第三章:古き旅の再演

493話:荒れ野の牢獄


「…………静かだな」


 呟く声は、狭い牢屋の中で空しく響いた。

 もうどれぐらい、此処でこうしているだろう。

 時を数えることが無意味なのは、随分前から理解していた。

 ……そもそも、此処はどこだ?

 分からない。

 分からないまま、俺は此処にいる。

 古く錆びついた牢は、一人であっても尚狭い。

 繋がれた鎖も朽ちかけているのに、妙に頑丈だった。

 少なくとも、無理やり引きちぎるような真似は難しい。

 格子の外を窺うことは出来るが、見るべきモノは何もなかった。

 ただ、荒れ果てた荒野が続くだけ。

 ……『俺』はこの場所を、知っているような気がした。


「どうにも、思い出せないんだよなぁ」


 思い出そうとすると、頭の奥が鈍く痛む。

 誰かが、『余計なことは考えず、永遠に蓋をしていろ』と囁いてくるような。

 どうやら、その誰かとやらはよっぽど『俺』を閉じ込めておきたいらしい。

 まぁ、それならそれで別に構わない。

 昔にもきっと、こんな状況に置かれた事があるんだろう。

 特に焦りを感じることもなく、狭い中で可能な限り手足を伸ばす。

 ジャラリと、足枷の鎖が軽く音を立てた。


「……誰もいないな」


 誰もいない。

 何度も確認した事実を、改めて言葉にする。

 この荒れ野に取り残されているのは、俺一人だけ。

 世界の果て、楽園の東。

 なんとなくだが、頭の中にそんな単語が湧いてくる、

 状況も分からない、自分の事も思い出せない。

 にも関わらず、どうしてそんな言葉は浮かんでくるのか。

 ホントに、良く分からんな。


「まぁ、考えても仕方ないか」


 ため息一つ。

 一人だと、どうにも独り言が増えていけない。

 別段、焦りはなかった。

 絶望だとか諦観だとか、そういうモノも感じない。

 こんな場所に長々と捨て置かれたら、普通はそうなりそうなものだが。

 不思議と、『俺』の心は落ち着いたままだ。

 ……もしかしたら、荒野の向こうから怪物が現れるかもしれない。

 そういう想像をしてみても、特に恐ろしくもなかった。

 以前に、似た経験があるのかも――。


「…………ん?」


 遠くを眺め、益体のない妄想に耽っていると。

 荒れ野の彼方で、何かが動いたのが見えた。

 何か――いや、だ。

 幻覚を見てるのでなければ、それは間違いなく人影だった。

 ゆっくりと、だけど確実に。

 その誰かさんは、『俺』のいる牢屋に向かって近付いてくる。


「……こんな場所にいましたか」


 聞こえる声は、驚くことに少女のものだった。

 芯は強いけれど、同時に柔らかさもある。

 年若く、礼儀正しい女の子の声だ。

 外見に関しては、纏った銀の鎧兜で殆ど隙間もない。

 ただ背格好からして、若い娘であるのは間違いなさそうだった。

 鎧の少女は、牢の格子を挟む形で『俺』の前に立ち止まる。


「……悪い、会ったことがあるか?」

「ええ。指で数えるほどですが」


 見上げる『俺』と、見下ろす少女。

 ……改めて観察してみると、鎧のサイズが合ってないな。

 結構ブカブカなようで、動く度にガッシャガッシャと鳴いている。

 まぁその割に、立ちふるまいは熟達した戦士のモノなんだが。


「……今の貴方は、何も覚えていないでしょうね。

 貴方に自由に動かれるのは、《造物主》にとっても余程都合が悪いらしい。

 個体などロクに識別していないクセに、判断そのものは賢明だ。

 お陰でこっちは、いらぬ手間を取らされてしまった」

「……?」


 はて、何の話だ?

