201話:竜と死神の舞踏
北の最果て。
誰も生きては帰れぬ荒野で、戦いは続く。
それはまだ、一方的に過ぎるものではあるけど。
荒れ狂う竜という大嵐。
その渦中にただ一人で挑み続ける者。
彼は未だ死なずに、竜を殺す為の剣を手にして。
「うおおぉぉっ!!」
気合いの叫びと共に、剣の銀色が閃く。
また一枚の鱗が断たれ、力なく地に落ちた。
片手の指で数えられる程度。
彼の戦果はまだそれだけで、《北の王》の動きに当然陰りはない。
けれどほんの少し、苛立っているようには見えた。
さっきまでは散々余裕ぶっていたクセに。
苦しめて、己の身の程をこれ以上ないぐらいに魂に刻み付けてから殺す。
そんな浅はかな考えから、敢えて嬲るよう戦っていたのに。
「っ……!」
ボロボロな、今にも死にそうな身体を引き摺って彼は走る。
叩き付けられた尾を躱し、懐から賦活剤を取り出す。
攻撃と攻撃の合間、彼は慣れた手つきでそれを素早く飲み干した。
傷は急速に塞がって、疲労もこれで一時は帳消しにできる。
振り抜かれる爪を、彼は地面に転がるように躱した。
もし当たっていたら首から上が粉々になっていたでしょうね。
そうするつもりだった《北の王》は、忌々し気に牙を鳴らした。
『おのれ――――ッ!』
逃げ回る彼を追い、更に爪や尾を振り回す。
だけど当たらない。
最初は本当に酷い有様だったけど。
少しずつ、けれど確実に。
彼は竜の攻撃を回避できるようになりつつあった。
一つ残らず、というワケにはいかなくとも。
避け損ねて地面に転がされる、ということはほぼなくなっていた。
ここまで、《北の王》は「獣」みたいに暴れるだけだった。
ただ嵐のように振る舞えば、あらゆるものは死に絶えるという傲慢な確信。
それに間違いはなかった。
竜とはこの地で最も強大な獣であり、それに勝るモノなど同族以外に存在しない。
間違ってはいない――けれど。
『
怒りを吼える《北の王》も、理解しつつあるようだった。
目の前の相手は、竜より弱い人間だ。
竜より弱く、けれど竜を殺す為に剣を手にした彼。
それが今少しずつ、絶対的な竜の力に迫りつつある事実。
理解しながらも、傲慢なる竜の王は断固としてそれを認めない。
まだ遠い。
まだ遥か彼方だ。
最初から届くはずもない。
天と地の境を埋めることなど、出来るはずもないと。
認めないまま、人間が竜に挑む不遜に対して怒りを募らせる。
『多少の幸運に恵まれた程度で――』
「……っ!?」
《北の王》がその胸郭を膨らませた。
次に何が起こるのか、それだけで彼は直ぐに察する。
それこそは、竜という存在の代名詞とも言うべきモノ。
誰もが恐れる災厄の具現。
『図に乗るな――――ッ!!』
怒りの咆哮と共に放たれる炎の奔流。
北の王都を一瞬で滅ぼした《
その熱は凄まじく、余波だけで肌が焦げ付く。
私は竜なので、このぐらいは何ともない。
しかし彼はどうか。
地面を融かす程の炎熱が渦巻き、《北の王》の姿しか見えない。
――あの距離では助からない。
普通ならそう考えるし、《北の王》も同じことを考えたはず。
そこに誤りはなかった。
人間が竜の炎をまともに浴びれば死ぬしかない。
そう、まともに浴びれば。
「オラァっ!!」
ヤケクソ気味な雄叫びが、炎の渦を裂いた。
表面が黒く焼け焦げた甲冑姿。
振り下ろした剣が、今度は何枚かの鱗を同時に断ち斬る。
『ッ、馬鹿な、何故生きてる……!?』
「熱いんだよ糞っ!!」
口汚く言い捨てる瞬間も、彼は驚愕する《北の王》に刃を当てる。
まぁ、驚くのも無理はないでしょうけど。
彼だって別に、何も考えずにこの戦いに臨んでいるわけじゃない。
爪や尾など、肉弾戦なら避ける事もできる。
魔法に関しても、ある程度ならば対処が可能。
加えて《北の王》は、余り強力な攻撃魔法の類は好まない。
恐らく竜として、自らの力に絶対的な自負があるから。
使わないワケではないけど、致命的な大魔法が飛んでくる可能性は低い。
そうなると、一番危険なのは《竜の吐息》だ。
《北の王》は強大な竜で、それは私も認めるところ。
特に《吐息》の威力に関しては、他の兄弟と比較しても上位に位置する。
まぁ当然、私ほどではないのだけどね?
