401話:夢から覚める


『おい、竜殺し!!』


 内から響くボレアスの警告。

 こっちもこっちで、忍び寄る輩に気づいたようだった。

 それに応えている暇はない。

 片手で柄を握り、最短距離で剣を振り抜く。

 それで斬り裂いたのは、ほんの僅かな影の残滓。

 ギリギリのところで身を躱した、その男と初めて目が合った。

 見覚えのない相手だった。

 退廃的な雰囲気を纏うイケメン面が酷く目を引く。

 そんな伊達男は視線を合わせながら、何処か皮肉げに笑ってみせた。


「どうも、ハジメマシテ」

「おう、こちらこそ」


 言葉を交えるのも一瞬。

 他の誰も、傍にいるアウローラもまだ動けない中。

 俺とその男の短い攻防が始まった。

 向こうが何かを唱えようとしたので、それを拳を繰り出して妨害する。

 コイツにそれをさせたら拙いと、直感がそう告げていた。

 しかし男も只者じゃない。

 完全に直撃コースと思った拳撃を、紙一重であっさり捌いてみせる。

 回避されると同時に、死角から突き上げる刃。

 伊達男の胴体を掠めて、赤い血が舞う。

 ……コイツ、人間か?

 いや、気配に竜のモノが混じってる気がする。

 古竜とは違う――なら、真竜?


「まったく、恐ろしい人だな。君は」


 笑う。

 男は不思議と晴れやかな顔で笑っていた。

 理由は分からない。

 一体、この男は何を思ってこの場にいるのか。

 どういう思惑で俺に対して挑んでいるのか。

 分からないまま、一瞬たりとて留まることなく事態は進む。

 兎に角、コイツはぶち殺さねばならない。

 根拠はなく、ただ最大級の危機感が俺の剣を動かす。

 連戦で消耗し切っている事実など、今は無視だ。


「ッ……!」


 払う形で振るった剣が、再び男の身体を刻む。

 胸の辺りを切り裂かれて、その表情が苦痛に歪んだ。

 が、伊達男は怯まない。

 普通は距離を取ってもおかしくはないはず。

 だが下がる様子は微塵も見せず、男はこっちの剣の間合いで踏み止まる。

 殆ど捨て身で、だからこそ油断できない。


「レックス!」


 アウローラの声が響いた。

 他の皆の中で、彼女が俺と一番距離が近かった。

 故に、こちらからほんの数秒ほど遅れて対応に動き出す。

 疲弊した状態で、それでも《吐息》を放つか術での援護をしようとして。

 その時、俺は気がついた。


「――――」


 笑っている伊達男。

 その意識が、俺ではなくアウローラへ向いている事に。

 ヤバいと、全身が総毛立つ。

 何を考え、何を狙っているのか。

 分からない、分からないが。

 このままだと猛烈にヤバい事だけは、すぐに理解できた。


「御機嫌よう、貴方とも顔を合わせるのは初めてかな」


 アウローラの方は、間に合わない。

 構えに入っているが、彼女よりも男の方が早い。

 この場にいる他の者たちも、既に反応して各々の行動に入っている。

 それでもやはり間に合わない。

 だから、俺がやるしかなかった。


「オラァッ!!」


 吼える。

 剣は最速で、真っ直ぐに標的目掛けて走る。

 男は身を躱す素振りさえ見せない。

 刹那の時間。

 アウローラに意識を向けたままの伊達男。

 その首を、振り抜いた刃が完全に断ち切っていた。

 赤い血が花のように咲いて散る。

 疑いようもなく致命傷で、剣の切っ先に確かな手応えもあった。

 竜の魂を斬り裂いた時の感触。

 伊達男は間違いなく仕留めたし、確実に死んだ。

 だがその瞬間、俺はたった一つの決定的な失敗ミスを自覚していた。

 首を断たれた直後、男にはまだ息があった。

 最後に一言発する程度の、息が。


「――己の名を思い出せ、■■■■。

 


