けられる。

 当たり前と言えば当たり前過ぎる結果ね。

 人と竜では膂力に差があり過ぎる。

 どれだけ上手く刃を当てようが、圧倒的な力で弾かれてしまうだけ。

 故に《北の王》は、彼の愚行を笑った。

 

『我を恐れぬ戦士かと思えば、そもそも恐怖を解さぬ白痴であったか!

 良いだろう、直ぐ五体を引き裂いて足りぬ頭に竜の畏怖を刻みつけて――!?』

 

 嘲り続ける《北の王》の言葉が、ほんの僅かに途絶えた。

 それを成し遂げたのは、彼の放った一刀。

 嘲笑を向ける為に、《北の王》はほんの少しだけ振るう爪を止めていた。

 そこを狙い撃ち、竜殺しの刃が閃く。

 切っ先が捕らえたのは、やはり鱗の一枚だけ。

 まだまだ到底、古き竜の命脈には届いていない。

 幾度も叩き伏せられて、得られた戦果はまだ鱗の二枚のみ。

 《北の王》は未だ不動。

 絶対的な格差には些かの変化もない。

 

『鱗を数枚削ったところで、我には毛筋ほどの痛痒もありはせんぞ!』

「良く口の回る奴だな……!」

 

 竜の咆哮にぼやきながらも、彼は足を止めずに走る。

 再び襲って来るのは尾や爪の連打。

 地面を転がる石のように、彼はそれらを回避する。

 見苦しいその戦いぶりを、《北の王》はやはり嘲っているのかしら。

 その気になれば、翼を使って一方的に攻め立てられるでしょうに。

 或いは都を滅ぼした炎の《吐息》でも、高位の攻撃魔法でも構わない。

 《北の王》はいつでも彼を殺すことができる。

 傲慢な竜はそれを理解していた。

 理解しているからこそ、敢えて原始的な肉弾戦に終始する。

 力の差を見せつけるために。

 大言壮語のツケを払わせるために。

 弱者の思い上がりを捻じ伏せようと、単純な暴力だけで嬲っている。

 そして戦意も何も全て圧し折って、その魂を竜の炎で灰も残らず焼き尽くす。

 《北の王》が思い描く勝利は、そんなところかしら。

 ――果たして、そう上手く行くのか。

 きっと、竜の王は疑問にすら思っていないでしょうね。

 人間なんて、本来ならあっさりと縊り殺せているはずなのに。

 彼は死なずに、まだ生きている。

 嵐にも似た竜の攻撃を避けながら、稀に剣を振るって鱗を削る。

 一枚。一枚。偶に一枚。

 掠り傷、どころか《北の王》は微かな痛みも感じてはいまい。

 先ほど奴自身が吼えた通りに。

 

「――――」

 

 私は何も言わずに、その戦いを見ていた。

 一方的な蹂躙ではなく、人と竜の戦い。

 この大陸が創造されてから、それは初めての光景かもしれない。

 

「……竜を殺すんでしょう?

 だったら、私にそれを見せて頂戴」 

 

 思わず、そんな呟きが唇から溢れる。

 人間である彼では、古き竜たる《北の王》には勝てない。

 剣に宿る火はまだ不完全で、王の冠には届かない。

 無力に負けて死ぬのが定められた理だと。

 私はそれを理解しながらも、目線は一瞬たりとも外さない。

 そう――今見切りをつけるのは、余りに勿体ないから。

 彼は未だ死なず、その手は運命と呼ぶべき剣を握り締めている。

 無様と言われれば否定しがたいその姿。

 それでも戦い続ける彼の背は、私に対してこう語りかけているようだった。

 「竜殺しはまだ、始まったばかりだ」――と。

 

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