328話:楽園は遠く



 結局、何事もなく夜になった。

 《庭》は深い森であるため、生い茂る木々で空は殆ど隠されている。

 星の光だけが微かに夜を照らしていた。


「グオーッ」

「……くっそ喧しい……」

「我慢しような」


 毛布に頭から包まった状態でイーリスが呻いた。

 本当ならば静かで良い夜なんだろうが。

 非常に残念なことに、この場には静寂を乱す騒音があった。

 トウテツだ。

 《巨人殺し》を除けば、俺たちの中で一番深い傷を負っていた。

 それを癒すためか、鬼は日が落ちると早々に眠りについたのだが……。


「フガッ、グォッ」

「……寝ても起きても喧しいとか、流石にどうかと思うわ」

「まぁ仕方ないね」


 俺の膝に抱かれた状態で、アウローラは呆れた声を漏らす。

 うん、ホントにうるさい。

 うるさいが、肉体を治癒するために休息が必要なのも事実だった。

 なのでまぁこればっかりは我慢するしかない。

 放置して俺たちだけ「隠れ家」に引っ込むって案も出たが。


「いや、突いても起きねェ状態の怪我人放置すんのはダメだろ」


 ……という、イーリスの真っ当な意見によって保留にされた。

 言った本人は若干以上に後悔してるっぽいけど。


「今からでも『隠れ家』で休むか……?」

「いやオレだけ引っ込むとか無しだろ。

 こんなんちょっと我慢すれば慣れるって、ウン」

「フガーッ」

「慣れるといいなぁ」

 

 テレサの気遣いも、言い出しっぺの意地を貫く妹には届かないようだ。

 俺は多分、寝ようと思えば寝れん事はないと思うけど。

 ちなみにボレアスさんはスヤスヤ寝てますが。

 彼女の眠りは、何かあればすぐ目覚めるぐらいには浅い。

 それとは別に、害のない騒音は無視して寝られるのは実際凄い。

 ちなみにアウローラの方は駄目らしい。

 寝れないからか、普段以上に俺の方に身を寄せてくる。


「そういう貴方は大丈夫なの?」

「大丈夫っちゃ大丈夫だな。

 ただ放っておいて一人だけ寝るのもなと」

「なにそれ?」


 その言葉に、アウローラはくすりと笑う。

 日が沈んでまだ間もない。

 適当に話とかしてれば、後は流れで眠くもなるだろう。


「それはそれとして、もうちょっと音が何とかならねェかとは思うんだけど」

「主よ、音を遮断するような魔法もあるのでは……?」

「…………あるわね。

 あんまりうるさくて、逆に頭からすっぽ抜けてたわ」

「じゃあ、とりあえずは解決だな」


 うん、言われてみれば当然あるよな、消音の魔法ぐらい。

 こっちも完全にボケてたわ。

 アウローラは指先を大の字で転がるトウテツの方へと向ける。

 一瞬後には、あれだけうるさかったいびきがまるで聞こえなくなった。

 森の中に静かな夜が戻って来た。


「これでよしっと。

 とりあえず、一晩中は持続するように術式を固定化したから」

「おー、やっとまともに寝れるな……!」

「感謝します、主よ」

「良かったなぁ」


 音が消えても、トウテツは構わず眠り続けている。

 多分、日が昇るまでは目覚めないだろう。

 じゃあ騒音も何とかなった事だし、後はこのまま休んで……?


