495話:二度目の決着
『ァ――ギ、ガ、アアァアアアアアァアアアッ!!』
「っ……」
大気がビリビリと震える。
並の人間なら、その声を聞いただけで心臓が潰れるかもしれない。
生物としての絶対的な格差。
その畏怖を跳ね除けて、俺はその姿を見上げた。
首に刻まれた傷は、もう殆ど塞がっている。
それ以外に受けていた損傷も同様に。
かつて戦った時と同じ――いや、それ以上の力を漲らせて。
黒い瘴気を纏った竜の王が、俺たちを見下ろしていた。
「おい、ボレアス!」
『ガアアアアァアア――――ッ!!』
試しに呼び掛けてみたが、反応はない。
代わりに、開かれた顎から真っ黒い炎が噴き出した。
魂を焼き焦がす、《摂理》を捻じ曲げる力。
俺もアウローラも、それを浴びる寸前で回避する。
さて、どうしたもんか。
「倒して良いと思うか、コレ!?」
「……そうね。
どうやら《造物主》に支配されて、この世界の番犬扱いされてるようだし」
『ガアアアァ!!』
咆哮。
理性を感じさせない獣の挙動で、屍竜はこちらに向かってくる。
鋭く振り下ろされる爪に、雑に薙ぎ払う尾の一撃。
それらを剣で弾き、或いは地面を転がって躱す。
下手に直撃したら死にかねないのは、まぁいつも通りだ。
威力はヤバいだろうが、大振りな分だけ避けやすい。
「貴方の剣なら、大丈夫よ。
屍を斬り捨てて、魂を奪い返せば良いわ」
「――だったら、分かりやすいな」
笑う。
奇しくも、場所はかつての廃城。
此処でコイツと戦うのは、これで二度目だな。
あの時は相打ちだったが――。
「今度は、ちゃんと俺が勝つぞ」
『ガアアァアアアアアアァアアッ!!』
吐き出される黒炎。
全力で走り、地を舐める炎熱から逃げ回る。
アウローラは離して、そっちから距離を取る形で動く。
その辺りは、言葉にせずともやってくれる信頼があった。
「さて、こっちはこっちでやりますか……!」
『ガアァアアア!!』
人の言葉を失ったように、屍竜はひたすらに吼え猛る。
振り回される爪は、刃を合わせて弾き落とす。
尾の動きには常に注意を払い、姿勢を低くして払う一撃を回避する。
向こうが自分の攻撃で、こっちの姿を見失ったら。
「オラァッ!!」
一気に踏み込んで、剣を叩き込む。
鱗を切り裂き、その下の血肉まで刃を喰い込ませる。
当然のように硬いが、このぐらいなら問題ない。
刻まれた傷から、真っ赤な血が溢れた。
『ギィアアァアアアアッ!?』
「力はすげェんだろうけどなぁ……!」
笑う。
傷の痛みに叫び、暴れて悶える屍竜。
ホント、獣と同じだな。
どれだけ力がデカかろうが、これだったら大して怖くもない。
少なくとも、かつての《北の王》に比べたら。
「……ホント、無様ったらないわ」
呆れと、微かに憐れみを込めた声。
アウローラも、屍竜を見ながら薄く微笑んでいた。
囁く言葉に魔力を込めて、術式が発動する。
複数の
「見るに堪えないから、何とかしてあげて。レックス」
「おうよ」
勿論、最初っからそのつもりだ。
未だに、ボレアスに声が届いてる様子はない。
やっぱり、あの死骸をぶっ壊さないとダメらしいな。
走る。
足を止めたら、その瞬間に獣の暴力に呑み込まれる。
だから俺は一瞬でも足を止めず、屍竜の周りを駆け回る。
相手の攻撃は酷く単純だ。
身体を掠めたり、剣で弾くだけでも凄い衝撃に殴られるが――それだけだ。
当たらない、当ってやる気もない。
《
俺は屍竜の身体に剣を当てて、鱗と肉を削っていく。
『ガアアアアアァ――――ッ!!』
「っと……!」
言ってる傍から、黒い炎が吐き出された。
空気が沸騰しそうなほどの熱量。
余波を浴びるだけでもキツいのに、向こうは平然と炎の中で暴れてやがる。
この辺、やっぱり竜って奴は凄まじいな。
こっちは鎧の上からでもジリジリと焼かれてるってのに。
「レックス、大丈夫っ?」
「あぁ、問題ないぞ!」
炎の向こう側から、気遣うアウローラの声が飛んできた。
それに応えながら地を蹴る。
吐き出された黒炎は、まだ完全に消えてはいない。
その比較的薄い部分を突き抜けて、屍竜へと斬り掛かった。
自らの炎が目眩ましとなり、相手は俺の姿を一瞬見失っている。
死角から振り下ろす刃が、竜の腕を深く斬り裂いた。
『ギ、ィ……ッ!?』
「まだだ!!」
腕を半ばまで切断した上で、更に一閃。
竜殺しの刃は、屍竜の血肉を容赦なく削り取る。
胴体にも大分深い傷を入れたが――まだ、足りない。
まだその奥、魂までは届いていない。
『ガアアァ――――ッ!!』
再度、吹き荒れる黒炎。
頭から浴びる寸前に、後ろに跳んで躱す。
跳んで、地面に着地する瞬間。
「――――ッ!?」
そこを狙って、竜の巨体が突っ込んできた。
獣も同然の状態でも、そのぐらいの知恵は回るらしい。
俺の動きが止まる一瞬を引き裂くため、頭上から爪が落ちてくる。
このまま喰らったらヤバいが……!