 それは、過去に数度だけ耳にした覚えのある響き。

 ノイズまみれで、世界から爪弾きにされてしまった音。

 俺には聞こえないし、恐らく他の誰も同じはずだ。

 ただ一人だけを、除いては。


「…………」

「おい、大丈夫か!?」


 切断された男の首が落ちる。

 アウローラは呆然とその場に立ち竦んでいた。

 そして、心配したイーリスが傍に駆け寄ってくる。

 彼女はまだ、変化に気付いていない。


「くそっ、やっぱり不意打ち仕掛けるつもりで潜んでたのかよ……!」

「あぁ、だが流石はレックス殿だ。

 ああも見事に対応してのけるとは……」


 安堵し、感服したと笑うテレサ。

 だが今は、それを聞いている余裕はなかった。

 動く。

 剣は片手で握り締め、空いた手で思い切り二人を突き飛ばす。

 加減できなくて大変申し訳無いが。

 いきなりの事で、姉妹は盛大に地を転げた。


「ッ……おい、スケベ兜! いきなり何――」


 イーリスの声が途中で途切れる。

 いや、向こうの言葉が中断されたワケじゃない。

 単に俺の耳に届かなかっただけだ。

 衝撃が全身を貫く。

 無防備に晒された側面をぶっ叩かれ、為す術もなくぶっ飛ばされた。

 一体何が起こったのか。

 俺は理解していたが、他の皆はどうだろう。


『竜殺し!? クソッ、おい! 血迷ったのか!?』


 やはりまだ理解が及ばず、ボレアスが内側で騒ぎ立てる。

 身体で抉った地面に転がりながら、俺は首を動かす。

 そして、見た。

 随分と距離は離されてしまったが。

 アウローラはさっきと同じ場所に、変わらず立っていた。

 見た目上は変わらずとも、起こった変化はあまりに劇的だった。

 先ず、纏っている空気が違う。

 概ねは先ほどまでのアウローラと同一だ。

 以前あったように、中身が別人にすり替わっていたのとは違う。

 同じアウローラであるはずなのに、感じられる決定的な差異。

 誰もが困惑する中、地に落ちた生首だけが笑っていた。


「おはよう、《最古の悪》よ。私は――」


 末期の言葉は、最後までは語られない。

 それを聞き終える前に、男の首は潰されて砕けたからだ。

 アウローラの小さな足が、情けも容赦もなく。

 真っ赤な血肉と骨の断片に砕けてしまえば、声など出せるはずもない。


? 


