202話:魂の燃焼
……戦いは、続く。
私はそれを見ていた。
ずっと、ただそこで見続けた。
終わらない、永遠の舞踏にも似たそれを。
『……ッ! 何故……!』
狼狽える《北の王》の声。
ええ、気持ちはほんの少しだけ分かるわ。
理解できないでしょう、お前の頭では。
今、自分の身に起こっている事も。
未だ死なずに挑み続ける戦士の事も、何もかも。
私の眼は、それを見ていた。
燃える魂の炎。
剣は足りない力を補うため、使い手の魂を燃やしている。
本来ならば、とっくに死んでいなければおかしい。
その道理を踏み越えるために、彼は文字通り己を焼いていた。
遠からず訪れる、確実な死と引き換えに。
彼は今、奇跡を起こそうとしていた。
『何故だ……!』
理不尽と不条理。
あり得ざることが起きていると、《北の王》は呻きを漏らす。
あり得ない。あり得ない。あり得ない。
本当にそうよね。
私だって、少し自分が見ているものが信じがたいもの。
大地を引き裂く爪を、紙一重で躱す。
鋼も易々と噛み砕く顎を、ギリギリで避ける。
振り回される尾から、転げ回るようにして逃れる。
その都度に、僅かな隙を見ては剣を捻じ込む。
繰り返し。繰り返し。繰り返し。
《北の王》は炎の《
咆哮に魔力を込めて、熱線を雨のように降り注がせもした。
渦巻く炎に焼かれ、熱線に骨身を削られて。
それでも彼は、ほんの少しも足を止めることはなかった。
戦いが始まってから此処まで。
剣を振るった回数は、千に届くかもしれない。
魂を燃やし、生命を削り。
魔剣の力を借りながらも、ただの人間が古き竜と戦い続ける。
――死に瀕しているのは間違いなく彼の方。
幾度も鱗を斬り裂かれたが、それでも《北の王》にはまだ余力がある。
そう、余力があるだけ。
一秒後には死んでしまいそうな彼と、本質は変わらない。
竜は己の不死が絶対でないことに、やっと気付いたようだった。
『何故、こんな事が出来る……!?』
大地に積もる枯れ葉のように。
鱗の残骸が、戦う両者の足下を埋めていく。
ここに至っても尚、《北の王》は空に逃げることはしなかった。
無限に等しいと思っていた命が、今は有限だと悟っても。
手の届かぬ場所に退くのを拒んだのは、竜の王としての矜持か。
愚かではあるけれど、私はそれを笑うことはしなかった。
「ッ………!」
呻くように叫ぶ《北の王》とは違って。
彼の方は、まともに声を出す余裕すらない。
兜で表情は見えないけれど、必死に歯を食い縛ってるのはすぐ分かる。
一歩、一歩、死の間際に近付いて。
そのギリギリで踊るように、彼は戦い続けた。
踊る、と表現するにはその姿は余りにも泥臭いけど。
炎に焼かれ、自分と竜の血に塗れて。
賦活剤も使い切って、傷を癒す術はもうない。
それでも彼は、ほんの僅かにでも怯むことはなかった。
『あり得ぬ、あり得ぬだろう、こんな事……!!』
――そうして、一体どれだけの時が過ぎたろう。
竜である私にとっては、瞬きする程度――そのはずなのに。
時間の流れを刹那にも、永遠にも感じられる。
私にとっても未知の感覚。
日が沈み、夜の帳を星と月が彩って、また日が上る。
くるくると、回る車輪のように時が過ぎて行く。
終わらない。
どちらかが死するまで、この戦いは終わらない。
《北の王》もそれは分かっている。
分かっているからこそ、戸惑うように吼える。
『何故、何故竜たる我が、王たる我が……!』
この地で最も偉大な獣。
人など及ぶべくもない永遠不滅の竜の王。
負けるなどという発想が、そもそもなかった。
故にこそ、《北の王》は現状を認めることができない。
たかが人間を相手に、自分が今殺されかけているという事実を。
「――――」
果たして、戦う彼に意識は残っているだろうか。
鎧の上からでも分かる程度にはボロボロで。
無事な箇所を探す方が難しいぐらい。
《北の王》が追い詰められてるのと同じ――いえ、それ以上に。
彼の方も、いつ何時死ぬかも分からない状態だった。
その限界を踏み越えられる理由は、一つだけ。
「……魂を、燃やしているからね」
私は小さく呟く。
肉体としては、もう死んでいなければおかしい。
それでも彼の手は剣を握り、足を止めずに竜と戦い続けている。
剣の力――魂を燃やす炎。
生命だけでなく、文字通り自分の全てを燃焼させる。
物理的な死を超えて、意思の力が血肉を動かす。
私ですら想定していなかった剣の使い方。
それは、あり得ざる光景だった。
不可能と、そう断ずるべき可能性だった。
天地の境を埋めるに等しい行為。
あの日、弱い「獣」相手に地を這いずっていたはずの彼。
――奇跡、なんて。
そんな安い言葉を、《最強最古》たる私が意識する日が来るなんて。
それこそまさに、奇跡のような話だった。
『――――――ッ!!』
《北の王》が吼える。
その声は、もうまともな言葉の体をなしていなかった。
アレも必死だ。
取るに足らないはずの人間が、自らの死であると。
今さらになってようやく認めたのだ。
余裕ぶった態度なんて、もう微塵も残っていない。
爪や尾を振り回し、炎の吐息に魔法による攻撃。
自分が持てるありとあらゆる手段を、目の前の「敵」に叩き付ける。
それでも尚、空へ逃げることはしなかった。
生存のために抗う、獣のような戦いぶりでも。
《北の王》を名乗る者として、そこだけは最後の一線であるらしい。
そしてそれは、彼にとっては好都合だった。
剣さえ届くのならば、命にも届くということ。
銀の光が閃く度に、竜の鱗が剥ぎ取られていく。
その下の血肉も裂いて、大地は滴る血で赤く染まる。
何度も、何度も、何度も。
同じ事を、彼は繰り返した。
短く、けれど途方もなく長いその戦いも。
やがて、終わりが見えた。
『ぁ――ガ、ぁ……!?』
振り下ろされた一刀。
それは鱗の大半を失った、竜の首を捉えていた。
一撃で切り落とされはしなかったけど。
半ば以上を断ち斬られて、とうとう《北の王》の身体は力を失う。
ぐらりと、切り刻まれた巨体が揺らぐ。
万物に勝る膂力で漲っていた四肢は、もう自らを支えることもできない。
崩れ落ちる。
《北の王》を称する竜は、遂に大地に倒れ伏した。
『呪われるがいい、愚かな戦士よ……!』
この地に君臨する、偉大なる《
それがもう、炎を吐く力も魔法を唱える魔力も残っていない。
死にかけた器でできるのは、ただ呪詛を吐くだけ。
それは何とも哀れな姿だった。
『成る程、その剣ならば、不死たる竜を殺す事も出来るだろうよ……!
