400話:さよなら、哀れな捨て子


 変化が起こったのは突然だった。

 暴れ狂う巨大な肉塊。

 突き刺したままの剣からは、止めどなく魔力が溢れ出す。

 止まらない。

 比喩でなく、無尽蔵の力を垂れ流しながら。

 元は《秘神》であった怪物は暴走を続けていた。

 が、その動きがいきなり鈍ったのだ。

 急激な変化がもたらす意味は、余りにも明白だった。


「あの二人がやったな……!」

『ガアアァアアアアアアアア――――ッ!!』


 咆哮。

 いや、それは断末魔の絶叫か。

 閉じなくなった口から金切り声を上げ、肉塊は身悶える。

 質量相応のパワーはある。

 が、間違いなくほんの数秒前よりも弱々しい。

 地上を貪る嵐に等しかった脅威は、急激に力を失いつつあった。

 そうなれば。


「《神罰の剣ダモクレス》よ!」


 当然、戦う者たちは反撃に打って出る。

 これまでは、肉の氾濫を抑えるのに手一杯だった。

 しかしその勢いが弱まれば、大人しくしている理由がない。

 真っ先にアストレアの声が響いた。

 神の一声に応じ、輝く無数の「剣」が生まれる。

 戦いに次ぐ戦いで、余力なんてものはもう殆ど無いだろうに。

 こちらの力も無尽蔵だと、そう言わんばかりに二桁近い刃が並んだ。

 降り注ぐ光の雨。

 被弾を恐れず、そこに混じるのは裸体の少女だ。

 手にはアストレアから借りた「剣」を構え、《巨人殺し》が突っ込む。


「いい加減にくたばりなさい」


 《秘神》に運命を狂わされた少女。

 しかし今は、己の意思で《巨人》を殺す者。

 「剣」が次々と肉を抉る中、炎の爆発を帯びた刃が容赦なく叩き込まれる。

 そこに負けじと、黒い炎が押し寄せた。


「ハハハハハハ!! 宴もたけなわだなァ!!」


 カドゥルだ。

 鬼の王は呵々大笑、《邪焔》を纏う拳を連打する。

 切り裂かれた肉を焼き潰し、それ以上に穿ち抜いて叩き潰す。

 まるで、押し寄せた津波が全てを呑み込むように。

 あれほど圧倒的だった《秘神》の勢いは、あっという間に押し返されてしまった。

 うん、こっちももうひと頑張りしますか。


「行けるか?」

「ええ、大丈夫……!」

『それは我に聞いたワケではあるまいな、竜殺しよ』


 よし、問題なさそうだな。

 アウローラの髪を一度撫でてから、改めて剣の柄を握る。

 このまま魔力を絞り続けてもいいが、それじゃあ悠長過ぎるしな。

 だから先ず、刺さっていた剣を引き抜く。

 抜いた勢いのまま、すぐさま《秘神》の胴体を斬り裂いた。

 絶叫。

 今更痛覚を思い出したみたいに、肉塊は苦痛を訴える。

 聞くに堪えない言葉を吐き散らかしてる気がするが、それは全部無視した。


「オラァ!!」


 剣を振るう。

 一度ではなく、二度三度と刃を重ねた。

 四度五度と肉を引き裂き、それ以上の数を傷として刻み続ける。

 反撃はロクに来なかった。

 今や《秘神》は、空気が抜けて萎むばかりの風船と同じだった。

 足掻こうとしている様子は見て取れる。

 しかしそれも、俺の剣や他の攻撃を受けてあっさりと潰される程度だ。

 一時は、大陸に穴を開ける事まで危惧された大質量。

 それが今は削られ、抉られ、焼かれ続けて。

 みるみる内に小さくなっていく。


『あ、あ、あぁああガガガガガガガガガガガガ。

 や、めろ、やめろやめろやめろッ!!

 おかしい! こんな事が許されて、良い、はずが、ないっ!!

