幕間4:英雄の死
僕は――いや「私」は、その男の背を見続けて来た。
恐らくは千年前のあの日からずっと。
奴は、ウィリアムは同胞の誰よりも優れていた。
それは単純に能力的な話じゃない。
確かに弓の腕前は秀でていたし、狩人としての知識も豊富だ。
生まれ持った魔力は低い為、魔法は不得手だったが。
手先は器用で、稀に手隙な時は木に彫刻を施している事もあった。
ウィリアムという男を単純に評価した場合は、ただそれだけの人物だ。
魔法は苦手だが、弓の技に熟練した狩人。
その弓すらも、生まれ持った才能よりも訓練で培ったものだ。
平凡ではないが、非凡でもない。
それが私を含めて、多くの者にとってのウィリアムの評価だった。
氏族を纏める大族長の後継者としては、ギリギリ及第点。
むしろその意思の強さから、実父を含めた周囲からは評価されていた。
あくまでも、「父祖の名に恥じない働きをしてくれるだろう」と。
私を含めた全員が、それぐらいにしかウィリアムという男を見ていなかった。
それが全て覆ったのは、千年前のあの日から。
真竜の襲撃により森の氏族の半分近くが壊滅し、誰もが絶望に打ち拉がれていた。
大族長は血の誇りを優先し、勇ましく死ぬ事だけを叫んだ。
誰もその流れに抗わなかった。誰も、誰もだ。
ウィリアムだけが、実父を刺し殺してまでその結末を否定した。
私は何も出来なかった。
ただ、その男のやる事を見ているだけだった。
父を殺し、大族長の地位を簒奪し、奴はたった一人で真竜との交渉に赴いた。
そして幾つかの条件の下で、森人という種の生存を勝ち取った。
何もしなかった族長たちに「責任」を取らせ、新たな森の為の礎にした。
真竜のご機嫌を取り、その果てしない飢えを満足させる為の《狩猟祭》を始めた。
矮小な者達の死と苦痛を楽しみ、座ったままでも餌が運ばれてくる。
その「娯楽」は真竜を大いに楽しませる事が出来た。
ウィリアム自身も狩猟に出ながら、同時に「都市」の開発も進めた。
今までの古老達が否定的だった機械技術を積極的に取り入れた。
多くの森人達が理解せぬまま、森に築かれた「都市」は発展していく。
生活も便利になり、大半の森人はその幸福を享受した。
積み上げられた犠牲を忘れ、真竜の脅威も忘れて。
誰もが――そう、私を含めて誰もが、その男の行う事を見ているだけだった。
私は……私は、どうしたかった?
千年前のあの日から、奴が何をしようとしていたのかは気付いていた。
気付いていて、それを止める事もしなかった。
ウィリアムが何を考えているのか、私は何も理解出来ていなかった。
自分はこの男よりもずっと優れている――かつてはそう考えていた時期もある。
ほぼ同じ世代ながら、私の能力は奴よりずっと優れていた。
若輩だが大氏族の族長の地位を預かる私と、まだ大族長の後継者止まりだったウィリアム。
それは明確な差だと、ちっぽけな自尊心を満足させていたあの頃。
全てが無意味となってから、私は足掻いた。
精々が「努力した秀才」でしかない男の背を、私は追い続けた。
そうしようと思った理由は分からない。
自分だけが全てを行えると、そんな顔をしている奴の傲慢さが不快だったのか。
或いは、自分より劣っているはずの男が先を行く事に嫉妬したのか。
どれもありそうな話だが、それを認めるわけにはいかなかった。
認めてしまえば、自身がどれだけ惨めな生き物であるかも認める事になる。
だから走った、此方を一顧だにせず進み続ける男の背を追って。
違う。認められない。許せない。何故だ。
気が付けば、私は真竜の《爪》となっていた。
ウィリアムは都市の長を任されていたが、《牙》の筆頭止まり。
真竜は、今や森の「深淵」を玉座とする“森の王”は、あの男より私が優れていると認めた。
嗚呼、ようやくだ。ようやく私はあの男の前に立ったぞ。
その背中ではなく、目の前に。
だがそれでも、あの男は私の事など眼中に入れていなかった。
千年前のあの日から、お前が私に向けている「評価」は一つだけだ。
――多少なりとも頭は回るし、能力も相応に高い。
都合も良いから、生かして利用してやるか。
それだけ、それだけだ。
奴にとって、私は便利な駒の一つでしかない。
自分だけでは何も出来ず、何も動こうとしない盤上の駒に過ぎないと。
明確には言葉にされないまま、私はそう奴に断じられていた。
それが……嗚呼、今はどうだ?
