第五章:狩りの始まり

51話:狩猟者の王


 街の空には赤い月が上っていた。

 《狩猟祭》の始まりを告げる現象。

 それ自体はいいが、今回は今までとは少し違った。

 あの月が現れたなら、標的は例の森に強制的に取り込まれる。

 そして今回は、流れ的にも間違いなく俺達が狙われているはずだ。

 なのに一向に転移が発生しない。

 赤い月は俺達の頭上で煌々と輝くばかり。

 

「何か雲行き怪しいな」

「同感です」

 

 呟く俺に対し、テレサは律儀に頷く。

 事態がまだよく分かってないが、とりあえず街の中を走る。

 通りには住民である森人達の姿も見える。

 どうやら彼らもこの状況に困惑しているようだった。

 

「何だ、どうして月が上ったままなんだ?」

「生贄はどうなったの?」

「おい、見ろ。どうして狩人達が街で武装しているんだ」

 

 耳に入ってくる幾つもの不安の声。

 彼らの一人が口にした通り、《牙》である狩人達が追いついて来た。

 チラっと視線を向ければ、それぞれ弓や投剣などを構えているのが確認出来た。

 連中は俺達を捕捉すると同時に、手にした武装で速やかに攻撃を仕掛ける。

 俺は両手に三つも花を抱えてるんで、とても対応出来ないが。

 

「――どうぞ、後ろは気にせず」

 

 其処はテレサが隙なくカバーしてくれた。

 足を止める事無く、狩人達の攻撃を手足の装甲で瞬時に叩き落した。

 更に何度も仕掛けて来たが、結果は同じだ。

 おかげで安心して逃亡に専念する事が出来る。

 だが、問題が一つ。

 

「どうするかなぁ、これから」

「ヴェネフィカは敵だったみたいだし、流石に館に戻るのもね」

 

 俺の腕に抱き着いたままで、アウローラは軽い調子で言って来る。

 とりあえず逃げてはいるのだが、特に行く当てがない。

 《狩猟祭》に引き込まれたら開き直って迎え撃っても良かったんだが。

 何故か森には移動せず、街中で狩人達も襲って来る。

 明らかにこれまでと違う現象だ。

 

「……おい、アディシア」

「大丈夫、大丈夫だ。あたしは、大丈夫だから」

 

 アウローラと同様、此処まで抱えて来た二人。

 イーリスの方は、アディシアの背を撫でて気遣っていた。

 大丈夫という言葉を繰り返しているが、明らかに大丈夫そうでもない。

 あのウィリアムが実の父で、育ての親のヴェネフィカは敵のスパイだった。

 それらの事実を同時にブチ込まれれば無理もない。

 出来れば彼女が落ち着くのを待ちたいが。

 

『――余り悠長にしている暇はないぞ、竜殺しよ』

 

 剣の内から囁く声。

 燃える炎の中で《北の王》、ボレアスが笑っていた。

 わざわざ言われるまでもなく、嫌な予感が背筋を這い回っている。

 その元は狩人達ではない。

 むしろ彼らも、何かを恐れるような必死の形相で俺達に向かってきている。

 それはテレサが軽くあしらってくれているので問題ない。

 何が起ころうとしているのかと、俺が改めて周囲を警戒すると。

 

『ハハハハハハハハハハハハハハハッ――――!!!』

 

 耳障りな笑い声。

 幾つもの声が無数に重なったような、深いな響き。

 それと同時に前方の建物が一部吹き飛び、巨大な「何か」が姿を現す。

 

「……何だコイツ」

 

 それは醜い獣だった。

 俺より何倍もデカい二足歩行の野獣。

 ぱっと見は人狼ワーウルフに似た印象ではある。

 しかし異様に太い手足に、ゴツゴツとした大岩のような胴体。

 ワニみたいに大きく裂けた口と、忙しなく動く複数の眼。

 何より身体中に開いた小さめの口が、コイツが人狼ではない事を示していた。

 初めて見る化け物だが、向こうは俺達の事を知っているようだ。

 