 私は、私は完璧で完全な――』

「そんなもの、ありもしない幻想よ。愚かなアベル」


 吐き出される戯言は、熱病に浮かされた者が漏らすうわ言に近い。

 それに対し、アウローラは冷たい声で応じた。


「あの愚かな父は、完璧でも完全でもなかった。

 それに気付かずに、己を無謬の全能者と勘違いして事を為そうとした。

 ……あぁ、今のお前と同じよ。

 父より遥かに劣るお前が、何故に完全だなんて思い上がったの?」

『わ、私……は、私は……!!』

「……いい加減、滅びなさい。

 どれだけ喚いたところで、愚かな父が死んだという事実は変わらない。

 お前もまた、望む場所には永遠に届かない。

 せめて、自分が招いた因果の重みに潰れると良いわ」


 残念だったわね、と。

 最後の言葉は、誰に向けたものでもなく。

 彼女がそう呟くと同時に、剣の一撃が《秘神》の声を断ち切った。

 《巨人殺し》だ。

 少女は身体を《巨人》の肉で塗れさせながら。

 それに一切構うこと無く、何度も剣を振り下ろす。

 怒りとか、憎しみとか。

 そういう熱い激情を交えない、どこまでも冷えた純然たる殺意。

 刃と瞳にその意思を宿し、少女は呟く。


「《巨人》は、殺す。

 お前が神だとか、私や他の誰かに行った事だとか。

 そんなものは関係ない。

 お前は《巨人》だ。

 だから殺す」

『ッ……ま、待て……!?』


 当然、待つ道理などなかった。

 言葉を発しながらも、《巨人殺し》は一瞬たりとて手を止めない。

 何度も、何度も。

 《巨人》を殺すまで、決して剣を持つ手を緩めない。

 切り裂き、切り刻み、そして炎が爆ぜる。

 こっちも負けじと剣を振るう。

 気が付けば、《秘神》のサイズは最初に変化した時の半分近くまで減っていた。

 それでもまだ随分と大きいが、残りが削れるのも時間の問題か。

 最早、戦いというよりも後始末に近い状態だ。

 そうなると、残る問題は……。


『ぐ、あ、ァアアア、ガ、ガガガガガ……!?』

「? これは……?」


 また唐突に、《秘神》が奇妙な苦しみ方を見せた。

 血肉を削られる苦痛とは異なる。

 内側からせり出す何かを、堪らえようとしているみたいな。

 攻め手は止めないが、その動きは気になったので注意を払う。

 醜い肉塊がうぞうぞと波打ち、そして。


『グ、エエェエエエエエエエ!!』


 汚らしい声と共に、「何か」が吐き出された。

 それは小さな肉片のようのも見えた。

 何の力もなく、ぼたりと荒れた地面の上に落下する。

 直感的に、拾った方が良いような気がしたが。


「姉さん!」

「分かってる……!」


 こっちが動くよりも先に、黒い影が飛び込んできた。

 イーリスとテレサ。

 いつの間にか目覚めていたらしい二人の姉妹。

 彼女らは激戦のど真ん中を、恐れることなく駆け抜けていた。

 地に落ちた肉片は、テレサの腕に抱えられていた。


「レックス! こっちは大丈夫だ!」

「分かった」


 どうやら心配する必要はなさそうだ。

 だったら、後はこっちを片付けるだけだな。


『い、ギガガ、ぃ、やだ……!

 こんな、こと……認め、ない……!!』


 呻く。

 今も削られ続ける肉塊が。

 ほどなく残骸へと落ちる、その間際で。

 苦しみ悶え、肉の表面が蠢いた。

 まるで虫が這い回るように。

 一部が盛り上がり、ぐにゃぐにゃとうねって。

 そこから生えて来たのは、《秘神》の首だった。

 もっと正確に言うなら、首とその下についた上半身の一部だ。

 大体胸辺りから、生じたのは異様に痩せこけた胴体。

 腕も細く、左右の長さも酷く不釣り合いだ。

 そしてどちらも、手首から先は存在しなかった。

 何も掴めず、何処にも届かない手。

 《秘神》はそれでも、自らの腕を虚空へと伸ばす。


『わたし、は、あなたに、たどりつく……!

 ぜったいに、ぜったいに……!

 でなければ、なぜ、うまれた……なぜ、つくられた!!

 わたしは、わたし、は、しっぱいさく、など、では……!!』

「……それでも、お前は過ちを犯した」


 冷たく、慈悲深いが容赦はなく。

 裁きの神であるアストレアが、敗者のうわ言に応えた。


「陛下の手で神の座に列されてからここまで。

 機会は幾らでもあったはずだ。

 ――『完全な存在になる事』。

 お前が望んだ権利を聞き届けて、陛下はお前を神として召し上げた」

『そう、だ……その、とおりだっ!!

 だから、わたしは、かんぜんなそんざいに、なる、ために……。

 あらゆる、ことを……!』

「《造物主》は、所詮は不完全な存在だった。

 それは歴史の結果が示している」


 確かに。

 本当に《造物主》とやらが完全な存在だったなら。

 とっくの昔に、地上にはアウローラが語るところの「楽園」があるはずだ。

 しかし視界に広がるのは、何処までも果てしない荒野だけ。

 完璧で完全な楽園なんてちっとも見当たらない。

 今更過ぎる指摘に、《秘神》は呆然と大地を見ていた。

 その姿は、哀れではあったろう。


「お前は何もかもを致命的に誤った。

 一つとして成し遂げる事なく、滅びて消えろ。

 それが裁き……いや、お前の行って来た全ての報いだ」

『ッ……ちがう、ちがうちがうちがう!!