ウィリアムは血を流し、私を見上げている。
客人方は取り逃がしたが、それはあくまでこの場での事。
森の何処にも逃げ場などないのだから、其方の対処は後でもいい。
今は先ず、目の前の事からだ。
「……気付いていた、とでも言いたげだな。ウィリアム。
片腕だったはずの女に裏切られて、こうして無様を晒しながら」
「少なくとも、お前がこうする事ぐらいは予想していたな」
あくまでも、この男の口元には笑みが刻まれていた。
私を、《爪》にまで上り詰めたはずの私を、見下すような、笑みが。
此方も笑おうとしたが、上手く行かなかった。
そもそも笑うというのは、どういう風にするものだったか。
表情筋を上手く動かせている自信はないが、今はそんな事どうでもいい。
重要なのはこの男だ。この男だけだ。
「負け惜しみか。お前が、お前ほどの男が。
お前は失敗した。お前は負けたんだよ。違うか?」
「何を以て勝敗とするか、それは視点によって異なるだろう」
「ではお前は、今この状況がお前にとっての勝利と言えるのか?
それこそ負け惜しみ以外の何だと言うんだ!」
苛立ちの余り、つい声を荒げてしまった。
この場には私とウィリアム、それと魔女の三人だけ。
連れて来た狩人と切り札たる《金剛鬼》は、逃げた客人達を追跡している。
寒々しい空間に、私の声だけが響いた。
ヴェネフィカは何も語る事無く、傍らで私とウィリアムを見ていた。
ウィリアムの眼は、何処を見ている?
「……それで?」
「何?」
「お前はいつまで、こんな無駄な話を続けるんだ?
まさかグダグダとお喋りに来たわけでもあるまい」
「ッ……!!」
また叫びそうになるのを、奥歯を噛んで堪える。
ウィリアムは此処で死ぬ。
既に奴に刻まれた「呪い」は、《爪》である私の権限で発動している。
埋め込まれた王の魂、その欠片が心臓に食い付いてる状態だ。
もう僅かにでも力を込めれば、完全に潰せる。
それは私の意思一つで、最早抵抗する余地もない。
分かっているはずだ、ウィリアム自身も。
「死を恐れない、などと言うつもりか?
王の暗殺を目論んだ反逆者として、お前は無為に死ぬ。
最後に勝ったのは誰なのか、せめて最後に認めたらどうなんだ?」
「俺は同じ言葉を繰り返す気はないぞ、ウェルキン。
……しかし、そうか。お前が俺を殺すと」
笑う。ウィリアムは笑っている。
死相は濃く、その命は直ぐにでも尽きる。
だというのに、この男の余裕が崩れる事はない。
まるで、追い詰められているのは私だと言うように。
「なかなか面白い冗句だな、ウェルキン。
ここ百年ぐらいでは一番だな」
「……私が、冗談でこんなことを言っていると?」
「お前が俺を殺すなど、冗談でなければ何だ?」
「出来ないとでも思っているのか」
「出来ないな」
ウィリアムは断言する。
相変わらず、根拠も無く自信だけはたっぷりに。
コイツの言葉は、いつだって確信に満ち溢れていた。
「お前は賢く、慎重で、臆病な男だ。
もし仮にお前が俺を殺すつもりだったら、千年遅かったな。
本当にそうするつもりであれば、お前にとっての好機はあの時だけだ。
俺がお前に真意を語った、あの瞬間だけだ。
それが過ぎた以上、お前には不可能だ」
「戯言を……!」
そうだ、こんなものは戯言だ。
コイツは言葉で私を煙に巻いて、機会を伺っているだけだ。
この状況を切り抜ける為の機会を。
だが、そんなものは何処にもありはしない。
ありはしないというのに、コイツは……!
「ならさっさと殺れば良い。
俺の言葉に耳を傾ける必要など何処にもない。
だというのに、お前は――」
「黙れよウィリアム!!」
耐え切れずに叫び、「呪い」に込めた力を強める。
たちまちウィリアムの口元から更なる血が溢れ出した。
致命傷だ。もう即死ではないというだけで。
あと少し、あと少しでその命を断てる。
椅子から崩れ落ちそうになっているウィリアムを、私は正面から見下ろした。
ヴェネフィカは何も言わない。
この魔女も、一体何を考えているんだ?
「お前は……お前はいつもそうだっ!
自分だけが全て分かっているような顔をする!!
本心を隠し、身内を騙し、そして最後に勝つのは自分だとっ!?
そんなお前に誰もが従った!
荒ぶる真竜を宥めすかし、この都市を築いた!