「どうした?」

「…………」


 木の幹に背を預け、座る形で休んでいた《巨人殺し》。

 そんな彼女が唐突に立ち上がると、森の奥へと足を向けたのだ。

 呼びかけると、僅かに足を止めて。


「……少し、様子を見てくる。

 気にしないで休んでくれて良いから」

「は? あ、オイちょっと?」


 イーリスが呼び止めるが、効果はなかった。

 言うだけ言って、少女はそのまま行ってしまった。

 ……さて、これはどうしたもんか。

 確か奥には《庭》に暮らしている人間の集落があるって話だったな。

 昼間からチラチラ感じていた視線。

 アレが何か関係しているのかもしれない。


「どうするの?」

「うーん、流石に放っておくのもな」


 アウローラの問いに、俺も微妙に悩みはしたが。

 特に心配というワケでもない。

 《巨人殺し》の強さとその不死性は、もうそれなりには理解している。

 とはいえ、一時的にせよ同じ旅を行くと決めた仲間だ。

 何も知らずに放置、というのもあまり気分の良い話でもない。

 迷惑がられたら、その時はその時だ。


「……よし。ちょっと行ってくるわ」

「なら、私も付いてく。構わないでしょう?」

「あぁ。テレサは悪いけど」

「ええ、留守は預かります。お気を付けて」

「助かるわ」


 寝てる怪我人もいるし、流石に全員でゾロゾロ行くのもな。

 身体にかけていた毛布はどかして立ち上がる。

 膝の上にいたアウローラは、そのまま片手で抱えておく。


「どっち行ったかとかは分かるか?」

「大丈夫、指示するわ」

「頼んだ」


 そうして、俺とアウローラは夜の森を走る。

 《巨人殺し》の気配はなく、もう大分先へと行ってしまったようだ。

 きちんと確かめたワケじゃないが、《庭》の広さは相当なものだ。

 普通なら、此処で人間一人を探すなんてのは困難だろう。

 だが、そこは頼れるアウローラさんがいる。


「……あっちね。大分近くなって来たわ」

「流石だな」


 特に目印のない森の中。

 彼女の指示を受けて、俺は迷いなく木々の隙間を縫っていく。

 やがて。


「……あそこ、いたわ」


 指差す方向。

 魔法で視覚を強化すれば、暗い夜闇でもハッキリと見える。

 まだ少し離れているが、森の奥に既に見慣れた少女の姿があった。

 それに加えて。


「……子供か?」


 《巨人殺し》のすぐ傍。

 そこには小柄な人影が二人分ほど。

 見た感じ、まだ十にも満たないだろう子供のようだった。

 何かを話してるっぽいが。


「近付く?」

「まぁ、ここまで来たワケだしな」


 アウローラの確認に迷わず頷いて。

 俺たちはそのまま、《巨人殺し》の方へと向かう。

 あっちも気付いてないって事はないだろうしな。


「よう、夜の散歩か?」

「…………出来れば、来ないで欲しかったけど」


 ため息ひとつ。

 ただ、少女の方も説明も無しに動いてしまった負い目があるようで。

 ついて来てしまった俺たちに、それ以上の文句は言わなかった。

 まぁ、それはそれとして。


「そっちの子供は何?」

「っ……」


 アウローラに見られて、二人の子供は震えながら身を寄せ合う。

 うん、見た感じまだ年齢一桁だろう男の子と女の子だ。

 どことなく似た雰囲気があるし、多分兄弟だろう。

 二人が身に付けている、白い質素な服には微妙に見覚えがあった。

 確か昼間、俺たちの様子を見ていた子供だな。

 声を詰まらせ、俺たちを見る目には警戒と恐怖の色が強い。

 ……外のモノは、《庭》の人間にとっては「穢れ」って話だったな。

 穢れたと認識された者はそこで暮らす事が出来なくなるとも。

 そう考えれば、露骨に警戒するのも当然か。

 

「……大丈夫。彼らは味方だから。

 ただ、出来るだけ近付かないようにして」

「……う、うん。分かった」

「事情は理解できるんだけど、あんまり良い気分じゃないわね」

「まあまあ」

 

 微妙に不機嫌そうなアウローラさん。

 宥めるためにもゆっくりと頭を撫でておく。


「それで、事情は聞いても良いのか?」

「…………そうね。

 あなた達も、それで構わない?」

「…………」

 

 幼い弟妹は黙したまま小さく頷く。

 それを確認してから、《巨人殺し》の少女はゆっくりと語り出す。


「この子たちは《庭》の追放者。

 ……もっと分かりやすく言うなら、『生贄』ね」

「生贄?」

「《庭》の近くで、何処からか流れて来た《巨人》が居着いたらしい。

 神々に守護されている《人界》と違って、《庭》の護りは脆い。

 鬼や《巨人》も、あくまで『近付きたがらない』程度の力しかない」

「成る程なぁ」


 まぁ何というか。

 こう言うのもアレだが、よくある話と言えばよくある話だ。

 俺が知る古竜の時代でもまぁまぁあった習慣だ。

 大抵の人間は竜と戦う力なんて持ち合わせていない。

 一時数名が犠牲になる事で、それ以外の者は多少なりとも延命ができる。

 そういう意味では一応有効な手段ではあった。

 相手が話を聞いてくれるとか、生贄で楽しむ趣味があるかとか。

 その辺の条件次第なんで、必ずしも有効とは限らないって問題もあったが。


「……それで生贄? また随分と馬鹿らしいわね。

 《巨人》に捧げものをしたから見逃すなんて発想ないでしょうに」

「無い。貴女の言う通り」


 アウローラの指摘に、《巨人殺し》は頷く。

 古竜でさえ話を聞かない奴はいた。

 まして知性なんざ欠片もない《巨人》なら言わずもがなだな。


「意味はない。

 《巨人》にとって全てが壊す対象でしかない。

 ……けど《庭》の者たちは、そうする以外の術を知らない。

 或いは逃げる生贄を追った《巨人》が、そのまま離れる可能性はある。

 本当に、可能性に過ぎない話だけど」

「ふむ」


 それこそ、神様に祈るみたいな話だ。

 この子らを生贄として送り出した《庭》の人間たち。

 もしかしたら彼らは、その幸運が起こる事を祈っているのかもしれない。

 どうあれ、《巨人》が踏み込んで来たらそれで終わりだ。


「……それで、あなた達は昼間にも《庭》の外へ出るつもりだった。

 けど、たまたま私たちを見かけてしまって。

 それからずっと様子を見ていたと、そういう事ね?」

「…………うん」

 