だが、心得ているのか、そうする事の意味を!』
……その言葉を、彼は何を思って聞いているだろう。
私は手を出さない。
まだ《北の王》は死んでいない。
その命を断ち、不滅の魂を剣に喰わせる。
そこまで行かなければ、竜殺しは完成しない。
血に塗れ、もう足下もおぼつかない状態だけれど。
彼は倒れず、剣を手に伏した竜に近付く。
『分かっているのか! 貴様は死ぬ! 人が竜に挑むとはそういう事だ!
一体どのようにたぶらかされたかは知らぬが、貴様は最初から……!』
「知らんよ、そんな事は」
竜の吐く呪いを、彼は一言で切り捨てた。
言われっ放しなのは、腹に据えかねたのか。
彼は少しだけ苛立っているようだった。
「全部、俺が決めた事だ。――だからお前は、此処で死ね」
人間が古き竜に勝った。
大陸で初めての偉業が、成し遂げられた瞬間だった。
私も、《北の王》もそれを認めるしかない。
天と地ほどもある人と竜の格差。
その境が今、完全に埋められたのだと。
『ッ、呪われるがいい! あの淫売共々――!』
「うるせぇよ」
最後の呪詛を言い終わるより早く。
最後の一刀が、《北の王》の首に振り下ろされた。
抗う力は最早なく、永遠たる竜の命脈を剣が断ち斬る。
この地で最も偉大な魂の一つ。
それが刃に呑まれる様を、私は見ていた。
「……竜殺し」
成し遂げられた。
胸から沸き上がる想いは、紛れもなく歓喜だ。
もしこの場に誰もいなかったら、私はみっともなく叫んでいたかもしれない。
それほどの奇跡だった。
あり得ざることが起こったのだ。
《古き王》の魂を呑んだことで、剣は竜殺しの刃として完成した。
これでもう、私の計画は止まらない。
「……ギリギリか」
聞こえて来た彼の声に、私は我に返った。
あぁ――そうだ。
竜殺しは成し遂げられた。
《一つの剣》は、竜を殺す刃として完成を見た。
そして、不可能であるはずの偉業を見事に達成した彼は。
力なくその場に座り込んだ。
「…………」
私は、それを見ていた。
同時に、胸を満たしていた感情はどこかに流れてしまった。
《北の王》が死んだ以上、もうこの最果てに用はない。
他にやっておくべきことは、一つだけ。
一つだけ、残っている。
「……っ、は……」
距離はまだ離れているのに。
苦し気に呻く彼の声は、妙にハッキリ耳に届いた。
一歩、二歩と。
私は自然と足を踏み出す。
人と竜が激しく争った、戦いの痕跡。
それを踏み越えて、私は彼の元へと向かう。
生きている。
いえ、生きているというのは正しいのか?
かろうじて揺らめく魂の火。
風前の灯という言葉が頭に浮かんだ。
彼は正に、その言葉通りの状態だった。
「…………」
程なく、私は彼の前に立った。
ついさっきまでは、歓喜に満たされていた胸の内に。
沸き上がる感情が何か、また私はその本質を見失っていた。
不快――不快とは、少し違う。
分からないけれど。
座り込んだ彼は、まだ意識はあるようだった。
――不可能だと思っていた。
いずれは必ず成し遂げるつもりだったとはいえ。
最初の余りに弱かった頃からは、本当に想像もつかない。
竜殺しの偉業に到達するなんて。
その代償が今、此処にある。
だから私は、彼に対して必要な言葉を口にした。
「貴方は死ぬ。多分、もう間もなく」
竜は殺した。
けれど同時に、彼も死ぬ。
肉体の傷は癒せても、魂の方は私でもどうしようもない。
彼は死ぬ。それは揺るぎようがない。
だから私は、その終わりを彼に宣告する。
それを聞いて、彼はどう思うだろう。
野営の時は、死ぬのが怖いか分からないなんて。
そんな戯言を口にしていたけど。
流石に、実際に死に直面すれば取り乱しもするだろうか。
あの《北の王》すら、最後はあの有様だった。
ならば、彼は――。
「そうだな」
あっさりと。
それこそ、あの野営をした夜と同じように。
彼は酷く軽い言葉で、自らの終わりを肯定したのだ。
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