 わたし、は、なにも、まちがっては……!!』


 叫びは続かず、首に突き立つ刃が断ち切る。

 《巨人殺し》はあくまで冷淡に。


「死ね」


 最後の一言を贈った。

 首を断たれても尚、肉塊は生きようと足掻く。

 今度は俺が、のたうち回る残骸に剣を叩き付けた。

 深々と斬り裂いた上で。


「――さようなら、哀れな捨て子アベル


 囁くように言ってから、アウローラが《吐息》を放つ。

 《光輪》が機能してない状態では防ぎようもない。

 血肉を裂いた刃に上乗せする形で。

 極光が《秘神》を焼き尽くす。

 断末魔の声は上がらない。

 もう、この世に残せることなど一つもないと。

 醜悪な肉塊は消し飛び、後には白い灰だけが舞い散った。

 他には何も、跡形も……いや、一つだけ。


「なんだ、これ?」


 足元に落ちていたのは、小さな結晶だった。

 白い水晶にも見える、手のひらに包み隠せる程度の断片。

 手を伸ばし、拾い上げたのはアウローラだった。

 目を細めて観察し。


「……アベルの残滓、とでも言えば良いのかしら。

 権能すら使えない状態でも、神の魂である以上は不滅。

 だから消耗し切った魂と、僅かな血肉だけが結晶化して残された。

 このまま放って置けば、数千年は眠り続けるでしょうね」

「なるほどなぁ」


 まぁつまり、これで決着は付いたって事だな。

 気を抜く事はしないが、一つ息を吐く。


『流石に疲れたか? 竜殺しよ』

「まーずっと戦いっぱなしだったからな」


 イシュタルからそのまま《秘神》だ。

 相当にしんどいのは間違いない。

 できればこの場で、大の字にぶっ倒れたいぐらいだ。


「おい、大丈夫か!?」

「おう、そっちは平気か?」

「こちらは問題ありません、レックス殿」


 息せき切って駆け寄って来るイーリス。

 姉のテレサは、その後ろをややゆっくりめに付いてくる。

 彼女の腕に抱かれてるのは……。


「……それ、まさか」

「ええ。イシュタル……いえ、ルミエルですね。

 何故かこんな姿になってしまいましたが」


 驚くアウローラの横から覗き込む。

 そこには、未だ目を覚まさない金髪の少女が抱かれていた。

 血肉で大分汚れてしまっているが、見覚えはある。

 うーん、やっぱイシュタルと同一人物とは思えんなぁ。

 と、脚を軽くイーリスに蹴られた。


「コラお前、あんまジロジロ見るなよ」

「ちょっと、レックスは疲れてるんだから」

「素っ裸の女子だぞ遠慮しろって話だよ」

「いや悪かった、悪かった」


 全裸女子を見慣れてきたせいか、確かに配慮に欠けてたな。

 まぁテレサがしっかり抱えてるし、殆ど見えてはいないんだけどな。

 ぷんすこ怒るアウローラを撫で、軽く笑う。


「とりあえず、お疲れさん」

「……あぁ、そっちもな」


 気を抜いた様子で笑い返し、イーリスはこっちに拳を向ける。

 それに拳を合わせると、お互いもう一度笑った。


「……話はもう良いか?」

「オイオイ、そう急ぐ事もなかろうよ」

「同感。私も流石に疲れたわ」

「黙れ貴様ら」

「おー、そっちもお疲れ」


 仏頂面のアストレアに続く形で、カドゥルと《巨人殺し》も寄って来た。

 誰も彼も疲れ切っているが、表情は割と明るい。

 まぁアストレアは例外だし、《巨人殺し》も分かりづらいけど。

 で、そのアストレアが微妙に俺を睨んでいた。

 うん、言いたい事は分かるぞ多分。


「……一応確認するが、ソイツを引き渡す気はないな?」

「最初から無い前提?」

「あったなら逆に驚きだな」


 まぁですよね。

 ソイツとは、言うまでもなくイシュタルことルミエルだ。

 眠り姫はテレサがしっかり抱え、その前にイーリスが立って威嚇している。

 まぁ少し落ち着いて欲しい。

 引き渡すよう言いながら、アストレアは落ち着いた様子なんだ。


「とりあえず、本人が目を覚ましてからで良いか?

 向こうもあの状況だしな。

 できれば話ぐらいは……と、思う次第ですが」

「…………」


 沈黙。

 正直、即断られる覚悟もしていた。

 しかしアストレアが放ったのは、剣ではなくため息を一つ。


「良かろう。どの道、力で訴えようにも消耗し切った身だ。

 今はお前の言葉を受け入れよう」

「マジかー、ありがとう神様!」

「やかましい、調子に乗るなよ貴様」


 素直じゃない奴め、とカドゥルが笑う。

 それに対して即座に「剣」をブチ込む辺り、神様はまだまだ元気そうだ。

 傍らでアウローラがクスクスと笑う。


「すっかり馴染んでるわね」

「良いことだなぁ」

『染まったと言った方が正確であろうよ』


 それはそう。

 ボレアスのツッコミは実に的確だ。


「いい加減、少し休みたいわね。

 無茶し過ぎて流石にクタクタよ」

「こっちもしんどいわ、マジで。気ィ抜いたらそのまま失神しそうだ」

「本当にお疲れ様だな」


 アウローラも、イーリスやテレサも。

 穏やかに笑っている中、俺も表情を緩めた。

 ただ、変わらず気は抜いていない。

 だから背後に黒い影が蠢いても、即座に反応することができた。

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