『おぉ、ようこそ客人方。

 挨拶が遅れた無礼はお許し願いたい』

「いやそういうのは良いんで」

 

 無数の口がニヤニヤと笑っている。

 今の言動で何者なのかは大体想像もついた。

 不細工な人狼モドキは、俺の言葉を聞いて愉快そうに牙を見せる。

 

『これは失礼した。ワシはサルガタナス。

 この森林都市の支配者にして、森の「深淵」を征服せし“森の王”である』

「そっちからわざわざ顔を出してくれるなんて。

 手間が省けて丁度良いわね」

 

 嘲る獣――サル何とかを逆に嘲り返しながら。

 アウローラはするっと俺の腕から離れる。

 イーリスも、アディシアを支えながら俺の後ろに動く。

 自由になった両腕を軽く回してから、腰に下げた剣を抜き放つ。

 

「ホント、どうやって探すかって話をしてばっかりだしな。

 来てくれたおかげで大分楽になったわ」

『真竜たるワシを前に、随分と不遜な事を言うな。定命モータルが』

「マーレボルジェの奴も似たようなこと言ってたなぁ」

 

 アイツは罠にかけて不意打ちキメたりと、もうちょっと手強かったが。

 勿体ぶって姿を見せただけの人狼モドキを見上げる。

 

「お前で二匹目だ。御託は良いからさっさと来いよ」

『――このような手合いに遅れを取ったとは。

 マーレボルジェめ、つくづく無様な奴よ』

 

 軽い挑発のつもりだったが、相当頭にキたらしい。

 アウローラと視線を一瞬だけ交わして、俺は一歩前に出る。

 彼女は逆に下がり、イーリスとアディシアの二人を保護するよう動いてくれる。

 テレサは――後方の狩人達は、ほぼ彼女が堰き止めてくれているようだ。

 つまり俺は、目の前に集中すればいい。

 

『ワシは狩猟者の王、サルガタナス!!

 直ぐにその身体を引き裂き、飢える我が身を癒す聖餐としてくれる!!』

 

 全身の口で異口同音に叫び、サルガタナスが爆ぜる。

 巨体に似合わぬ恐ろしい速度で、俺の方へその腕を振り下ろす。

 いつの間にやらその手には棘付きの鉄球フレイルが握られていた。

 大気を粉砕するかのような衝撃。

 真竜の一撃に、街は耐え切れずに吹き飛ばされる。

 森人達の阿鼻叫喚が木霊した。

 俺の方は素直に当たってやる義理もないので、下を潜る形で転がり避ける。

 同時に、視界の片隅で黒い何かが動いた。

 反射的にまた転がれば、長い鞭に似た何かが空間を抉る。

 それは尾だった。

 剣にも似た鋭い棘が無数に生えた真竜の尻尾。

 当たればかなり痛そうだな。

 

『逃げ回るのは随分上手いではないか!』

 

 嘲笑を全ての口から垂れ流し、鞭に似た尾と鉄球を更に振り回す。

 派手に撒き散らされる破壊の嵐。

 俺は真竜の攻撃は躱して、飛んでくる破片は剣と鎧で防いでいく。

 と、不意に視界が暗くなった。

 

「おっと……!?」

 

 いつの間にやら、真竜のデカい顎が眼前まで迫っていた。

 明らかに巨大化した口は、俺を噛み砕こうと勢い良く閉じる。

 当然こっちは回避したが、その一口で街も思いっ切り抉られていた。

 巻き添えを食らった奴がいるかは、ちょっと分からん。

 少なくとも真竜はそれを気にした様子はない。

 それどころか。

 

『美味い! 美味いなァ!

 此処まで育つのを待った甲斐があるなぁコレは!!』

 

 むしろ大喜びで自分の都市を貪っていた。

 木片だの石材だのが大半だろうに、一体何が美味いのか。

 

「おい、一応自分が治めてる街だろ」

『構うものかよ、いずれこうするつもりだったのだ!