それは間違いなくお前の功績だ、私はそれを見ていただけだ!」
「…………」
「お前は英雄だろうよ!
この森の、森人達にとっての、英雄だ!
間違いなくな、認めよう!」
もう、自分が何を言っているのか。
或いは私自身も分かっていないのかもしれない。
間もなくウィリアムは死ぬ。
その事実を前に、溜め込んでいた物を抑え切れなかった。
「だが……お前は、此処で私に殺されて、死ぬんだ。
何故、王を殺そうなどと考えた。
お前が築いた平和だ。全てお前が始めた事だ。
このまま犠牲を差し出していれば良かったはずだ」
「客人達には既に言ったが、それでは未来がない」
未来と。
辿り着く先のない男は、当然の如く口にする。
「他にそれが出来る者は、この森にいなかった。
だから俺が全てをやると決めた。
ただそれだけの事だが……」
「……何だ?」
「いや――英雄、か。そんな事は欠片も考えた事はなかったが。
成る程、お前は俺をそう見ていたのかと思ってな」
「……っ」
それは失笑に近いものだった。
しかし一瞬だけ、それがウィリアムの素のように見えた。
面白い冗談を聞いたので、単純に笑っただけの。
それ自体は、不思議と不快ではなかった。
だが、もう僅かな猶予もない。
「……ウィリアム」
「あぁ」
「偉大なる“森の王”に仕える《爪》として、お前に裁きを下す」
「早くしろ。客人共を取り逃がしても知らんぞ」
「最後まで口の減らない男だ……!」
外にはもう赤い月が上っている。
《狩猟祭》が始まるのだ。
但し今夜はいつもとは違う、特別な宴になる。
「俺が死ねば、俺とサルガタナスの間で結ばれた契約は無意味になる。
奴も当然、そのつもりで動くだろう」
「……そんな事は分かっている」
「そうか」
ならば他に言う事は無いと。
そう示すようにウィリアムは口を閉ざした。
沈黙が風と共に流れたのは、僅かな時間だけ。
「死ね」
私の宣言に応えて、「呪い」が完全に発動する。
心臓を潰した感触が伝わってくる。
一度だけウィリアムの身体は震えて、そして動かなくなった。
椅子に身を預けた状態で、四肢は力を失う。
「…………」
死んだ。間違いなく。
真竜の「呪い」で心臓を潰して殺した。
そう、殺した。私が奴を殺した。
森人の英雄と讃えるべき男を、この手で殺したのだ。
「これで、貴方の望み通りになった? ウェルキン」
「黙れ、ヴェネフィカ。お前も殺されたいのか?」
魔女の戯言に対し、つい脅しめいた言葉を口にしていた。
だがヴェネフィカは怯んだ様子もない。
「どうぞお好きに。
《爪》である貴方には、その権利があるでしょう?」
「………いや、お前は殺さない。
私も別に、好んで同胞を殺したいとは思っていない」
それは偽らざる本音だ。
ウィリアムを処刑したのは、あくまで奴が反逆者だったからだ。
その真意を密かに私に伝えたのは、他ならぬこの魔女だ。
故に、ヴェネフィカを罰する理由は無い。
少なくともこの場では。
「……私は行く。既に王も動き出している。
ウィリアムが死んだ事で、あの方は契約は喪失したと判断するはずだ。
後は少しでも被害を減らし、王と新たな契約を結ぶ必要がある」
「それを、貴方がやると?」
「当然だ。私以外の誰が出来る?」
そうだ。出来る、出来るはずだ。
死んだ男に出来た事が、私に出来ない道理はない。
破壊された壁の穴へと向かう私の背に、魔女は静かに言葉を投げかける。
「ウィリアムの遺体はどうするの?」
「…………ただの罪人ならば、首を晒すべきだろうが。
今はそんな場合ではないし、仮にもその男は森の英雄だった者だ。
どう葬るかは、お前に任せる。これから忙しいのでな」
「……そういう事なら、承るわ」
「あぁ、お前が忠義を尽くした男だ。好きにすればいい」
今の私にとって、それはもう踏み越えた過去だ。
振り返る価値もないと、前に一歩踏み出す。
空に見える赤い月。
狩人は都市に散り、王たる獣の咆哮が響き渡る。
さぁ、《狩猟祭》を始めよう。
今宵は特別な宴ゆえ、多くの者が命を落とすだろう。
下手をすれば、森の運命は此処で尽きる事になる。
だがそうはならない。
私なら出来る、あの男を殺した私なら。
「――最後に勝つのはお前ではなかったな、ウィリアム」
森の「深淵」で見ているが良い。
私が必ず、お前が言う「未来」とやらを作ってみせる。
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