494話:廃城で、再び目覚める


 荒れ果てた大地を歩く。

 どれだけ進み、どれだけ近付いたのか。

 それは分からなかった。

 時間の流れは曖昧で、一秒と永遠が同じに感じられる。

 乾いた砂を踏む。

 足は止まることなく、前へと。

 時折、妨害するように黒い獣じみたモノも現れるが。


「邪魔だ」


 別に大した障害でもない。

 剣はなくとも、簡単に叩き伏せれる程度の相手だった。

 蹴る、叩く、踏みつけて潰す。

 数が多ければ、《火球》などの魔法で纏めて焼き払う。

 後には黒い染みだけが残り、それも直ぐに風に消えてしまった。

 よく分からんが、気にする必要もないだろう。

 そんな事より、先を急ぐ方が重要だ。


「…………懐かしいな」


 歩きながら、思わず呟く。

 進めば進んだだけ、辺りの景色も変化する。

 見えるモノ全て、俺の記憶にあるものと殆ど同じだった。

 生命の気配が死に絶えた荒野も。

 放棄されて朽ち果てた砦跡も。

 捻れて狂った森に、竜の炎で焼け落ちた都。

 全て、あの日の旅で見てきたものだ。

 ならば、終着点が何処なのかも想像がつく。

 今は案内役が不在だが、迷うことはあり得なかった。

 進む道が、かつての旅路と重なる。

 だから俺は、前に進み続けるだけで良かった。

 ――やがて。


「まぁ、やっぱり此処だよな」


 辿り着いたのは、最果ての地。

 遠く見える海を背景に、聳え立つ廃城。

 かつては、その城は北の玉座とも呼ばれた。

 北の荒れ野を支配する、恐るべき竜の王がいた場所。

 目に映る姿は、長い年月に晒されて崩壊した後の状態だった。

 丁度、俺が目覚めた時と同じだ。


「……良し」


 小さく呟き、覚悟を決める。

 鎧のみの丸腰というのが、何とも心許ないが。

 腹を括り、先ずは今にも崩れてしまいそうな城門を潜った。

 ……門番ぐらいはいるかと思ったが、静かなもんだ。

 敷地内の建物は、その多くが既に原型を保ってはいない。

 元々は竜の王の住処だったとは、これだけ見たら誰も信じないだろうな。

 まぁ、此処は厳密には俺の知る場所じゃないと思うが。


「…………」


 警戒はしながら、歩みは止めない。

 向かうべき場所が何処なのかは、何となく想像がついていた。

 瓦礫の山には目もくれず、進むのは城の中庭だ。

 あの日、あの夜。

 俺たちは、そこで出会った。

 再会したと言った方が、『彼女』は喜ぶかもしれない。

 ふと空を見上げると、其処には月があった。

 まるで、冷たく燃える竜の瞳のように。

 蒼白い光によって、全てのモノが照らし出されている。

 俺は構わず、目的の場所へと足を踏み入れた。

 そして――。


「……いたな」


 呟く。

 予想した通りに、想像した通りに。

 長らく放棄されて、荒れ放題の庭園の中心。

 先ず目に入ったのは、横たわる竜の死骸だった。

 首を完全に断たれ、絶命した古き王の屍。

 その上に、『彼女』の姿もあった。

 三千年ほど前は、荒れ野の途中で出会って。

 一度死んで目覚めてからは、この場所で再び巡り会った。

 その美しい金色の髪は、俺にとっては黎明の光だった。

 今、彼女は眠っている。

 竜の骸の上で、胸には一振りの剣が突き刺さっていた。

 剣の方も、良く知ったモノだった。

 竜を殺すために鍛えられた、この世でただ一つの魔剣。

 その切っ先が、『彼女』の存在を縫い止めていた。


「――アウローラ」


 近付く。

 一歩ずつ歩みを進めながら、俺はその名を呼んだ。

 『彼女』――アウローラはまだ、眠ったまま。

 けど、届いている。

 根拠もなく、俺はそう確信する。


「アウローラ」


 だから何度でも口にする。

 彼女が望み、俺が付けた名前を。

 ……ほんの少し。

 ほんの少しだが、力を失った指先が震えるのが見えた。

 聞こえている。

 間違いなく、俺の声は届いている。

 近付く。

 手を伸ばせば届く距離。

 躊躇う必要など、何処にもなかった。