 あの男、ウィリアムとの契約ゆえに我慢していただけの事!』

 

 真竜は欲望のままに喚き散らす。

 確か、コイツを宥める為にウィリアムが始めたのが《狩猟祭》って話だったな。

 だが。

 

『そのウィリアムが死んだ以上は、ワシを縛る者は無し!

 好きに喰らわせて貰おうか!!』

 

 そう言って、真竜はゲラゲラと笑う。

 その辺りはどうでもいいが、今の発言は気になった。

 ウィリアムは死んだと言ったよな、コイツ。

 確かに奴の書斎から脱出した時点では、かなりピンチそうに見えたが。

 ……あのまま敢え無く死んだのか、アイツ。本当に?

 イマイチ信じ難くはある。

 とはいえ、誰でも死ぬ時は死ぬんだ。

 ただウィリアムに関しては、死ぬなら死ぬで絶対やらかすタイプな気がする。

 大して交流したわけでもないのに、何故かそんな気がしただけだが。

 

「むっ」

 

 考え事をしながら真竜の攻撃を捌いていると。

 視界の外から何かが高速で襲って来た。

 激突する寸前に、殆ど反射的に剣を構えた。

 それでも抑えきれず、近くの建造物の壁まで押し込まれてしまう。

 潰されないよう押し返せば、相手も凄まじい力を向けてくる。

 一体何者かと、その姿を見れば。

 

「何だ、ウェルキンか」

『名を覚えて頂けるとは光栄だな、お客人!』

 

 それは先ほど見たばかりの甲冑の化け物だった。

 腕から生えた刃が、構えた剣と噛み合い火花を散らす。

 操る傀儡越しにも、《爪》の放つ強烈な殺意が伝わって来た。

 

『我が主、森の王! 偉大なる真竜サルガタナス様!

 この極上の獲物を私が狩った暁には、どうか我が望みを聞き入れて頂きたい!』

『ほう……? ワシに何を望むと言うのか、我が《爪》ウェルキンよ』

 

 何か始まったぞ。

 暴れていた真竜もその手を一時止めて、配下の言葉に耳を傾ける。

 

『今一度、この森に平和と安寧を!

 私は必ずや、貴方様が望む全てを献上致しましょう!』

『面白い事を言う。お前がウィリアムの代わりを務めると?』

『代わりなど。私はあの男を殺し、あの男の屍を踏み越えたのです!

 故に王よ、私は貴方様の忠実なる下僕として、貴方様の欲望を満たしましょう!

 ですからどうか、どうか……!』

「うーん、まぁ大体どういう話の流れかは分かったけどな」

 

 要は俺を景品代わりにしようって事だろ。

 何とも迷惑な話である。

 そもそも、その辺の事情は俺達にはまったく無関係だし。

 

「そういうのは、内輪で勝手にやってくれ」

「まったく私も同感です」

 

 凛とした声。

 それが聞こえたと同時に、正面からの圧力が消えた。

 甲冑の化け物――確か、ウィリアムは《金剛鬼》とか言っていた気がする。

 それをテレサが横合いから思い切り蹴り飛ばしていた。

 強烈な蹴りに《金剛鬼》は大きく弾かれる。

 が、空中で器用に体勢を立て直すと、両足で鮮やかに着地して見せた。

 ダメージもあまり無さそうだな。

 

「御無事ですか?」

「あぁ、大した事ないが助かった」

 

 あのまま真竜も交えて殴り合いとなれば、流石に面倒だったしな。

 俺は礼を言いながらテレサの横に並ぶ。

 ウェルキンの方は、新たに飛んできた戦力テレサを警戒したようで。

 操る《金剛鬼》をいきなり突っ込ませたりはせず、距離を取って様子を見ている。

 そして真竜、サル何とかの方だが。

 

『精々働いて見せるがいい、ウェルキン!