「《
《力ある言葉》を鋭く叫び、力場の盾を展開する。
勿論、こんなものに竜の爪を止めるほどの強度はない。
だから力場を出したのは、上ではなく下だ。
地面に着く前の足元。
ほんの数秒で消える盾を足場の代わりに、俺は真横に跳んだ。
掠める衝撃が甲冑を叩く。
ギリギリで回避した屍竜の爪が、地面を派手に叩き割るのが見えた。
『ガアアァッ!!』
「――レックスばかりに気を取られすぎよ、お前は」
追撃しようとする屍竜を、アウローラの声が遮る。
迸る閃光。
突き出した右手から、一条の《
それは屍竜の顔面に直撃し、派手に炎の華を散らす。
大したダメージはないだろうが、怯ませるには十分な威力だ。
「レックス!」
「あぁ、助かった!」
生じた隙は、ほんの数秒。
数秒もあれば、幾らでも攻められる。
「《
既にアウローラの強化が掛かってるところに、更に自己強化も重ねる。
骨が軋むほどの力で、俺はその呪文の通りに跳躍した。
高く、翼のない一時の飛翔。
屍竜は、完全に俺の姿を見失っていた。
戸惑うように左右に触れる首。
そこを目掛けて、俺は上から落下攻撃を試みる。
剣の切っ先を下へと向けて、そのまま一直線に――。
『ッ――――ギアァアアアァアアアアアッ!?』
「っし……!!」
貫いた。
刃は深く、屍竜の首から喉元まで貫通する。
無茶苦茶に暴れるのを、気合いと腕力で振り落とされぬように踏ん張った。
当然、貫いただけじゃ終わらせない。
そのまま首を刈り取るつもりで、柄を強く握り締める。
鋼より強靭な鱗も、この状態では役に立たない。
ガリガリと骨を削る手応えを感じながら、首の傷を広げていく。
もう少しで……!
『ガアアアアアァアアアアアアアア――――――ッ!!」
「っ!?」
首を半分以上は斬り裂いた。
その時、屍竜は一際大きな咆哮を迸らせた。
同時にその身体から魔力が溢れ、衝撃となって大きく爆ぜる。
何とか堪らえようとしたが、流石に無理だった。
剣だけは手放さぬよう握り締めて、そのまま派手にふっ飛ばされる。
地面に叩きつけられ、その勢いで転がる。
一瞬遅れて、黒い炎がさっきまでいた地面を焼き焦がした。
いや、割りと危なかったな今の。
「思ったよりしぶといわね、コイツ……!」
『ガアアァアアアアッ!!』
魔法で牽制しようとしたアウローラへ、逆に黒炎の《吐息》を浴びせかける。
首から大量の血を流しながらも、屍竜はまだ健在だった。
うん、ホントにしぶといな。
「さて……!」
『グゥゥゥアアアァアア……!!』
しぶといが、限界は近い。
傷を塞ぐ再生能力が鈍いのは、竜殺しの魔剣で与えた傷だからか。
それとも、ボレアスが屍の内で抗っているのか。
どちらかは分からないし、或いはその両方かもしれない。
どうあれ、終わりはもう間もなくだ。
『ギァアアアアアァァァァ――――ッ!!』
「待ってろよ、あと少しだ」
竜ならざる獣の咆哮。
それに対して、俺は笑って応えた。
走る。
変わらず、屍竜は開いた顎から黒炎の《吐息》を吐き出す。
触れただけで致命傷になり得るが、大して怖くはない。
少なくとも、三千年前の戦いに比べれば。
狙いの甘い炎を掻い潜り、打ち込まれた爪の先端を切り飛ばす。
怯んだ隙に、更に前へと踏み込んだ。
人間では本来辿り着けない竜の懐。
その死線を躊躇わずに超える。
なに、いつものことだ。
しくじったら死ぬだけで、俺は当然死ぬ気はなかった。
「――――――ッ!!」
叫ぶ。
竜の畏怖を跳ね除けるぐらい、強く。