 頭の中は蓋をされていて、良く分からん。

 良く分からんが、向こうはそうでもないらしい。

 少女は腰に手を伸ばす。

 下げた剣の柄に指をかけて、ゆっくりと引き抜いた。

 そんな何気ない動作の一つ一つが、洗練された美しさを宿していた。


「こっから出してくれるのか?」

「ええ、そのつもりです」

「何故?」


 こっちからすれば、その少女は見知らぬ相手だ。

 なのに何故、『俺』を助けようとしてくれるのか。

 その理由を問うと、彼女はほんの少しだけ沈黙を返す。

 抜き放った剣を、高く振り上げて。


「……遠い昔の話です。

 かつて、《北の王》を名乗る古い竜が暴虐の限りを尽くした時代。

 これを討つために、一人の騎士が旅立ちました」

「……」

「彼は、役目を果たしたのかどうか。

 北の果てに向かったのを最後に、二度と戻ってくることはなかった。

 ――ただ、それから暫くして。

 恐るべき《北の王》は討たれ、竜殺しの勲が詩として人々の口に語られ始めた」


 それは――なんだろう。

 覚えが、あるような。


「……その騎士は、私の祖先だった。

 彼は結局、役目を果たせずに志半ばで命を落としたのですね。

 そして、彼の最期を貴方が看取った」

「…………あぁ、そうか」


 蓋をされていた記憶。

 少女の言葉をきっかけに、その一部が剥がれた。

 そうだ、そうだった。

 遠い昔にも、『俺』は同じように牢に囚われていた。

 罪人として繋がれた『俺』を、救い出した騎士。

 名前も知らず、命を落とした男。

 「北の地へ向かう」という使命だけ、『俺』に託した。

 眼の前の彼女は、あの時の騎士の――。


「ありがとう、最初の竜殺しよ。

 貴方のおかげで、彼の死は無駄にならずに済んだ。

 その血に連なる者として、改めて礼を言います」

「……いや、むしろ助けられたのはこっちだからな」


 受けた命の恩を返しただけだ。

 そう応えると、少女は小さく微笑んだ。


「少し、頭を低くして下さい」


 言うや否や、黒い光が閃いた。

 少女が抜き放ったのは、刀身が真っ黒に染まった剣だ。

 その刃は、あれだけ頑丈だった牢屋をあっさりと両断する。

 ……ちなみに、あと一瞬でも反応が遅かったら。

 剣の軌道上には間違いなく、『俺』の首があった気がする。

 いやちょっと、今のはマジでやばかった。

 まぁまぁ死ぬ寸前だったワケだが。


「さ、鎖も切りますよ」


 相手はまったく気にした様子もなく、サクサクとこっちの拘束を破壊していく。

 うん、良いけどな?

 助けてくれているのは確かだし、実際にありがたい。

 あっという間に格子も足枷もなくなり、『俺』は自由の身になっていた。


「立てますか?」

「あぁ、大丈夫だ」


 頷く。

 随分長く捕まってはいたが、特に身体が鈍ってる感じはない。

 相変わらず、頭の中はまだ重いままだが。


「よっ」


 軽い掛け声と共に、立ち上がる。

 うん、身体は軽い。

 ろくに武装もしてないってのもあるだろう。

 そんな『俺』の様子を確認して、少女は一つ頷いた。


「ちょっと、そのままお待ち下さい」

「うん?」


 はて、次はどうするのか。

 なんて考えたら、少女はいきなり甲冑を外し始めた。

 や、当然ながら脱いでるのは鎧だけだ。

 装甲が無くなった後には、小柄で可憐な娘の姿が露わになる。

 短めに切った金髪に、力強く輝く青い瞳。

 サイズの合わない不格好な甲冑の下には、黒い衣装ドレスを身に纏っていた。

 全ての鎧兜を外し終えると。


「さぁ、コレをどうぞ」


 彼女は、それらを『俺』の方へと差し出した。

 ……なるほど、この鎧は『俺』のために用意したものだったか。

 そりゃ身体のサイズと合ってなくて当然だ。


「悪い、ありがとうな」

「いいえ、お気になさらず。

 私が好きでやっている事ですから」


 そう言う少女の顔は、本当に嬉しそうで。

 こっちも遠慮なく、差し出された甲冑を身に着けていく。

 あぁ、慣れた感覚だ。

 適度な重量が身体全体に掛かると、不思議と落ち着いた気分になるな。

 装着を完了したら、軽く手足を動かして確かめる。

 問題は何もない。


「よしっ」


 兜を被り、片手を腰の辺りに伸ばして――気が付く。

 鎧は着込んだが、いつもの得物が何処にもない。

 そうだ、完全に丸腰の状態で牢屋に閉じ込められてたんだった。

 つい、いつもの癖で剣を探ってしまった。

 それを見て、少女は小さく笑う。


「剣は、此処にはありませんよ。

 それは『彼女』が持っているはずですから」


 『彼女』。

 それが、誰のことを示しているのか。

 今の『俺』――いや、俺には問題なく理解できた。

 頭の中を塞ぐ蓋は、殆ど外れかけていた。

 ……この場所が、あの荒れ野の再現ならば。

 きっと、『彼女』はこの先で待っているはずだ。


「行きますか」

「あんまり待たせちゃ悪いからな」


 破壊された牢屋を出て、少女の問いに応える。

 黒いドレスの彼女は、そこから動かない。

 俺のことを見送る形で、ただその場に佇んでいた。

 足を止めて、振り向く。

 この少女が誰なのかも、今なら分かる。


「一緒に来ないか?」

「嬉しいお誘いですが、私にも待ってくれている相手がいますから」


 そう言って、穏やかに微笑む。

 年相応の表情を見て、俺も笑い返す。


「そうか、先約があるなら仕方ないな」

「私――いえ、私たちも必ず行きます。

 ですから、どうかお気を付けて」

「そっちもな」


 笑い合い、短い別れの言葉を交わす。

 荒野の「果て」に向かうため、外に足を向けようとして。


「――私は、オイフェと言います」


 去る寸前。

 少女は初めて、その名前を告げた。

 振り向く。

 黒い少女――《黒銀の王》とも呼ばれた彼女。

 オイフェは、俺に一礼をして。


「武運を祈ります、レックス。最初の竜殺し。

 ――貴方なら、あの神の残骸にも勝利できる。

 私は、そう信じています」


 そう言って、その姿は風と共に消え去った。

 まるで、最初からいなかった幻のようだったが……違う。

 彼女は彼女で、行くべき場所に向かっただけだ。

 俺の手助けに来たのは、きっと物のついでだったんだろう。

 どうあれ、こっちにしてみればありがたい話だ。


「……じゃあ、またな」


 もう、相手は此処にはいないが。

 きっと言葉は届くはずだ。

 そう信じて、俺は前へと踏み出す。

 牢屋だった場所を後にして、乾いた大地に。

 見渡す限り続く、荒涼とした世界。

 それは、この世の『果て』そのものな光景だった。

 道標はなく、見上げる空も暗い色の雲に閉ざされている。

 だけど、俺は構わず歩いていく。

 向かうべき先は、もう分かってる。


「悪いが、もう少しだけ待っててくれよ」


 呟く。

 望む相手の姿は、まだ『果て』の彼方だ。

 だから俺は、今はただ一人で荒れ野を進む。

 遠い日の旅の記憶を、もう一度なぞり直すように。

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