 ワシを満足させる事が出来るなら、その望みも叶えてやろう!』

 

 余裕の大笑で、再び破壊活動を再開していた。

 これみよがしに街をボリボリ貪りながら。

 そっちから殴り掛かっておいて、まさかのこっちを完全無視スルーかよコイツ。

 

「まさにケダモノね。前の宝石狂いが紳士的に思えてくるわ」

 

 呆れ半分に言いながら、アウローラが俺の傍らに降り立った。

 その近くには、彼女に保護されていたイーリスとアディシアもいる。

 二人とも――特にアディシアは、強い嫌悪を帯びた目で真竜を見ていた。

 

「あの化け物、好き勝手暴れてやがるなぁ」

「サルガタナスめ……!

 あんなの、早く止めないと……」

「ん? 止めたいのか、アイツを」

 

 アディシアの呟いた言葉に、俺は試しに質問してみた。

 確かにサル何とかの近くでは、逃げ遅れた森人達が大勢いる。

 誰も彼も、流血の犠牲を他人事だと思っていた連中だ。

 今は降り掛かる災厄に逃げ惑う彼らを、本当に助けたいのかと。

 狩人達は近くで真竜が暴れているせいか、動き出す様子は見られない。

 敵である俺達にすら迂闊に仕掛けられない状態だ。

 結局のところ、街の森人達に救う手を出せるのは俺達ぐらいだろう。

 

「止めたい」

 

 だから、アディシアは迷わなかった。

 あれこれ突き付けられて、未だに整理もロクについていないだろうに。

 彼女はその判断だけは、少しも迷わなかった。

 

「アレを止めたい。だけど、あたしだけでは無理だ。だから」

「分かった」

 

 彼女がそれを望むなら、こっちはそれに応えようか。

 まぁ勿論、俺一人では難しい。

 なのでさっと視線をアウローラの方へと向ける。

 

「で、アウローラさんすいませんけど」

「迷わず私を頼ってくれるのは、良い傾向ね?」

 

 機嫌良さげに笑いながら、彼女は真竜を見た。

 欲求のまま暴れて、目に付くモノを端から貪る姿は酷く醜悪だ。

 その様子を確認してから、今度はイーリスとアディシアの方を向いた。

 

「アレが暴れる被害を防ぐ事は、直ぐにでも出来るわ。

 けどそれをする場合は、私は貴方達のお守りが出来なくなる」

「構わないから、そっちを頼むわ。

 オレだって雑魚から逃げるぐらいは出来る」

「私もおりますから、問題はないかと」

 

 アウローラの言葉に、姉妹は迷わず応える。

 あまりの即答ぶりに少し笑ってから、アウローラは俺の腕に指を絡める。

 はて、一体何をする気だろう。

 

「じゃあ、そちらは任せたから。

 こっちは少し強引に飛ばすから、ちょっと我慢して頂戴ね?」

「飛ばすって何の話??」

 

 エラい不穏な単語が出て来たぞ。

 そんな此方の動きを察したか、ウェルキンの人形が阻もうとするが。

 

「――貴方の相手は此方ですよ、

 

 逆にそれをテレサにあっさり阻止される。

 装甲と刃が激突し、音と光が花のように咲き乱れる。

 

『邪魔をするな女……!』

「おや、ダンスは苦手でしたか?」

 

 苛立つウェルキンを、テレサは軽く笑う。

 《金剛鬼》は更に動こうとするが、それよりもアウローラの方が早かった。

 目に見えるぐらいに高まった魔力が周囲に渦巻く。

 それは月の光を吸ったかのゆに、赤く染まっていて。

 

「悪いが、そっちは頼んだ!」

 

 何が起こるのかを悟った俺は、最後にそれだけはテレサに伝える。

 ほぼ同時に、視界が一瞬暗闇に閉ざされた。

 予想していた通りの浮遊感の後、しっかりと地面に着地する。

 見る。眼を閉ざす闇は直ぐに消えた。

 赤い月が照らす森に、俺はアウローラと共に立っていた。

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