全霊を込めて振り下ろした刃は、再び吐かれた黒炎を切り払う。
開かれた炎の道を、真っ直ぐ跳んだ。
狙うのは、先ほど貫いた首の傷。
――偶然ではあるが。
そこは丁度、以前に首を切り落としたのと同じ位置で。
だから、迷わずに剣を振るえた。
強靭な鱗も、分厚い血肉も。
どんな鋼よりも遥かに硬い骨まで、纏めてぶった斬る。
断末魔の声はなかった。
人形の糸が切れたように、それは静かな終わりだった。
「――お見事」
アウローラが感嘆の声をこぼすのと、ほぼ同時に。
切断した首が地に落ちる。
遅れて、身体の方もその場に崩れ落ちた。
黒い気配が、また屍に戻った竜の身体から霧散していく。
……どうやら、ちゃんと仕留められたようだ。
まだ気は抜けないが、とりあえず何とかなったな。
「よし、後は……」
「ボレアスの方ね。大丈夫、私に任せて」
そう言って、アウローラは俺の傍にひょいっと飛んできた。
細い指が魔剣の刀身に触れる。
屍竜の首を断ち切った時、同時に別の『何か』を斬った感触があった。
十中八九、ボレアスの魂だろう。
それなら彼女は、剣の内側に呑まれているはず。
アウローラは術式を用いて、それを探っているようだった。
「……うん、いるわ。
少し消耗して、眠っているようだけど」
「引っ張り出せそうか?」
「少し待って」
剣を鍛えた者の一人として、アウローラの言葉は自信に満ちていた。
小さく何らかの《力ある言葉》を唱え、刀身をなぞる。
やがて。
「ん、行けそうよ。
ただちょっと熱いかもしれないから気を付けて?」
「おぉ」
返事をした直後に、剣から真っ赤な炎が溢れ出した。
確かに熱いは熱いが、耐えられない程じゃない。
ただいきなりだったんで、ちょっとビックリしたぐらいだ。
剣を赤く染める炎は、やがて一つの形に纏まっていく。
見慣れた半人半竜――そして毎度お馴染みの、全裸美女の姿に。
ぱっと見た感じは無事そうだな。
「おい、ボレアス?」
「ほら、助けて上げたのだから、早く起きなさい」
「…………ん、む」
アウローラの時と違い、目覚めは迅速だった。
身じろぎをし、羽根や尻尾が震える。
ぼんやりとした眼が、俺とアウローラをそれぞれ捉えた。
それから、一息。
「……夢を見ていた」
「? 夢か?」
「あぁ、貴様と戦っている夢だ。
竜たる我が、遠き昔のことを今さら夢に見るとはな」
どうやら、意識はまだ半分ぐらいは眠りに沈んでいるようだ。
ふわふわとした様子で、ボレアスは無邪気に笑う。
「だが、昔と少し違うことがあってな」
「なんだ、違うことって」
「うむ、最後は我が勝利し、貴様を屈服させるのだ。
踏み付けて、勝鬨を上げた辺りで目覚めてしまったが――あぁ、悪くなかった。
夢ではあるが、実に愉快であった」
「…………」
独り言のように呟き、満足げに頷くボレアス。
俺とアウローラは、お互いを見合わす。
それから耐え切れずに、二人して笑ってしまった。
寝ぼけ眼の元王様は、怪訝な表情で俺たちを見上げた。
「なんだ、我はそんなにおかしな事を言ったか?」
「言ったわよ、お馬鹿なボレアス。
さぁ、これ以上恥を掻きたくないなら、しっかりしなさいな」
笑って、アウローラは横になったままの妹の額を、戯れに指で弾いた。
不満げな声で鳴くボレアスが、どうにも可笑しくて。
ようやく緊張の糸を緩めながら、俺は声を出して笑い続けた。
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