 俺は真っ直ぐ、アウローラを貫いている剣に触れた。

 柄に指をかけた、その瞬間。


「ッ――――……!」


 衝撃が身体を貫いた。

 拒絶、敵意、憎悪。

 数多の激情が、掴んだ剣の柄から――いや、違う。

 それらは、今立っている「世界の全て」から押し寄せてきた。

 剣だけじゃない。

 これが抜ければ、この理想世界そのものの破綻が加速する。

 だからこそ、《造物主》の意思はそうしようとする俺の行いを許さない。

 見えない手が身体を掴んで、押し潰さんと重圧をかけてきた。

 ……旅立つ前、オイフェから甲冑を貰ってなかったら、即死してたな。

 鎧の装甲は驚くほどに頑丈で、圧潰する事なく持ち堪えている。

 ホントに、彼女には感謝しかない。

 神の悪意がもたらす超重力。

 それに逆らって、俺は剣の柄を一際強く握り締めた。

 振り慣れたはずの剣が、今は酷く重たい。

 骨が軋み、血肉が千切れそうなぐらいに力を込めて。

 ゆっくりとだが、引き抜いていく。

 アウローラを貫いている、竜を殺す刃を。


「っ……もう少し、待ってろよ……!」

「――――」


 呟く声に、また細い指が微かに震えた。

 あぁ、もう少しだ。

 剣が動き、抜けていく程にアウローラの反応も大きくなる。

 彼女も足掻いているんだ。

 声を伴わず、拒絶の意思が言葉となって頭の中に流れ込んできた。


『止めろ』

『何故だ?』

『意味がない』

『この世界は完全な理想だ』

『抗うことに価値などないのに』

『大人しく安寧に身を委ねろ』

『そんな、愚かな真似をするのは――』

鹿


 一声で断ち切る。

 あぁ、まったく喧しい。

 ゴチャゴチャと人の頭で騒ぎ立てるなよ。

 相手にしても無意味だと判断して、剣を引き抜く方に集中する。

 もう半分以上が、アウローラの胸元から離れていた。

 月の光みたいに青白かった彼女の顔色にも、生命を示す赤みが戻りつつある。

 目覚める時は近い。


「これで……!!」


 気合いを叫び、より強い力を魂の底から引き出す。

 一瞬だけ、今までで一番の重圧を感じた。

 が、その重さを強引に振り払う。

 そうなれば、後は一瞬だった。

 握った剣の全てが、降り注ぐ月光を受けて煌めく。

 勢い良く引き抜かれた竜殺しの刃。

 魂を縫い留める楔から、アウローラは完全に解き放たれた。

 同時に、邪魔をしていた重圧は嘘のように消失する。

 アウローラの瞼は、まだ閉ざされたままだ。


「……アウローラ?」

「…………」

「もう、起きられるだろ?」

「…………」


 応える声はない。

 ただ、聞こえているのは間違いないはずだ。

 だったら、目覚めさせるのに他に必要なのは……。


「……あー」


 ふと、思いついた事。

 これは多分、向こうも期待してることだ。

 ある可能性が頭に浮かんだが、今は考えないでおいた。

 重要なのは、今何をするべきかだけ。

 まぁ、特に迷う必要はないよな。

 引き抜いた魔剣は片手で鞘に収めてから、兜を外す。

 冷えた夜の風は、思いの外心地良い。

 もう少し踏み込んで、眠っている彼女との距離を詰めた。

 愛らしい少女の顔立ちは、それだけ見れば眠り姫そのものだった。

 実際の本性とかは、思わず忘れてしまいそうだ。


「……ん」


 唇を触れさせる。

 そこに冷たさはなく、生命の温もりがあった。

 触れて、なぞり、少しだけ噛みつく。

 濡れたものを感じると同時に、首の辺りに軽く力が掛かる。

 アウローラの腕だ。

 彼女は俺の首に腕を回し、しっかりと抱き着いていた。


「っ……は、ぁ……」


 熱を含んだ吐息。

 互いに視線が交わり、行為に夢中な自分の姿を見た。

 触れる体温は熱く、火傷してしまいそうだ。

 どのぐらいそうしていたか。


「……おはよう、レックス」

「あぁ。おはよう、アウローラ」


 唇が離れると、今さらに過ぎる言葉を口にする。

 それが微妙に可笑しくて、どちらともなく笑ってしまった。