……兎も角、《吐息》だけは直撃すれば即死しかねない。
だから、最低限の備えは用意していた。
「ありがとな、あの工房の誰かさん……!」
思わず独り言として呟いた、彼の言葉通り。
ナメクジの工房で見つけた魔法の
その中には耐火など、戦闘で使えそうな物も含まれていた。
便利だけど、効果を発揮する時間は大して長くない。
だから彼は、それを《吐息》を喰らう直前に賦活剤と一緒に呑んだ。
火に対する耐久性を上げ、焼かれると同時に傷を癒す。
……ホント、彼がこの方法を言い出した時はイカれてると思ったけど。
得られた成果は、決して小さくない。
『ッ――!!』
必殺のはずの《吐息》を放ったにも関わらず、彼は死ななかった。
それが少なからず動揺を誘い、《北の王》の動きが若干鈍っている。
振り回される爪を、焼かれた身体で彼は容易く回避した。
そして、再び閃く剣の一撃。
もう何度目になるのか、私も数えてはいない。
《北の王》が纏う鱗の一枚が、力を失い地に落ちる。
残る鱗の数は、あと何千枚ほどか。
『無駄だと言うのが何故分からんッ!!』
怒りを叫ぶ声には、強い魔力が込められていた。
瞬間、彼の身体が目には見えない衝撃で貫かれる。
不意打ちに近い魔法による打撃。
致命傷ではない――けど、軽い
『砕け散れッ!!』
間髪入れずに放たれる《力ある言葉》。
爆ぜる炎は、さっきの《吐息》と比べれば随分控えめだけど。
それでも荒れた大地を穿つ程度の威力はあった。
ええ、穿ったのは地面だけで。
彼は魔法による追撃を、またギリギリで回避していた。
恐らく、さっきの衝撃で意識は飛びかけているはず。
そんな状態でも身体だけは動いたのか。
「…………!」
殆ど忘我の狭間で振るわれた剣。
振り絞るように力を込めた切っ先が、《北の王》の鱗――いえ。
刃が当たったのは、偶々鱗が欠けていた場所。
竜を殺すための剣は、その肉を僅かに抉る。
永遠に等しい竜の命には、まだまだ届いていない。
けれど初めて、彼の剣が《北の王》の血肉に触れた瞬間だった。
『それが何だと言うのだッ!!』
憤怒が半分、嘲笑が半分。
彼の成し得た人間で初めての偉業。
「竜の身体を傷つける」という結果を一笑する。
《北の王》は恐れていない。
鱗を断ったのも、血肉を裂かれたのも。
同じ竜たる兄弟姉妹ではなく、ただの人間の手で成された事。
けれど恐れる理由はない。
『大層な剣を与えられのぼせ上ったようだが、結局はか弱き
永遠に等しき竜の生に、糸クズのような傷を刻んでどうにかなると思うているのか!?』
全ては《北の王》が語る通り。
如何に竜殺しの剣と言えど、命に届かなければ殺せない。
たかが人間に、そんな真似は不可能だと嘲る。
その真理の一面でもある嘲笑を受けながら、彼は。
『貴様……!』
何事もなかったかのように取り出した賦活剤の瓶。
それを《北の王》の眼前で、一気に飲み干してみせた。
生命を削る劇薬でも、今この瞬間を戦う力となる。
でも賦活剤の残りもそれほどは無いはず。
言葉通りの命綱、切れたら後は死神相手に踊り切るしかなくなる。
「……それで」
確実に追い詰められてるにも関わらず。
彼はいつもの調子で、《北の王》へと言葉を向けた。
表情に怒りを滲ませながら、竜は怪訝そうな顔を見せる。
『何?』
「それで、一体いつになったら俺を殺すんだ?