 応えたのは少年の方だった。

 《巨人殺し》の言葉に頷きながら、こぼす声は明らかに震えている。


「最初は……その、怖くて……。

 外から来る人は、みんな、穢れてるって、聞いてたから」

「間違ってはないよな」

「レックス」

 

 神様相手には間違いなくブチギレられまくってたし。

 ホントの事を言っただけだったが、アウローラに指で突かれてしまった。

 うん、今の発言で兄妹が微妙に怯えてしまったっぽいな。

 俺が悪かったので、《巨人殺し》さんもそんな睨まないで欲しい。


「ごめんなさい、続けて」

「えっと……鬼もいたし、怖くて、けど……もしかしたら。

 怖いのなら、《巨人》も何とかできるぐらい……強いんじゃないか、って」

「…………」


 きっと。

 それは《庭》に生きる人間にとって、子供しか言わない戯言なんだろう。

 妹だろう少女は、目に涙を溜めたまま少年の手を握っている。

 《巨人》には勝てない。

 自分たちは森を出て死ぬしかない。

 子供なりに覚悟して、そんで見つけたのが俺たちだったと。


「だから……その」

「場所は?」

「え?」

「その《巨人》がどこに居着いたのかは分かる?」

「えっと……《庭》を東に進んで、森から出たすぐ近くって……」

「そう。それだけ分かれば十分ね」


 必要なことは聞き終わったと。

 そう言わんばかりに、《巨人殺し》は踵を返す。

 しかしホントに忙しないな。

 兄妹は話が見えなくて混乱してるぞ。


『……ブラザー? やるってンなら止めないけどな。

 もうちょっとこう、あるだろ?』

「貴方、寝てたんじゃないの?」

『ブラザーの事ならいつだって見守ってるだけさ』

 

 にょろりと、《巨人殺し》の首元で黒い蛇がうねった。

 俺もてっきり寝てるもんだとばかり思ってたわ。

 一応、何をするつもりなのか理解できてるけどな。


「なぁ。俺たちが《巨人》ぶっ殺したとして。

 もう大丈夫なことが分かれば、元いた場所に戻れそうか?」

「……た、多分」

「そうか。じゃあさっさと済ませるか」

「貴方も貴方で大概迷いがないわよね」

 

 そう言いながら、アウローラは呆れ気味に笑っていた。

 特に文句はないようだし、何ならこのまま付き合ってくれるようだ。

 

「……ついて来る気?」

「ダメだったか?」

「別に、ダメではないけど」


 《巨人殺し》の方は、俺たちの行動に微妙に戸惑っているようだった。

 どうやら本気で一人だけでやるつもりだったらしい。

 それはそれで別に良いけどな。

 

「《国》だったか。目的地までの道案内は頼んでる身だからな。

 一人よりも複数でやった方が早く片付けられるだろ?

 予定としちゃ、朝には出発するつもりだしな」

「…………」

「迷惑だったか?」

「……いえ。迷惑では、ないわね」

 

 小さく首を横に振って。

 それから《巨人殺し》の少女は、俺たちと幼い兄妹をそれぞれ見た。


「……こちらからも、お願いする。

 《巨人》を殺す。いつ《庭》に踏み込んでくるかも分からない。

 出来るだけ速やかに終わらせたい」

『素直にお願い出来てエラいじゃないか、ブラザー』

「お前は黙ってて」

 

 笑う相棒を《巨人殺し》は軽く叩いて黙らせる。

 改めて頼まれたし、俺は頷いて応える。

 

「頼まれなくても勝手に行くつもりだったからな。

 アウローラも良いよな?」

「むしろ、私にこそ最初に確認して欲しかったわね」

「いや、悪かった」

 

 なんにせよ、これで決まりだ。

 まだ困惑している少年の方に、俺は親指を立てて見せて。

 

「夜明け前までには終わらせてくる。

 ちょっと待ってられるか?」

「い、いいけど……ほ、ホントに行くの?」

「そりゃな。こっちにやる気満々なのがいるし」

「…………」

 

 藁に縋る思いで、偶々見かけた俺たちに頼ろうとした兄妹。

 けど、彼らにしてもそれは逃避に近かったはず。

 まさかホントにやってくれるなんて思って無かったのだろう。

 戸惑う兄妹には構わず、《巨人殺し》は動き出す。

 彼女が望むのは、その名が示す通り。


「《巨人》は、殺す」


 ただ、それだけのようだった。


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