 そして、可憐な唇からこぼれた言葉は酷く冷たい。

 傍から聞いただけでも身が凍える程に。

 俺の知る彼女の声は、ここまでじゃなかった。


「まぁ、誰でも良い。――私は酷く、腹が減っているから。

 ええ、足しになるなら別に誰でも構わない」


 アウローラは微笑んでいた。

 愛らしく、そして可憐な笑みだった。

 けどそれ以上に、強烈な毒を帯びてもいた。

 触れたものは容赦なく焼け爛れる。

 触れずとも、ただ近くにいたというだけで死を感じさせる。

 きっとそんな彼女の様を見て、昔の連中はこう呼んだのだろう。

 曰く、《最古の悪》と。


「なんだこれは、何が起きた!?」

「こっちが聞きてぇよ、クソ……!」


 事態が呑み込めず、アストレアは困惑する。

 立ち上がったイーリス、それにテレサもまったく同じ状態だ。

 さっきまでアウローラは間違いなく味方だった。

 それがいきなり牙を剥けば、そりゃあ対処には困るだろう。

 カドゥルにしても、いきなり動かずに見に徹している。

 彼女にとって、アストレアを守る事が最優先か。


『おい、動けるか竜殺し!!』

「がんばるわ……!」


 実際、先ほど喰らった一撃は大分致命的だった。

 アウローラの消耗も重かった事。

 後は、当たりどころがギリギリ悪くなかった。

 それらの幸運が重なったため、紙一重で即死は免れた状態だ。

 力尽きかけた四肢に、無理やり熱を流し込む。

 剣の力、宿るボレアスの炎。

 それらを支えに、動くはずのない身体を強引に動かす。

 とりあえず、立ち上がりさえすればまだやりようはある。

 こちらがボロボロなのと同じ程度には、アウローラも疲弊して……。


「……げっ」


 見た、見てしまった。

 軽く掲げた彼女の右手。

 その指先に摘まれている、白い結晶。

 死んで眠りについた、《秘神》アベルだったものの残滓。

 止める暇もない。


「貴様、待てっ!!」


 叫びながら、アストレアが《神罰の剣》を放った。

 が、一瞬早くアウローラは結晶を呑み下す。

 そして、邪悪が溢れ出した。

 禍々しい、ほんの少し前とは比較にならない程に強い魔力。

 ただ身体から漂っているだけで、光がねじ曲がるような。

 風を切り裂いて飛ぶ複数の刃。

 その全てを、アウローラは片手で払い落とす。

 脆くも砕ける剣の破片。

 キラキラと光る向こう側で、古い竜は艶やかに笑む。


「臭い上に酷い味だが、そこそこ腹も膨らんだな。

 ……しかし、《竜体》を形成するにはまだ足りないか」

『おい、長子殿っ!!』


 呟くアウローラ。

 身に纏う力の圧はヤバいが、出力はまだイシュタルには及んでない。

 その事実に、彼女は不快げに眉を顰める。

 そして表情は変えぬまま、自分を呼ぶ声に顔を上げた。


「なんだ、《北の王》。

 随分と無様な姿を晒しているようだが」

『本気で言ってるのかよ、長子殿。

 我や、コイツらの事が分からぬと言うのではあるまいな』

「……何を言っている?」


 絞り出すようなボレアスの言葉。

 それを聞いて、アウローラは心底不思議そうに首を傾げた。


「意味が分からんな。狂ったのか、貴様。

 まぁ、永遠を生きる我らに正気を問う意味などないかもしれんが」

『ッ……拙いぞ竜殺し。

 アレは、あの荒野より以前の長子殿だ……!』

「っぽいなぁ」


 そんな気はしてたが、これで確定か。

 理屈は分からない。

 ただあの伊達男が、死ぬ間際に何かしたんだろう。

 それが原因で、アウローラの中の時計の針が巻き戻ってしまった。

 恐らく、三千年よりずっと昔。

 俺が直接は知らない、《最古の邪悪》と呼ばれていた頃に。


「……不愉快だな」


 ぽつりと、アウローラは呟く。


「力がまだ足りない。

 それに此処は――外界か?

 何故、私は大陸の外にいる?

 意味が分からんぞ、何故、私は……?」

「……なぁ、アウローラ」


 呼びかける。

 剣は直ぐに構えられる状態でだ。

 無視される事も、当然覚悟していたが。


「…………」


 アウローラはこちらを見た。

 不思議なものを見る目で。

 俺の方に視線を向けた。

 だが、それはほんの僅かな時間だけ。

 またすぐに、アウローラは不快そうな表情を見せて。


「なんだ、お前は」

「レックスだ。覚えてないか」

「人間如きの名前など、私が記憶に留めておくものか」


 あっさりと。

 彼女は吐き捨てるように言った。

 反射的に沸騰しかけたイーリスを、姉が押さえつける。

 うん、今のアウローラに近付くのは危ない。

 だからもうちょい、こっちに任せておいて欲しい。

 とはいえ、俺も大概死にそうなんだが。


「ま、しくじったら死ぬだけだな」

「…………」


 ぴくりと。

 本当に僅かだが、アウローラが反応したように見えた。

 気のせいかもしれない。

 今の彼女は、間違いなくあの荒野以前の彼女だ。

 しかし、それでも。

 何か残るものが、アウローラの中にあるのなら。



 口からこぼれる邪悪な声。

 アウローラであってアウローラではない言葉。

 その身から漂う魔力は、いよいよドス黒い瘴気を帯び始めた。


「っ……だ、これ……!」

「イーリスっ!?」

「下がれ! 人の身で浴びるものではない!」


 あまりの異様さに、イーリスが膝をついた。

 テレサはどうにか堪えているが、大分キツいようだ。

 姉妹を背に庇う形で、アストレアが一歩出る。

 傍らにカドゥルの巨体も並んだ。


「イマイチ事情は見えんが、放って置くのはヤバそうだな」

「ふざけて気を抜くなよ。……おい、構わんな?」

「むしろこっちの問題だし、姉妹抱えて下がって貰っても良いんだけどな」

「それだと、貴方が死ぬでしょう」


 《神罰の剣》、その一振りを携えて。

 《巨人殺し》もまた、渦巻く瘴気に相対した。

 いや、ホントに悪いなぁ。


「………」


 そんな中、アウローラは俺を見ていた。

 他の者など知らぬとばかりに。

 ただ一人、俺のことだけを見続けていた。


「……お前を見ていると、不愉快な気持ちが止まらない。

 なのに何故か、

 私はお前のことを、喰いたくて喰いたくて仕方がないらしい」

「おう」


 微妙に怖い事を言われてしまった。

 アウローラは笑っている。

 それは文字通り、獰猛極まりない竜の表情だった。

 だから、こっちも軽く笑い返して。


「良いぞ、食えるもんなら食ってみろよ」


 そう応えた。

 俺を見るアウローラの瞳が細くなる。

 気配が膨れ上がり、魔力は闇のように渦を巻く。

 笑みの形に開かれた口から迸る咆哮。

 最古の悪。

 全ての竜属の頂点。

 最強最古の竜王。

 様々な呼び名を持つ、かつてのアウローラ。

 そんな復活した悪夢そのものが、容赦なく俺たちに襲い掛かった。


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