 愛らしく喉を鳴らすアウローラを、こちらからも抱き締める。

 多分、そう離れてはいないはずだが。

 体感的には、数百年ぐらいは別れていた気がしてくる。

 アウローラの方も、似たような孤独を感じていたか。

 背に回した手は縋るように、ほんの少しだけ爪も立てていた。


「大丈夫か?」

「ええ。貴方が来てくれたから、もう大丈夫」

「……割りとヤバい状況だったか? もしかして」

「そうね。《造物主》――父は、今の私を異分子イレギュラーと判断したみたい。

 この理想世界の『果て』の一つ。

 此処で、魔剣で封じた状態で放置する事で弱らせて。

 最終的には、同化して自分の中に取り込むつもりだったんでしょうね」

「思いの外ヤバい奴だな、ソレ」


 いや、マジで危なかったな。

 間に合って良かったと、安堵の息をこぼす。

 そんな俺を上目遣いに見て、アウローラは嬉しそうに微笑んだ。


「だから、貴方のおかげで助かったわ。

 気合いで耐えてたけど、おかげでそれ以上は何もできなかったし。

 ――本当に、来てくれてありがとう。

 私の王様レックス

「あぁ。……ホント、無事で良かった」


 それは本心からそう思う。

 で、微妙に気になっていることが一つ。


「なぁ、アウローラ」

「? なに?」

「実は、剣を抜いた時点で起きてたんじゃないか?」

「…………」


 一応、確認のために聞いてみたが。

 案の定、彼女は流れる動作で視線を逸した。

 うん、まぁ、別に良いけどな?


「すぐに起きなかった時は、ちょっとガチめに焦ったからな?」

「あ、ああいうのがお約束かと思って……!」


 頬を指で軽く突くと、くすぐったそうに身をよじる。

 その様が可愛らしかったので、お仕置きもかねて何度か同じようにした。

 別に怒ってはいないけど、このぐらいはな?

 ひとしきり楽しんだら、突くのを止めて頭を軽く撫でた。


「……そういえば、ボレアスの奴は知らないか?」


 横たわる竜の屍。

 けど、これは単なる抜け殻のはずだ。

 元は《北の王》であった、ボレアスの魂は此処にはない。

 俺はそう考え、念のためにアウローラに問いかけた。

 彼女は、微妙に難しい顔で首を横に振る。


「ごめんなさい、私も良く分からないの。

 此処に取り込まれるまでは、気配は近くにあったと思うのだけど……」

「そうか。……となると、そっちも探さないとダメか」


 この場所なら、てっきり一緒にいるかと思ったが。

 予想は外れてしまったが、それならそれで仕方がない。

 また何処か、思いつく限り当たりを付けて探すしか――。


「ッ……!?」

「レックスっ?」


 嫌な予感がした。

 冷たい死神の手が、背後から迫ってくる感覚。

 殆ど反射で、俺はアウローラを抱えたまま大きく飛び退いた。

 ――動くはずのない、竜の死骸。

 さっきまでは、間違いなく何の異常も感じなかった。

 だが、今は違う。

 尋常ではない黒い気配を噴き出しながら、屍がひとりでに動き出す。

 その身体から放つ瘴気は、明らかに《造物主》のモノだ――が。


『ガアアアァアアアアアァアア――――――ッ!!』

「……さて、コイツはまた面倒だな」


 舌打ち一つして、剣を構える。

 片腕には、アウローラをしっかりと抱き締めたまま。

 そんな彼女の方も、立ち上がった屍竜を見て何かに気付いたようだった。

 ……出来れば、俺の勘違いで良かったんだけどな。


「レックス、アレは……」

「ボレアスの奴の匂いがする、か?」

「……ええ。十中八九、間違いはないと思う」

「やっぱそうだよなぁ」


 それは、最悪の何歩か手前ぐらいの展開だった。

 見えない糸に操られた人形も同然に、屍竜は俺たちと相対する。

 死で赤黒く濁った眼には、ドス黒い敵意を燃やしながら。

 ボレアスの魂を内に宿した死骸は、廃城の空に悲鳴じみた咆哮を轟かせた。

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