……ホント、意外と口が悪いわね。彼。
かつてない程の強敵を相手に、高揚してるせいかもしれない。
言動とは裏腹に、剣を持つ動きは淀みがない。
彼は冷静に、怒れる竜の姿を見る。
『殺す! 殺してくれる!
肉体だけではない、その魂魄の欠片も残さず殺し尽くす!』
「だから、やってみろっつってんだ」
恥ずかしげもなく感情を騒ぎ立てる《北の王》。
その醜悪さもまた、竜の性と呼ぶべきなのかしら。
この世の誰よりも強大だから、それと同じぐらいに傲慢。
多くの叡智を蓄えているはずなのに、どうしようもなく愚か。
傲慢で愚かな《北の王》。
それでも、強大無比な古き竜であるという事実は揺るがない。
ならばそれと相対する彼もまた、傲慢で愚かな生き物だろうか。
――まぁ、愚かなのは間違いないわね。
「こっちは、竜殺しに来てんだぞ」
今もほら。
燃え盛る怒りの火に、ご丁寧に油を樽ごとブチ撒けて。
《北の王》の怒りはもう、私ですら覚えのないほど。
半ば狂乱するように襲って来る竜に、彼は躊躇なく走り出した。
後ろに下がるのではなく、前へ。前へ。
落ちてくる爪も、薙ぎ払う尾も。
吐き出された炎も、魔法による攻撃も。
避けて防いで、それ以外は無数に身体を刻まれて。
「っ――――!!」
最早声になっていない叫びを上げながら、彼は剣を振るう。
一つ、二つ、また鱗が剥がれ落ちた。
詳しい枚数は分からない。
流石に十は越えてるでしょうけど、竜の命はまだ遥か先。
怒り、屈辱に歯噛みはしても《北の王》は余裕を持っていた。
自分が負けるはずがないと、確信しているから。
しぶとく生き残る人間を、激怒しながらも「目障り」程度にしか思ってない。
落ちてくる爪も、薙ぎ払う尾も。
吐き出された炎も、魔法による攻撃も。
それこそ百に届く数を重ねているのに、彼は未だに生きている。
生きている限りは剣を振るい、《北の王》の鱗を削ぐ。
時折肉も削るけど、負傷というには余りに微々たるもの。
『ちょこまかと……!!』
苛立ち暴れる竜と、死神と踊る彼。
戦いが始まって、大分時間は経ったけれど。
多少鱗が剥がされても、《北の王》は変わらず健在。
対する彼はボロボロで賦活剤の残りも少ない。
『どうした、まさかもう諦めたと言うまいなぁ!』
嘲笑しながら、《北の王》の炎が大地を舐める。
鎧は焦げて、一部は溶かされ。
それを纏う彼自身の身体も、骨から肉まで焼かれ続ける。
賦活剤を直ぐには呑まず、彼は手にした剣を振り抜く。
自らの《吐息》で視界を遮られた竜。
《北の王》自らが造ってしまった死角から、彼は素早く斬撃を撃ち込んだ。
戦果は数枚の鱗と、今までより少しは深い傷。
それでも他と比べてしまえば、余りにもとるに足らなかった。
本当に、見てて恥ずかしいぐらいの掠り傷。
けれど彼は気にしない。
古き竜の嘲りも何も、見えていないし聞こえていない。
彼はただ、積み重ねるのみ。
これまでの旅路のように、一つずつ。
積み上げたモノがいずれ必ず、竜の心臓に届くのだと。
「……できるかしら、貴方に」
私はただ、小さく呟きながらそれを見ていた。
戦いは続く。それこそ、終わりのない舞踏の如く。
暗雲立ち込める空から日が去って、真っ黒な夜が訪れる。
戦いは続く。さながら、永遠に続く夢のように。
それを、私は見ていた。
その場から動かずに、一心不乱に残り火の中で走る彼の事を。
他に何も言うこともなく、その薄く汚れた姿を――ただ、見つめていた。
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